モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

近代遺跡探検 軍艦島①

2007-08-31 10:21:31 | 近代遺跡
“お役ごめん”をいろいろな言い方がある。
退役(役割を退く)、退職(職を退く)、退社(会社を辞める)・・・・・

1974年からお役ごめんとなり、これを契機に人々から見捨てられたところがある。
かつては、日本経済成長の原動力であり、先端技術が集積したところでもある。
繁栄しているところには人も集まり、面積あたりでは日本一の人口集積密度をも誇った。

1974年1月15日 クローズ。
ここから、居住者人口ゼロとなった。
そしていまは、廃墟となっている。


1974年という年は、第1次オイルショックの年であり、
産業・生活そのものの基盤が、石炭から石油に完全にシフトしていた。
その石油が手に入らない、手にいれるには大幅な値上げに応じなければならない
という異常事態が起きた年だ。

狂乱物価・超インフレ・景気の減速・戦後初のマイナス成長・高度成長の終焉
買いだめ・モノ不足・テレビの深夜放送の中止・ガソリンスタンドの日曜休業・・・・・

成長という右肩上がりが、戦後初めて否定された年でもあった。
それだけ、1974年までには石油依存度が高く、
日本の産業・我々の生活は、中東からの石油中毒症状になっていた。

現実により希望が幻想だったことが証明された同時期に、
炭鉱が消えていった。




(出典:地図はGoogle Earthより)

長崎港から長崎汽船の船に乗って南西方面に約36分乗ると、高島に到着する。
高島は、人口778人(2005年1月)と日本でも人口の少ない町だ。
この町に、人口ゼロの“端島”がある。
“端島”は、高島の海岸から目で見える距離にあるが、上陸禁止の島だ。

高島から見える“端島”は、切り立った大型船のへさきからともまでの横顔が見られる。

“端島”は、別名“軍艦島”という。


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