平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

【過去記事追記】広島市に電話をしました

2023-04-01 08:43:27 | 国民保護法

追記 2023.04.01

記載内容が後退したという意見が多いですが、私はこれで良いと思います。
被爆による放射線障害は個体差が大きく、一律にこうだとは言えないからです。
私の叔父は広島日赤病院で被爆し、全身にガラスの破片が突き刺さったのですが、
原爆症を発症せず95歳の天寿を全うしました。
一方、原爆投下1週間後に入市被爆し、無傷にも拘らず亡くなった人も多くいます。

追記 2023.03.31

勘違いだったようです。
早とちりは良くないです。
広島市さんごめんなさい🙇

劣化ウラン弾はどういうものですか(FAQID-5801)

 

 

追記 2023.03.30

【before】

【After】

G7が近いので隠すでしょ。
こういうことを広島市は平気でします。
屁でもないですよ。
8月6日は広島市にとっては夏の風物詩です。

記 2017.05.01


広島市のHPです
「弾道ミサイルが落下する可能性がある場合にとるべき行動について」書かれています。
しかし、その大部分は有害無益な「内閣官房国民保護ポータルサイト」の広告であり、
広島市が独自に策定した「広島市国民保護計画」は関連情報として片隅に追いやられています。
国民に対するアリバイ作りでしかない「内閣官房国民保護ポータルサイト」を中心に据え、
「広島市国民保護計画」を閲覧者の目にとまらないような場所におくとは何事か
自分たちで苦心してまとめた素晴しいマニュアルを自ら蔑ろにするのはどういうことか
納得できないので、午前休暇をとって広島市に電話をかけて真意を問い質しました。
電話に出た担当職員(危機管理室危機管理課島津課長補佐)の回答はつぎのとおりです。
(1)政府から指示があったのでHPに載せた。
(2)どこの自治体もやっているので広島市も倣った。
(3)被爆都市だからといって政府の指示を無視することはできない。
(4)広島市国民保護計画があるのは知っているが読んだことはない。
こういった内容です。被爆都市としての自覚も平和に対する理念も何もありません。
毎年8月6日の平和記念式典で広島市長は平和宣言を読み上げますが、あれは惰性でやっている恒例行事です。
七夕祭のようなものです。広島の風物詩にすぎません。
原爆ドームや平和資料館は観光のための見せ物です。悲しいけれどこれが現実です。

追記

最初に電話に出たのは若い女性職員です。
彼女はレベルが低すぎて話にならないので(広島市国民保護計画の存在すら知らなかった)、
話の解る職員に代わってもらいました。
代わってもらう間、保留メロディ( ひろしま平和の歌 )が流れていました。
いまやこの歌も形だけのものでしょう。

追記

広島市の住人でない人も変だと感じている。



「国民保護ポータルサイト」は有害サイト

2022-11-03 18:46:45 | 国民保護法

追記 2022.11.03


---------------------------------


上記(1)~(4)は無意味です。
爆心地を対象に策定された避難計画ではないからです。
爆心地の国民は保護されません。
全滅です。
被爆を経験した葉佐井博巳元広島大学教授は、3秒ですべて終わると言っています。
国民保護法は国民を殺すための法律なので従ってはいけません。

 

 

 

初回記 2017.04.24

国民保護ポータルサイトの閲覧が増えているようですが、
このサイトは有害サイトですよ。信用してはいけません。
2008.04.07付(9年前)中国新聞記事にはこのように書かれています。(赤線部)



米国の民間防衛や災害時の救助活動などを担当している連邦緊急事態管理局(FEMA)。
同局のサイトのトップ画面から「Nuclear Blast(核爆発)」を検索すると、
「核爆発の間にあなたがすべきこと」という項目にたどり着く。
“Do not look at the flash or fireball –it can blind you …”
日本政府の国民保護ポータルサイトの避難マニュアルと、うり二つの英文が並び、
内閣官房がここから引用したことは容易に察しがつく。
そこには、一瞬のうちに熱線で体が焼き尽くされることも、
爆風で街が破壊されることも触れられていない。
放射線を浴びた被爆者の苦しみは、その後何十年も続く、ということも。
その理由を問うと、国の担当者はあっさりこう述べた。
「計画は爆心地付近の人たちを対象にしていない。
周辺部にいる人たちの避難誘導や、
放射性降下物などによる二次被害を防ぐことを目的にしている」

-----------------------------------------------------------

爆心地の人たちは保護の対象ではないのです。

守れないのならこのような事態に陥らないよう平和外交を行うのが政府の務めでしょう。
しかし、政府はトランプに盲従するのみで自主的に外交をしようとしない。

いま、この国の統治機構は麻痺している。無政府状態だ。
もしくは、安倍というテロリストに乗っ取られている。


広島市国民保護計画

2017-08-29 13:05:16 | 国民保護法

内閣官房国民保護ポータルサイトは国民を殺すためのサイトで、日本最悪の有害サイトです。 

できる限り頑丈な建物や地下街などに避難する
物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守る
窓から離れるか、窓のない部屋に移動する

こんなことは嘘っぱちです。
絶対に信用してはいけません。 

2008年に広島市が独自に策定した「広島市国民保護計画 」を参考にしてください。
核攻撃による被害を回避することは不可能、と書かれています。
核ミサイルが着弾したときは何もかも遅いのです。
ミサイルが飛来しないよう外交努力を行うことしか国民を守る方法はないのです。


真国民保護計画(3)

2017-04-30 20:05:36 | 国民保護法

国民保護ポータルサイトは有害サイトです。

官邸HPに載っている国民保護計画は国民を殺すためのものです。
信用してはいけません。
参考にしてもいけません。
核兵器は、それを使われた時点で終りです。
自身が被爆者である核物理学者葉佐井博巳広島大学名誉教授は
「3秒ですべて終わる」
と語っています。
被爆後に助かろうと思ってはいけません。
被爆したら助からないのです。
着弾後は何をしても遅いのです。
撃たれないようにするしかないのです。
しかし政府はそれをしようとしません。

ここに、広島市が2008年3月に策定した真の国民保護計画を示します。
被爆都市広島が経験をもとにまとめ上げたマニュアルです。
これを参考にしてください。

広島市国民保護計画 ← こちらです

一部抜粋します。

核兵器攻撃によってもたらされる被害を回避することは不可能であり、
行政が最善の対処措置を講じることができたとしても、被害をわずかに軽減する程度の効果
しか発揮し得ないことが示されました。

このため、核兵器攻撃に関しては、それに対する有効な対処手段はなく、核兵器攻撃による
被害を避けるためには唯一、核兵器の廃絶しかないという認識の下、この計画を策定します。


1945年8月9日原爆投下から15分後に長崎県香焼島から撮影されたキノコ雲


「国民保護ポータルサイト」は有害サイト(2)

2017-04-24 14:51:08 | 国民保護法


政府の言うことは大嘘です。信じてはいけません。
核攻撃の場合、行政にできることはなにもないのです。



2008年4月7日中国新聞記事より抜粋
「日本が核攻撃を受けないとは言いきれない」として核攻撃も想定。三発目の核兵器が日本に落とされたら、
住民の「避難」と「救援」、そして「武力攻撃に伴う被害の最小化」の三本柱が、市町村の責任となる。
<中略>
「核兵器が爆発したら三秒ですべてが終わる。
行政にやれることなど何もない」。

政府の「手本」に対し、そう反論するのは、被爆者で核物理学者の葉佐井博巳さんだ。

中国新聞記事より

2008-04-09 23:19:29 | 国民保護法
中国新聞記事(2008/04/07)からの引用です。

引用ここから---

米国の民間防衛や災害時の救助活動などを担当している連邦緊急事態管理局(FEMA)。同局のサイトのトップ画面から「Nuclear Blast(核爆発)」を検索すると、「核爆発の間にあなたがすべきこと」という項目にたどり着く。
“Do not look at the flash or fireball –it can blind you …”
日本政府の国民保護ポータルサイトの避難マニュアルと、うり二つの英文が並び、内閣官房がここから引用したことは容易に察しがつく。
そこには、一瞬のうちに熱線で体が焼き尽くされることも、爆風で街が破壊されることも触れられていない。放射線を浴びた被爆者の苦しみは、その後何十年も続く、ということも。
その理由を問うと、国の担当者はあっさりこう述べた。

「計画は爆心地付近の人たちを対象にしていない。周辺部にいる人たちの避難誘導や、放射性降下物などによる二次被害を防ぐことを目的にしている」

ここまで--- 

>計画は爆心地付近の人たちを対象にしていない…

爆心地の人たちは保護の対象ではないようです。

国民保護法(3)

2008-03-06 22:17:29 | 国民保護法
生ましめんかな      栗原貞子
 
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生まぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」というのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です、私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも


誰もが知っている有名な詩です。
しかし、あのマニュアルを作った内閣官房の役人は知らないでしょう。
広島に原爆が投下された事実さえも知らないのかもしれません。