平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

2013年最後の日の出

2013-12-31 09:35:22 | 天文



広島は霧の朝です。
霧の中に太陽がぼんやり浮かんでいます。
昨夜ジョギングしているとき小雨が降っていました。
高湿度に加え、深夜から朝にかけて急激に気温が下がったので濃霧が発生したのだと思われます。
それと、中国からの贈り物です。



明日はすっきり晴れて初日の出を拝めるといいな。
少し早いですが、皆様よいお年を。


五手詰が解けない

2013-12-30 14:43:40 | 将棋


年の瀬も押し迫ってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は詰め将棋をしています。
は勝浦九段の五手詰作品です。
1時間考えているのですが、解けない。難しい。
香が1五に置いてあったら簡単なんだけど。
1四ですからね。上に抜けてしまう。
頭が疲れてきた。
もう1時間考えてできなかったら諦めます。

アクセス解析

2013-12-23 09:44:03 | 将棋


昨日の訪問者は3423人。少し落ち着きました。
もう1週間もすれば、いつもの限界集落ブログにもどるでしょう。
それにしても伊藤さんの人気はすごい。
これからいろいろ大変だと思うけど、がんばってほしいな。

今日の朝刊記事より

2013-12-21 20:56:59 | ニュース


中国新聞の朝刊にこんな記事があった。面白いので紹介する。

歌人・斎藤茂吉の昭和11年4月12日の「日記」に興味深いことが記されている。
「今朝六時半突如トシテ赤坂憲兵分隊カラ三名来タリテ、茂太ノ部屋ト僕ノ部屋ノ家サガシヲシタ。引キ出シマデアケテ私信マデ細々ト読ミ、茂太ノ部屋ノ何デモアザイテ、写真機二ツト種板トカ帳面等イロイロ持ッテ行キ、茂太ガ明日入学試験デ大切ナ日ダカラト云フニモ係ラズ連レテ行ッテシマッタ。コレガ下ノ忠良ナル臣民ニ対スル上ノ仕打チデアルカ」
茂吉の長男で、精神医学の大家にして随筆家でもあった斎藤茂太氏が、中学生のころに、憲兵隊に連行された事実を語る一節である。飛行機マニアとしても知られた茂太氏は、当時から飛行機好きであった、そのために、軍の機密というべき新鋭機の写真を隠し持っているとの疑いがかけられたのである。中学生が持っている機密など、何ほどのこともなかったろうに、憲兵隊は容赦しなかった。


半藤先生、もう少し調べて書いたらどうですか。斎藤茂太氏は大正5年(1916年)生まれですよ。だから昭和11年(1936年)には20歳になっています。20歳の中学生などいるわけないじゃないですか(笑)。Wikipediaによると、斎藤茂太氏は、1942年(昭和17年)9月に旧制昭和医学専門学校(現在の昭和大学医学部)を卒業しています。時系列から考えると、昭和11年に受験したのは昭和医学専門学校です。普通に考えて憲兵が中学生を連行するなどありえないでしょう。歴史家なのになぜ疑問を持たないのですか。私はひねくれているので何でも疑ってかかるから鵜呑みにすることはないけれど、純情な一般読者は半藤さんの記事をそのまま信じるでしょう。故意でなくても結果的に世論をミスリードしてしまうのはよくないですよ。

今から走ります

2013-12-15 20:13:32 | 雑談


寒いですね。
広島の19時の気温7.2℃。
でも、昨夜より1.2℃高いのでまだましです。
夜間ジョギングを初めてから1か月。今夜も走ります。
体重は少しも減りませんが、心肺機能は確かによくなっているようです。
スピードを上げて走っても息切れすることがなくなりました。
ただいまの時刻20時15分。月齢12日。よしいくぞ

百田尚樹の「永遠の0」

2013-12-13 12:46:58 | 百田尚樹
百田尚樹の「永遠の0」という駄作が映画化されもうすぐ公開される。
私はうっかりこの本を買ってしまって激しく後悔した。
お金を汲み取り便所に落としたような気がした。
これは低級な特攻礼讃小説で、少年マガジンや、少年サンデー、少年キング、少年、少年画報、冒険王などの漫画雑誌に連載された「ゼロ戦太郎」「ゼロ戦隼人」等と同レベル。大人の読み物ではない。
しかも、内容は、坂井三郎、岩本徹三、の空戦記や、城山三郎の「指揮官たちの特攻」などからパクリまくったもの。
こんな屁みたいな読み物がベストセラーになり、映画化され、戦記物に免疫のない若者をとりこにし、右傾化に拍車がかかるのは困ったことだ。

ひふみん二手指し反則負けの譜

2013-12-08 21:34:46 | 将棋



ひふみんファンの皆様、こんばんは。今回は、ひふみんにとって残念な一局を紹介しましょう。
昨年の達人戦(対森内)で二手指して(△8七歩打、△5七馬)反則負けになってしまいました。
ひふみん有利に展開していたので残念です。
加藤一二三 『羽生善治論―天才とはなにか』 角川書店、より抜粋します。

不思議といえば、二〇一二年七月に行われた達人戦の準決勝で、私は長い棋士人生ではじめてという大失敗をした。
相手は森内さんだったが、なんと私は二手指し、つまり二手連続で指してしまい、反則負けをしたのである。
この将棋は、中盤の段階で私の勝勢になった。
必勝形といってもいい。
森内さんも否定しないと思う。
とはいえ、油断は禁物であるから、森内さんの次の着手に対して、腰を落ち着けてから考えようと思い、私は手洗いに立った。
それで帰ってきて、まだ森内さんが指していないのにもかかわらず、自分が指してしまったのだ。
プロとしては笑止千万である。
でも、森内さんだって、私が駒を持った瞬間、「あっ、加藤先生、私の手番です」というような一言があってもよかったと思う。
それなのに、森内さんは、私が着手するのを認めてから、記録係に「私の手番だけど」と伝えたのだ。
まあ、相手に教えられて勝ったとしても「加藤は卑怯だ」という評判が立つのがオチで、
かりに対局が続いていたとしても、私にもプライドがあるからわざと負けていたと思う。
そう考えると、もしかしたら何も言わなかったのは森内さんなりの気遣いだったのかもしれないが、
じつはあのとき、私にはどういうわけか現実感がなかったのも事実だった。
どうも森内さんが着ていたモスグリーンの背広がその原因だった気がする。
モスグリーンの背広を着た森内さんと対峙していると、なぜか現実感がなくなってしまったのだ。


モスグリーンの背広で現実感が無くなるのは、いかにもひふみんらしくていいな。