tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

積極的平和主義の何かを示せ

2020年08月20日 18時14分51秒 | 文化社会
積極的平和主義の何かを示せ
 前回、安倍政権は「積極的平和」を提唱していることに触れましたが、何か気になるので、一度この問題について、一市民として論じておこうと思いました。

 日本語にすれば同じ積極的秘話ですが、ウィキペディアによれば、すでに国際的には、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが提起した「Positive Peace」という言葉があり、それが一般的概念のようです。

 安倍政権の積極的平和は「Proactive (contribution to) Peace」と訳されているようですが、これは、上記の言葉の盗用でないことを示すものでしょう。
 ただ英語ではそうでも、日本語は同じですから、これは困ったものです。

 ガルトゥングの積極的平和は、概念が明確で、肉体的・精神的な直接暴力、貧困・差別・格差などの社会状態や構造を戦争の原因として提起し、単に「戦争のないことが平和」という平和論を人間問題、社会構造問題を含めて進化させたものでしょう。

 ところで、安倍政権の積極的平和主義はどうなのでしょうか。
 中身は説明されていませんから単なる「新造語」で解りませんが、こちらは人の心や社会構造とはあまり関係なく、地政学的な環境の中で、何とか平和を実現するための気構えといった感じが「匂う」ものです。

 そういえば、日本の藤原氏以来の歴代の政権も、みんな「日本国内の平和を願って政敵を倒す戦争をし、それに勝つことで政権を握っていました。然し何れも次第に驕り高ぶり、最後は戦いに敗れて、次の覇者が平和を目指して戦い、政権の座に就いたのでしょう。
 徳川300年は大変長い平和で、開国で環境が変わり、西南戦争を最後に、明治以来の政権争いに戦争はなくなりました。

 考えてみれば、「魏書倭国伝」などに書かれた「倭国大乱」以来の日本の覇権争いも、今日までの世界の覇権争いも、場所が日本か世界かが違うだけで、人間の考えることは似たようなものという事なのでしょうか。

 という事になりますと、いま世界の覇権争いに巻き込まれている日本の政権が、積極的平和主義といえば、なにか「戦って平和を勝ち取る」という人間の本性の中にある平和の求め方の「匂い」がするのも否定できない所でしょう。

 そんな目で安倍政権の「積極的平和主義」を見ると、言葉では「平和を重んじる国」、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と言っても、それが直ちに「戦争のない平和な世の中」につながると考えてよいのか、確信の持てない人も多いでしょう。

 理由ははっきりしていて、安倍政権の改憲へのこだわり、防衛関係予算の膨張、集団的自衛権についての態度、今回の敵基地攻撃能力問題などなど、客観的事実を見ていきますと、何処かキナ臭さが感じられてしまうのではないでしょうか。

 究極の問題は、国際間の問題の解決手段の中に(どんな形であっても)戦争という手段が入るのか、あるいは、問題の解決は外交によって行う事が徹底して出来るのか,といった2つの行為の選択に収斂するのではないでしょうか。

 嘗て、このブログでも指摘しましたが、「 田中角栄語録」の中の「戦争経験」の指摘は、まさにこの点についての危惧ではないでしょうか。

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