平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

校長による妻へのパワハラ(1)

2013-03-13 20:24:35 | 教育
先日、妻が勤務している小学校に抗議に行きました。
校長がモンスターペアレンツの言いなりになって妻にパワハラを行うからです。
校長と話をして感じたことは、
「彼は、私には理解できない価値観や倫理観を持っている」
ということです。
エイリアンに寄生された人間と話をしているようでした。

こんなことを言っていました。

(校長)「小学校教員にとって最も大切なのは保護者対応だ。保護者の訴えは、どんなことでもきかなければならない」
(私) 「理不尽な要求でも?」
(校長)「理不尽か理不尽でないかは、我々が決めることではない。なんでもいうことをきかなければ教員失格。私たちはサービス業なんです」

土木学会中国支部研究発表会中止

2009-05-28 12:22:50 | 教育
中止だそうです。

>新型インフルエンザの感染機会を減らすための方策が充分に講じられない恐れがあると判断しましたので,やむなく中止を決定しました.

>充分に講じられない恐れがある……
他人事みたいに書いていますが、
好きなように講じればよいのでは?
主催者なのだからどうにでもできるでしょ。
会場への往来が危ないと言ってるんですかね。
学者の考えることはようわからん。

恐怖の想い出(3)

2008-08-08 20:20:38 | 教育
恐怖を感じていると、

(娘) 「お父さん、今からあんたを殺すからね」
(私) 「まあ待て、話し合おうじゃないか…」
(娘) 「うるさい!あんたは取り返しのつかないことをした。もう遅い」

娘の目は大きく見開かれ、寸法150(mm)×150(mm)×20(mm)の木製鍋敷を手にしている。
娘と私の距離は2m。私は壁を背にしている。逃げられない。
これは殺られると思った刹那、鍋敷が飛んできた。
それは私の眼鏡のフレームの真ん中にあたった。
眼鏡は吹っ飛んだが、私は無事だった。
しばし呆然とし、われに返ったときには娘はいなかった…。

森下君の学校にも親にも電話はしませんでした。可哀想になったのと名前と学校を正直に告げたので許してやろうと思ったのです。
娘は、大学に進学してからはすっかり真面目になり、いまは社会人2年目です。
娘は一本気なところがあって、曲がったことが大嫌いな性格なので、あのときも、娘のいうとおりベッドで休んでいたに違いないと信じています。
二人とも衣服に乱れはなかったし、森下君は本当に休んでいるように見えた…。

でも、仮にそうでないにしても、
万が一、そうでないにしても、
娘よ、お前の人生はお前のものだ。
好きなようにするがいい。

恐怖の想い出(2)

2008-08-07 00:17:52 | 教育
正解は②です。

①をやりたかったのですが、その男は大男だったので、とっさに負けると判断し思いとどまりました(バレーボールの選手だそうです)。

(私) 「学校と名前は?」
(男) 「○○高校の森下です」
(私) 「よーし、お前の一生は決まった。退学させてやる。学校と家の電話番号を言え」
(男) 「それはちょっと…」
(娘) 「お父さん、私たちは休んでいただけなんよ。別に変なことはしとらんし」
(私) 「休んでいたのは見ればわかる。しかし、ベッドの中で休むことはないではないか。休むのなら公園など高校生に相応しい場所があるだろう。それに今日は火曜日だ。学校をサボったのか」
(娘) 「お父さん、冷静に話し合おうよ。お父さんは誤解してるよ」
(私) 「今さら何を言う。話し合いもくそもあるか」

そんな会話をしているうちに、娘は突然暴れだした…。
娘は暴れると手がつけられないので、しかたなく、

「森下君、すまないが娘を押さえてくれないか」

と頼むと、森下君は、

「僕、かえりますから」

といって、玄関のドアをあけて帰っちゃった。
残されたのは、娘と私。まずい。

恐怖の想い出(1)

2008-08-05 17:46:59 | 教育
忘れ物をしたので自宅に取りに帰ったときのことです。
玄関のドアを開けようとしたら、鍵がかかっていない。
おかしいなと思って開けると、娘の靴と見慣れない男性用の運動靴がある。
ピンときた私は、「おまえら、何しよんなら」と家の中に突入した。
すると、娘が部屋からあわて気味に飛び出してきた。
娘を突き飛ばして娘の部屋に入ると、
見知らぬ男(高校生)がベッドにいた…。

そこで私は何をしたでしょう?

①男に襲いかかった。
②男を激しく罵った。
③「済んだことは仕方ない、大切なのはこれからだ」と言って、二人にコーヒーを入れた。

仰げば尊し(3)

2008-03-07 21:54:20 | 教育
栗栖先生(中一の時の担任)は、芦田伸介を上品にしたような風貌で、外見は紳士そのものだった。スポーツ万能で女子生徒に人気があった。一見、穏やかな紳士だけれど、外見とは裏腹に、実はたいへん怖い先生だった。叱るときはたいてい鉄拳が飛んできた。

あるとき、5人の男子生徒が叱られた。彼らは女の先生の授業時間にふざけていて、それが栗栖先生の耳に入ったらしい。先生は授業そっちのけで、5人を教室の前に立たせ、低い声で説諭する。5人は45分間立ったままだ。そのうち脚がだるくなってくる。真直ぐ立てなくなる。フラフラ左右に揺らぎだす。先生はそんなのお構いなし。前を右に行ったり左に行ったりしながら、説諭を続ける。
授業終了のチャイムが鳴った。チャイムがなると同時に、「歯を食いしばれ」の号令が飛ぶ。5人は、つぎに来るものが解っているから、思い切り歯を食いしばる。先生は、右から順番に、バシバシ殴っていく。最後の5人目のところでは、勢い余って腕時計が吹っ飛び砕け散ってしまった。

先生はとにかくよく殴った。だが、それが問題になったことは一度もない。殴られた男子生徒で、親に告げ口するやつなんか一人もいなかったし、告げ口しても「お前が悪いから殴られたのだろう」と反対に叱られるのが落ちだったからだ。
私は殴られたやつらを羨望の眼差しで眺めていた。先生の殴り方がカッコ良かったし、殴られたやつらは、殴られたことで男になったように見えた。彼らも殴られたことを誇らしげに語っていた。

私は殴られなかった。私が悪戯をしなかったから殴られなかったのだが、たとえ悪戯をしたとしても、先生は私を殴らなかっただろう。先生は、殴ってもよい生徒と殴ってはいけない生徒とを、はっきり分けていた。私は後者に分類されたことが悔しかった。「痛いだろうが一度は殴られてみたかった」。当時を振り返ってそう思うことがある。

仰げば尊し(2)

2008-03-02 22:51:42 | 教育
中学校を卒業したのはいつだっただろうか。
思い出せないくらい昔の話だ。

私は、田舎の小さな小学校と中学校に通った。
同級生に、達ちゃんという、女の子がいた。
彼女は、先天性心臓弁膜症に罹っていた。
きれいな血がつくれないので、いつも顔は紫色だった。
知能の発達や身体の成長にも支障をきたした。
達ちゃんは、医師から「長く生きて20年」と診断されていた。
彼女は、そのことを知っていたのだろうか。
いつもさびしそうだった。

中学2年のとき、こんなことがあった。
担任の荒木先生が、あの温厚な荒木先生が、一人の男子生徒に向かって声をあらげた。
その男子生徒は、幼児のころに罹患した小児麻痺の影響で、知能に少し障害があった。

まさし、お前は、なぜ宿題をやらないのか。 
なぜ、勉強を一生懸命やろうとしないのか。
達ちゃんを見てみい。
達ちゃんは二十歳までしか生きれんのぞ。
でも、達ちゃんは、学校が好きだから、
クラスの友だちが好きだから一生懸命勉強をする。
宿題も欠かさずやってくる。
テストもいくら頑張っても10点か20点しか取れないけれど、ひっしにテストをうける。
それに比べてお前はどこが不自由だというのか。

私は、これほどまでに感情をあらわにした先生をみたことがなかった。
先生は目にいっぱいの涙をためていた。
教室は静まり返った(その日は達ちゃんは休んでいた)。
まさしはポカンとしていた。

先生には、子どもがいなかった。
だから余計に、達ちゃんがかわいくて、不憫でならなかったのだろう。
運動場で撮った卒業写真には、先生と達ちゃんが手をつないで写っている。

それから5年後、達ちゃんは医師の見立てどおり、二十歳で短い生を終えた。