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平成という時代:逆境の30年から何を学んだのか

2018年07月12日 13時09分50秒 | 経済
平成という時代:逆境の30年から何を学んだのか
 昭和は敗戦を2度経験したという見方があるようです。1つは、1945年、富国強兵、軍国主義に走った日本としての敗戦、もう1つは平和憲法を掲げ、経済発展に国の活路を求めた経済立国における敗戦、経済政策上の敗戦というわけです。

 経済政策上の敗戦とは1985年、当時のG5で、いわゆる「 プラザ合意」を受け入れたことによります。
このブログではずっと指摘してきていますが、プラザ合意で円高を容認した結果その後2年で円の価値は2倍になり、日本は世界一物価も賃金も高い国になり、その後のリーマンショックもあり、その経済敗戦を克服するのに2014年までかかりました。

 平成30年のうち、最初の1年半ほどバブルの宴の最終章でしたが、それからのほとんどは、円高によるデフレ不況にいかに対応するかという苦難の時期でした。経済を担う企業は年々減少する売上や利益に人件費を中心にしたコストカットで対抗しました。

その結果、企業活動も家計も消費も縮小、ジャパンアズナンバーワンと言われ、500兆円を超えていたGDPは一時470兆円にまで縮小しました。人件費を中心にコストを縮小する縮小均衡で、経済バランスを回復する努力を重ねたのです。

 ある意味では日本は真面目にやり過ぎました。今のアメリカは覇権国の力で、自由貿易や国際協力を見捨てても、当面自国に有利な政策を押し通そうとしています。
 中国は、度重なる 人民元切り上げ要求をはねのけ、アメリカの関税引き上げには、対抗する関税引き上げで中国経済を守ろうとしています。

 日本は海外からの要求は素直に受け入れ、自らの骨身を削って真面目過ぎるような努力を続けたのです。
 しかしリーマンショック後円レートは$1=¥80を割り、そうした努力も限界が来ました。日本はアメリカに真似て、金融政策(ゼロ金利政策)を円安政策として活用し、円レートをリーマンショック以前($1=¥120)に戻しました。

 平成の時代を通じで、日本は、プラザ合意受け入れの結果の円高に対しては、自らの骨身を削って真面目に対応し、リーマンショックによる円高に対しては5年余の地獄の苦しみの後、 ゼロ金利政策で円安を実現するという、マネーゲーム時代の便法で乗り切ることになったのです。

 この円安実現は、アベノミクスの第一の矢でした。しかし政策そのものが、国際投機資本に働き掛けるという手段だったこともあり、その後の日本経済は、丁度平成の最後の6年ほどになるのですが、国際投機資本の思惑のまにまに、不安定な状況という事になったようです。

 円レートは、何とかまともな水準に戻りましたが、さて、そこで日本経済は何をすべきかという点で、中身が詰められていなかったのでしょう。
 エレクトロニクスやネット時代の先端分野では韓国や中国に後れを取るようになり、産業の基礎分野では日本の強みが生きる分野はありますが、何か「さえない」雰囲気があります。

 平成もあと1年を切りました。どうもこの何か本来の日本らしくない状況のまま、次の年号の時代に入って行ってしまうような気配です。
 昭和が、最後の時期に経済敗戦で苦しい平成時代を生んでしまったように、この、何か中途半端なままで次の年号にさえない状態を引き継ぐことは大変残念に思うところです。

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