「たかじんのそこまで言って委員会」を10分間だけ観てスイッチを切った。
百田尚樹がうるさすぎて頭が痛くなったのでたまらず観るのをやめた。
当人は面白いことを言っているつもりなのだろうが、少しも面白くない。
出演者や観客はゲラゲラ笑っていたけれど、どこが面白いのか。
「かわいいねえちゃんを食べたい」と繰り返し言っていたが、これ面白いですか?
百田は、東京大空襲は大虐殺だ、東京裁判は東京大空襲や広島長崎原爆投下などの虐殺行為を隠蔽するためにアメリカが仕組んだものだ、といういつもの持論を声高に叫んでいた。
当ブログに以前書いた気がするが、アメリカが非人道的な攻撃を行った第一の理由は日本がいつまでも戦争を止めなかったからだ。
日本は遅くとも昭和19年7月サイパン陥落時に降伏すべきだった。
そうすれば、東京大空襲をはじめとする全国各都市への無差別爆撃はなかった。
兵士は狂気の特攻作戦に駆出されて無駄死にすることはなかった。
硫黄島玉砕や沖縄戦はなかった。もちろん、ヒロシマ・ナガサキもなかった。
これらすべては、日本軍が勝つ見込みのない戦いをだらだらと続けていたからだ。
降伏しなかった理由は四つある。
戦争指導者は、①国体護持、②戦争犯罪人処罰、③武装解除、④保障占領、が心配だった。
国民の命がどうなろうと構わなかった。
日本は当時天皇主権国家だった。将棋で言えば天皇は王将だ。国民はその他の駒だ。いくらとられても替えが利く。
天皇が殺されない限り国民が何百万人何千万人殺されても敗北ではない。国体は揺るがない。そういう考えだった。
だから戦争を止めなかった。国民の命は鴻毛よりも軽かったのだ。
8月9日の最高戦争指導会議において、昭和天皇はポツダム宣言受諾の聖断を行った。
このとき昭和天皇はつぎのように考えていた。
昭和天皇の独白八時間:文芸春秋、平成二年十二月号より抜粋する。
当時私の決心は第一に、このままでは日本民族は滅びてしまふ、私は赤子を保護することが出来ない。
第二には国体護持の事で木戸も同意見であったが、敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田神宮は直ちに敵の圧政下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込がたたない。
これでは、国体護持は難しい。故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った。
天皇を含む戦争指導者は最後まで国体護持に拘っていた。
何度でも言う、一ヶ月早く降伏していたら広島長崎は助かっていたのだ。
アメリカの非人道行為を非難しても無意味である。日本が早く降伏していたら多くの国民は死なずに済んだのだ。
国民を殺した一番の責任は当時の戦争指導者にある。アメリカではない。
今日の番組には
竹田恒泰氏が出演し、百田尚樹に同調して米国を激しく非難していたが、次の動画をよく見るがいい。
昭和天皇は広島原爆投下など屁とも思っていないのだ。