モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

近代遺跡探検② 軍艦島は小型高性能!

2007-09-01 10:39:47 | 近代遺跡
“軍艦島”は、長崎市高島町端島という。

長崎港から伊王島、高島までの定期航路はあるが、その先の端島まではない。
現在では、船会社が軍艦島回遊クルージングを不定期で実行しており、
このようなクルージングに参加するか、海上タクシーをチャーターする以外
“軍艦島”に近接できない。

上陸は禁止である。
特に、1991年の台風で外壁が破壊されるなどの被害があり危険な状態にあるようだ。



1980年代の後半に、三菱社が所有している時に上陸したことがある。
この時は、ヘルメットを借り、上陸するものには事前に生命保険をかけるなど
万一の災害に対処した記憶がある。


“端島”が歴史に登場するのは、石炭が発見されてからだ。

江戸時代文化7年(1810年) 草木も生えていない小さな岩山の瀬で石炭が発見された。

1890年に三菱が端島炭鉱を購入。
ここからが、本格的な炭鉱開発がなされ、護岸工事をして埋め立て、居住面積を拡大していった。

採炭事業及び鉱員などの従業員の生活とを効率的に結びつけるために、
狭い島を、当時の最先端技術を使い、高度利用することになる。

1916年(大正5年) 鉄筋コンクリート造り7階建ての鉱員社宅を建築。

これは日本初の高層住宅であった。
関東大震災後に原宿に建設された“同潤会青山アパート”は、
遅れること、1927年(大正16年)の建設であり、“端島”に先端技術が投下されていた状況がわかる。
なお、“同潤会青山アパート”はすでに取り壊され、安藤忠雄氏の設計により
2006年2月11日 表参道ヒルズとして生まれ変わった。

5階以上の鉄筋コンクリート造り建物は、閉山までに18棟建てられており、
狭い島に林立していた。

海上からこの姿を見ると、軍艦そっくりであり、“軍艦島”という別名が付いたが、
命名者は、1923年(大正12年)の長崎新聞のようだ。

日本のお家芸である“ものづくり”。
このエッセンスの一つとして、“小型化高性能”というコンセプトがある。

これまでの既存機能・商品を、小さくしてさらに機能・性能アップということだが
テレビ、電話、車、住宅まで世帯商品から個人商品になり市場・需要を創造してきた
要因の一つでもある。

“端島”は、“軍艦島”となることで、
三菱が購入した1890年から1974年の閉山までの、
わずか84年間をハイスピードで駆け抜けていった。

そこには、“小型化高性能”という技術が駆使されてきたが、
エネルギーの元である動力源が、ゼロサムで切り替わったために
いまは、廃墟となっている。


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2 コメント

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すごい・・・ (粕谷)
2010-02-05 16:08:56
貴重な体験をなさってたんですね。
現在の『軍艦島』にとても興味があります。
今度お話聞かせて下さいね。
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粕谷さん (キャスパー)
2010-02-06 09:10:25
え~と、飲み友達の粕谷さんだよね?
よくここを発見したね。
だとしたらいつでも、といってもG1が始らないと不定期で出かけているのでなかなか会えないかも??
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