平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

地球温暖化-CO2主因説を疑う(13)

2009-02-07 23:23:22 | 地球温暖化
捏造専門紙の煽り記事(珊瑚事件を忘れるな)

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北緯68度46分。カナダ北極圏で、一軒の家を訪れた。
緑のシャツにジーンズ姿の老人が、42型の薄型テレビをじっと見つめていた。放映されているのは、米国のドラマ。部屋に入ったら私たちに気づくと、ニヤリと笑った。
それが45年前、記者たちが1ヵ月半の間、泊まり込んで世話になったカヤグマ(自称70歳)との「再開」だった。
彼らは、この半世紀で、もっとも急激に生活様式を変えた民族のひとつだろう。動物を狩って衣食をまかなう狩猟社会から、賃金労働をしてスーパーマーケットで買い物をする貨幣経済へ。だが、それ以上に予想を上回る変化が、待ち構えていた。
「出発して2日目の最低気温は零下21度」「二重の毛皮手袋をぬぐと、3分間で手が痛くなり、5分間でがまんできなくなり、10分間もたつと、しびれて無感覚になる」(本「カナダエスキモー」から)
ホールビーチを訪問したのは、45年前と同じ5月中旬。すでに夜のない季節に入っていたが、太陽が高い時間帯に気温は0度を上回った。気の早い子どもたちは、半袖で外を走り回っている。
カナダ環境省によると、同地区の63年5月の平均気温は零下11.2度だった。これに対し、今年は零下3.4度。年ごとに変動していることから単純には比較できないが、1ヵ月以上早く夏が訪れていることになる
急激な気温の上昇は、この町と住民に様々な影響を及ぼしつつある。海水が張る季節は年々短くなり、波と流氷で海岸線が浸食され始めた。海沿いの家が傾いて崩壊する危険があり、町は移転を計画している。
「海の氷は薄くなり、軟らかくなった。風の向きも強さも、昔とはまるで違う」。カヤグナは窓の外を見つめ、イヌイット語で語り始めた。「すべてのものは変化する。だが、たった1世代で何もかも変わってしまうとはな。45年前には想像もつかなかったよ」(2008年6月23日、朝日新聞朝刊)

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科学者の見解
伊藤公紀、渡辺正共著:地球温暖化論のウソとワナ、KKベストセラーズ、より抜粋

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デジャヴュ(既視感)―昔から同じことで騒いでいた

次に引用する文章は、「気候が変わりつつあるのか――長期の気温傾向についての研究」というタイトルで書かれた米国気象学会の学会誌「気象月報」の記事の内容から抜粋した。「現在の広範囲で永続的な温暖化傾向、そして特に温暖な冬のため、こんな質問が聞かれる。『これは気候変動のせいなんですか?』」、「昨冬は過去100年で最も暖かい冬だった」、「老人がこんなことをよく聞く。私が若い頃、冬はもっと寒くて雪がもっと深かったものだ」、「ここ50年間の温暖化傾向は、米国だけでなく、北半球の他の国々でも、また南半球でも驚くほど同じだ」。これはいつの記事だと思われるだろうか。実は、1933年9月号の記事。いまから70年以上前のことを書いた記事なのだ。
では、次の記事はどうだろう。やはり「気象月報」からのものである。「北極圏は暖まりつつあるようだ。スピッツベルゲンや北極海の西部を航海する漁民、アザラシ狩りの猟師、探検家の報告によると、このあたりの気候は大きく変化しており、かつて聞いたことがないほど高い気温になっている」、「氷のない海面を北緯81.5度まで進むことができた。これは今までの記録だ」、「かつて海にまで届いていた氷河は完全に消えてしまった」、「北極圏の動物や植物は大きく変化している」、「昨冬は、スピッツベルゲンの北海岸ですら海は凍らなかった」。これも現在の記事ではない。1922年11月号のものだ。
チュレクらの論文では観測ステーションでの気温の変化しかわからないが、具体的なことが書いてあるこのような記事を読むと、1920~30年に北極海で起きていたことが目に見えるようだ。スピッツベルゲンは、ノルウエー北方の北極海中にある島で、北端は北緯78度。このあたりまで冬に氷がないというのは、たしかに珍しい。衛星写真を見ると、最近の傾向と比較できるが、当時のスピッツベルゲン付近の氷のありさまは2006年や07年の冬に近いといってよいだろう。
このように、70年前、80年前の記事は、現在の北極圏のようすを描いていると言われてもわからないくらいだ。20世紀前半の北極圏での出来事が現在に再現されているという赤祖父教授やチュレクらの主張は、もっともなことに思える。(伊藤公紀氏執筆)

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