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新型コロナウィルスに関連して各都道府県の知事がテレビ番組や記者会見に登場することが多くなった。
見ていて感じたのは選挙というものは真面目に投票しなければならないな、ということだった。

それにしても大阪府は吉村知事で良かった。
正しいか間違っているかはともかくとして若いのに冷静沈着。つねに的確に判断し、ステートメントも発表するので安心感がある。
なによりも奈良県の荒井知事や兵庫県の井戸知事、愛知県の大村知事でなくてよかったとつくづく感じるのだ。

今回のケースで緊急事態が発生した場合、自治体の首長には強力なマネジメント能力が求められることがはっきりとわかった。。
広い知識と理解力、さらにスピーディな行動力はもちろんのこと、部下や外部との連携を密に図れるコミュニケーション能力が求められる。
そして絶対的に必要なのは責任感。

今回そうじゃない人の方が多いことにつくづく選挙制度と投票する側の心構えの見直しが必要だと痛感している。

たとえば、

「非常事態に知事のやる仕事なんかない」

と言い切ったのは奈良県知事。
また、

「大阪府と連携する必要はない」

と言い切ったのは兵庫県知事。

このドサクサに名古屋市に喧嘩を売っていると思ったら、自身の足元でコロナ患者の個人情報が流出したのにも気づかない愛知県知事。

この三人の共通点は実務力がないことに加え市民との価値観大きく異なっているのになぜか選挙で知事に選ばれていること。
そして元官僚であることが上げられる。

もちろん官僚出身の人にも優秀な知事になっている人も少なくないだろう。
和歌山県知事や鳥取県知事などは県政を上手く運用して危機的状況に対応している。
でも前述の三人を見る限り官僚であったことのメリットは何もなく、もしかすると単なる世間知らずが官僚をやっていて、その名刺と組織力で選挙で当選しただけに過ぎないのではないかということがありありなのが情けないところだ。

数年前。
関西の大学で開催された日本化学会の学会で目撃したある講演会でのこと。
冒頭、文部省の官僚さんが登壇してこれからの研究開発についての持論を一発打った。
そのあとに複数の大学の先生方がまったく逆の論調を発表。
するとこの官僚氏、最後の挨拶で持論を180度転換。
最初とは正反対なことを主張して有力な先生たちの意見に賛同。
正直かなりびっくりした。
官僚というものはこういうものなのか、いうことを痛烈に実感した学会の一コマなのであった。

ということで知事選挙。
肩書で選ばず、実務のできるリーダーシップを発揮できるを選びたい。
つまり政党のご都合や利益ではなく住民の利益を考える人。
宗教繋がりで何も考えずに投票するのもやめにしよう。

かくのごとく新型コロナウィルス禍は日本の政治家選びにも影響を与えるのかもしれない。
少なくとも次の兵庫、奈良、愛知の知事選挙は。


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