モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

クリスマスローズの原種 ヘレボルス・ニゲルの花

2009-04-30 08:26:08 | その他のハーブ
(写真)クリスマスローズ、H.ニゲルの花


昨年末に手に入れたクリスマスローズの原種の一つ、ヘレボレス・ニゲル。
白色にピンクが部分的にかぶっていて、時間とともにこの色合いがましていくという。
葉は、濃い緑色でクリスマスローズの中でも特色があり美しい。

クリスマスの頃に美しい白の花を咲かせるので、“クリスマスローズ”と呼ばれている。しかしこのクリスマスの日は、古いユリウス暦のカレンダーであり、現在のグレゴリオ暦では1月6日になるという。

タネから育てると2年後からしか花が咲かないので、来年のクリスマス頃に期待しよう。
と思っていたら、4月の中旬からつぼみらしきものが出始めてきた。
こんな暖かい時期に開花するなんて、H.ニゲルにとって異常事態かもわからないが、諦めていたのに願いが叶うなんてうれしいことだ。

“と思っていた”が、違うこともわかった。

H.ニゲルの原産地は中部ヨーロッパの高地であり、基本的にはアルペン植物(alpine plant)つまり高山植物と同じ性質を持っているという。だから、高山でないところでは11月から6月の間に開花する可能性を秘めているという。

ある一定期間の“夜の長さ”或いは“温度の変化”をキャッチして花芽をつけるので、冬場に室内に取り込んでいたのがかえって開花を遅らせることになったのかもわからない。
「過保護は道を誤らせる」ということは人間だけでなくニゲルにもおきたようだ。

(写真) クリスマスローズ、H.ニゲルの立ち姿


H.ニゲルの逸話
このH.ニゲルはキリストの生誕日頃に咲くのでキリスト教徒では祝福された花でもあるが、古代ギリシャ時代には、悪魔よけの魔力がある植物と思われていた。
根には薬効があったので、これらのハーブを採取する薬剤師的な草根採取人“リゾトモス(rhizotomos)”は、ニゲルを採取する前に剣でこの植物の周りに円を描き、医学の神アポロンに祈りをささげる儀式を長々やってから採取したという。それだけ魔力を恐れていたようだ。

クリスマスローズ(ヘレボルス・ニゲル)
・キンポウゲ科クリスマスローズ属の耐寒性がある常緑の多年草。
・学名はヘレボルス・ニゲル(Helleborus niger.L.)。
・属名Helleborusの語源は、ギリシャ語で「殺す」を意味するHeleinと「食べ物」を意味するboraからなる。食べると危ない毒草であることを意味しており、根には強心剤・利尿剤の効果がある成分が含まれている。種小名のnigerは、「黒」を意味し、根が黒いことに由来する。
・英名でクリスマス・ローズ(Christmas-Rose)と呼ばれるのは、白花の原種H.ニゲルのこと。他にはウインターローズとも呼ばれる。和名は待雪草でスノードロップの和名も同じ。
・ヘレボルスの原種の原産地は、ヨーロッパ、地中海沿岸、カスピ海沿岸、中国四川省までの北緯40~50度の地域に生育。原種は20種あり石灰質の土壌に生息する。
・H.ニゲル種は、イタリア、スロベニア、クロアチア、ドイツ、スイス、オーストリアなどの山麓の草原に自生する。基本的には高山植物と同じ。
・草丈15-20cmで、根元から手のような暗緑色の葉が生え、のこぎり状の切れ込みが縁にあり痛い。
・クリスマスローズの開花期は、クリスマスの頃12月下旬から4月で、2月頃が最盛期。日本では1―2月に開花する。花は下向きでなく横向きに開花するので結構目立つ。
・花茎は単一で先端に1~2輪のピンクの入った白い花をつける。花粉が落ちる頃には徐々にピンク・赤味が入る。
・花のように見える5枚の花弁は、花を保護する萼(がく)で、本来の花弁は退化して蜜を出す蜜腺となっている。
・葉は常緑・肉厚で全体的に丸みを帯びる。
・他の原種と異なり不思議なことに笣葉がない。
・受粉の仕組みは、先に雌しべが成熟しその後で雄しべが花粉を放出する。雌しべが受粉して種が出来るのが5月頃。
・アルカリ性の土壌を好むので石灰を入れて酸性を中和する。また肥沃な土壌を好む。
・夏場は半日陰で育てる。
・H.ニゲルは過湿に弱く根ぐされしやすいので乾燥気味にし、乾いたらたっぷりと水をあげる。
・繁殖は株分けをする。種からの場合は発芽後1~2年後に開花。
・毒性があるので食しない。
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ユリシキー・セージ(Salvia jurisicii)の花

2009-04-29 13:50:00 | セージ&サルビア
(写真)ユリシキー・セージの花


バルカン半島旧ユーゴスラビアが原産のサルビア・ユリシキー(Salvia jurisicii)。

英名では“Turkish Sage”つまり“トルコのセージ”と呼ばれているが、命名者の一人であるユリシキー(Jurišić, Zivojin J. 1863-1921)の名を冠した花なので、『ユリシキー・セージ』と呼びたいぐらいだ。イギリスでもターキーセージではなく“ユリシキーのセージ(Jurisici's Sage)”と呼ぶケースが出始めているようだ。

このユリシキー・セージは、セージの仲間としては実に不思議なフォルムをもっている。
全身に繊毛をまとい、葉は羽のように分岐し縁にのこぎりのような切れ込みがある。
そして、最大の不思議なフォルムは、花自体にある。

(写真)ユリシキー・セージの葉
          

まず葉の形だが、コスモスのような或いはセンテッド・ゼラニウムに近い葉をしていて、アキギリ属又はサルビア属の仲間にはあまりない形だ。
そして、葉だけでなく茎・花にも細かい白い小さな毛が無数についていて、全身を守るかのごとく被っている。

このフォルムは当然理由があってこうなっているはずで、リサーチしたが、なかなか文献自体も情報も無いにひとしい。

そこで、いまわかっていることから推理すると
原産地の環境は、高山であることがわかっている。
だから高山植物のように耐寒性が強く、強い風などにも耐えられるように低く生育し横に広がる傾向がある。
栽培してみると、真冬でもグリーンの葉を地上すれすれに出し、寒さに耐えていた。春になり茎を伸ばし始めたが、すべての茎が真横に360度方向に伸びていき、支柱を立て補強しようかなと思ったぐらいだった。
それがいつの間にか自己修正し、光に向かって直進する枝として成長した。

衣服のように身にまとっている細かい毛は、外的な環境およびその変化から自己を守る役割をしている。冬場は、寒さから身を守り、夏場は陽ざしから身を守り水分の蒸発を防ぐ役割を果している。

さらに、細かい毛があると動物が食べにくいということもあるので、食べられないように進化してきたのだろう。

特徴だけをつまむと、砂漠のサボテンのような印象がするが、高山植物の仲間で乾燥に強い植物であることは間違いない。

(写真)ユリシキー・セージの花の拡大
           

この花を見ていて、何かがおかしいと思う。なんか変だという直感が働く。
通常アキギリ属又はサルビア属の花は口唇型で、上唇と下唇があり、喉の奥に蜜がありその近くに雌しべがある。雄しべは上唇にあることが多く、昆虫が蜜を吸うために下唇に乗ると雄しべの花粉が昆虫につくことになる。

という既知の感覚で見ると、やっぱり変だということがわかる。

何が変かというと、“花自体が上下になっていない”ということに気づくのに時間がかかった。
横になっているのが多く、上下逆転も結構ある。
これが普通で、上下が正しいのがあったらこれがおかしい形状のようだ。

何故逆転したのだろう?
という疑問には答えられないが、自生地での環境ではこの形状が昆虫にとって便利だったのだろう。

サルビア・ユリシキー(Salvia jurisicii)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草
・学名:Salvia jurisicii Košanin ex Jurisic。英名はターキ・セージ(Turkish Sage)
・原産地はバルカン半島セルビア、ブルガリア、アルバニアの山岳地帯。
・-18℃までの耐寒性があり、高山植物のように草丈20~30cm程度と低く横に広がる。
・葉に特徴があり、サルビアとしてはめずらしい羽状複葉(pinnate leaves)で繊毛に覆われている。
・開花期は、6~8月と書かれているが、4月下旬から咲き始めた。
・直立する花穂を伸ばし薄紫色の小さな花を咲かせる。花にも細かい毛が密集している。
・乾燥に強いようなので、乾いたらたっぷり水をあげる。
・冬場は腐葉土・ワラなどでマルチングし戸外でも管理できる。(関東以西)

命名者は2名で、1926年に命名されているので、発見も比較的新しい植物のようだ。
Košanin, Nedelyko (1874-1934)
Jurišić, Zivojin J. (1863-1921)
両名ともプロファイルがよくわからなかった。ユリシキーは、ベオグラードの植物園の園長で大学教授のようだ。

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ペレニアル・フラックス (Perenial Flax)の 花。一日花。

2009-04-28 08:53:49 | その他のハーブ
(写真)ペレニアル・フラックスの花


最初に開花する花はもっとも美しい。
久しぶりの出会いであり新鮮な驚きがよみがえる。

しかも、5千年前から人類とともに歩いたフラックス。
その太古の知を感じさせる透きとおった青は目にしみる。

朝日が昇る頃に深いブルーのつぼみとなり、日が昇るにしたがって花開くが、夕方5時頃には散る。
たった一日のためだが、このブルーの花は決して手を抜いていない。永遠に続くかと思われる完璧な仕上がりでお目見えできる。

五千年の年輪がありそうだ。
風が吹けば柔らかく受け流し、一緒にしなる。外見からは強さを感じないが、内剛外柔でとても強い芯を持っている。

コモンネーム(Common names)の推移が残っていて、植物の名前の呼ばれ方がわかる。
1806年には単にフラックス(Flax)であり総称されていた。1845年にはフローリング・フラックス(Flowering flax)と花が強調され分化する。さらに多年生であることから1878-1942年には現在も使われているペレニアル・フラックスとなった。
現在もっとも使われているのは、花色をさらに強調した「Blue flax」となっている。

(写真)ペレニアル・フラックスの葉と花


ペレニアル・フラックス(Perenial Flax)
・アマ科アマ属の耐寒性がある多年草。ただしフラックスは1年草。
・学名はLinum perenne.L.。英名Blue Flax、Perenial Flax、Linseed。和名 アマ(亜麻)
・原産地はヨーロッパになっているが、中央アジアではないかとともいわれている。
・草丈30~60cmで細長い茎が風にそよぐように直立する。
・茎の先に花穂をつけ、青い花をつける。朝花を開き陽が沈む頃に落ちる。
・開花期は5~8月と長く咲くが、4月末から咲き始めた。
・夏の開花後に茎をカットする。
・日当たりと水はけのよい肥えた土壌を好む。
・フラックスの種子から亜麻仁油が取れるが、リノール酸、オレイン酸などが含まれておりうれしい贈り物だ。(ただし、自分で採油するのは注意が必要です。)
・茎からは、耐久力に優れた繊維がとれこれで織った織物がリネンとなる。
・日本には、17世紀に中国から渡来し亜麻仁油をとるために栽培されはじめた。

命名者
1.リンネLinnaeus, Carl (1707-1778) 、1753年
2.ラマルクLamarck, Jean Baptiste Antoine Pierre de Monnet de (1744-1829)、 1779年改定
3.Villars, Domínique (1745-1814) 1787年改定
ドミニク・ビラース、フランスの植物学者。1805年にストラスブールの植物学や医学教授
4.Gussone, Giovanni (1787-1866) イタリアの植物学者ナポリ大学の教授。

          

<Contents of the last year>
古代エジプトから人間に有用な植物であり、
茎は上質の織物となり
タネは薬用の油が取れる。

しかも、栽培が簡単ときているから申し分ない。

鉄鋼とガラスとエレベーターがあったから摩天楼が建築できたように
フラックス(属名 Linum)の茎の繊維リンネルがあったから
長期間の航海に耐えられる帆となりロープとなり繊維の強靭さが生かされた。
羅針盤、大型船、リンネルがそろって15世紀からの大航海時代が始まったともいえそうだ。

日本には、17世紀に中国から渡来し亜麻仁油をとるために栽培されはじめた。

21世紀ともなると
大“後悔”時代のメタボリックシンドロームを気遣ったありがたい成分オレイン酸がこの植物にはあり、食油を選ぶ場合はオレイン酸がはいったものを選ぶことになる。

フラックスからつくられた高級織物リネンは
自重の20倍まで湿気を吸収しかつ空気中に放出するようなので、夏涼しく冬暖かいという特色を持ち“天然のサーモスタット機能”とも言われている。
ベットのシーツなどには最適で贅沢ではあるが豊かな安眠が約束されるようだ。

茶色に薄い黄色が入ったリネンの自然の色合いである“亜麻色”のベットシーツは
肌に優しく静電気、アレルギーなどから守ってくれ、親から子へと代々受け継がれてもよい生活良品でもある。

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植物の知恵と戦略 ⑤ チューリップの花の開け閉めの疑問

2009-04-27 08:31:08 | 植物の知恵と戦略
どうしてチューリップは、陽が昇ると花を開き夕方閉じるの?

晩冬から初春に咲く花は、陽が昇ると開花し、陽が沈むと閉じるものが多い。
何故、開け閉めをしているのだろうか?どういう仕組みになっているのだろうか?
という二つの疑問があるがそれにはこんな解がありそうだ。

1、陽が沈むと寒くなるから風邪を引かないように閉まるのかな?とか
2、夜咲いていても子孫を増やす仲立ちをしてくれる顧客の昆虫さんが来ないので店を開いていてもエネルギー消費がもったいないので?とか
3、雨、曇りの時は客足が悪いので大事な餌でもある花粉がもったいないので節約している?
などなどいくつかの答えが考えられる。

(写真)名無しのチューリップ
          

花が開閉する植物とその仕組み
陽が昇ると開花し、陽が沈むと閉じる花をあげると
代表的なものはフクジュソウ、クロッカス、アネモネ、チューリップなどで、一株に一つか少数の花が咲く植物が多いことがわかる。

たくさん花が咲く植物は、どれかが受粉して子孫を残せばいいので、それぞれの花が最大の効果を狙わないでも良さそうだ。しかし、1個とか数少ない花しか咲かせない植物の場合は、確率で受粉させるわけにはいかない。確実に受粉する必要がある。

そのための生き残る戦略が、花の開閉ではないかと思う。
というのは、これはチューリップになりきって考えた推理だからだ。

たとえば、チューリップが開花後に花が開いたままでいるとした場合どんな不都合があるだろうか?

・花粉・蜜などが24時間露出しているので、花粉運び屋に適しない昆虫などに無駄な消費がされる。
・雨の日は、花粉が濡れてしまい流れるなど損失・減耗がある。
・早めに花粉・蜜などの資源を使い切るので受粉できないリスクが高まる。
一個の花にある少ない資源を確実に使うということにはならなさそうだ。

そこでチューリップなどは長い時間をかけて学習し、「顧客の昆虫さんたちが少ない時間は閉店しよう!」となったのだろう。当然、陽が沈んだり、雨の日などは昆虫さんたちの活動が不活発になり、店を開けていても資源ばかり使い効率が悪い。ということを会得したのだろう。或いは、陽が沈むと花を閉じるという性質を偶然に持った個体のほうが優位になり生き残ってきたのだろう。

          

フクジュソウの場合は、雪がとけかかった南東の斜面の樹林の下で、競争相手の植物が成長し葉を茂らせる前に、しかも、まだ寒いので昆虫も活発に活動できないという限界的・ニッチ的な時期を狙い、数少ない昆虫を呼び寄せるために彼らを温め元気を与える場所として花の機能を創っている。

陽が昇り目覚めた昆虫たちは、好物の蜜がないがそこそこの花粉にありつけ、また、“フクジュソウのサウナ”で身体を温め、元気になって食糧を探しに遠くまで飛んでいく。しかも私の花粉をつけて! 
フクジュソウは、陽が昇ると花を開き、パラボラアンテナのように花の中心に光を集め温度を高める。さらに光を追いかけて花が動く。こんな集光マシーンを創った。

チューリップは、17℃以上になると花が開き、その温度より下がると花を閉じる。という形質を獲得した。
この仕組みは「バイメタル」と同じで、「バイメタル」の場合は、熱膨張率が低い鉄(外側)と高い銅(内側)を張り合わせ、気温が高くなると内側の膨張が高いので外に傾き、気温が低くなると逆に内側に傾く。

チューリップは、内側の細胞が伸張する温度は17~25℃で開花し、外側細胞は8~15℃といわれている。(出典:「不思議な花時計」十亀好雄 青木書店)
だから陽が昇り温度が高くなると花が開き、陽が翳り温度が低くなると閉じるという動きが起きる。

この温度によって花が開閉する運動を「傾熱性」といっているが、動かないから動物ではないといわれている植物も、動くということが出来るし、動く仕組みを持っていている。これらは自分の子孫を残すところで有利に働くように出来ているようだ。

私もカミサンの小言にシャッターを開け閉めしているが、私が不利な場合が多いようだ。なかなか自分有利にはなれそうもない。

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イエローからレッドへ。チューリップ・アントワネットの花

2009-04-26 08:18:05 | その他のハーブ
(写真)イエローが美しいチューリップ・アントワネット(4月8日)


(写真)赤味が出たチューリップ・アントワネット(4月20日)


遅咲きのチューリップで枝咲きの「アントワネット」。

なかなか感じが良いイエローのつぼみを1個の球根に4~6個つける。
最初の1個目のつぼみは4月の初めにつけたが、1週間でつぼみが出揃い、2週間目には満開となる。

2週間目あたりから花びらの縁に赤味が出始める。
そして今では、最初のイメージと異なる赤系のチューリップとなっている。

一つの鉢に3個の球根でこれだけの賑わいが演出できるチューリップ「アントワネット」は、オランダで作出された。

その変化を追うとこんな流れになる。(かなりしつこくてすみません。次へのドキュメントです。)

(写真)4月3日、つぼみが出る
         
(写真)4月5日、開花
         
(写真)4月13日、二枝とも満開
            
(写真)4月14日、初めて赤味が出る
         
(写真)4月17日
            
(写真)4月23日
    

チューリップ・アントワネット
・ユリ科チューリップ属の多年生の球根で耐寒性がある。
・学名は、Tulipa cv. antoinette 。
・作出者は、オランダのVisser Czn. J. ligthart
・一重遅咲き系の枝咲きチューリップ
・開花期は4月から5月。
・1本の枝に3~4個のつぼみがつき、咲き始めは黄色だが陽に当たると花びらの縁が赤く染まってくる。
・草丈30~40cm
・低温に一定期間あたらないと開花しないので、戸外で管理する。
・冬場でも水分を供給する。
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クリスマス・ホーリー(Christmas-holly)の花

2009-04-25 09:15:05 | その他のハーブ
(写真)クリスマス・ホーリーの花


クリスマス・ホーリー、和名ではセイヨウヒイラギの花をはじめて見た。

生垣などに使われているので意外と注意して見ないものだ。
昨年のクリスマスごろに赤い実がなっていたので初めて“おや~”と思い、実がなるからには花が咲くはずだと思った。

花は意外に小さく1㎝程度で中心に既に実が出来ている。既にあちらこちらで花が散り実だけになっているので、また気づくのが遅かったようだ。

このように愛情を持って育てていないわりにはしっかりと育ち、若葉の時期が過ぎると棘を持って手向かってくる。
クリスマス・ホーリーは、魔力を持っていると信じられていて、内にいるヒトを守り、外にいる悪意のあるヒト・魔物をやっつけてくれる。

(写真)クリスマス・ホーリーの実
        

クリスマス・ホーリー(Christmas-holly)、セイヨウヒイラギ
・モチノキ科モチノキ属の耐寒性がある常緑小木。(日本のヒイラギはモクセイ科)
・学名は、Ilex aquifolium.L.。英名は、ホーリー(holly)、English holly、和名はセイヨウヒイラギ、ホーリー。流通ではクリスマス・ホーリー(Christmas-holly)。
・学名の種小名aquifoliumは、“針のような葉をした”という意味。
・原産地はヨーロッパ(英国)北アフリカ、南西アジア。
・品種改良され111種も登録されているので、様々な品種がありそうだ。
・雌雄異株だが雄株にも実がつく。開花は4月頃から。
・四角張った濃い緑色の葉には強いトゲがあり、生垣などの防災に利用される。
・クリスマス頃までに、赤い実がなりクリスマスの飾りなどに使われる。ヨーロッパでは魔よけがあると信じられている。
・刈込にも強く強健。
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チェリーセージ②:サルビア・グレッギーの花

2009-04-24 08:15:09 | セージ&サルビア
(写真)チェリーセージ、サルビアグレッギーの花


園芸店でチェリーセージとして売られているが、この中は3種に分けられる。基本系は、学名ではサルビア・グレッギー、英名ではオータム・セージと呼ばれる。真っ赤な色のセージがこれにあたり、通常この種をチェリーセージといっている。四季咲きで、霜に当てなければ2月頃まで咲いている。
最近は、グレッギーの園芸品種が多く出回るようになり、S.ミクロフィラ、S.ヤメンシスなどの園芸品種との違いがわからなくなってきた。

このチェリーセージ=サルビア・グレッギーは、メキシコ・Saltilloで植物採集を行っていたアメリカの歴史学者で貿易商のグレッグ(Josiah.Gregg 1806-1850 )によって1848年に発見・採取された。学名は、Asa Grayにより1870年に発見者にちなんでグレッギーと名付けられた。英名では、オータムセージ(Autumn sage)と呼ばれ、森の賢人という意味を持つ。森の入り口辺りのブッシュに生え、何となく賢くたたずんでいるのだろう。オランウータンも森の賢人と呼ばれているが、考え深げなところが似ているのだろうか?

発見者グレッグ・ストリー
グレッグ(Josiah.Gregg 1806-1850 )は、多才な発展途上中の人だったようだ。
44歳でなくなっているが、彼が活躍していた時代は、日本では江戸から明治という激動の頃であり、米国では、東から西へというフロンティアスピリット真っ最中の時期でもあった。
彼を称して米国ではアメリカのフロンティアマンと呼んでいる。直訳すると「辺境の人」ということのようだが、イリノイ、ミズーリで育ち1824年彼が18歳の時に教師となったが、これ以降から「フロンティアマン(辺境の人)」として大きく人生が変わっていく。

彼は病弱で、25歳の時に医者から自然の多いところで療養すると良いと言われ、サンタフェ(Sante Fe、現在はメキシコのニューメキシコ、リオグランデの北にある町)に旅行に出かけた。ここで、商人の仕事を見つけ周辺地域に行商に出かけることになる。
西部劇で見る幌馬車に乗り点在する家々・村々を廻ったのだろう。自然の脅威だけでなくインディアンにも襲われたようでありまさに西部劇そのものだった。

健康も回復し商いも順調に行き10年後にはかなり成功したという。しかし、彼が非凡なのは、38歳の時の1844年にサンタフェでの経験をまとめた『Commerce of the Prairies(大草原での取引)』という旅行記を出版したことだ。
この本は大成功を収め、米国だけでなくイギリス、フランス、ドイツでも翻訳され出版されたというから、商人から一躍著述業・文化人となりサンタフェの地図、地質、木の種類、人々の生活、政治状況などの権威ともなる。いわば、米国南西部とメキシコの北部地域の博物学・文化人類学・植物学・政治経済学などの権威となったのだ。

翌年の1845年には、医学の学位をとるためにケンタッキー、ルイスビルの医科大学に入学し、1848年春まで一時医者を開業したというから幌馬車に乗って行商をしていた頃から薬・薬草などには通じていたのだろう。
この医者時代にドイツ生まれで米国に移住した医師・植物学者・ナチュラリストのFrederick A. Wislizenus(1810‐1889)と知り合い、植物学にも興味を抱くことになり、メキシコからゴールドラッシュで沸いている米国西海岸のフロンティアにスイッチを切り替えることになる。

そして、1848年は、メキシコ西部からカルフォルニア・サンフランシスコまでの探検旅行を行うことになる。
探検の目的は、太平洋に至るルートの発見とそのための地図作製、樹木・植物探索などで7人の探検隊を組織して出発した。道々緯度・経度を測ったり樹木植物の収集などを行ったので一日3~4km歩くのがやっとで、たちまち手持ちの食糧が底をつき飢餓との戦いでもあったようだ。ハーブといえば価値観があるが、野草を食べ飢えをしのいでいたという。
山を越え森林を抜け餓死直前に海に出会い、目的の太平洋に至るルート開拓が出来た。

がしかし、この探検隊はこの後仲間割れをして分裂してしまう。隊長グレッグと一緒に行動すると飢えてしまうということを知ったせいでもある。
グレッグはサンフランシスコに戻る途中に悪天候にあい落馬した。そして動けない彼は見捨てられ餓死した。1850年2月25日だった。

44歳の若さであったが、彼の名は、西部開拓史に残る探検家であり、採取した植物などは、セントルイスの著名な植物学者George Engelmann(1809–1884)に送っていたので、23種にグレッグの名前が残り、サルビア・グレッギーはそのうちの一つだが、1848年の探検旅行で彼が発見し、米国の大植物学者グレイによってその功績を讃えられ名付けられた。

さらに、サンフランシスコの南にフンボルト湾があるが、ここは1775年にスペイン人によって発見されたがそれ以降忘れられていた。グレッグ隊が再発見をしてそれを確認するために派遣されたモーガン将軍とローラヴァージニア達が1850年3月にフンボルト湾と名付けたという。

教師、行商の商人、雑貨屋の店主、医師、地図測量技師、探検家、ナチュラリスト、植物コレクター、作家などいくつもの顔を持つグレッグ。
好奇心がフロンティアを拡張しそれぞれに水準の高さを足跡として残していった。
サルビア・グレッギーは、フロンティアに咲いていた花であり、フロンティアをいくつも乗り越えていったヒトの花でもあった。

(写真)サルビア・グレッギー立ち姿
        

チェリーセージ(Cherry Sage)、サルビア・グレッギー
・シソ科 アキギリ属(サルビア属)の耐寒性がある宿根草。霜を避ければ外で越冬する。
・学名は、Salvia greggii.A.Gray (S.グレッギー)、英名がAutumn sage(オータムセージ)、和名はアキノベニバナサルビア。
・原産地は、アメリカ・テキサスからメキシコ 。
・1848年にメキシコ・SaltilloでJosiah.Gregg (1806-1850)が発見。
・庭植え、鉢植えで育てる。
・草丈は、60~80㎝で茎は木質化する。
・花の時期は、4~11月。
・咲き終わった花穂は切り戻すようにする。また、草姿が乱れたら適宜切り戻す

命名者は、グレイ(Gray, Asa 1810-1888) で、1970年に発見者のJ.Greggにちなんでグレッギーと名付けられた。

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35年ぶりに観光地として再デビューする廃墟『軍艦島』

2009-04-22 22:44:08 | 街中ウオッチング
長崎港の沖にある通称『軍艦島』に2009年4月22日、今日から上陸できるようになったという。
人が住まなくなってから35年もたった。

人が住まなくなれば当然廃墟となり、日本の近代を切り開いた『軍艦島』は時間が経過するに従い“遺跡”となる。
これを“近代遺跡”と名付け、探検をした。

その探検記録のほこりを払いもう一度光を当てたくなった。3回のシリーズで記載したので関心があれば目を通していただけたら幸いだ。


シリーズ「近代遺跡探検 軍艦島編」

「1974年からお役ごめんとなり、これを契機に人々から見捨てられたところがある。
かつては、日本経済成長の原動力であり、先端技術が集積したところでもある。
繁栄しているところには人も集まり、面積あたりでは日本一の人口集積密度をも誇った。・・・・・」
続きはここで、 近代遺跡探検 軍艦島①


”軍艦島” は、長崎市高島町端島という。
長崎港から伊王島、高島までの定期航路はあるが、その先の端島まではない。
現在では、船会社が軍艦島回遊クルージングを不定期で実行しており、
このようなクルージングに参加するか、海上タクシーをチャーターする以外
“軍艦島”に近接できない。
上陸は禁止である。
特に、1991年の台風で外壁が破壊されるなどの被害があり危険な状態にあるようだ。
・ ・・・・」
続きはここで 近代遺跡探検② 軍艦島は小型高性能!


「生活があった“端島”。
生活が消えてしまい入れ物・容器・殻だけが残ってしまった“軍艦島”。

“軍艦島”は恐ろしい。 そして 美しい。
これが実感だった。・・・・・」
続きはここで 近代遺跡探検③ 軍艦島はインスタレーションのミュージアムと思う
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イキシア・トリフォリアの花

2009-04-22 08:23:40 | その他のハーブ
(写真) イキシア・トリフォリアの花


南アフリカ原産のイキシア第二弾。
オレンジ色の花が咲くイキシア・マキュラータが先に咲いたが、二番目には鮮やかなピンク色の花が咲いた。

イキシアには似たようなピンク色の花が咲くいくつかの原種があるが、名前を突き止めるのに苦労した。たどり着いたのは南アフリカのバルブ協会のサイトであり、世界的に情報量の少なさに驚いた。

結論としては、雄しべ、雌しべ、葉の形などからこの花はイキシア・トリフォリア(Ixia trifolia)ではなかろうかと、とりあえず判断することにした。(間違っていたらご指摘ください。)


(写真)原産地の光景
  

この花は、南アフリカでは比較的雨が降る植物の宝庫でもあるRoggeveld Escarpment(岩肌の高原の急斜面)地域に分布し、晩冬から春に開花する。

その地域の風景は、果てしなく続く草原状の山また山のところであり、木で覆われていない目新しい風景のところだ。

そして、命名者及びコレクターは、南アフリカのボタニスト、ルイス(Lewis, Gwendoline Joyce 1909-1967)。もう一人のコレクターは、南アフリカケープタウンにある国立の自然植物園「コンプトン・ハーバリウム」の初の女性学術員ベイカー(W.F.Barker)の二人によって、1932年に南アフリカのカルー高原(Karroo)でこの花を発見し採取した。



イキシア・トリフォリア
・アヤメ科イキシア属の半耐寒性の球根
・学名 Ixia trifolia G. J Lewis 。 英名African corn lily。
・原産地 南アフリカのRoggeveld Escarpment。砂岩の高原で急斜面に生息する。
・草丈 30~50cm
・開花期は4~5月、一本の茎に5~9個のつぼみをつけ濃い目のピンクの花を咲かせる。
・開花後は花柄を摘み取り、葉が黄色に変色したら根元から切り取り風通しの良いところでマルチングをして夏をすごさせる。
・植え付けは11月末までに行い、深さ2センチぐらいの浅植えをし、葉が出たら土を入れて倒れるのを防ぐ。
・有機質が多い排水のよい土壌。霜にやられないように出来るだけ遅く植える。腐葉土・わらなどを敷いてマルチングする。
・葉がでたら、5~10度の温度を1ヶ月保つ。その後は日当たりの良いところで管理する。

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チェリーセージ①:サルビア・ヤメンシスの花

2009-04-21 12:40:55 | セージ&サルビア
チェリーセージが花咲く時期になった。
一般的に呼んでいるチェリーセージには三種類あるが、学名にするとこの区別がわかりやすくなる。

発見された順番に書くと次のようになる。
1.サルビア・グレッギー(Salvia greggii)1848年 グレッグが発見
2.サルビア・ミクロフィラ(Salvia microphylla)1885年 プリングルが発見
3.サルビア・ヤメンシス(Salvia xjamensis)両者の交配種で種類多い。1991年 コンプトンなどが発見

まずは、開花した三種類のサルビア・ヤメンシスをカラー展開で掲載する。

(写真)サルビア・ヤメンシス・イエロー


ヤメンシスは花色が豊富だ。イエロー、サーモン、サーモンイエロー、オレンジ、パープル、赤紫、ピンクなど7種を栽培しているが、30色以上ありそうで24色が基本のクレヨンなどの色彩よりも豊富でなおかつもっと花色が出現しそうだ。園芸店では、チェリーセージという名前で販売しているが、葉を見るとサルビア・グレッギーと異なることに気づく。ヤメンシスの葉は、小さくて緑色の光沢がある卵形の葉であり、シワシワがあるグレッギー及びミクロフィラの葉とは異なる。

(写真)サルビア・ヤメンシス・サーモンイエロー


サルビア・ヤメンシスの発見
サルビア・ヤメンシスの発見は、ジェームス・コンプトン(James Compton),マーティン・リック (Martyn Rix)、 ジョン・ダルシー(John dArcy)によって、メキシコのヤメ(jame)の町の近くで1990年に発見し1991年に採取された。彼らは、形が異なる30種を収集し、耐寒性が優れた7種の栽培品種を発表した。

このヤメンシスを発見した場所は、シエラ・マドレ東岸の2000~3000mの高地で、1500~2800mあたりには真っ赤なサルビア・グレッギーが咲き乱れ、その上の1800~2500mにはサルビア・ミクロフィラの赤・白い花が咲き乱れていた。この両者の交じり合った高度のところにカラフルなサルビアが咲いていて別種とは考えていなかったようだ。実際は、グレッギーとミクロフィラの自然交配種だとコンプトンなどが気づくまでに相当な時間がかかった。

ヤメンシス(Salvia x jamensis)の名前は、発見した場所のヤメ(jame)にちなんでいるが、発見者コンプトンのジェームス(James)をも踏まえて名付けている。
親であるサルビア・グレッギーが、アメリカの歴史学者グレッグによって発見されたのが1848年だから、約150年近くも遅れて発見されたことになる。

ジェームス・コンプトン(James Compton)は、英国の植物学者で、Chelsea Physic Garden,の最高の庭園管理者だったが、彼は、同じ1991年に真っ赤な花を咲かせるサルビア・ダルシー(Salvia darcyi)をも再発見し、英国の植物学者ウイリアム・ダルシーにちなんで名前をつけた。

本来的には、テキサスにある圃育園Yucca Do Nurseryの採取者が1988年にコンプトンよりも早く発見していたが、キュー王立植物園に信用がなかったので、コンプトン発見となったようだ。

身内でないものが信用を獲得することはいかに大変なことかがこのケースでわかる。信用という概念自体排他的であり、この獲得コストは尋常ではないが、信用を獲得に当たってのプロセスはグローバル性がありコモンセンスとして共有化できそうだ。

(写真)サルビア・ヤメンシス・サーモン


サルビア・ヤメンシス(≒チェリーセージ)
・シソ科 アキギリ属(サルビア属)の耐寒性がある宿根草。霜を避ければ外で越冬する。
・学名は、Salvia × jamensis J.Compton (S.ヤメンシス)。
・グレッギーとミクロフィラの交雑品種(Salvia greggii A.Gray × Salvia microphylla Sessé & Moc.)
・英名がAutumn sage(オータムセージ)、流通名がチェリーセージ(Cherry Sage)。
・原産地は、アメリカ・テキサスからメキシコ。
・庭植え、鉢植えで育てる。
・草丈は、60~80㎝で茎は木質化する。
・花の時期は、4~11月。花色が豊富。
・咲き終わった花穂は切り戻すようにする。また、草姿が乱れたら適宜切り戻す。

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