今しがた此世に出し蝉の鳴
むく犬や蝉鳴く方へ口を明
蝉鳴や物喰ふ馬の頬べたに
小坊主や袂のなかの蝉の声
蝉なくやつくづく赤い風車
(小林一茶)
ゆふぐれて机のまへにひとり居りて鰻を食ふは楽しかりけり
これまでに吾に食はれし鰻らは仏となりてかがよふらむか
けふ一日ことを励みてこころよく鰻食はむと銀座にぞ来し
汗垂れてわれ鰻くふしかすがに吾よりさきに食ふ人あり
あたたかき鰻を食ひてかへりくる道玄坂に月押し照れり
(齋藤茂吉)
ふるさとの日向の山の荒渓の流清うして鮎多く棲みき
おもほへば父も鮎をばよく釣りきわれも釣りにきその下つ瀬に
鮎つりの父が憩ふは長き瀬のなかばの岸の榎の蔭なりき
われいまだ十歳ならざりき山渓のたぎつ瀬に立ち鮎は釣りにき
幼き日釣りにし鮎のうつり香をいまてのひらに思ひ出でつも
釣り暮し帰れば母に叱られき叱れる母に渡しき鮎を
鮎焼きて母はおはしきゆめみての後もうしろでありありと見ゆ
(若山牧水)
世の中のひとの心にならひけんかはるにはやきあぢさゐの花
飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花
我がおもふ人の宿には無くもがなかはりやすかるあぢさゐの花
(樋口一葉)