tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

ギャンブルは賭博場で 1

2011年11月25日 11時16分33秒 | 経済
ギャンブルは賭博場で 1
 前回、「経済のギャンブル化」と書きましたが、正確には、「ギャンブルを日常の経済活動の中でやる」というのが正確でしょう。

 先日も、ギリシャ国債CDF売買で大儲けしたヘッジファンどの経営者の雄姿(?)がテレビで放映されていましたが、「我々は、ギリシャ経済やヨーロッパ経済をどうこうしようというのではない。ビジネスチャンスがあるからそこで儲けるだけ」といった趣旨の言い訳けをしていました。どこかに後ろめたさの片鱗ぐらいはあるのでしょう。

 「次はどこを狙うか検討中」と言っていましたが、前回取り上げた土地バブルにしても、ギリシャのソブリンリスクにしても、日本の土地神話、ギリシャの借金過多経済といった問題があるから起こるので、実体経済に問題があるから、ギャンブラーに狙われるのです。
 極論の中には、ギャンブラーが警告を発してくれるのはいいことだという意見もあるようです。しかし「毒を以て毒を制する」というのは、本当は馬鹿げたことです。

 ところでこうした中からいろいろな問題点や教訓が出てきます。
①経済の中での投機は、本来のギャンブルより、儲けの確率は極めて高い。
②資本力が巨大だと、市場を操作できる。(個人の中でのインサイダー情報)
③実体経済や善意の人たちが、大変迷惑する。
④本来の経済活動の魅力が希薄化する。
⑤実体経済を過度に弱体化したり、破壊したりする。
⑥最終的な負担は結局納税者に回る。
 などなど。

 もともとギャンブルは人間の弱みが生み出すもので、社会に害悪を流すので、多くは禁止され、許されても、それは、カジノや賭場といった特定の場の中ということになっていました。
 カードやサイコロの目にしても、完全な偶然性を保証する以外のものはインチキとして断罪の対象でした。

 こうしたギャンブルのルールと、今日の投機資本の動きとは、どこが違って、どこが共通なのでしょうか。
 投資と投機ということで言葉が違いますが、資本主義は、両者の境界線をどこで引くのでしょうか。


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