モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ルー(Ruta graveolens)の花

2014-05-30 19:40:48 | その他のハーブ
(写真)ルー(Ruta graveolens)の花
 
ヘンルーダ、コモンルーなどと呼ばれるヨーロッパ南東部・バルカン半島が原産地のルー(Ruta graveolens)の花が咲いた。
花としての優雅さ・華麗さはなく、レトロなロボット工学の部品の集合体といった感じがする。部品点数はちょっと少ないが・・・・。
宮崎駿のアニメ「風の谷のナウシカ」にこんな飛行物体がなかったかな~と思い見直してみたぐらい近い世界感がある。

しかし、いにしえでは高く評価されたハーブで、風邪の発熱、月経不順、ヒステリー、虫刺され、化膿したおでき、打撲などだけでなく目薬としても使われたほどの万能薬だった。

解毒王として有名な、現在のトルコにあたるポントゥスとアルメニアの王ミトリダテス6世(Mithridates VI 134 BC-63 BC)は、彼が12歳のとき父親のMithridates Ⅴ世が毒殺され、母親が摂政となり弟とともに共同の王となった。母親は弟をかわいがっていたので、毒殺を恐れ逃げて隠れることになり、この間に毒に強い身体づくりと解毒剤を開発したという。この解毒剤にルーも使われていたようだ。

キリスト教が支配し合理性が欠落した暗黒の中世には“魔よけ”としても使われ、日曜日のミサでは聖水をつけるブラシにルーが使われたという。

切実で面白い使い方としては、裁判所に引き出される容疑者は、暗く汚い牢屋でノミ・ダニなどにたかられているので、座る椅子の周囲にルーが置かれたという。

我が家では、猫の忌避効果があるらしいので、その通り道に置くことで栽培しているが、この鉢の近くで子猫が昼寝しているのを見てしまった。最初は死んでいるのかなと思いルーの効力の強さに驚いてしまったが、近づくと逃げてしまい昼寝のようだった。
猫には効かないようだ。

防虫効果はあるのだろうか?と本来のハーブとしての効果にも疑いが生じてしまったが、シソ科のいい香りとは比べるまでもなく、好ましくない香りなので防虫効果には期待しておこう。

効果がないからといって、口に入れることは止めておきたい。
いまではイタリア特産の蒸留酒グラッパ (grappa)の香り付けに唯一に近くこのルーが使われているそうだ。 
グラッパは飲んだこともなくよく知らなかったが、ワインを造る際に出る搾りかすのブドウの皮と種を発酵させ、蒸留して造るブランデーという。
香り付けには、ブルーベリー、オレンジ、蜂蜜、アーモンド、クミン、ペパーミント、ルー等のフルーツやハーブがアルコール含有量の3%まで使用される。
ルーが使われたのは、原産地であり安価に大量に手に入り、香り付けだけでなく防腐剤としての役割もあったのだろう。

(写真)ルーの立ち姿
 

ルー(Ruta graveolens)
・ミカン科ルタ(ヘンルーダ)属の半耐寒性の常緑の小低木。
・学名はRuta graveolens(ルタ グラビオレンス)、種小名のgraveolensは“臭い・刺激的な香り”という意味。 和名はヘンルーダ 、英名はCommon Rue
・原産地はヨーロッパ南東部・バルカン半島で、日本には江戸時代に渡来する。
・ヨーロッパでは古くからハーブとして通経剤・鎮痙剤・駆虫剤・料理の香り付けなどに使われた。現在は毒性があるとされているので、口に入れるものとしては使用しない。防虫・猫よけなどで花壇の縁取りで使われる。
・丈は50-100cmで青灰色の葉が対生につく。
・乾燥に強く過湿に弱い。梅雨時は風通しの良い半日陰などが適している。また枝葉をカットするのも良い。
・開花期は5月から夏場で、黄色の花が咲く。


古から存在したルーではあるが、植物の学名としてリンネが登録した際に参照した採取者(プラントコレクター)は、ナポリ大学の植物学教授ミケーレ・テノーレ(Michele Tenore 1780 - 1861)だった。
そして、下記の植物画を描いたのはドイツの植物学者でアーティストのオットー・ウイルヘルム・トーミ(Otto Wilhelm Thomé 1840-1925)。ボタニカルアートの素晴らしさが味わえる。

(写真)ルーの植物画
 
出典:Prof. Dr. Otto Wilhelm Thomé 「Flora von Deutschland, Österreich und der Schweiz」 1885, Gera, Germany
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デンチゼラニウム(Pelargonium denticulatum 'Fern Leaf')の花

2014-05-21 21:18:52 | ペラルゴニウム&ゼラニウム
(写真)ペラルゴニウム・デンチクラートマ 'フアンリーフ' の花
 

“名は体を表す"とはよく言うが、ペラルゴニウム・デンチクラートマ‘ファンリーフ’(Pelargonium denticulatum 'Fern Leaf') は、“ギザギザ歯の葉をしたゼラニウム”“シダの葉のようなゼラニウム”“松の香りがするゼラニウム”というのが通称で使われていて、花が咲かないでも姿・形・香りを楽しめる一品だと思う。

原産地は南アフリカケープ地方で、今では絶滅の恐れがあるそうだが、春から初冬にかけてピンクの花を緑色の葉がまるでレースとなり、このレースの隙間越しに見ることが出来る。

採取者マッソン、命名者ジャカンにある疑問
南アフリカのケープからこの原種を1789年に英国に送ったのは、キュー王立植物園の公式プラントハンター第一号のフランシス・マッソン(Masson, Francis 1741-1805)で、二回目の南アフリカ探検の時だった。

そして、この植物に「Pelargonium denticulatum Jacq. 」という学名を1797年につけたのは、神聖ローマ帝国皇帝でマリーアントワーネットの父、フランツ一世の御用医者ジャカン(Jacquin ,Nikolaus Joseph von 1727-1817)だった。

ジャカンは、命名するに当たってPelargonium denticulatumをどこかで熟視しているか実物を手に入れてスケッチをしているはずだ。というのはジャカンが1797年に出版した「シェーンブルン宮殿の庭園にある珍しい植物の記述とイラスト」には、Pelargonium denticulatumの植物画が記載されている。(下の植物画)

(写真)Pelargonium denticulatumの植物画
 
(出典)Nicolao Josepho Jacquin著 「Plantarum rariorum horti caesarei Schoenbrunnensis descriptiones et icones, vol. 2: t. 135. 1797.(シェーンブルン宮殿の庭園にある珍しい植物の記述とイラスト)」

ウィーンのシェーンブルン宮殿の庭園には確かにこのペラルゴニウムが存在していたようだが、ジャカンはこれを描いた痕跡がないという。
上図のような見事な絵をジャカンは描かせているが、何処の花を見て描いているのだろうか?

キュー王立植物園にはマッソンが南アフリカから送った実物が1821年までは確実に生育していたということを1822年に「Geraniaceae 2」を発表した英国の植物学者で園芸家のスイート(Sweet, Robert 1783-1835)が証言している。ということは、キュー王立植物園のペラルゴニウムを見て描いたのかもわからないが、これも証拠がないそうだ。

スイートは、キュー王立植物園の貴重な植物を横流しして不当な収入を得ていたとして告発された人物である。
現代風に言えば、膨大な費用をかけて宇宙探検をして手に入れた火星の土、月の石などの資源を横流しするのに近いのかもしれない。スイートは無実であったが、この頃、南アフリカなどから手に入れた貴重な植物を横流しすることが常態化していたのだろう。

一方でマッソンにもキュー以外のスポンサーを内緒で持っていたというダブルスポンサー疑惑がある。モーツアルトのパトロンでもあった裕福なジャカンはマッソンの秘密のスポンサーだったのだろうか?
であるならば、ジャカンが描いたペラルゴニウムの出処がわかりやすい。

いつの時代でも富とか地位とかセンスとかを本人に代わって表現してくれる“モノ”が求められてきた。大航海時代以降は新世界の珍しい花卉植物もこの仲間入りをし、プラントハンター、ナーサリー(圃育園)などの新職業が登場し、食糧・薬草・香辛料・建材・燃料など経済的に有用という尺度だけでなく、観賞価値(美しい、珍しい)でのビジネスが誕生した。これが今日での園芸につながっているのだが、マッソン、ジャカンが活躍していた18世紀末は、王侯・貴族・僧侶など裕福な階層の庭園の花形として贅を競っていて、美術品などでの盗難品を隠し持つ誰も持っていない一点物を求める欲望が、最前線のプラントハンター、ナーサリーを蔽っていたのだろう。

ヒノキに似た葉
しかし、この葉の形を良く見るとどこか懐かしく、山里の林が目に浮かぶ。そこには杉やヒノキ、どんぐりの実がなるコナラ・クヌギ、ブナなどが生えているが、ヒノキの葉の形を思い浮かべる。
日本人がこの植物に名前をつけるなら、“ヒノキの葉”のようなゼラニウムという名前が使われたのではないだろうか?

(写真)ヒノキ Retinispora obtusa Sieb. et Zucc.
 
出典:京都大学シーボルト&ツッカリーニ「日本植物誌」

ヒノキは日本原産であり江戸時代までは多くの植物は国外持ち出し禁止となっていたので、この当時のヨーロッパではあまり知られていなかった。

このヒノキをヨーロッパに紹介したのは、オランダ出島商館の医師シーボルト(Siebold, Philipp Franz (Balthasar) von 1796-1866)及び、横須賀製鉄所の医師として来日したフランス人のサバティエ(Savatier, Paul Amedée Ludovic 1830-1891)が1800年に日本で採取しヨーロッパに持っていったとなっている。しかし、シーボルトが来日したのは1823年~1828年なので1800年採取という時期はこれは無理だろう。またサバティエの場合は、1866年から1871年まで日本に滞在したのでこれもおかしい。
シーボルトがオランダに戻りツッカリーニと共に「日本植物誌」を出版したのが1835~1870年で、その中で1847年にヒノキの学名がChamaecyparis obtusa Sieb. & Zucc.として紹介され、これが学名として認められた。
50年前にPelargonium denticulatum(のこぎりの歯)と命名されていたので『ヒノキに似た葉を持つペラルゴニウム』という名前は付けられない。

(写真)Pelargonium denticulatumの立ち姿
 

ペラルゴニウム・デンチクラートマ 'ファンリーフ'
・フウロソウ科ペラルゴニウム属の耐寒性が弱い多年草。
・原産地は南アフリカケープ地方南西部の湿った地域で、現在では絶滅の恐れがあり希少性でレッドリストに載っている。
・学名はPelargonium denticulatum 'Fern Leaf' で 種小名のdenticulatumは鋸歯(きょし=ノコギリの歯のような切れ込みがある)を意味し、園芸品種名の'Fern Leaf'はシダの葉を意味する。
・英名では、葉の形からtoothed-leaved pelargonium(歯状の)、fern-leaf geranium(シダの葉)、葉からの香りからpine-scented geranium。日本の流通名ではデンチ・ゼラニウム、デンタータ・ゼラニウムで流通し、ギザギザした葉の形状が歯に似ている様子を名前としている。
・開花期は3月下旬か11月でピンクの小花を咲かせる。
・草丈100㎝、葉からは松の葉の香りがする。
・水はけの良い肥沃な土壌を好み、夏場には風通しの良い半日陰で育てると良い。
・3年ぐらいで株が老化するので、梅雨時にさし芽を作るか、花が咲き終わる夏場に株をカットする。

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チェリーセージ・ホワイト(Salvia greggii 'Alba')の花

2014-05-13 06:59:51 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・グレッギー・アルバの花
 

園芸店では、「チェリーセージ・ホワイト」で苗が売られていた。白花を栽培するのは初めてでありつい買ってしまったが、さて、これは困ったぞ!
園芸品種としてのチェリーセージには3種が含まれていて、どの種の園芸品種なのかを推理しなければならない。しかも3種ともに白花があるときている。

チェリーセージの三種だが、学名にするとこの区別がわかりやすくなるので、発見された順番に書くと次のようになる。
1.サルビア・グレッギー(Salvia greggii)
1848年 グレッグが発見  
2.サルビア・ミクロフィラ(Salvia microphylla)
1885年 プリングル(その1その2)が発見  
3.サルビア・ヤメンシス(Salvia xjamensis)
両者の交配種で種類多い。1991年 コンプトンなどが発見

それぞれの白花は次のようになる。
1.Salvia greggii 'Alba'  (英名;White Texas Sage)
2.Salvia microphylla 'Alba'
3.Salvia x 'Elk White Ice' (Elk White Ice Jame Sage) など園芸品種がある。

何処で違いを見分けるのだろうかということが重要になるが、サルビア・グレッギーとサルビア・ミクロフィラは自然交雑するので原種以外となるとかなり難しいようだ。

しいて見え方での区別は「葉」を見るのが良い。
サルビア・グレッギーの葉は、長さが2cm程度で小さく、光沢がありツルツルしている。
一方、サルビア・ミクロフィラは、葉の端にギザギサしたエッジが入っていて、グレッギーよりは葉のサイズが大きく、シワシワしている。
この両者が交配したサルビア・ヤメンシスとなると判別不可能となる。葉の形としてはサルビア・グレッギーに近いようだ。

チェリーセージ・ホワイトで販売されていたこの花は、葉の形から見てサルビア・ミクロフィラでないことは確かで、サルビア・ヤメンシスとは言い切れないところがある。
消極的だが、サルビア・グレッギーの園芸品種 'Alba' としておこう。

氏素性を知っているはずの園芸生産者の方で、この辺の目配りをしてもらいたいものだが、プロにも見分けが難しいのがチェリーセージ三種のようだ。

(写真)Salvia greggii 'Alba'の葉と花
 
サルビア・グレッギー 'アルバ'
・シソ科 アキギリ属(サルビア属)の耐寒性がある宿根草。霜を避ければ外で越冬する。
・学名は、Salvia greggii 'Alba'、英名がWhite Texas Sage、園芸での名前がチェリーセージ・ホワイト。
・原産地は、南西部のアメリカ、テキサスからメキシコ 。
・庭植え、鉢植えで育てる。
・草丈は、60~80㎝で茎は木質化する。3年に一度株を新しくするようにすると良い。
・花の時期は、4~11月。
・咲き終わった花穂は切り戻すようにする。また、草姿が乱れたら適宜切り戻す。
・葉からは、薬くさいいい香りがする。

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スノーフレーク・ゼラニウム(Pelargonium graveolens 'Snowflake')の花

2014-05-06 06:11:21 | ペラルゴニウム&ゼラニウム
(写真)Pelargonium graveolens 'Snowflake'の花
 
日本での流通名のスノーフレークゼラニウム(学名:Pelargonium graveolens 'Snowflake'、ペラルゴニウム・グラビオレンス"スノーフレーク")は、香りゼラニウムの仲間であり葉に特色がある。
明るい緑色の大き目の葉からはローズの香りがし、3月頃まではその葉に白い斑が入っていた。

この白い斑入りを雪の結晶が葉に舞い落ちた様と見て"スノーフレーク"(雪片、せっぺん)と名付けたようだが、陽の光が強い四月ともなると淡雪が溶けるがごとく消えてしまった。ここまでを含めて"スノーフレーク"と名付けたとしたら素晴らしいセンスだ。

ピンクの花はちょっと大きめで、全体の姿としてはバランスが取れていて美しい。

スノーフレークの親に当たるPelargonium graveolensは、バラの香りがするのでローズゼラニウムとも呼ばれ、葉・茎を蒸留して精油を精製するのに使われる。
特に、アフリカ東岸にあるマダガスカル島からさらに東方のインド洋上に浮かぶ火山島レユニオン島(旧、ブルボン島)は高品質な精油が取れるので知られており、この精油をゼラニウム・ブルボンと呼ばれている。

このフランスの海外にある県レユニオン島は、現在の我々が享受しているコーヒー、バラ及びローズゼラニウムで重要な品種を産出している。
外界から隔離された島という環境が限りなく原種に近いコーヒーのブルボン種を守り育て、余計な品種が入ってこなかったがゆえに近代のバラ、ティーローズの一方の親となるブルボン・ローズという自然交配種を生み出し、原種に近いローズゼラニウムがあったところとして知られている。

外界からの新規参入がなく進化もせず古色蒼然としているものを“ガラパゴス化”といっているようであり、日本独特の規格である携帯電話もガラケイ(ガラパゴス携帯)などと呼ばれている。
しかし、植物の世界では、原種及び原種に近いものが生き残っている価値ある状況が考えられるので、マダガスカル島、レユニオン島など実に素晴らしい。

(写真)Pelargonium graveolens 'Snowflake'の立ち姿
 

スノーフレーク・ゼラニウム
・フウロソウ科ペラルゴニウム属の耐寒性が弱い多年草
・学名は、Pelargonium graveolens 'Snowflake'。南アフリカ原産のPelargonium graveolensの園芸品種。
・チョコレートミントゼラニウムと同じように、葉に白い斑入(ふいり)になるところからSnowflake(雪片)と命名された。
・しかし、葉に不規則に入る斑は消えてしまった。夏時期の強い日差しに当たると薄くなったり場合によっては完全に消えてしまい、夏のあと日差しが弱くなってから新たに伸びた葉には斑が出来るという。
・大きく丸く広がった明るい緑色の葉からはローズの香りがする。
・開花期は春から夏で明るい緑の大きな葉に似合うピンクのやさしい花が咲く。
・草丈30~60cm
・枝の老化を防ぐために、開花後の初夏から秋に収穫を兼ねて剪定を行い、地面から5~10cm残して切る。

【付録】江戸時代から珍重されるようになった斑入り(ふいり)
淡雪のように溶ける“斑入り”というのが気になったが、本来は緑であるところが、突然変異で変色する現象を“斑入り”と呼んでいる。病気や害虫で変色することもあるが、これで出来た白斑などを斑入りとは呼ばない。

園芸的には、突然変異で出来た新しい品種の誕生であり珍重されているが、この価値を見つけたのは江戸の園芸マニアだったようだ。当時のヨーロッパだけでなく現代でも斑入りを気持ち悪いと感じる人がいるだろうから、相当なマニアックな審美眼だったのだろう。

江戸時代は日本の園芸が発達し、世界最高水準ではないかといわれているが、珍しい品種としての“斑入り”は特に珍重され、1829年(文政12年)には江戸四谷大木戸住まいで五百石を拝領した旗本、水野 忠暁(みずのただとし、1767-1834)が自ら集め栽培していた斑入り植物1000種を解説する植物図鑑「草木錦葉集」を出版した。

この図鑑の植物画を描いたのが関根雲停(せきね うんてい、1804-81877)で、ボタニカルアートとしても素晴らしいので、シーボルトの日本植物誌にも含まれているカノコユリを例示しておく。

(ポストカード)関根雲停作 スカシユリ
 
出典:牧野ミュージアムショップ


(写真)シーボルトがヨーロッパに持って言ったギボウシ(Hosta undulata)
 

水野忠暁が活躍していた頃の1823年に長崎出島オランダ商館の医者としてシーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796 - 1866)が来日した。
シーボルトは多くの日本の植物をヨーロッパに紹介したが、その中に斑入りの植物も入っていてヨーロッパでも注目され栽培されるようになったという。

鎖国でガラパゴス化していた江戸の園芸はいつか正面から取り上げてみたいと思っているが、ここまでたどり着くだろうか・・・・・。

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