平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

惜福

2008-03-11 00:11:22 | 雑学
この言葉は幸田露伴の発明によるものです。
著書「努力論」から引用してみましょう。
達意の名文をご堪能ください。

引用ここから---

惜福とは何様(どう)いうのかというと、福を使い尽くし取り尽してしまわぬをいうのである。たとえば掌中に百金を有するとして、これを浪費に使い尽くして半文銭もなきに至るがごときは、惜福の工夫のないのである。正当に使用するほかには敢て使用せずして、これを妄擲浪費せざるは惜福である。わが慈母よりして新たに贈られたる衣服ありと仮定すれば、その美麗にして軽暖なるを悦びて、旧依なお未だ敝れざるにこれを着用して、旧依をば行李中に押まろめたるまま黴と垢とに汚さしめ、新依をば早くも着崩して折目も見えざるにいたらしむるが如きは、惜福の工夫のないのである。慈母の厚恩を感謝して、新依なお未だ敝れざる間は、旧依を平常の服とし、新依を冠婚葬祭の如き式張りたる日に際して用うるが如くする時は、旧依も旧依としてその功を終え、新依も新依としてその功を為し、他人に対しても清潔謹厳にして敬意を失わず、自己も諺にいわゆる「褻にも晴にも」ただ一依なる寒酸の態を免るるを得るのである。是の如くするを福を惜むというのである。
樹の実でも花でも、十二分に実らせ十二分に花咲かす時は、収穫も多く美観でもあるに相違ない。しかし、それは福を惜しまぬので、二十輪の花の蕾を七、八輪も十余輪も摘み去ってしまい、百顆の果実を未だ実らざるに先立って数十顆も摘み去るが如きは惜福である。花実を十二分ならしむれば樹は疲れてしまう。七、八分ならしむれば花も大に実も豊に出来て、そして樹も疲れぬ故、来年も花が咲き実が成るのである。
「幸運は七度人を訪う」という意の諺があるが、如何なる人物でも周囲の事情がその人を幸いにすることに際会することはあるものである。その時に当って出来る限り幸運の調子に乗ってしまうのは、福を惜しまぬのである。控え目にして自ら抑制するのは惜福である。畢竟福を取り尽してしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。

引用ここまで---

幸田露伴は、
「惜福」の次は「分福」で、その次が「植福」になって、
このように発展しなければならないと説いています。
でも、「分福」「植福」は、私には余計なことのように思えます。
説教臭くていやな感じです。「惜福」で十分です。

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