雨男が来た!
5回も打ったの
何のために打つのか?など考えたこともないのだろう。
土建屋は役所の家畜なのでお上の命令には逆らわない。羊のように従順だ。
10回でも20回でも生きてる限り打ち続けるだろう。
追記 2022.12.23
4回目は辛かったらしい。
意地でも打ち続けるのだな。
特攻隊員と同じだ。
不時着して生き残っても何度でも飛ぶ。死ぬまで飛ぶ。
4回目までは、ファイザー(1,2回)⇒ ファイザー(3回) ⇒ モデルナ(4回)らしい。
雨男が来た!
5回も打ったの
何のために打つのか?など考えたこともないのだろう。
土建屋は役所の家畜なのでお上の命令には逆らわない。羊のように従順だ。
10回でも20回でも生きてる限り打ち続けるだろう。
追記 2022.12.23
4回目は辛かったらしい。
意地でも打ち続けるのだな。
特攻隊員と同じだ。
不時着して生き残っても何度でも飛ぶ。死ぬまで飛ぶ。
4回目までは、ファイザー(1,2回)⇒ ファイザー(3回) ⇒ モデルナ(4回)らしい。
或る人から口答試験面接資料なるものを貰った。
A4サイズ3枚にわたって、質問すべきポイントと受講者の回答に対する評価方法などがびっしり書かれている。
入手先をたずねると口をつぐんで答えようとしない。
「もしや技術士会ですか?」と訊くと「えへん」と咳払いをしてどこかへいってしまった。
私にとって出所はどうでも良いことだ。
会社から模擬面接の試験官をやれと言われているので、さっそく使わせてもらうことにしよう。
せっかくだから読者の皆さんにもお見せする。長くなるので1ページだけ示す。
技術士試験は決して難しい試験ではない。地道に努力すれば必ず合格できる試験である。
努力を惜しんで安易に他人の支援を受けてはならない。技術力向上は自らの不断の努力でなされるものだ。
多少時間がかかろうとも誰の助けも当てにせず自力で合格を勝ち取れ。そのように願ってやまない。
さて、ここからはSUKIYAKI塾の弊害について述べる。
SUKIYAKI塾のいけないところは、レベルの低さが伝染することだ。
これまで何度挑戦しても落ちていたのに、合格したら急に偉くなったように錯覚して講師を志願し、
無料支援に惹かれて集まった馬鹿な受験生を指導する。
これは、技術士全体のレベルダウンにつながる。
低レベルの者に教えてもらった者は低レベルになるのだ。
将棋界では、師匠は弟子を教えない。
筋悪がうつり師匠を超えることが出来なくなるからだ。
米長邦雄の師匠は佐瀬勇次という人だったが、この人はあまり強くなかったので、米長を一度も指導しなかった。
米長は指導してもらわなかったことを感謝している。
師匠の筋悪がうつらなくて良かったと言っている。
人に教える前にすることが山ほどあるだろう。
やっとのことで合格したのだから、まだまだ力不足なのだ。
そのことを謙虚に受け止めて、まず自らの資質の向上を図れ。
他人にかまけている暇はない。
自分を磨け。
そのことに全力を注げ。
分相応のことをしろ。
レベルの低さを伝染させる行為は慎むべきだ。
「佐口の掲示板」は、佐口光明氏が立ち上げたサイトで、技術士受験者に受験情報を提供するとともに、議論の場を与えていた。平成13年に総合技術監理部門が新設され、私は準備不足から13年度受験をパスし、14年度の合格を目指していた。一般部門と総合技術監理部門の違いがよく分からず困っているところに、会社の同僚が「佐口の掲示板」を教えてくれた。私は議論好きなのですぐにこの掲示板の虜になり、総合技術監理部門を目指す受験者たちと度々激論を交わした。
ここに当時の議論の一部を紹介する。長くなるので私に関わりのない書き込みは省いている。恥ずかしくなるくらい青臭いが、すべて自分の頭で考えたことである。そこに意義があると思う。
ここから ***
[999] 公益確保について 投稿者:さくら 投稿日:2003/01/27(Mon) 17:45:33
口頭試験の勉強をしていますが、果たして「公益の確保」とは何でしょうか
皆さんのご意見・お考えをご教示ください。
ガン > 公益を表現するなら、APECさんの口癖?「世のため人のため」が(具体的ではないけれども)理解されやすいのではないでしょうか。色々と難しい言葉を並べるよりはストレートで、わかりやすくて良いと思いますよ。「技術士(技術者)には、世のため人のために尽くす責任がある」という具合でしょうか。 (2003/01/28(Tue) 21:03:48)
APEC >ガンさん、ありがとうございます。レスしようかと思ったんですが、いつもこればかりではさすがに・・・・と思いとどまっていました^^。でも、私にとっては他に思いつかないほどしっくりきているので。さくらさん、私は公益とは、クライアントの意図・守秘義務などの上に位置するもの(あるいは、より大切なもの)であると思っております。公共事業はもちろんですが、本来は民間事業であっても、公益に資するものであるはずです。そうであってこそ、公共事業であればそれが公共投資目的として許容されるのですし、民間事業であればそれが成功して利益につながるはずだと思います。したがって、通常は公益とクライアントの意図・守秘義務などは相反することはなく、「公益、公益」と意識する必要もないのでしょうが、時にいろいろな理由でトレードオフの関係になったりすることがあります。そういう特殊な時には、原則として公益を優先するということではないでしょうか。(2003/01/28(Tue) 21:11:27)
ねぎ > 「公益確保」は、単純に「公衆の安全、健康および福利の最優先」と定義してはどうでしょう。環境保全は、安全、健康、福利の中に含まれるとします。技術士倫理要綱を嫌になるほど読んだので、これ以外のことは思い浮かびません。 (2003/01/30(Thu) 08:56:21)
APEC > 一般論か個別論かということより、自分の言葉か本からの受け売りかということではないかと思います。「本に書いてあることではなくて、自分の言葉で言ってください」と言われた口頭試験受験者は少なからずいます。公益の確保とは何かということを、理念・観念として理解するとともに、自分の身の回りの事例など(業務上のことでも、社会ニュースなどでも)も踏まえて、自分としての考えを醸成し、それを表す言葉としてしっくりくる言葉を探すということをしたらいいのではないでしょうか。私の場合はそれが「世のため人のため」であるということです。厳密に言えば、意味合いが多少異なるかもしれませんが、それは例えば「良い事」は何かというとき、思い浮かべるイメージや言葉が千差万別であるように、「公益の確保」とは何かということも、細かいところでは千差万別であり、きっちり「これ」と決められるものではないはずです。それゆえに「貴方にとっての」という問われ方をするのだと思います。だから、「私はこれこれこういうことが「公益の確保」なんだと思います」という答え方をし、「そう、だいたいそういうことですね。本筋をはずしてはいませんね」という判断をされればOK、ということではないでしょうか。 (2003/01/30(Thu) 10:12:53)
ねぎ > 自分の言葉で語る前に、定義が明確でなければなりません。技術士法や倫理要綱が求める公益の意味が曖昧なままで、自分勝手な公益をいくら力説しても無意味であると思います。 (2003/01/30(Thu) 12:55:17)
ねぎ > 試験官は、受験者が技術士法や倫理要綱を正しく理解しているかということを知りたいのであって、受験者固有の倫理観に興味があるわけではありません。このことを勘違いしてはならないと思います。それから、APECさん。「世のため人のため」は安直すぎません? (2003/01/30(Thu) 14:36:53)
ねぎ > 「世のため人のため」は私には解りにくい表現です。「世」とは何でしょうか?「人」はどのような人々を指しているのでしょうか?安直と書いた理由は、(1)決して自明ではないのに、自明のこととして書かれていること、(2)使い古された紋切り表現であること、です。紋切り表現は、嘘っぽく聞こえるので安易に使わないほうがよいと思います。 (2003/01/30(Thu) 18:25:29)
胃痛 > 私は、口頭試験において「公益確保をあなたの言葉で簡潔に説明して下さい」とそのものすばりの質問を受けました。「公僕として、県の発展に寄与し、多くの県民が幸せを感じるよう、考え行動することです。」と答えましたが、換言すれば「世のため人のため」であり、決して嘘っぽい言葉とは思いません。 (2003/01/30(Thu) 19:10:59)
aoki > ねぎさん、APECさんは掲示板まで開いて「世のため人のため」献身されています。私達多くの技術者が恩恵を受けております。「私の場合は」と前書きしたこの言葉は奥深い意義があります。「具体的にどのようなことですか」と質問されて答えられないようでは安っぽいかもしれません。しかし、APECさんはすぐに答えられる実績があります。 (2003/01/30(Thu) 20:14:53)
m.i.i > ねぎさんへ。このような場をお借りして意見交換を出来る事を先ず感謝致します。まず「世」とはこの世界全体(取り敢えず視覚出来る全体)を示していると思います。俗に言う「色」ですかね。又、「人」とは定義が難しいですが、人間のその先に有る状態かな?と思います。では「人間」とはなにかと問われれば「人」になる前の状態(間が有る)と答えましょうか(広辞苑で調べた事とは違う答えです。あくまでも私見)・・・。このような公案的な問答はさておき、「自明」がなにかと問われれば、広辞苑によれば、何らの証明を要せず・・・。とありますが、言葉自体に証明と言う論法があり得ますかね?私には判りません(勉強不足です)。言葉に出した時点で(記述した時点も同様ですが)その言葉を発した人の本心(云わんとする心)は全て伝わりません(と私は思います)。私達がもし「自明」を得られたとするならば、俗に云う悟りの境地に相当するのだと思いますが、生まれてこのかた、知識は全て人(または人間)から得ている訳ですよね。自ら閃く(自明???)事は非常に難しいのかなと思いました。紋切りの表現も、ねぎさんによると、そう感じるのかもしれませんし、敢て否定もしません。只、使い古された言葉が嘘っぽく聞こえると云う表現も「自明」出来ないですよね・・・。有難うございました。合掌 (2003/01/30(Thu) 21:16:20)
APEC > ねぎさんのおっしゃるように、倫理要綱の正確な理解を、ふれのない客観的・正確な言葉で説明するということであれば、「世のため・・・・」は確かに不適当ですね。ただ、私は(あくまで私は、ですが)、「『公益確保』とは何か説明しなさい」ではなく、「あなたにとっての『公益確保』とは何ですか」という設問を頭に浮かべて「世のため・・・・と言いました。もし、さくらさんの問いかけにズレて答えてしまったのでしたら申し訳ありません。ただ、m.i.iさん、aokiさんもご理解いただいているように、口頭試験なので、「わかりにくい。もっと具体的に」と言われたらそこで補足すればいいのではないかと思います。実際にはその程度で合否にかかわることはほとんどないでしょうし、私は少々リスクがあっても個性ある答えをしたいと思うほうなので、「せっかくの機会だから、最初に自分の座右の銘のようなものをしゃべって・・・・」という気になるんですね。自分をそのままぶつけたいという欲もあります。私はそういう奴だということで、どうかご理解ください (2003/01/30(Thu) 21:17:33)
ガン > ねぎさん、公益や倫理という言葉に堅苦しい定義はいらないでしょう。「私利私欲に走らず、世のため人のために尽くす」ということで終わりですよ。この言葉の中に倫理要項の大部分は含まれています。これらは人間の観念的なものであって、知識として理解するものではないと思います。技術士(技術者)としてどう生きるか、ということですから私に言わせれば「人生そのもの」ですね。ねぎさん、技術士倫理要項では人生は語れませんよ。昨年の総監口頭で「倫理についてどう考えているか、何かやっているか」というような質問を受け「人としてのモラルは持ち合わせていると思っていますので、倫理を特に意識したことはありません。ですから特別何もしていません。技術士倫理要項で10項目定められていることは知っています。」というような回答をしました。それ以上の突っ込みはありませんでしたよ。 (2003/01/30(Thu) 21:36:24)
ねぎ > たくさんのレスを頂戴したので胃痛さんにだけお答えします。「多くの県民が幸せを感じるよう、考え行動すること」は、私にはよい答えとは思えません。抽象的で、総花的で、わかったようでよく解らないからです。もっと具体的に答えるべきと思います。多くの人とは、県の全人口に対してどれくらいの割合ですか?幸せを感じるとはどう言うことですか?たとえば、あなたの県で公共事業が計画されているとします。その事業を実施した結果、恩恵を受ける人と却って損害をこうむる人に別れた場合、あなたはどのように行動するのですか?私に反論を寄せられる方々の多くは、公益の解釈は人それぞれ異なるものと暗黙のうちに決めつけておられます。果たしてそうでしょうか?ならば、なぜ倫理要綱が定められたのでしょう。私は、公益の解釈は人によって変化するのものではなく、きまったものがあると思っています。それを規定するものが倫理要綱だと思います。皆さんは、技術士とは何かと訊かれたとき、どう答えますか?自分の言葉で好きなように答えますか?ほとんどの人が、「登録を受け、技術士の名称を用いて、科学技術に関する高等の専門的応用能力を必要とする事項についての…」と答えるでしょう。公益についても同じことと思います。自分の言葉でという制約が課せられても、まず倫理要綱の前文に謳われていることをおさえ、それから倫理要綱を逸脱しない範囲で自分の解釈を加えるべきだと思います。 (2003/01/30(Thu) 21:48:08)
ガン > ねぎさん、失礼ですが型にはまり過ぎてマニュアル的ですよ。技術士という資格は確かに「技術士法の手のひら」でしょうが、技術士を名乗る技術者は一人の人間です。考える動物です。もう少し柔軟な考え方でいいのではないでしょうか?技術士倫理要項は人の倫理観のもとで作られたものです。人としての倫理観を持ち得なければ、当然技術者としての倫理観も持ち得ないでしょう。それでも倫理要項を暗記することはできます。私は、口頭試験で求められているのは、倫理要項という狭いものではなく「人としての倫理観」つまり「人となり」といった、もっと間口の広いものだろうと思っています。ですから胃痛さんの回答も、県職としての善意の気持ちが伝わってくるわけで、何ら問題はないと思います。具体的には色々なケースがありますし、行政の立場での判断もあるでしょう。県民の何割とか、幸せとは何だとか、そういう問題ではなく、県民のために尽くせる人間であるか否か、が問題なのです。 (2003/01/31(Fri) 07:36:53)
ピカソ > みなさん、議論を楽しんでますね!低レベルのピカソが入ってきました.私から見ると、ねぎさんと他の人の意見の違いは、1.自分の意見を述べる前に、ある程度明確な定義を述べるべきである、2、「世のため」の「世」とは誰のことかを明確にする必要がある、ということだけだと思います.1、についてはねぎさんの言う「公衆の安全、健康および福利の最優先」が良いかな?、2、については、難しいですね.ちなみに、ねぎさんの「公衆」も誰のことなのか?考えなくてはなりませんね.自分の中で答えを探してみたいです.おじゃましました^^; (2003/01/31(Fri) 08:35:05)
APEC > ピカソさんのおっしゃるように、ねぎさんは「公益」などの言葉の定義をきっちりしてから個々の倫理観や人生観などへ進むべきだというご意見ですし、私などは言葉の定義にも個人差があってかまわないと考えるほうです。それはそれで、個々人の考え方ですから、互いに「あの人はそうなんだ」と思えばいいわけです。一方で、「公益」などという漠然とした言葉の定義を万人が固定して共有できるかというと、これは不可能だと思います。仮にそれは倫理要綱でしっかりと定義付けられており、口頭試験ではそのことをきちんと理解しているかどうかを問われるとしても、それは口頭試験でしか役にたちません。現場で、業務の場で、己の倫理観が問われるケースは千差万別であり、相手があることも多く、トレードオフとなる場合はその相手方も様々です。多くの人は倫理要綱ではなく、各自の人生の中で培ってきた「人格」とでもいうものを動員して判断されると思います。倫理要綱はそのことを否定してはいないはずで、「アナタの個人的な正義感やら倫理観やらは捨てなさい。この要綱に書いてあることを倫理観として持ちなさい」などということも言わないはずです。各自の持っている倫理観と、国が技術士に求める倫理観がまるっきりイコールでなくても、近ければいいということだと思います。口頭試験で確認するのはそういったことだと思います。そうなると、「公益」という「言葉の解釈」も、まるっきりイコールでなくても、近ければいいじゃないか、という考え方もできるのではないでしょうか。倫理要綱の文も非常に漠然としています。「こういう理念ですから、貴方なりに解釈してください」ということだと私は受け取りました。きっちり言葉の定義も含めて正確に理解しようとする人、言葉にはこだわらず意図や理念だけを読み取ろうとする人、それぞれの受け取り方があると思います。それでいいんじゃないでしょうか。私の娘が通う小学校で「みんなちがって、みんないい」という張り紙がしてあって、「ああ、いい言葉だなあ」と思ったことがありますが、国際化の時代でもありますし、受容力というか多様な価値観を認めることが大切だと思います。無論、しっかりした自己を確立してからの話ですが。 (2003/01/31(Fri) 09:02:57)
ねぎ > ガンさん。技術士倫理はマニュアル的でなければならないと思っています。技術士に求められているのは、技術士としての倫理であって人一般の倫理ではありません。人間としては最低(例えば私利私欲のかたまり、出世のためには平気で人を踏み台にするetc)でも、つねに「公衆の安全・健康・福利の最優先」を心がけて仕事をし、成果を出せば、倫理に勝れた立派な技術士といえるのです。技術士倫理は、人としてどうあるべきかを定めたものではなく、「公衆の安全・健康・福利の向上」を図るための行動指針を示したものであることを忘れてはならないと思います。そして、その実効性を高めるためには、ある程度マニュアル的になるのはやむを得ないことと思います。 (2003/01/31(Fri) 09:56:52)
デ~ブ山田 > 私は今年の口頭試験でズバリ「公共の利益の確保とはどういうことだと思いますか?」と聞かれました。「古い言葉ですが、世のため人のためということだと思います」とまさにAPEC様の口癖?をそのまま言いました。試験官は即座に大きくうなずいて「はい」と言いました。昨年、ほとんど同じ質問を会社の同僚がされました。倫理要綱に書いてあったことを言うと、「そういう本に書いてあることじゃなくて、あなたの言葉で言ってください」と言われました。わけのわからない理屈がいろいろ飛び交っていますが、体験から言います。「世のため人のため」という言葉は、人の生き方としても、口頭試験用としても最高の言葉です。あとは、自分の考えを人に押し付けるのではなく、各自が判断すればいいのでは? (2003/01/31(Fri) 20:34:38)
さくら > 本日試験会場へ向かいます。私なりに考えたのが、やはり「世のため人のため」を答えようと考えています。その上で公益を確保するためには、クライアントも技術者も住民(国民)であることを自覚を持ち、地域住民とともに、「当該事業」によってもたらされるであろう公益を考え、適正な設計業務を進めて行きたい。と答えるつもりです。皆さん、いろいろなご意見ありがとうございました。 (2003/02/01(Sat) 07:49:25)
ねぎ > マニュアル的な技術士倫理にもとづいて行動しても、人一般の倫理に従っても、通常は問題ないでしょう。技術士倫理の出番は抜き差しならない状態に追い込まれた時であろうと思います。医療の分野では安楽死の問題があります。末期癌になった患者がいるとします。A医師は、助かる見込みのない患者は、安楽死させるべきだという考えの持ち主です。B医師は、人間はどんな状態になっても生き続けるべきという信念を持っています。医療が、医師個別の死生観すなわち倫理観に基づいて行われたとすれば、この患者は、A医師にかかれば安楽死させられ、B医師が担当すれば苦しみながら死んで行くことになります。マニュアル的な倫理の出番はまさにこの時で、担当する医師によって揺らぐことのない「死生観」を定義づける必要があるのです。「公益」についても同様と思います。 (2003/02/01(Sat) 11:09:51)
ガン > ねぎさんのお考えは、少なくても技術士や医者などの職業倫理は、究極の選択を迫られた場合の個体差を無くす意味で、その定義を明確にしておく必要がある、ということですね。それに対して私は、公益や倫理というものは「何やら漠然としたもの」であって、一つの言葉で定義できるものではない、との考えです。一見正反対のようですが、私は別に技術士倫理要項に異を唱えているわけではありませんから、やはりピカソさん曰くの「定義するかしないか」程度の差のような気がします。強いて言えば、性格は正反対かもしれませんね(笑)。ところで、さくらさんの口頭試験はどうだったのでしょうか?気になります。ちなみに私は安楽死容認派です。自殺は論外ですが、現代医学で「100%治療のしようがなく、死を待つのみ」と判断され、かつ本人がそれを納得した場合(意思がはっきりしている場合)、苦しみながらの延命処置を拒否し、安楽死を選ぶ権利を与えるべきだと思います。安楽死は、自殺との線引き、手を下す医者の精神的負担など、色々な問題を含んでいますが、私の意見はこれらを棚の上に置いたままです。 (2003/02/01(Sat) 22:15:02)
ねぎ > ガンさん、そのとおりです。見解の相違は、「公益を定義するかしないか」だけです。しかし、それは「その程度の差」ではなく、本質的で重要な問題と考えています。私が言いたかったのは、日頃から患者本位で考え行動し患者に最高の医療を提供すること(「世のため人のため」)を常に心がけているA医師とB医師とで、医師固有の人生経験や価値観に基づいた医療行為が行われるならば、結果に大きな差が生じる可能性があるということです。善意が却って悪い結果をもたらす危険性があることです。このようなことを防止するために、医療分野では、死とは何か、生きるとはどういうことかを、技術士が活動する分野では、「公益」とは何かを定義しなければならないと考えるのです。定義づけは、大まかなものがよいと思います。皆さんがご指摘のように細かく規定するのは不可能ですし、却って使いづらくなっていまします。日本国憲法では、戦争放棄、基本的人権の尊重、国民主権が柱になっていますが、「公益」についてもその程度でよいと思います。技術士倫理要綱前文にある「公衆の安全、健康、および福利の最優先」が果たして最適かどうかわかりませんが、私にとっては非常に理解しやすいものです。 (2003/02/02(Sun) 14:34:51)
ここまで ***
虎ノ門は特殊法人が集まっている場所なのだそうです。
テレビで誰かが言ってました。
虎ノ門といえば、日本技術士会があるところ。
ということはやっぱりそうなのか、
と思ってあれこれ調べてみました。
崖っぷちを歩いている技術士としては、
天下りや渡り鳥と呼ばれる人たちが許せんのです。
これ(↓)は一昨年のものです。現会長は高橋修という人ですから。
----------------------------------------------------------------
所在:東京都港区虎ノ門4-1-20 田中山ビル8階
会長:都丸徳治(元建設省土木研究所次長)
副会長:永田一良、神戸良雄、北村友博
専務理事:竹下功
常務理事:畠山正樹、大谷邦博(元科学技術庁長官官房秘書課福利厚生室長)
----------------------------------------------------------------
常務理事はやはり文科省の天下りですね。専務理事はどうなんだろう?
と思い、ググッてみました。そうしたら、こんなのがヒットしました。
竹下功専務理事の「送別・感謝の集い」という会合を記録したもののようです。
なぜネットに公開しているのでしょう。
意図がわからんが、まぁいいや、どうせ非常識な人たちの集まりだもの。
それはともかく、専務理事はすごい権限をもっていることがよくわかりました。
竹下功氏は、平成15年3月に60歳で特殊法人日本原子力研究所を定年退職し、
同年6月ほとんど時間差なしに、専務理事として技術士会に入会しています。
技術士会の専務理事の任にあったのは、平成20年7月の任期満了までの5年間。
たった5年間ですよ。50年の間違いじゃないです。
5年しか勤務しなかった人を送るのに、なんでこんなに仰々しくせにゃならんのでしょう。
それにしても、感謝の歌って…、言葉を失いますね。
北朝鮮の喜び組じゃあるまいし。誰も変だと思わないのだろうか。
あっ、奥さんが来てますね。
奥さんが何か仕事をしたのかな。花束をもらってるけど。
専務理事は偉そうにしてますね。
技術士会会長なんか、専務理事の茶坊主のようだ。
専務理事になぜこれほどまでの「力」が与えられているのか。
不思議に思っていろいろ調べているうちに、こんなブログを見つけました。
面白いので引用してみます。
ここから***
技術士は「技術士法」に基づいて行われる国家試験に合格し登録した人だけに与えられる称号で、
現在日本全国で5万人程度の技術士が存在しています。
一方、社団法人日本技術士会は「技術士法」に基づく全国を区域とする唯一の公益法人で、
この技術士制度の普及・啓発を図ることを目的として、約1万人の技術士(約20%の組織率)の会員が参加しています。
1951年発足以来、技術士会は技術士相互の仲良しクラブ的存在でありましたが、
1983年科学技術庁(現文科省)が指定試験実施・登録機関とした時から様子が変わって来ました。
1983年迄は会費主体の技術士会活動で僅か3億円程度の予算しか無かったのですが、
試験・登録機関として指定されることにより10億円を超える実行予算が追加されることになったのです。
その結果、本来の目的である技術士制度の普及・啓発よりも、天下り官僚が専務理事としてポストを確保し、
試験登録機関としての活動を主体にしようと画策して強権を発揮し、
其処にすり寄る会員のみを愛玩する社団法人に変節させてしまったのです。
本来の目的を尊重し、横暴な専務理事に対抗する会員に対しては、
倫理審査委員会に訴追し戒告処分とすることで、その活動を封じてしまいました。
改善活動は頓挫した様でしたが、「技術士による技術士の為の改革」を標榜した監事が高得票で当選2年間監査活動することで、
指導官庁も専務理事の横暴さを認め漸く退任の運びとなり一件落着となった様に思えました。
その監事は前回の選挙ではライン役員の理事として当選、内部改革に勤しむことになりましたが、
改革を急ぎ過ぎて会長と衝突してつけ込まれました。従前の監事活動が内部告発とも捉えられ、
守旧派の逆襲を受け倫理審査委員会に付託され、除名妥当との審査結果を受け、
守旧派の除名決議方案が昨年の臨時総会で2/3以上の支持をもって、除名処分が通ってしまったのです。
事態は暗転、高得票を彼に投じた会員達も、降りかかるであろう災禍を怖れ沈黙したままとなり、
アンシャンレジームが復古している情勢です。
ここまで***
こんなことがあったのか。知らなかった…