平ねぎ数理工学研究所ブログ

意志は固く頭は柔らかく

佐口の掲示板(2)

2013-10-12 19:59:51 | 技術士
公益論争の続きです。
スレ主(青い炎)は、ガチンコ技術士学園主宰者浜口智洋氏です。
へたくそな文章ですね。でもこんな訳のわからない文章を延々と書くパワーはすごいです。
当時(10年前)の技術士は今もよりもレベルが高かったですね。
稚拙ですが自分の頭で考えていますから。
どれも相当長いので、健康に自信のある方だけ読んでください。
自信のない方は読まないでください。体調が悪くなるかもしれません。

文字色にこだわりがあり、浜口氏(青い炎)はナルシストなので紫を、
鳥居氏(APEC)は攻撃的な性格なので赤を、
私は争いごとを好まないので青を使っていました。

[1024] 公益の確保について 投稿者:青い炎 投稿日:2003/02/07(Fri) 19:13:10
「公益の確保って何?」というさくらさんの問い掛けに対する、面接対策ではない答えを、日々様々な業務・課題と直面する技術者として、ここ数日間考えていました。999のスレッドで挙がった、「公共の安全、環境の保全」「広く社会全般の利益、不特定多数の者の利益」「世のため人のため」「自分を含めて全ての人々が幸せになること」「半ばは我が身の幸せを、半ばは他人の幸せを」「特定の個人や団体を対象とするのではなく、不特定多数の方々の利益に資すること」「公衆の安全、健康および福利の最優先」これらのすべての言葉は間違っているように思えます。公共の安全、公衆の安全のため、税金が多額に投入され無駄な公共事業の言い訳となっている場合が多くあります。一部の公衆のため、多くの納税者が犠牲になることは公益なのか?また、環境の保全と公衆の安全はいたるところでトレードオフとなり、吉野川河口堰などで大論争となっています。吉野川河口堰は公益なのか?「広く社会全般の利益、不特定多数の者の利益」「世のため人のため」というのは、技術者がこんなあいまいな言葉を吐いていいのかなと思います。これだと、政治家が「戦争反対」「福祉の充実」「構造改革」などといっているのと全く変わりません。戦争反対と唱えているだけで戦争がなくなるんなら、こんな素晴らしいことはないと思いますが、現実はそうじゃないですよね。北朝鮮の核武装に対して、日米安保に反対していた人も今やアメリカ様の政策次第しか意見がないみたいですし、どうやったら戦争を防げるのか、もっと真面目に考えるべきだと思います。福祉の充実や構造改革も、ただこの言葉を言っている人は結局何も意見がないのと一緒です。テレビで竹中大臣の政策に反対している野党議員が「じゃあどうしたらいいんですか?」とアナウンサーに突っ込まれて「抜本的な構造改革が必要です」と答えていたのが非常に印象に残っています。抜本的な改革が必要という意見は何も意見がないのと同じです。●何が言いたいかと言いますと「広く社会全般の利益、不特定多数の者の利益」「世のため人のため」という言葉には何も実現性がないし、何も考えていないのと同じことじゃないかなと思うわけです。何かをしようと思えば何かが必ず犠牲になります。それらを総合的に判断して初めて公益であって、「世のため人のため」という言葉の中には犠牲になるものが語られておらず、実現性が感じられません。技術者の立場からいうと、特許の申請をせずに技術を広く公開する技術者は公益の確保のために頑張っていて、特許を申請する技術者は私益をたくらむけしからん技術者となるのでしょうか?私は技術者のモチベーションを下げるようなことは決して公益につながるとは思えません。つまり世のために特許の申請をしない行動を善とする価値観は公益に反すると思います。●私は技術者のもつべき倫理観は「広く社会全般の利益、不特定多数の者の利益」「世のため人のため」であってはならないと思います。第一におしきせがましいし、いくらその技術者が「広く社会全般の利益、不特定多数の者の利益」「世のため人のため」だと思っていても結果的には全くその逆をやっていることは多々あるからです。学生時代、街頭でアフリカ難民への募金活動をしている活動家とその場で口論になったことがあります。あまりしつこく何度も何度も「募金お願いします、アフリカの子供たちは飢えています」っていうから、「今日集めたお金でとりあえず明日のパンが買えたとしても明後日のパンはどうなるんですか?来年のパンはどうなるんですか?ただでさえ人口増加で地球環境が汚染されているんだから自助努力でなんとかならない難民たちは見殺しにした方が世のためなんじゃないんですか」といったら切れられました。第二次世界大戦でも心底、公益を考えた多くの日本人がいましたが、アジアのために立ち上がって、一生懸命植民地活動をして、いまだに引きずっているくらいのひどい恨みを買われています。●「公益の確保って何?」。きちんとした考えがまとまったわけではないですが、現時点での私の考えは、技術者が求められることは「世のため人のため」ということではなく、人間として最低限のモラルを持つこと、その程度じゃないかなと思います。人間として犯してはいけないことは、技術者はもっと強く「やってはいけない」と思いますが、最低限のモラルがあれば、私益の追求、自分のやりたいことをする、一人一人がそういうふうに生きていくのが全体の公益の確保につながるんじゃないかなと、そんなふうに考えがまとまりました。

ピカソ > ・・・・長い(^^;)。最初に他の人の議論がおかしいと言っているが、基本的に反対にはなっていないんじゃない?前回のスレの次の段階の話、すなわち、「全ての人」、「世のため人のため」の方法論を語っているのだと思います。文章の最後に、「・・・が全体の公益の確保につながる・・・」とおっしゃっていますよね。技術者が行う「私益の追求」「自分のやりたいこと」とは例えばどんな感じだろうか?かなり漠然としているので、それが公益確保につながるか、つながらないか、分かりません。なんか具体例を出していただければ、賛成・反対できるので、お手数ですが具体例をよろしく。特許のことだけじゃないですよね? (2003/02/07(Fri) 19:40:32)

APEC > ご意見に賛成反対以前に、青い炎さんの人となりが伝わってきて、感動しました。正しいとか何とか、あるいは成熟度がどうとかいう以前に、これだけ直球をズドンと投げられることをうらやましくさえ思います。●最初に結論を手短に。ピカソさんがズバリ言い当てておられますが、「世のため人のため」は理念信条であって、方法論ではありません。私は、「まず理念あり。それを手続き論のレベルで語るなかれ」ということが信条の一つです。現実味がない、具体化が困難、実現できるの?・・・・よく聞く言葉です。でも、その前に「どうしたいの?」から始まって、それがはっきりした後に実現性の議論があるべきだと思っています。それであってこそ本当の「次善の策」が出てくるのだと考えます。つまり、青い炎さんのおっしゃることは、理念と現実性がごっちゃになった中から出ているのではないか、理念(理想論と言ってもいいです)を考えるとほぼ同時に実現の可能性(手続き論)を考え、そこで困難さを感じた時に理念まで否定しているのではないか、と感じます。・・・・全然手短ではありませんでしたね。こめんなさい。●青い炎さん、私も原発問題やアフリカ飢餓など、活動している人たちに何度も噛み付きました。その中で多くのことを学んだと思っています。どんどん噛み付いてください。私も少しだけ人生の先輩である者として、真剣に受け止めて向かい合うことをお約束します。 (2003/02/08(Sat) 00:31:29)

やっぱり頑張りすぎ > まず余談から入りますが、「言葉」というのは難しいモノですね。様々な事象を「わかりやすく」と思って「ひとこと」で表現すると、逆に、多様な解釈を生んだり、「あいまい」となり、ひいては「思わぬ方向(解釈)」へ一人歩きしたり・・。余談ついでに999のスレでの議論や以前の「公益」に関する議論の際に私が考えさせられたことは『「公」「公衆」って何だろう?』でした。例えば以前の意見での一例として『「有権者」が「各自の責任」で選んだ「代議士」によって、「議会」の場で議論され決定された「意志」』が「公の意志」であり、これに反することは「公益を損なう」ことだとの意見もありました。この場合「公」とは「より多人数の意志」となるのでしょうが、どうもピンときませんでした。果たして本当にそうなのか。そして同様に「世」も(あくまで私の頭の中では!)不明確なモノなのです。●ただ、こうした感覚は、単に「定義」や「明瞭さ」に拘るかどうかの「個人の資質」にかかるだけのものでしょうし、仮に同じ結果に至るとしても、その行動規範は様々有って良しとも思っています。私なら合議制か多数決かと拘ってしまうところで、逆にこうした規範を「イメージ」でしっかり掴んでおられる方は常に一定の方向を向くことが出来るのだと思います。別の言い方をすれば「ぶれない軸」を持っている・・。そして私には「軸」が無いため、「明確な言葉での表現」を求めているのです。(自己分析ですが)。そして重要なことは、こうした行動規範は、あくまで「迷ったときの道しるべ」であって、決して押しつけるべきものではないと皆さん理解されているということです。(ごく一部の活動団体は、この限りではないのかもしれませんが・・)●青い炎さん、あえて発言します。失礼が有ればお許し下さい。私が感じるあなたの「思い」は、「技術者(ご自身もふくめて)の限界」や「ジレンマ」ではないでしょうか。そして「結局、『出来ること』しか出来ないのだ。」「であれば、その中で出来る公益への寄与とは『出来ることを精一杯頑張ること』だ。」●文面最後の「私益の追求・・」からは、こうした青い炎さんの『誠実さ』が伝わってきますし、『技術者への信頼(技術者が「自分のやりたいこと」をやることは間違った方向へ向かない)』が感じられます。(私が受けた「感じ」が間違っていなければ・・)これも「個人の資質」に類するものだと感じられるのですが・・。●ただ、エセ善意に対する批判だとは思いますが、「自助努力の出来ない・・」のくだりは、私にはちょっとキツイです。 (2003/02/08(Sat) 00:55:36)

社会科学者 > 青い炎さん、「人間として最低限のモラルを持つこと」とのことですが、「公益」という難しい言葉を「モラル」というこれまた難しい言葉に置き換えただけで、何も言ってないのと同じです。「モラル」という言葉に言い換えるなら、「モラル」の定義を示さなければならないでしょう。●「公益」は「公」の「益」、すなわち「公共の利益」のことで、「みんなにとっていいと思うこと」と解釈するのが自然でしょう。これまで提案された定義では、「広く社会全般の利益、不特定多数の者の利益」「世のため人のため」「自分を含めて全ての人々が幸せになること」「特定の個人や団体を対象とするのではなく、不特定多数の方々の利益に資すること」などは、「公益」の定義としていい線行ってると思います。「環境」とか「安全」とか「健康」などは、「利益」や「いいと思うこと」の内容をブレークダウンしたもので、多くの人が共通して要求する重要な要素でしょうから、より具体的な定義をしたい場合に使うといいかもしれません。ただし、人によって求める要素は違いますので、定義の普遍性は失われてしまうでしょう。●さらに問題なのは、「みんな」のために何かアクションを起こすとき、本当に「みんな」がそれを歓迎することはまずないことです。また、「環境」と「安全」が両立しないといったトレードオフもあるでしょう。このように、「利益」を受ける人々の間でのトレードオフ、「利益」を構成する要素間でのトレードオフがあるため、「公益」を測るための誰もが認める「ものさし」は何なのか?本当にあるのか?が論点になります。●経済学では、そういう「ものさし」は、特殊な条件を付けない限り「存在しない」ことが証明されています。現実的にも、何か社会としての意思決定をするときには、「ものさし」で測って決めるのではなく、「多数決」などの政治的なルールを用いて意思決定しているわけです。●したがって、「公益」の定義として、理念的なレベルではみんながある程度納得する説明があるかもしれませんが、より具体的に説明しようとしたり、「ものさし」を決めようとすると、一人一人求めるものが違うので意見がまとまらなくなるのです。むしろいろんな「公益」があって、一人一人がそれぞれの考える「公益」を目指して行動していけば、世の中そんなに悪くはならないだろうと思っています(楽観的すぎ?)●ちなみに私にとっての「公益の確保」は、「自分の子供が幸せになれるよう2ネ社会にしたい」です。 (2003/02/08(Sat) 02:22:27)

must > 私には分からない。なぜ、青い炎さんはそんなに世間を斜に見るのですか。ダラダラと書いた割には(多分、自分の主張をより正当化するために必要なのでしょうが。)社会的受容(PA)は薄いと思います。◆あなたの主張は直球ではなく非常に癖のある変化球です。若いうちはもっと健全な思考スキルを身に付けるべきと感じました。批判的な文面になりましたが、決して他意はありません。悪しからず。◆私の考える公益とは、後世に残すべき文明や文化の峻別であり、多くの人に受け入れられ愛される有形無形を問わないものと考えています。あまりにも漠然としていますが、公益と言う言葉自体が実体のない正義でしょう。 (2003/02/08(Sat) 02:28:03)

ガン > 久しぶりに青い炎さんの刺激的な?掲示板の活性化を促す?意見を聞かせて頂きました。私見を述べます。●「・・・世のため人のため・・・これらのすべての言葉は間違っている・・・技術者がこんなあいまいな言葉を吐いていいのか・・・」ですが、「公益」そのものが時代と共に変化する、具体的に定義しにくい曖昧なものなのですから、それに対する意見に「正しい」も「間違い」もあり得ません。また、「世のため人のため」云々は、考え方として、理念としての目指す方向ですから具体的でないのは当たり前です。具体的には場面場面によって「世のため人のため」という信念で問題解決に努力すればいいのです。確かに環境と安全といったようなトレードオフが多くの場合介在します。それをどう解決するかは人によっても、その時の状況によっても異なり、結果は様々かもしれません。しかし、それが「誰のためにもならないこと」でない限り、それはある意味仕方のないことではないでしょうか。●「技術者のもつべき倫理観は・・・“世のため人のため”であってはならない・・・結果的には全くその逆をやっていることは多々あるからです。」については何故そういう結論になるのかがよく理解できません。前述したように結果は様々です。その一つの結果を取り上げ、その前提となる倫理観を否定する結論付け自体が間違いです。アフリカ難民の件も、確かに将来的な視点に立って援助の手段を考えることが重要です。異論はありません。しかし、だからといって今の状況を救いたい、餓死寸前の子どもの命を救いたい、という気持ちで募金活動している人を批判することは私にはできません。社会科学者さんが言われるように、技術者としての公益は、次世代(子や孫の時代)を見据えて考えるべきものです。現在だけで考えるべきではありません。しかし、今困っている人を助けたい、力になりたいという気持ちや行動、そして、それを理解する心は人として大切だと思います。●最後の3行は理解できます。余談ですが、当社はEMSの取組を行っていますが、私の部の目的目標は「受注アップ」としています。これはまさに「私益」の追求ですが、その前提には「当社の活動イコール環境へのプラス影響」という考え方があります。すなわち「受注アップ」イコール「環境への貢献」という、ある意味都合のいい考え方です。●最後に、一人一人が「人間の最低限のモラルを持って私益の追求、やりたいことをやる」その結果が「全体の公益の確保」につながるかどうか・・・これは疑問です。とにかく、ピカソさんが言われるように、青い炎さんが結論づけたことと「世のため人のため」など、今まで出てきた意見とはそう大きく変わるものではないと思います。 (2003/02/08(Sat) 10:37:32)

ねぎ > 青い炎さんの文章はきわめて解りにくい。解りにくいのは、青い炎さんが自分でも良く解らないままに書いているからです。他人に読んでもらうには、まず自分の考えを明確にし、平易な言葉を使い、短く表現することが大切だと思います。●「公衆の安全、健康、福利の最優先は間違っている」と断定されたので、反論します。諫早湾の干拓事業を例に考えてみましょう。事業を行うことで、洪水を防ぐことができるのであれば「公衆の安全」が確保されるので、干拓は公益に資するといえます。一方、漁で生活している人々にとっては、「福利(海苔の収穫が減る)」が犠牲になるため、干拓は彼らの公益を損なうことになります。この例では二つの公益があって、それらが対立しているのです。公益は唯一ではないのです。わが国には1億以上の人が暮らしているのですから、公益は無数に存在すると言っても良いでしょう(公益の定義が一つであることと、公益が無数にあることとを混同しないで下さい)。そしてそれらは、相反し易いのです。技術者の務めは、専門技術を駆使し多くの公益が両立できるように工夫すること、またそれを可能にするために日頃から資質の向上に励むこと、であると思います。●干拓事業の目的が、洪水予防は建前で、本音は「景気刺激」「経済活性化」あったとしたらどうでしょう。これは公益に資するといえるのでしょうか。いえないのでしょうか。10年前までは、これも公益のひとつであったであろうと思われます。しかし、今日では明らかに否定されています。私もこれは公益ではないと断言できます。なぜなら、事業の結果、経済活動が上向き、間接的に国民の福利の向上に役立ったとしても、事業の直接目的が、上記に示す公益の条件のどれにも該当しないからです。●公益とは曖昧なものと考えておられる方にお訊きしたいと思います。経済効果目的の公共事業は公益確保にはならないことを、どうやって証明されるのでしょうか。それとも肯定されるのでしょうか。公益の定義を曖昧にしたままで、その論拠を示すことができますか? (2003/02/08(Sat) 11:05:18)

<以下略>

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
教組への道のり (魔法使い)
2014-03-02 22:48:17
技術屋達がこんなに熱く語っていたのに、結局は技術士試験サポートに収斂してしまったという事が、残念ですが、これが、APEC氏の思惑通りで、佐口さんからもらい受け、恩送り技術士サポートの教組まで上り詰めるための、計画的な道のりだったとすると、とても我々に勝ち目はなかったな。
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見る目のある人達 (魔法使い)
2014-03-02 22:55:23
社会科学者氏は佐口さんの掲示板が解散になった後全く顔をださなくなったが、APEC氏の教組への道のりを見越して、さっさと脱退したという事かなあ。
がんさんはなぜ、SUKIYAKIから足を洗ったのか、はっきりとは言わないけれど、社会科学者氏と、同様のようにも思います。
今年あたり、仁淀川町山の上住宅で、聞いてみる機会があると思います。
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Unknown (平ねぎ)
2014-03-03 08:58:29
私は社会科学者氏を全く評価しません。変な人です。
ガンさんについては高く評価します。
ガンさんが掲示板から去ったのは単に興味を失ったから、だと思います。
本人もそう言っていました。
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Unknown (平ねぎ)
2014-03-05 09:06:23
よくみると、社会科学者氏は私と同じことを書いてますね。いま気づいた。
魔法使いさん、私の書き込みは公益論争(1)からの続きなので、こちらも読んでください。
http://blog.goo.ne.jp/tnnt_1571/e/c0b1d5a90bb54859cbb07d38d894f4ae
魔法使いさんは2003年の4月から佐口掲示板に登場したので、公益論争に参加していません。魔法使いさんが登場する3カ月前に議論しました。
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読む気に (魔法使い)
2014-08-03 21:46:35
なれません。
よく飽きもせずに議論したもんですねえ・・・。
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Unknown (平ねぎ)
2014-08-04 12:39:24
>よく飽きもせずに議論したもんですねえ・・・。

そうですね。
でも、技術士ならこれくらい熱くならねば。
10年の間にだれも議論しなくなり、
技術士は「教えたがり君」になり、
受験者は「教えて君」になった。
APECの負の貢献は非常に大きい。
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Unknown (平ねぎ)
2014-08-04 16:49:29
魔法使いさんの負の貢献(↓)も大きい。
①杜ハヤを提案したこと。
②恩送りという気持ちの悪い新興宗教用語を流行らしたこと。
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Unknown (ミチ)
2015-09-02 20:44:03
若い人はいいですね。年をとると夢も希望も無くなってしまいます。その若さを大切にして下さい。老婆より
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Unknown (平ねぎ)
2015-09-03 10:59:07
みんな年をとってしまいました。w
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Unknown (平ねぎ)
2015-09-03 12:58:34
若いころは手のひらに無限の砂があると思っていた。
40歳を過ぎたころ砂は有限であることに気づき愕然とした。
いま私の手のひらにどれだけ残っているのだろう。いまもサラサラと流れ落ちているけれど。
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