モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

サルビア・セミアトラータ(Salvia semiatrata)の花

2009-10-29 10:44:26 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・セミアトラータの花


「サルビア・セミアトラータ」は、美しい二つの色を持ついわゆるbicoloredの花で知られる。
サルビアに共通の口唇形の花であり、下唇にあたるところが濃い目の青紫、上唇が淡い青紫、さらに萼が赤紫と自然が生み出す配色の妙を感じる。

葉は、ゴワゴワした明るい緑色で、花のない時期にはこの葉の色だけでも十分に楽しめる。
枝は木質化するが直立する傾向があり、丈を詰めることによってわき芽を出させて葉と花を増やすように仕立てる。

耐寒性が強いので、冬場でも戸外で育てられる。

        

この「サルビア・セミアトラータ」は、メキシコ、オアハカ州のシェラマドレ山脈の標高2000mあたりの松林のふちに生息し、この地形は、夜は厳しく夏は雨が降るゴロゴロした石がある荒地のようだ。

「サルビア・セミアトラータ(Salvia semiatrata Zucc.)」と命名したのは、メキシコの植物を研究したドイツの植物学者でミューヘン大学教授ツッカリーニ(Zuccarini, Joseph Gerhard 1797-1848)であり、1829-1830年に命名されている。

ツッカリーニは、日本、メキシコの植物の分類などを行ったが、なんといってもシーボルトとの日本植物の分類などで『日本植物誌(Flora Japonica)』を共著したことで知られている。
彼がいなければ、シーボルトの日本研究の成果は誕生しなかったかもわからない。

命名された時期から見て、この植物が採取されたのが1800年代初期ということになるが、誰が採取したかよくわからない。
ミズリー植物園のデータでは、プリングル(Pringle, Cyrus Guernsey 1838-1911)が1894年にメキシコ、オアハカ州、Las Sedasの2000mの山中で採取した記録が最も古い。

プリングルは、「サルビア・レウカンサ」 「サルビア・エレガンス」などメキシコの美しい花を採取している。

(写真)サルビア・セミアトラータの立ち姿
        

サルビア・セミアトラータ(Salvia semiatrata)
・ シソ科アキギリ属の耐寒性がある小潅木だが霜には当てない方がよい。
・ 学名はSalvia semiatrata Zucc.。
・ 原産地はメキシコ、オアハカ州のシェラマドレ・デルシューの標高2000m地帯に生息。
・ 草丈は1mから1.5mと高いので、摘心をして丈をつめ、枝を増やすように育てる。
・ 木立になるので、年数がたつと鮮やかな緑の葉と枯れた感じの枝の風合いが良い。
・ 開花期は夏から秋ということだが、10月中旬から12月に咲く。
・ 萼(がく)は薄い赤紫、花がツートンカラーで口唇形の下部が黒味が入った青紫、上部が白味が入った青紫で珍しい配色の組み合わせだ。種小名のsemiatrataは、二色を意味するbicolored。
・ 10月までにさし芽で殖やす。

命名者:
ヨーゼフ・ゲアハルト・(フォン・)ツッカリーニ(Zuccarini, Joseph Gerhard 1797-1848)
ドイツの植物学者、ミュンヘン大学の植物学教授。シーボルトが日本から持ち帰った植物標本の分類を担当し、共著で『日本植物誌』を著する。メキシコの植物の研究者でもあった。

『日本植物誌』
P. F. von Siebold and J. G. von Zuccarini 『Flora Japonica』, Leiden, 1835-1870

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サルビア‘イエローマジェスティ’(Salvia ‘Yellow Majesty’)の花

2009-10-27 09:08:18 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・マドレンシス‘イエローマジェスティ’の花


「サルビア・マドレンシス‘イエローマジェスティ’」は特色がある植物で、2mを超える背丈、大人の手のサイズのハート型のうすい黄緑の葉、1㎝以上の四角い茎を有し、晩秋からカナリア色の花を咲かせる。

サルビアの中では、この花色は珍しい色合いでもあり、
この花色は夕陽に映え、紅葉とともに秋の深まりを艶っぽく感じさせる。

耐寒性が弱いがー4℃までのところは、霜が降る前に根元から10cmを残して茎を剪定し、腐葉土・ワラなどで根元をマルチングし、軒下など霜のあたらないところで管理すると越冬できる。

2m以上に育つので、花壇の後背位、木陰などの空間に植え、春に株分け・さし芽などで新しい株を作ると見応えのある一画が出来上がる。

        

イエローマジェスティの歴史
メキシコを南北に貫く背骨が “シエラ マドレ山脈”で、アメリカ南部からメキシコ南部に至り、山脈の東側を“シエラ マドレ オリエンタル(東方)”、太平洋側の西側を“シエラ マドレ オクシデンタル(西方)”と呼んでいる。

このシエラ マドレ山脈は、南アフリカケープ地方同様に植物の宝庫で、標高で植物相が異なるから不思議な植物が多くワクワクさせてくれる。

イエローマジェスティの原種「サルビア・マドレンシス(Salvia madrensis)」は、
東側の“シェラ マドレ オリエンタル”の標高1200-1500mのところに自生し、この地帯は、パイン(松)とオーク(ナラ)が豊かなところでその下地の小潅木として生息していたという。
2mにならんとする草丈は、この生活環境から来ている。

この「サルビア・マドレンシス」をメキシコで採取したのは、ドイツの植物学者でプラントハンターのゼーマンであり、1856年にその発見場所シエラ・マドレに由来して「サルビア・マドレンシス(Salvia madrensis Seem.)」という学名を命名した。

ゼーマン(Seemann, Berthold Carl 1825-1871)は、
ドイツのハノーバーで生まれ、19歳の時にイギリスに渡りキュー植物園で植物コレクターとしての訓練を受け、1847年にアメリカ西海岸、ハワイ・フィジーなどの太平洋探検隊に参加し英国を出港した。岐路の1851年には南アフリカ喜望峰に立ち寄りテーブルマウンテンの探索を行った。
1860年代にはメキシコ、ベネズエラ・ニカラグア・パナマなどの中南米を幅広く採取旅行をし、ニカラグアで熱に侵され死亡した。採取した新種444種を登録しているプラントハンターでもあった。

(写真)サルビア・‘イエローマジェスティ’の葉と花
        

サルビア・‘イエローマジェスティ’(Salvia Yellow Majesty)
・ シソ科アキギリ属の多年草で耐寒性は-5℃と強くない。冬場は根元をマルチングする。
・ 学名は Salvia madrensis ‘Yellow Majesty’。英名は Salvia Yellow Majesty。
・ 原産地・原種はメキシコのサルビア・.マドレンシス(S. madrensis)でこの園芸品種。
・ S.マドレンシスは、学名がSalvia madrensis Seem.、英名がフォーサイシアセージ(Forsythia Sage)で、メキシコの Sierra Madre山脈で発見された。
・ 草丈2mまで成長するので、初夏までに摘心する。
・ 開花期は、10~11月頃黄色の唇型の花が咲く。
・ 5月頃株分け・さし芽で繁殖させる。

英名「フォーサイシア・セージ(Forsythia Sage)」 の“Forsythia”は、
英国の園芸家ウイリアム・フォーサイス(William. Forsyth 1737-1804)に由来する。
フォーサイシア(Forsythia)は、モクレン科のレンギョウ(連翹)属のことをさし、
フォーサイシアセージは、レンギョウのように黄色いセージを意味している。
http://www.botanic.jp/plants-ra/rengyo.htm  (参考 ボタニックガーデン)

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レッドソレル(Rumex sanguineus)の葉

2009-10-24 09:04:58 | その他のハーブ
(写真)レッドソレルの葉


「スイパ」或いは「スカンポ」といえば ♪土手のスパンポジャワ更紗♪ という北原白秋作詞の唱歌で歌い、土手に行ってはこの根元に近い茎をしゃぶっては甘酸っぱさに身震いし、すりむいたひざ小僧にこの「スカンポ」の葉をとり、つばで練り合わせて傷口につけた懐かしい覚えがある。

もちろん護岸工事されたいまの河川ではこういった自然が消えてしまった。


「スイパ」或いは「スカンポ」は、タデ科ルメックス属(和名ではギシギシ属)に属し、ルメックス(Rumex)は、「セイヨウイラクサ」などの棘に刺された治療薬として古くから知られている。和名のギシギシは由来が良くわからないが京都の方言という説がある。

タデ科には、「ソレル(garden sorrel)」「ルバーブ(rhubarb)」「ビストート(bistort)」などの食材となる薬用ハーブがある。
「ソレル」は、葉にシュウ酸があるので酸っぱい味がするので和名では「スイバ(スカンポ)」と呼ばれる。

「スイパ」となると食べる気がしないが、「ソレル」は、フランス料理でサラダ・スープなどで良く使われる野菜となっている。

「レッドソレル」は、「スイパ」「ソレル」と異なる外見をしていて、血赤の葉脈が緑色の葉を走り、この美しい葉柄を愉しむ観葉植物であり、花壇などの縁取りにも使われる。

育て方は簡単で、土壌を乾燥させないように乾いたらたっぷりと水をあげ、日当たりの良いところで育てるとよい。虫がつき葉を食べるので、ナメクジなどに注意するとよい。

野菜としてもサラダなどに葉を利用できるようだが、まだ食べるには至っていない。
ただし、リウマチ、関節炎、痛風、腎結石などには食べ過ぎに注意する必要があるという。

(写真)レッドソレルの立ち姿
        

レッドソレル(Rumex sanguineus)
・ タデ科ルメックス属(ギシギシ属)の多年草。
・ 学名は、Rumex sanguineus var. sanguineus。英名は、red-veined dock 、bloody dock、和名はニセアレチギシギシ、流通名ではレッドソレル、赤すじソレル。
・ 原産地は、ヨーロッパ、南西アジア、北部アフリカ。
・ 草丈は80cmまで育ち、血赤の葉脈が濃緑に浮き上がる特色のある葉は、先端がとがった被針形で15cm程度もあり、ロゼット状に根元から伸びている。
・ 初夏6-7月に花穂を伸ばし緑或いは赤味がかった花をつけるようだ。(これは来年の楽しみ)
・ やや湿り気味の土壌が良く乾燥させない。
・ カタツムリ、ナメクジに注意する。
・ スイバ(スカンポ)と同属で野菜としても利用される。

命名者:リンネ(1753年)ポアレ(1804年)
Poiret, Jean Louis Marie (1755-1834) フランスの聖職者・植物学者・探検家で、ルイ16世の時代にアルジェリアの植物相研究で1785-1786年に派遣される。
アンドレー・ミッショが北米探検に派遣されたのも1785年だったので、フランスが植民地の有用植物探索に力を入れようとした時でもあったが、1789年のフランス革命が彼らプラントハンターの運命を大きく変えることになる。

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スクテラリア・ジャワニカ(Scutellaria javanica)の花

2009-10-23 09:36:41 | その他のハーブ
(写真)スクテラリア・ジャワニカの花


「スクテラリア・ジャワニカ」は、中国・マレーシアなどの熱帯地域が原産地で、耐寒性は弱いが夏から秋にかけてのライムライトの鮮やかな葉、茎の先にシソ科特有の口唇形の暗紫色の花が咲き、この組み合わせが意外と美しい。

日本にも近縁の「タツナミソウ(立浪草)」があるが、波が泡立つように咲く花の様子が現れていてネーミングの素晴らしさがわかる。

「スクテラリア・ジャワニカ」の学名は、1853年にジャワに滞在したドイツの植物学者ユングフーン(Junghuhn, Franz Wilhelm 1809-1864)によって命名されている。

キュー植物園に登録されているコレクターは、ジョージ・アルゲント(Argent, Graham Charles George 1941-)で、エジンバラ植物園の植物を分類する学者で、若い時にパプアニューギニアに4年間住み、マレーシア・インドネシア・フィリピンなどを植物探索し、300種もの新種を発見したが、「スクテラリア・ジャワニカ」は1987年に採取したとある。

日本では近年園芸品種として出回るようになったが、いくつかの品種があり花色も豊富で人気を集めるようになるだろう。

(写真)スクテラリア・ジャワニカの葉と花
        

スクテラリア・ジャワニカ(Scutellaria javanica)
・ シソ科スクテラリア属の半耐寒性の常緑低木。
・ 学名は、Scutellaria javanica Jungh.(1853)。日本にも自生するタツナミソウ(立浪草)の仲間。
・ 原産地は中国・マレーシアなどのアジア熱帯地域。
・ 草丈30-40cmで明るいライム色の葉が美しい。
・ 花期は夏場で暗紫色の受け口の花が咲く。葉と花のコンビネーションが良い。
・ 咲き終わった花穂は摘み取ると次の花が咲く。
・ 水はけのよう土壌で乾いたら水を与える。

命名者
Junghuhn, (Friedrich) Franz Wilhelm (1809-1864)
ユングフーンは、ドイツの植物学者・医者、1835年から1849年までジャワに滞在し地域の研究をする。

コレクターArgent, Graham Charles George (1941-)
王立エジンバラ植物園(Royal Botanic Garden in Edinburgh)の分類学者で、パプアニューギニアでほぼ4年居住し、マレーシア、インドネシア、フィリピンでフィールドワークをした熱帯東南アジアの植物を専門とし、約300の新種を採取する。
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ゴールデンセージ(Golden sage)の葉

2009-10-21 10:48:50 | セージ&サルビア
(写真)ゴールデンセージの葉


古来より薬用として使われてきたセージといえば、「コモンセージ」であり、和名は「薬用サルビア」とも呼ばれ、その園芸品種が多数つくられている。
(コモンセージに関してはこちら)

キューのデータベースには、37種が登録されていて、その中の一つでもある「ゴールデンセージ(Golden sage)」は、明るい緑色の葉に黄色の斑がはいる葉を愉しむセージでもある。

花壇の縁取りなどに利用すると色彩豊かな奥行のあるシーンが作れる。
しかし、地中沿岸地域が原産地の植物は、梅雨の湿りと日本の高温多湿な夏に適していない。地植えよりは鉢植えとして、湿気と夏の陽射しを避けるのがよい。



ゴールデンセージ(Golden sage)
・ シソ科アキギリ属の多年草。
・ 学名Salvia officinalis ‘icterina’。英名はcommon sage 'Icterina'、Golden sage。
・ 原産地は地中海沿岸地方のコモンセージ(Salvia officinalis)の園芸品種。
・ 草丈50cm程度まで成長し、明るい緑色の葉に黄色の斑がはいる。葉を愉しむセージ。
・ 夏場に薄紫色の花を咲かせる。
・ 高温多湿を嫌うので梅雨時は、枝葉を剪定し風通しをよくする。夏場は半日陰で育てる。
・ 冬前に古い枝をカットしわき芽を出すようにする。また、3年を目処に株を更新する。
・ コモンセージ同様に、香辛料、薬用として利用できるが、花壇などの寄せ植えに適する。

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サルビア・パープルマジェスティ(Salvia ‘Purple Majesty’)の花

2009-10-16 11:56:52 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・パープルマジェスティの花


秋も深くなると濃い青紫の「サルビア・パープルマジェスティ」の花が咲く。
花の大きさは1㎝程度と小さく、2mに近い茎の先に次から次へと咲く。

葉は、その片親であるブラジル原産の「サルビア・ガラニチカ」に近く、花は両親に似ていない。2m近い背高ノッポになるので、何回かの摘心でつめ、枝を増やすようにするとよい。

(写真)サルビア・パープルマジェスティの葉と花
        

サルビア・パープルマジェスティ(Salvia ‘Purple Majesty’)
・ シソ科アキギリ属の半耐寒性の多年草。対暑性は強い。
・ 学名は、Salvia 'Purple Majesty'(サルビア・パープルマジェスティ)
・ 流通名ではメドーセージと呼ばれるブラジル原産のガラニチカ(Salvia guaranitica)と3000mのメキシコの高山に自生するゲシネリフローラ(Salvia gesneriiflora 'Tequila')との交雑種。
・ ゲシネリフローラは、草丈が2~3mと大柄。開花期は冬場で朱色の花を咲かせるが、耐寒性は弱い。パープルマジェスティは花の色をのぞきこの性質を受け継ぐ。
・ 草丈は、2mまで成長するので、摘心して1.2m程度にし枝数を増やす。
・ 葉の色は濃いめの緑色で、花の色は赤紫。
・ 温度が低くなると、葉の色は紫色を帯びる。
・ 冬は地上部が枯れるが、腐葉土などによるマルティングで越冬する。
・ 1977年頃 ロスアンゼルス郊外のサンマリノにあるハンティングトン植物園で、ボウティン(Fredrick Boutin)によって作り出された。

        

「サルビア・パープルマジェスティ」の誕生の話
「サルビア・パープルマジェスティ」は、1977年頃 ロスアンゼルス郊外のサンマリノにあるハンティングトン植物園で、ボウティン(Fredrick Boutin)によって作り出された異種交配の園芸品種で、その親は、「サルビア・ガラニチカ」と「サルビア・ゲシネリフローラ‘テキーラ’」という。

ブラジル原産の「サルビア・ガラニチカ(S. guaranitica A.St.-Hil. ex Benth)」は重宝な花で、6月から晩秋まで美しいブルーを提供してくれる。

もう一方の「サルビア・ゲシネリフローラ(S. gesneriiflora Lindley&Paxton)」は、熱帯性の植物でメキシコのシエラマドレ山脈の高度3000m級の山に生息し、草丈2~3mと大柄で耐寒性がない。花の色は赤であり、これはこれで素敵だと思う。

この植物は、ハンティングトン植物園のボウティン(Fredrick Boutin )などが1970年のメキシコの植物調査で、グリーンの萼をしたものとパープルの萼をした二種類の種子を手に入れたという。パープルの萼をしたものの園芸品種が「'Tequila'」と名付けられ、これがもう一方の親となる。

「サルビア・パープルマジェスティ」は、この二種の異種交配で誕生し、1980年の初め頃には園芸種としてカルフォルニアから広まったようだ。

苗床となった『ハンティングトン植物園』は、
鉄道王ハンティングトンの庭園であり、住居・庭園、敷地・所蔵品(美術品、貴重本など)の寄贈・財団化で、今では一般に公開されている美術館・図書館・植物園がある素晴らしいところのようだ。

ここは、世界有数のバラとソテツのコレクションで知られており、ハーブ園、日本庭園などテーマ別の庭園がある。

作出者のボウティン(Fredrick Boutin)は、この植物園に1968~1979年まで植物学者として勤め、パープルマジェスティセージなどの作出を行った。
独立後はフリーで、オールドローズの発見と新種の栽培などで活躍している。

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雲南地湧金蓮(ウンナンチユウキンレン)の花

2009-10-14 09:17:13 | その他のハーブ
(写真)黄金色のウンナンチュウキンレンの花


柏市の図書館の近くに諏訪神社というのがあり、その境内の日陰の崖下にこの花が黄金色で輝くように咲いていた。
その横には立て看板があり、 “雲南地湧金蓮、開花中”と大文字で書かれており、注目して欲しいという願望が表示されていた。

花の大きさは30cmの砲弾型で、花弁と思える黄金色のものは花を保護する苞(ほう)であり、隙間にある茶色のゴミのようなものが花で、咲き終わって枯れたもののようだ。

次々とこの苞が開き、花が顔を出す。その期間が長いもので半年も咲き続けるというので、ちょっと信じられない生態を有する。

葉は大きくバナナのようであり、バナナはバショウ科バナナ属の植物だが、「雲南地湧金蓮」は、近縁のムセラ属である。
日本での流通名では、 「耐寒バナナ」とも呼ばれるが、これは正しくない。
ただでさえ、この植物はまだ謎のところがあり、学名が混乱しているようだ。


「雲南地湧金蓮」は、大変珍しい花のようであり世界にこの花の存在が広まったのは、1999年に中国、昆明で開催された『世界園芸博』のようだ。
日本でも1990年に大阪花博が開催されたが、この『昆明世界園芸博』の目玉植物として展示されたという。
日本にはこれ以降に栽培が普及し、耐寒性があり半日陰でも育つので導入が進んだようだが、大形の植物でもあり場所を選ばなければならない。

        

「雲南地湧金蓮」にまつわる人々
「雲南地湧金蓮」が西欧の歴史に登場するのは、1885年に雲南の1200メートルの高山でフランスから派遣された神父であり植物学者のドゥラヴェー(Delavay、 Abbé) によって採取されたとある。
そして1889年にフランスの植物学者フランシェによって「Musa lasiocarpa Franch」として命名された。(現在はムセラ属であり、ここからこの植物の帰属する分類認識が間違うことになり現在も論争中。)

この植物を採取したドゥラヴェーは、Delavay, Pierre Jean Marie (1834-1895)のようであり、パリ外国宣教会宣教師として1876年に中国に赴任し、広東・香港の領事館に勤めていたハンス, ヘンリー・フレッチャー(Hance、Henry Fletcher 1827-1886)博士のために植物を収集することを行っていた。

1881年にフランスに帰国した際に、この植物の命名者であるフランシェ(Franchet, Adrien René 1834-1900)と出会い、彼のために中国の植物を採取して送ることとなる。

フランシェは、フランス国立自然史博物館館長で、この当時のフランスが派遣したプラントハンターの元締めのような役割を担っており、彼のところには膨大な植物標本などが届いたという。

ドゥラヴェーが中国からフランシェのところに送った植物標本などは、総点数が約20万点もの植物標本を送り、種類は4000種、新種1500点が含まれていたというから、中国の植物を採取した一流のプラントハンターと言ってもよい。

しかし、フランスが派遣した複数人のプラントハンターからフランシェのところに届いた植物標本が膨大だったため、これら全てを整理・分類し体系化づけるのが出来ずに彼が死亡した。

ドゥラヴェーが採取した植物標本のコレクションは陽の目を見ることなく放置され、新種の第一発見者の名誉を得ることもなく1895年に雲南で死亡した。

ドゥラヴェーは、熱心な植物愛好家であり植物学者ではなかったが、雲南省にある子梅山(ツメイシャン)をこよなく愛し、徹底したしらみつぶしの植物調査を行ったという。だからこそ膨大な植物が採取されたのだろう。

歴史に“IF”ということはないが、フランス国立自然史博物館館長フランシェが、中国などに派遣したプラントハンターから送られてきた植物標本・種子・植物などを組織的に収集・分析・活用することを考えたならば、この領域でイギリス・オランダ等を越える情報センターになったろうし、ドゥラヴェーはその中心的伝説のプラントハンターになりえたのだろう。

ドゥラヴェーは残念だったが、“先を見れる”パートナーと出会えたヒトは、幸運に恵まれるということなのだろう。つかめるかどうかは本人次第だが・・・。

(写真)雲南地湧金蓮(ウンナンチユウキンレン)の葉と花
        

雲南地湧金蓮(ウンナンチユウキンレン)
・ バショウ科ムセラ属のー10℃までの耐寒性がある亜熱帯性の植物。
・ 学名は、Musella lasiocarpa ( Franch. ) H.W.Li(1978)。中国名が「雲南地湧金蓮」で、地面からわいてきた金色のハスを意味する。日本の流通名として「耐寒バナナ」、英名は Chinese yellow banana。
・ 中国名「雲南地湧金蓮」の由来は、地から湧き出た金の蓮(ハス)の花という意味。
・ 中国雲南省の2500m程度の高山が原産地で、インドシナ半島一体が生息地。
・ 樹高1m、株張り1.5m
・ 開花期は秋からで、一つの花が咲くと上に伸び続けて次々に開花し、1年間近く咲く。花の大きさは30cmで黄金色のハスの花のようだが、黄色の花弁のように見えるのは、実は苞(ホウ)で、本当の花はその間に小さく咲きあまり目立ちません
・ 花がない時期でも明るい緑の葉が美しく、観葉植物として楽しめる。
・ 日向、半日陰でも育ち、地植え、鉢植えで室内でも育てられる。
・ あ
・ 1999年に開催された昆明世界園芸博で目玉商品の一つとして展示されてから日本でも普及し始めた。(大阪で開催された花博1990年)

最初の分類はムサ属
Musa lasiocarpa A. R. Franchet, (1889)

命名者
フランシェ(Franchet, Adrien René 1834-1900)
フランスの植物学者、国立自然史博物館館長で、アルマン・ダヴィット、ジャン・マリー・ドゥラヴェー、ポール・ギヨム・ファルジュなどのプラントハンターが収集した中国・日本などの植物を研究した。

Li, Hsi Wen (1931-)
Wenは、「雲南地湧金蓮」の分類で論争となっていた“ムサ属(Musa)”と“ムセラ属(Musella)”を1978年に別の独立した属とした。

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フジバカマ(藤袴)白花の花

2009-10-12 08:17:40 | その他のハーブ
(写真)フジバカマ白花の花


秋の七草の一種「フジバカマ」の基本種は赤紫の花だが、「白花のフジバカマ」もある。

「フジバカマ」の特色は、モミジのように葉が三裂しているので、良く間違えられる近縁種の「ヒヨドリバナ」 「サワヒヨドリ」等と区別しやすい。

基本種の「フジバカマ」は中国が原産地で、乾燥させると生乾きの段階でその茎・葉から桜餅のサクラの葉のような香りがし、その香りは蘭にもひけをとらないので“蘭草(らんそう)”“らに”などと呼ばれた。
その起源は、紀元前9~7世紀頃の記述がある『詩経』までさかのぼれると言う。

日本にも古くから伝来したようだが、記録に登場するのは『日本書紀』(720年)が初めてで、庭で遊んでいた後に允恭(インギョウ)天皇の后となる女性をからかうために、ブユを追い払うために蘭を所望したという。

11世紀初頭に書かれた紫式部の『源氏物語』では“30巻目が藤袴”であり、中将が玉鬘(たまかずら)に忍んだ恋を伝える花として「蘭(フジバカマ)」を差し出している。

いづれも男女の最初の出会い、思いを伝える花として描かれている。現在ならばバラのような存在なのだろう。

山上憶良(660?-733)が『万葉集』で秋の七草を詠んでいるが、「藤袴」がでてくるのはこの一首だけであり、奈良時代以前に薬草として日本に伝来し、薬草園そして貴族の庭から広まって行ったのだろう。
ちなみに、万葉集での秋の七草は、萩の花141首、尾花19首、葛花22首、撫子の花28首、女郎花14首、藤袴1首、朝貌の花5首が詠われている。

そして、Eupatorium japonicumと命名したツンベルクが江戸に来た頃には、関東以西の河原などに野生化して広まり、日本古来の植物という情緒を創りだしていたのだろう。

しかしこの「フジバカマ」は、いまでは河川がコンクリートで護岸工事されるようになり、準絶滅危惧植物となっている。園芸店で「ヒヨドリバナ」などが「フジバカマ」などで売られているので葉が三裂しているか確認するとよい。

(写真)白花フジバカマの葉と花
        

フジバカマ(藤袴)白花
・ キク科ユーパトリウム属(和名ヒヨドリバナ属)の耐寒性がある多年草。和名のヒヨドリバナ属はヒヨドリが山から下りてきてなく頃に花が咲くのでつけられたのが由来。
・ 学名は類似を含めて二つある。日本の種に関しては、ツンベルクが命名したEupatorium japonicum Thunb.1784 。原種に関しては、Eupatorium fortunei Turcz.1851。和名がフジバカマ(藤袴)、中国名が蘭草。
・ 原産地は中国。日本、朝鮮半島にも生息。
・ 草丈1m、葉は3深裂でこの点が長楕円形の1枚葉のヒヨドリバナと区別される。
・ 開花期は8~10月。基本種は枝の先に淡い赤紫の小粒がつきこれがはじけて白っぽい糸状のしべが現れるが、この種は白花。
・ 肥沃で湿り気の土壌を好む。
・ 甘い香りを生かしてポプリ、入浴剤として利用する。
・ ユーパトリウム属には毒性がある品種があるので食しない。

        

属名の「Eupatorium」は
小アジアの ポンタス(Pontus)の王ミトリダテス六世エウパトール(MithridatesⅥ Eupator 132BC - 63BC)に捧げられた名で、彼はこの属のある植物から抽出した毒を服用していたといわれる。
ミトリダテス六世は、兄弟を全員毒殺して王位を奪った歴史があり、政敵からの毒殺を恐れ日頃から毒薬を飲み耐性を身に着けていた。
ローマ帝国との争いに敗れたミトリダテス六世は、毒薬を服用したが耐性があったために死にきれず部下に命じて殺させたという。
また、世界初の解毒剤とされる「ミトリダティウム(Mithridatium)」を開発していたことでも知られ、彼の死後ローマ帝国に伝わりネロ帝の侍医であったアンドロマコス(Andromachus)によって改良され、後に万病薬「テリアカ(Theriaca)」として発展することとなった。
確かにこの歴史物語は、塩野七生著『ローマ人の物語Ⅲ』に書かれていた。

種小名:fortuneiは
スコットランド生まれのイギリス人のプラントハンター、フォーチュン・ロバート(Fortune, Robert 1812-1880)の名前に因む。
彼は、中国からチャノキをダージリンに持ち出し紅茶を生産する重要な働きをする。また1860年10月に始めて日本を訪問し、ユリ、キクなどをヨーロッパに紹介した。

命名者
Thunberg, Carl Peter (1743-1828) 1784命名
1775年(安永4年)8月にオランダ商館付医師として長崎・出島に来日。翌1776年4月、商館長に従って江戸参府を果たし徳川家治に謁見した。
ツンベルクは、わずかな江戸滞在期間中に、日本の桂川甫周、中川淳庵らの蘭学者を指導し日本の植物学発展に貢献した。

Turczaninow, Porphir Kiril Nicolai Stepanowitsch (1796-1863) 1851命名
ウクライナの植物学者・公務員、赴任地バイカル湖周辺での植物収集を行いこれらをまとめる。


<参考>「フジバカマ」同様ユーパトリウム属の花
ユーパトリウム・チョコレート(Eupatorium rugosum ‘Chocolate’)

ユーパトリウム・コエレスティヌム(Eupatorium coelestinum)


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サルビア・アンソニーパーカー(Salvia 'Anthony Parker')の花

2009-10-11 09:00:10 | セージ&サルビア
(写真) サルビア・アンソニーパーカーの花


S,アンソニーパーカーは、
1994年にサウスカロライナ、ボウフォートのガーデンデザイナー、フランセス・パーカー(Frances Parker)の庭で発見され、彼女の孫息子の名前がつけられた。

この品種は、サルビア・レウカンサ‘ミッドナイト’(メキシカンブッシュセージ)と、真っ赤な花が咲くサルビア・エレガンス(パイナップルセージ)の自然交配種で、ひょっとしたらわが庭でもハチドリの協力を得て出来るかもしれない。


葉は、サルビア・エレガンス(パイナップルセージ)に似た静脈を持った濃い緑色で、花は濃い青紫で両親に似るよりもサルビア・インディゴスパイヤー(ラベンダーセージ)に似ている。

サルビア・エレガンス同様に10月から咲き始める秋のサルビアの代表でもある。

(写真)サルビア・アンソニーパーカーの葉と花
        

サルビア・アンソニーパーカー(Salvia 'Anthony Parker')の花
・ シソ科アキギリ属のー6℃程度の耐寒性がある多年草。
・ 学名は、Salvia 'Anthony Parker'。
・ メキシカンブッシュセージ(S.レウカンサ‘ミッドナイト’)とパイナップルセージ(S.エレガンス)の自然交配した品種<Salvia elegans_ × _S. leucantha_ 'Midnight'>
・ 草丈100㎝程度だが株張りもこの程度あり、両親の血を引いている。夏場までに摘心をし丈と株張りを抑えないとスペースを取ること間違いない。
・ 開花期は10月から12月で、ラベンダーセージ、パープルマジェスティに似た濃い青紫の花が咲く。
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行列のできるスィーツ「モンシュシュのクッキーシュー」

2009-10-10 15:31:42 | グルメ
『堂島ロール』というのが人気になっているそうだ。


とある蕎麦屋でご馳走になったが、柔らかい甘みのクリームが美味しく、なるほど人気になるだけのことはあると思った。

宴席での御呼ばれがあったので、手土産にいいかなと思い、日本橋三越に行ったが既に3時には完売で手に入れることが出来なかった。
行列のできる人気商品だけのことはある。

何しろ、一階案内で“”並んで買うロールケーキ“と言っただけで、新館B2の奥にある店と教えられるほどなので、毎日行列が出来るのだろう。

(写真)モンシュシュ(Mon chou chou)売り場
   

バームクーヘンにしようかと思ったが、5時から『クッキーシュー、ピエール』が一日200個限定で販売されると言うので、並んで待ち一人5個限定のシュークリームを買った。

相手が2名の場合もあるので、念のために再度並びもう5個も手に入れた。

この間1時間。
手土産なので味を見ることは出来なかったが、『堂島ロール』のクリームであればきっと美味しいのだろう。

5時間保冷が効く有料のバックを含めて1500円。手土産としては安すぎるが、1時間並んで買った気持ちが入る分御礼の気持ちが伝わるだろう。

   

モンシュシュ(Mon chou chou)は、大阪堂島にある洋菓子店。東京では三越(日本橋、銀座)などに出店。「堂島ロール」がお奨め。

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