平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

いまさら地球温暖化(3)

2012-05-30 20:04:11 | 地球温暖化


呉市の年平均気温と黒点相対数を、同じグラフの上にプロットして、比較して見ました。
1990年以前のデータについては相関関係があるように見えるのですが、どうでしょう。

追記

位相のズレが少し気になりますね。


参考
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php(気象庁|過去の気象データ検索)
国立天文台編:理科年表、丸善株式会社、2008

浮気占い

2012-05-29 16:41:22 | その他
海外のジョークから。
若い女性と結婚した男が、浮気を心配。
占い師のところへ。

占「このコインを投げなさい。それで占えます」
男「どのように?」
占「表が出たら、浮気しています。裏が出たら、浮気しています」
男「していない場合は?」
占「空中に止まります」

NHK杯戦史に残る大ポカ

2012-05-27 11:13:58 | 将棋



将棋ファンの皆様、こんにちは。
加藤一二三9段と大山15世名人の一戦を紹介します。
局面は後手大山15世名人が6九銀と打ったところ。
この手は詰めろになっていないので、5二飛成と指せばそれまででした。
ところが、加藤9段は何を思ったか8八金。
ひぇーッ、これは私にもわかる大ポカです。
次の瞬間、大山15世名人は加藤9段の手から金をむしり取るように8八角成。
何で取っても8七金打までの詰みなので、先手投了。
後手の指し手はあまりにも速く、二人の手が盤上で交差したといわれています。
加藤9段には、駒を持って空打ちをして「やっぱり止めた」と元に戻す癖があります。
大山15世名人は、限りなく「待った」に近いこの癖を嫌ったのでしょう。

参考URL
https://shogidb2.com/games/da9b0fd1854f86c9bce28daa4036e4c93a2b3991(将棋DB2)


日本の気温(2)

2012-05-18 23:29:47 | 地球温暖化


日本の年平均気温は、全国17地点(網走,根室,寿都,山形,石巻,伏木,長野,水戸,飯田,銚子,境,浜田,彦根,宮崎,多度津,名瀬,石垣島)の観測データをもとに算出されています。
これらの17地点はどのような理由で選定されたのか。気象庁によると、選定理由はつぎの三つです。
① 1898年から観測を継続している。
② 特定の地域に偏らない。
③ 都市化の影響が少ない。

図(日本地図に17地点をプロット)を見ると、確かに地域の偏りは見られませんね。
②については問題なさそうです。

③はどうでしょう。

渡辺正氏の著書、「地球温暖化」神話/終わりの始まり、につぎのような記述があります。



①と②はよくわかる。しかし③は、「人為的CO2温暖化説の証拠にする」意図としか思えない。事実、図3.5(の旧版)はおびただしい温暖化警告本や小中高校の教科書などに載り続け、「日本の温暖化物語」を支えてきた。
だが③には大きな問題がある。たとえば一七地点の一つ宮崎の気温は、図3.6のように変わってきた。右端から三分の一ほどを手で隠せば、上下動はあってもさほど特徴のないグラフになる(一九一〇~七〇年には0.5℃くらい昇温した?)。大きな変化は七〇年代に始まり、以後1℃ほど上がっている。
若い方々には実感もないだろうが、一九六〇~七〇年代までの日本は(場所ごとに程度の差はあれ)だいたいが「田舎」だった。生まれ育った山陰の農村だと、六〇年以前は車がめったに通らず、電化製品もほとんど使っていない。けれど八〇年代以降には農家が二台や三台の車をもつなど、エネルギーの使用量が激増した。
一九七〇年代に始まる宮崎の昇温も、都市化の影響をそうとう受けているだろう。図3.6をよく見ると、二〇世紀末から昇温が止まった気配がある。東京と同じく、やはり都市化の飽和を表しているのではないか。


渡辺氏は、1970年以後の昇温の大部分は都市化によるものではないか、と述べています。

つぎの図は気象庁の気温データを用いて、1900年から2010年までの17地点の年平均気温の推移をグラフにしたものです。グラフの最上位は、石垣島の気温です。最下位は、網走の気温です。



この図をみると、位相はよく合っています。山と山、谷と谷が一致しています。
赤い破線は、17地点の平均気温のトップ5(1990年、2004年、1998年、2010年、2007年)の年を示しています。
ここで、日本を、北日本、中央日本、南日本に分けることにすると、大雑把に言って、1990年は北日本と中央日本で気温が高く、1998年は南日本で高く、2004年と2010年は北日本と中央日本、2007年は中央日本で高かったことが分かります。

1998年は宮崎(上から3番目)の外、石垣島、名瀬、その他西日本の観測点の気温も高く、このことから宮崎に見られるピークは宮崎固有の局所的な都市気候によるものではなく、広域的現象に由来するものであると思われます。

【参考文献】
渡辺正:「地球温暖化」神話/終わりの始まり、丸善出版、2012年

日本の気温(1)

2012-05-16 20:05:50 | 地球温暖化


図は日本の年平均気温の推移です。この図を見ると、1990年に気温のジャンプがあり、以後、高止まり状態が現在まで続いています。根本順吉氏は著書「超異常気象」の中でつぎのように述べています。

そして私にとっての三匹目の大泥鰌は、一九九〇年の暖年に気づいたことである。私はこれを、『朝日新聞』天気図欄に書かれた予報官の小コラムに触発され調べ始めたものであった。たとえば東京の気温についてみると、それは一九八九年八月以来、現在(一九九一年五月)に至るまでマイナスにならず、実にプラスが二二ヵ月もつづいているのである。時計の振子が片側だけフレているようなものである。この高温の原因として都市気候を考える人もあるが、日本全国、都市でなくても、ほとんどのところがこれに類する高温が続いているのだから、都市気候だけでこの昇温を説明するのはむずかしい。

余談ですが、「超異常気象」は古書店で購入しました。CO2懐疑派の人たちの著書に度々引用される本なので欲しかったのですが、すでに絶版になっていて書店では購入できませんでした。諦めていたところ、たまたま立ち寄った古本屋でこの本を見つけました。探していた人に出会ったようでうれしくて急いで買いました。350円でした。
閑話休題、本題に戻りましょう。私も根本氏の意見に賛成です。1990年の昇温は都市気候だけでは説明できないと思います。一体何が原因なのでしょうか。

【参考文献】
根本順吉:超異常気象/30年の記録から、中公新書、1994年

宗看光速の寄せ

2012-05-11 21:42:25 | 将棋


将棋ファンの皆様、こんばんは。
今回はボンクラーズの話題ではありません。
江戸時代の天才棋士三代伊藤宗看の華麗な寄せをご堪能ください。
後手の宗看が6六歩と突いた局面で、大橋宗与は投了しました。
3三桂成とすれば後手には受けがないので、6六歩は詰めろのはずです。
どうです、詰み筋が見えますか?

参考URL
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=15768(将棋の棋譜でーたべーす)

広島市の気温(2)

2012-05-10 22:26:23 | 地球温暖化
はれほれさんのご指摘のとおり、1988年以降の急激な昇温には、観測所の移転の影響が含まれていると思われます。
1987年12月、江波山にあった観測所(旧観測所)が、広島市の中心部にある合同庁舎内(新観測所)に移転しました。





江波山はもともと島で、埋め立てにより陸続きになってできた山です。
旧観測所は、標高30mの山頂付近にあり、周囲に大きな建物もなく、また風通しもよいことから観測環境に恵まれていました。

さて、ここでは旧観測所と新観測所の気温差を推定します。

1960年から2010年までの年平均気温を呉市と比べてみました(図1)。





1987年以前では、呉市の気温が広島市よりも高めに推移していますが、観測所が移転した1988年以降はほぼ一致しています。偶然とはいえ面白い結果です。
呉観測所の観測条件は変わっていないので、呉観測所の気温を物差しにすれば、旧観測所の気温と新観測所の気温の差が判り、ヒートアイランド効果を定量的に知ることができます。





図2は呉観測所の気温から広島観測所の気温を差し引いたものです。
1960年~1981年の平均値は0.81℃、1982年~1987年の平均値は0.35℃、1988年~2010年の平均値は0.00℃です。
以上のことから、ヒートアイランド効果は0.35℃~0.81℃であるといえます。
少し乱暴ですが、0.81℃をヒートアイランド効果と考えて(1982年~1987年の平均値0.35℃は無視)、1988年以降の広島市の年平均気温から差し引くと図3が得られます。





広島市の気温(1)のグラフに比べると、昇温量はかなり小さくなりました。