モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

その20:フェルメールと手紙、その3 盗難にあった絵

2012-06-17 14:49:20 | フェルメール
フェルメールは手紙を題材とした絵を6点描いている。今回の5番目「恋文」と6番目「手紙を書く婦人と召使」の絵画は、きしくも1970年代に盗難にあった絵だった。

5.恋文 The Loveletter


(出典) mystudios.com
・制作年代:1669〜1670年頃
・技法:カンヴァス、油彩
・サイズ:44×38cm
・所蔵:アムステルダム国立美術館(レイクスミュージアムRijksmuseum)

フェルメール作の「恋文(The Loveletter)」は、1971年にブリュッセルで行われていた展覧会で盗難にあった。こともあろうことか額縁からナイフで切り取って盗み、これを丸めてズボンに隠して逃走し、ホテルのベットの枕の下に隠し持っていたという。
さぞかしよい夢を見ただろうと思わないこともないが、絵画泥棒としてはど素人としか思えない犯行手口であり、数少ないフェルメールの貴重な絵に相当なダメージを与えた。

どんな人間がこのような荒っぽいことをやれるのかといえば、犯人は、バングラディッシュとして独立した東パキスタンの内戦を支援する若いベルギー人で、ベルギーとオランダ政府が2億ベルギーフランを拠出しバングラディッシュ難民のための反飢餓キャンペーンを行えば絵を返すというイデオロギーが動機にあった。

宗教・イデオロギーでの抗争は本当に怖い。
歴史的な価値を否定し破壊することにためらいがないだけに何も残らないようになる。
しかし、「恋文」は大きなダメージを受けたが無事に戻ってきた。
修復に相当な時間がかかったようだが、四隅を切り取られ小さなサイズになっても成立する構図だったのが不幸中の幸いだったかもしれない。

1970年代ともなればフェルメールの作品の値段は高騰し、高いがゆえに盗難の対象となったが、この「恋文」は盗んでみたい欲望をそそるものがある。

フェルメールはカメラオブキュラス(写真機の原点)を使って絵を描いたが、この「恋文」は、望遠鏡を使ったのではないだろうかと言われている。
手前のカーテンの入り口から見える奥の光景を覗き見している感覚があり、禁断の欲望を刺激するものがある。
花魁の飾り窓、オランダの飾り窓、風俗の除き部屋、現代のショウウインドウなど手前が暗く奥に輝く光が欲望を刺激する。

(写真)メイド(左) 愛人(右)
 
さて、フェルメールが“覗かせたかった”モノは何だったのだろうか?

リュートではなくシターン(Cittern)で演奏をしていた女性に背後からメイドが手紙を持ってきた。主人を振り向かせるような行為をするメイドには、この手紙をもたらすことで立場優位を作ろうとする意思があったのだろう。

怪訝な顔で振り返る女性に対し、メイドはしたり顔で笑っている。
我が国では、このような役割をする人を“やり手婆”と言い、その場限りの男女の一夜愛を仲介する。このメイドもそんな役割を果たしていたのだろう。
一方、主人である女性の立場は背後にある絵画と、暗くてよく見えないカーテンの下あたりにあるスリッパ、モップなどに暗示されているようで、留守を守る愛人が海外で活動している恋人からのよい兆候の手紙を受け取ったと言われている。
ただ、無造作なスリッパとモップは、音楽は楽しむが家事は苦手なようで主婦に適していない。そんな女性像を示しているようだ。
いまや日本の何処にでも垣間見る風景で違和感はないが、趣味的な知的水準の違いがありそうだ。

それにしても、この「恋文」はフェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1675)らしくない。同時代のピーテル・デ・ホーホ(Pieter de Hooch、1629-1684)の影響があるといわれる。
デ・ホーホには、“戸口越しの眺め”といわれる開いた戸口から眺められる光景を描いた新しい絵画技法がある。今で言えばデ・ホーホが開発した専売特許というものに当たるのだろうが、その技法をまねているのが「恋文」になる。


6.手紙を書く婦人と召使 Lady writing a letter with her maid


(出典) mystudios.com
・制作年代:1670年頃
・技法:カンヴァス、油彩
・サイズ:71.1×60.5cm
・所蔵:ダブリン、アイルランド国立絵画館

「手紙を書く婦人と召使」は、アイルランドのラズボローハウス(Russborough House)で二度盗難にあっている。警備の甘い個人の豪邸だったために4回も泥棒に襲われており、1987年に所有者のバイト(Sir Alfred Beit, 2nd Baronet)からアイルランド国立絵画館に寄贈された。経緯は後述する。

この絵は、妙に緊張感がある。
一心不乱に手紙をしたためている女性と、その後ろで書き上がる手紙を待つメイドが両腕を組み、窓の外に視線をむけている。
「恋文」とは異なる主人とメイドの信頼関係が感じられるが、一体この二人は何を考えているのだろうかという“間”に緊張感があるのだろう。

謎解きの鍵は、二人の背後にある絵にありそうだ。
この絵は、ヘブライ人が増えることを危惧したエジプトの王が、新生児の男子を殺すことを命じたので、誕生したモーゼを助けるために、かごに入れナイル川に流した。このモーゼを発見したという話を描いたもので、Pieter de Grebberの「Finding of Moses」(1834年)を描いたようだ。
(写真)「Finding of Moses」

Finding of Moses
Pieter de Grebber
1634
170 x 229 cm
Gemäldegalerie, Dresden
(出典)Web Gallery of Art
※クリック後の画面で画家「Pieter de Grebber」を選択・クリック、→ 表示された作品から作品「Finding of Moses」(戻るときは左上のバックボタンで戻る。)

モーゼは後にヘブライ人を引き連れ安住の地を求めてエジプトを出国するので、一心不乱の女主人に対して、メイドの視線は外の世界に向き、多難な恋の行方を透視しているのだろうかなと思ってしまう。

(写真)メイドと婦人の拡大
 

二人を拡大してみると、それぞれ自分の幸せしか考えていないという気がしないでもないが、“なごみ”を感じる。

最初に感じた“妙な緊張感”は、二人の立つ位置と視線が交わっていない構図にあることに気づく。
叱責や怒られる時に、真正面に立つのではなく、右利きの人から叱責される場合は、その人の左斜め45度に立てと先輩に教えられたが、立つ位置と視線はコミュニケーションにとって重要となる。

そして手紙は、書き手の“気持ち”を切り取り、シンボライズして読み手に伝えるメディアであり、意のままに読み手を操ることが出来れば最高の効果を発揮するのだろう。

その時、妨害の情報が入らないようにすることが重要で、第三者に中身を読まれないようにする必要がある。蝋で封印し花押を押すなどは、郵便の初期の目的が為政者が下々の動向をキャッチするために開封して読んだという歴史があるためで、通信の傍受、暗号の解析など現代でも変わらない。

今より命がけだった時代の“恋”“不倫”は、手紙の守秘性を保つためのメイドの存在が重要であり、手紙(=コンテンツ)、メイド(=流通媒体)という関係であり仲間或いは一体でなければ邪魔をされるということになる。
内緒の話を広めたい時は信頼できない人に、“内緒の話だけど”“君だけにしか話さないけど”という枕詞をつければ、瞬く間に広まるので、今も昔も変わらない人間の性(サガ)なのだろう。

フェルメールはメイドをいれた絵を3点描いているが、メイドにどのような思いをもち描いたのだろうか改めて見ると面白い。

【来 歴】
デルフトのパン屋 Hendrick van Buyten (1632 -1701)は、フェルメールに600ギルダーを融資し、その担保としてフェルメールの絵を幾つか所有していたという。この証言は、フランスの外交官・冒険家Balthasar de Monconys (1611–1665) が1663年8月にフェルメールと会っただけでなくパン屋のブイテンから聞き取ったというメモによる。フェルメールはモンコニィに見せるべき絵を持っていない状態であり、竹の子の皮を取り去り身を切るような生活をしていたことが伺える。この時のモンコニィの印象では、600ギルダーは多すぎてその10分の1の60ギルダーが妥当ではないかと思ったようで、写実的な絵画の良さとフェルメールの価値がわからなかったようだ。

1675年にフェルメールが死亡して未亡人となったCatharina Bolnesは、パン代を含めた借金を返済する代わりに二つの絵をパン屋のブイテンに譲渡したことを公証人役場で認めた。
パン屋に渡った二つの絵が、1670-1672年に制作した「The guitar player」そして「Lady writing a letter with her maid」だった。
借金を返済すれば二つの絵は返すという約束で年に50ギルダーずつ返済したが、フェルメールの未亡人に絵は戻らなかったので完済は出来なかったようだ。

この「Lady writing a letter with her maid」は、1700年代の初め頃にパン屋のブイテンからロッテルダムの市長などを務めたJos(h)ua van Belle (1637-1710)に渡り、1734年にはハーグの市長などを務め絵画コレクターでもあったHendrick van Slingelandt(1702-1759)一族にわたるなど資産家コレクターを転々とする。

1895年からはロンドンの資産家であるAlfred Beit (1853 –1906)及びその一族に「Lady writing a letter with her maid」が渡る。バイトは、南アフリカでの金・ダイヤモンドなどの鉱山事業で財を作り、セシル・ローズに資金を提供もし、デ・ビアスの生涯理事として経営にも関わった。

世界のダイヤモンドの生産・販売を牛耳るデ・ビアス(De Beers)は、イギリスの帝国主義を推進した政治家セシル・ローズ(Cecil John Rhodes、1853-1902)などが1888年に南アフリカに設立した会社で、ローデシアは彼の名前を冠するほどこの地で帝国を構築した。

セシル・ローズ、バイトとも50歳前後で死亡するが、アフリカのナポレオンと称されたセシル・ローズは不遇な死を迎えたのに対し、バイト・ファミリーは美術史に名を残すほど富を継承した。

南アフリカでの鉱山事業で巨万の富を作ったバイト家の三代目であるSir Alfred Lane Beit, 2nd Baronet (1903–1994)は、二代目の父親の死で1930年にフェルメール、ゴヤ、ルーベンスなどの多数の絵画と巨額の財産を引き継ぎ、1945年の総選挙で自身も下院議員を落選し労働党政権が誕生したのをきっかけに南アフリカに移住したが、アパルトヘイト政策の残酷さに幻滅し、1952年にアイルランド、ダブリンの近くにあるラズボローハウス(Russborough House)を購入し移住した。


(出典) Russborough House

1974年4月26日、このラズボローハウスに1人の女と3人の男性が侵入し、主人のアルフレッド・バイトはピストルで殴られ婦人とともに縛られ、その目の前でドライバーで額縁から絵画を切り取り、この邸宅にあるフェルメール(「Lady writing a letter with her maid」)、ルーベンス、ゴヤの絵画を含む19の絵画が持ち去られた。被害総額800万ポンドと見積もられた。

犯人はアイルランドの独立を主張するIRA(アイルランド共和軍)のメンバーで、前年の1973年3月8日にロンドンの裁判所の車を爆破する事件で逮捕されたプライス姉妹(Dolours Price and Marian Price)のアイルランド送還と釈放及び50万ポンドの身代金と交換に盗んだ絵を返すと言って来た。

犯罪者の要求に屈しないというのが英国魂であり当然要求を拒否し、全国的な捜査を行い、5月4日というから犯行から8日後に、犯人の一人である女性が借りた借家を急襲し車のトランクからバスローブに包まれた絵画を発見回収した。
この女性Bridget Rose Dugdale (1941- )は、英国の大富豪の娘でロンドン大学で経済学博士を取得している才媛だが、借家から足がついたので実務に弱かったのだろう。
9年の罪で投獄された。

ラズボローハウスは、これまでに4回も美術品強盗に襲われている。ガードが甘いという評価が泥棒に浸透したのか、本当にガードが甘かったのかどちらかだろう。
フェルメールの「Lady writing a letter with her maid」は、1986年に2回目の盗難にあっている。
1970年代の盗難はイデオロギー的だったが、1980年代ともなると美術コレクターのための単なる泥棒となり金儲けが目的となる。

そして盗難の結果、フェルメールの絵の値段は上がったが、面積は小さくなり、維持管理の難しさもわかり、1987年にダブリンのアイルランド国立絵画館に寄贈され、1993年に修復が終了した。
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その19:フェルメールと手紙、 その2 「愛人と召使 (Mistress and maid)」

2012-05-27 09:27:15 | フェルメール
フェルメールが手紙をテーマに描いた残りの3作品にはメイド(召使)が登場する。
構図は3作品とも同じで女主人が右手手前で椅子に座り、メイドが左手後方に立っている。これをワンパターンというのだろうが、フェルメールは制作者・クリェイターとして一体何を描きたかったのだろうか?

17世紀ともなるとオランダの上流家庭にはメイドが不可欠となり、メイドらしい服装も登場・完成する。スタイルが職業を表すまで一般化したとも言えるが、監督し育てなければ何をするかわからないまだ“危険な存在”でもあったようだ。
しかしフェルメールは、このメイドの存在を“危険で邪悪”なものとして描いていない。『牛乳を注ぐ女』のように主役としてメイドを描き、彼女たちメイドの支援者として“勤労は美徳”という思想を愛情を持って描いているようだ。

手紙三作品に登場するメイドは、女主人と恋人の関係をメイドが何かを暗示する重要な役割で登場させているようだ。これをドラマ風にいえば、“恋愛心理サスペンス”ジャンルの作品ともいえるのだろう。
それではメイドが登場する三作品を制作年代順に見てみよう。

4.愛人と召使 Mistress and maid


(出典)mystudios.com
・制作年代:1667年頃
・技法:カンヴァス、油彩
・サイズ:90.2×78.7cm
・所蔵:ニューヨーク、フリック・コレクション

女主人の右手は開封された手紙の上にあり、返事を書こうとしていたのだろう。そこにメイドがやってきて多分愛人からのまだ開封されていない手紙を持ってきた。女主人はこの内容を推測している風情であり、メイドは大丈夫ですよと励ましているようでもある。
別れ話が起きているとしたらこんなシーンになりそうだ。

(写真)メイドと愛人の顔


ここでの注目点は、女主人の顔は横向きで目立たず、着ている服だけが目立ち、一方のメイドは、服がメイド服で壁に溶け込むようで目立たず、顔をしっかりと描き対照的にさせている。
この二人の視線は90度に開き、目線が手紙に向いこの手紙が際立つようになっている。二人の顔をアップしたものを見比べるとこれが良くわかる。フェルメールはメイドを主役として扱っていたということが。
しかし、女主人の戸惑いを慈しむ菩薩のようなメイドだが、よく見ると左目が女主人を窺い、右目が手紙を見ているようで、このアンバランスがメイドの邪悪な印象を醸し出す。
となると、恋人との不安定な関係に戸惑う女主人と、これを機会に自らの立場を優位にしたいメイドとの格闘技とも読めないこともない。

心に残る絵には謎がありそうだ。見る時の心理状況で見え方が異なるという謎を埋め込んでいるから気になり心に残るのだろう。

さらによく見ると、主役はやっぱり愛人で、机の上にある手紙とメイドが持ってきた手紙との間での心の揺れ動きが見事に描かれている。
蛇足だが、女主人が着ているジャケットは、フェルメールの6作品に登場し、彼の死後の遺品の中にもあったという。このタイプのジャケットは、寒さが厳しいオランダの上流家庭の冬の室内着として使われたようだが、愛人を象徴する安定感のなさが刺激的な印象をもたらす。

「愛人と召使 (Mistress and maid)」の来歴
この「愛人と召使」は、1696年5月16日アムステルダムのオークションでフェルメールの絵画21点が競売に掛けられたがその中の一点だった。売り手は、フェルメールのスポンサーとして知られるPieter Claesz. van Ruijven (1624 -1674) の娘婿Jacob Abrahamsz Dissius(1653-1695)で、その後パリ、マルセイユ、サンクトペテルスブルグ、ベルリン等ヨーロッパ大陸で所有者が転々とするが、1919年にニューヨークのHenry Clay Frick (1849 –1919)が彼の死亡直前に290,000ドルで手に入れ、彼の死後Frick Collection and art museumに寄贈された。

この絵を入手した経緯だが、フリックは三番目に所有したいフェルメールの絵画を探しており、1914年にドイツ、ベルリンの絵画コレクターで知られている (Henri) James Simon (1851–1932)に250,000ドルで打診をしたが断られた。しかし、第一次世界大戦でのベルリンの荒廃により、サイモンはこの絵をフリックに売ることになった。

このフリックという人物の経歴は、コークスを製造する会社で財を形成し、米国最大の製鉄会社USスチールをつくり、鉄道会社・不動産会社など事業領域を広げ、その経営手法の悪どさで米国で最も嫌われている経営者として名高い人物だが、美術品のコレクターでもあり金に糸目をつけないで欲しいものを集めた。

フリックはフェルメールの絵画3点を購入した。
アメリカにはメトロポリタン美術館(ニューヨーク)に5点、ナショナル・ギャラリー(ワシントンDC)に2点、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館(ボストン)に1点、そしてニューヨークのフリック コレクションに3点の合計11点があるが、フリックはアメリカで4番目に早いフェルメールの本物の絵「中断された音楽の稽古(Girl Interrupted at Her Music)」を1901年に26,000ドルという高値で手に入れたという。

(写真) 「中断された音楽の稽古(Girl Interrupted at Her Music)」

(出典)mystudios.com
・ 制作年代:1658–59
・ 技法:カンヴァス、油彩
・ 所蔵:ニューヨーク、フリック・コレクション

1900年代初頃のフェルメールの値段は、数百ドルか数千ドルだったが、急速に値段が上がったのはフリックとライバルのPeter Arrell Brown Widener (1834 –1915)によるコレクションの獲得競争だった。ワイドナーはフィラデルフィアの路面電車事業からスタートした事業家でマネー、ルノアール、レンブラントのコレクターでもあった。
ワイドナーは、フェルメールの「天秤を持つ女(Woman Holding a Balance)」を1911年に115,000ドルで購入したが、同じ年にフリックはこの2倍の価格で彼にとって2番目のフェルメール「Officer and Laughing Girl」を購入した。

(写真)「兵士と笑う娘(Officer and Laughing Girl)」

(出典)mystudios.com
・ 制作年代:1657
・ 技法:製作中の油彩
・ 所蔵:ニューヨーク、フリック・コレクション

そして三番目に手に入れたのが前述した「愛人と召使 Mistress and maid」だった。

このように、旧世界の巨匠たちの絵画の値段を吊り上げたのが新世界アメリカの成金、といってもものすごい資産を形成した人たちだった。資産を形成するまでは悪どいことをしたが、人類の文化遺産である絵画をお墓に持っていくということをせず、美術館を創設して寄贈したセンスは罪滅ぼしと思ってもいないのだろうが素晴らしい。

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その18:フェルメールと手紙、その1 主役一人の絵

2012-05-06 15:34:19 | フェルメール
東京渋谷の文化村ミュージアムで開催された『フェルメールからのラブレター展』は、今から2ヶ月前になるが2012年3月14日に終了した。

2月の初め頃展覧会に行ったが、なかなか書けないで今日に至ってしまった。
それは、今にして思うとラブレター展という企画がつまらなかったからなのだろう。
どの絵を見ても“手紙”だらけで、大好きなフェルメールの絵すらときめきを感じないものになってしまった。
この悪印象の残像が消えた今、“フェルメールと手紙”というテーマで書いてみようと思えるようになった。

フェルメールと“手紙”
フェルメール(Johannes Vermeer, 1632 -1675)は、彼の作といわれている36作品のうち“手紙”を主題とした絵を6作品描いている。生涯の作品数が少ない割には、手紙を主題とした作品数はかなり多いなという感じがする。この時代17世紀の“手紙”については最後にまとめることにして、フェルメール作の6作品を年代順に以下に掲載する。
この6作品のうち3作品、 「手紙を読む青衣の女」 「手紙を書く女」 「手紙を書く婦人と召使」 が『フェルメールからのラブレター展』に展示されていた。「手紙を読む青衣の女」は日本初の展示だった。

1.窓辺で手紙を読む女  Girl reading a Letter at an Open Window


・制作年代:1657年頃
・技法:カンヴァス、油彩
・サイズ:83×64.5cm
・所蔵:アルテ・マイスター絵画館(ドイツ、ドレスデンにある美術館でドレスデン美術館を構成する12の美術館のうちの一つ。)
(出典)1st-art-gallery.com

この「窓辺で手紙を読む女」の絵をX線写真で検査すると、壁にはキューピットの絵が描かれ、こぼれた果物の手前にワイングラスが描かれていたというが塗りつぶされており、不倫相手からの手紙を読む女性を描いているという。手紙を通じて窓の外の世界を見ているのだろう。

【来 歴】
1742年にポーランド国王Friedrich August von Wettin (1696 –1763)が、当時はレンブラントの作品としてこの絵を購入したという。この絵を所蔵するアルテ・マイスター絵画館のコレクションは、この国王が集めたものが出発点となっている。
フェルメールよりはレンブラントのほうが有名であり絵が高く売れるのでレンブラント作となったのだろうが、レンブラントらしさはない。

1826年にはフェルメールと同時代のデルフトの風俗画家ピーテル・デ・ホーホ(Pieter de Hooch、1629-1684)の作とされ二度目の誤診がされた。レンブラントよりはピーテル・デ・ホーホの絵に近いと思うが、それでも違うところがある。フェルメールの絵は写真そのものと見間違うほどの写実性があるが、写真にはない物語性という構図でのフィクションとそれらが作り出すなんともいえない気品がある。

ピーテル・デ・ホーホの有名な『配膳室にいる女と子供』(アムステルダム国立美術館, 1658頃)と比較していただくと違いが良くわかる。

(出典)ウイキペディア

この絵がフェルメールの作と認められるようになったのは、1860年の頃でありフェルメールを再評価し現在のフェルメールブームを作り出したフランスのジャーナリストで美術評論家のトレ・ビュルガー(Théophile Thoré-Bürger 1807 –1869)による。

第二次世界大戦の時にドレスデンは爆撃され赤軍が侵攻したが、この時に絵画が略奪されソ連に持っていかれた。スターリンの死後の1955年に元の持ち主に返還することが決定した。この頃は、鉄のカーテンの内側にある東ドイツであったから戻ったのだろうが、ヒットラーもフェルメールのファンだったが、もしかしたらスターリンもフェルメールファンだったのかもしれない。

2.手紙を読む青衣の女  Woman in Blue Reading a Letter

・制作年代:1663〜1664年頃
・技法:カンヴァス、油彩
・サイズ:46.6×39.1cm
・所蔵:アムステルダム国立美術館
(出典) 1st-art-gallery.com

日本で始めて公開されたこの絵は、妊婦が旅行中の夫からの手紙を読んでいるという風に受け取られる。壁には薄汚れて読み取れないがネーデルランドの地図が掛けられ、テーブルには読み終えた手紙と真珠の宝石箱が置かれ恋しい人を暗示しているという。

しかしこの女性の顔をアップで見ると、口を半開きにし手を強く握り締めている立ち姿は、恍惚感というか緊張感があり、妊婦服に見えるこのブルーの服は、オランダ語でbeddejakと呼ばれるベットでも着れるカジュアルで高級な服となると解釈が異なってくる。
さらにX線で検査するとこのブルーの服が描かれる前は毛皮の服となると、妊婦が恋しい不在の夫からの手紙を読んでいるということではなく、朝起きたばかりの若い女性が朝陽の下で恋人からの手紙を期待と希望で陶酔状態で読んでいる。ということになりそうだ。
細部のアップは展覧会ではわからない或いは気づかないが、デジタル画像での楽しみ方だとはじめて気づいた。

それにしてもこの絵は汚れていたが、来歴を見てなるほどと思った。
わかっているだけでも10回以上も所有者が変わり、そのうちの誰かの保存状態が悪かったのだろう。
最後は、1847年、アムステルダムの銀行家アードリアン・ファン・デル・ホープ(Adriaan van der Hoop 1778-1854)に渡り、彼の死後にアムステルダム市に寄贈し、1885年以降レイクスミュージアム(Rijksmuseum、国立美術館)に貸し出されているという。


3.手紙を書く女  A Lady Writing a Letter

・制作年代:1665年頃
・技法:カンヴァス、油彩
・サイズ:45×39.9cm
・所蔵:ワシントン、ナショナル・ギャラリー
(出典) 1st-art-gallery.com

手紙は書かれなければ読まれないが、フェルメールはこの他にもう1点手紙を書く絵を描いている。
この絵は、手紙を書いている最中にイベントが発生し、振り向いて何が起きているかを確認しようと凝視している姿を描いている。

三つ編みされたシニョンとリボンのヘアスタイルは17世紀中頃に人気があったファッションのようで、モデルはフェルメールの妻Catharina Bolnesではないかといわれている。

【来  歴】
1696年5月16日アムステルダムのオークションでフェルメールの絵画21点が競売に掛けられた。売り手は、フェルメールのスポンサーとして知られるPieter Claesz. van Ruijven (1624 -1674)の娘婿Jacob Abrahamsz Dissius(1653-1695)で彼の死後1年後にフェルメールの作品21点が競売された。

Pieter Claesz. van Ruijvenは、1657年にフェルメールに200ギルダーを貸したことが記録に残っている。フェルメールの死亡(1675年12月15日43歳)の前年1674年に彼は死亡しているので、彼が遺産として残したフェルメールの絵画はこれ以前に入手していることになる。

21の作品は合計で1503ギルダーで競売されたようだが、このうち現在のフェルメール作と一致するのは以下の15作品で6作品は未確認か疑わしい絵のようだ。

・A Girl Asleep (眠る女)
・Officer and Laughing Girl(兵士と笑う女)
・The Little Street (小路)
・Woman Holding a Balance (天秤を持つ女)
・The Milkmaid (牛乳を注ぐ女)
・View of Delft (デルフトの眺望)
・The Lacemaker (レースを編む女)
・Woman with a Pearl Necklace (真珠の首飾りの女)
A Lady Writing a Letter (手紙を書く女)
・Lady Standing at a Virginal (ヴァージナルの前に立つ女)
・The Girl with the Wine Glass (ワイングラスを持つ女)
・Girl Interrupted at her Music or The Concert (中断された音楽の稽古)
・The Guitar Player (ギターを弾く女)
Mistress and Maid (婦人と召使)
・The Music Lesson (音楽の稽古)

20世紀にはいるとアメリカの大富豪が名画のコレクターとして登場する。
アメリカの大財閥を形成したジョン・ピアポント・モルガン(John Pierpont Morgan, 1837-1913)も1907年にこの絵画を取得し、父の死後息子が1940年まで保持した。
その後、1946年にはアメリカの砂糖財閥ハブマイヤー家のHorace Havemeyer (1886–1956)が購入し、彼の死後息子たちが1962年にワシントンのナショナルギャラリーに寄贈して今日に至る。

フェルメールが描いた年代順に6作品を見たが、この三作品に共通しているのは、描かれているのは主役一人だということだ。残り三作品は脇役としての召使が登場するので、これは意図して描いたのかもわからない。私的で閉ざされた手紙からオープンになった手紙を描こうとしたのだろうか?

(続 く)
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その17:フェルメール「地理学者」より気に入った1枚の絵

2011-05-20 19:40:18 | フェルメール
フェルメールは、男を描ききれなかったと感じた。
同じ構図での女の描き方には魅入られるほどだが、この「地理学者」には何故かワクワクしない。
というのが前回<その16>での謎かけだった。

やはりあった。というか存在していた。
フェルメールに影響を与えたと言われているカーレル・ファブリティウス(Fabritius, Carel 1622-1654)

彼は、フェルメールに写真的な写実ではなく、心を写し取る“写心”を教えたのではないだろうかと思ったが、その弟、バーレント・ファブリティウス(Fabritius, Barent 1624 -1673)の絵にもやはり惹きつけられた。
 
(出典)
バーレント・ファブリティウス「自画像」
1650年作、油絵、キャンバス
シュテーデル美術館蔵

バーレント・ファブリティウスは、兄のカーレル・ファブリティウス同様にレンブラント(Rembrandt Harmensz. van Rijn、1606-1669)に師事したようだ。

兄はレンブラントから離れ、フェルメールと同じデルフトの町で自分の色彩を捜し求めた。長生きしたら後世に残る画家になっただろうといわれているが、残念ながら32歳という若さで亡くなった。

弟はレンブラントだけでなくこの兄の影響を強く受けている。
自画像が似ているので見比べて欲しい。(でも、兄のほうが上かなと思ってしまうが。)

さらに“でも”だが、フェルメールの「地理学者」よりもこの弟バーレント・ファブリティウスの「自画像」の方が男を描いているような気がする。

こんな比較が出来たのだから、満足いく展覧会だったかもわからない。

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その16: 『フェルメール<地理学者>』 と 「ドゥ マゴ パリ」

2011-05-18 22:28:38 | フェルメール
渋谷東急文化村の美術館にフェルメールが来ていた。
気づくのが遅かったし震災後はなかなか東京に行くことが出来なかった。『フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展』の最終日が5月22日なのであわてて昨日見に行ってきた。

東急文化村は久しぶりで、勝手がわからなくなっていた。
オーチャードホール(Orchard Hall)にはよく行ったものだが、ミュージアムがあったとは気がつかなかった。
エスカレーターで地下1階まで降り、そこには新緑に陽が降り注ぐ中庭を取り囲んで、ミュージアム、カフェ「ドゥ マゴ パリ」、本屋がある。
とてもコンパクトな美術館だが、「ドゥ マゴ パリ」があるので他の美術館と違って絵だけではない魅力ポイントがある。

昨年も上野の東京都美術館で“フェルメールと同時代のオランダ絵画展”があったが、その時の半分ぐらいの規模なのだろう。
絵画展は適度に込んでいたが、目的の絵を3点に絞っていたので15分ぐらいで見終わってしまった。

(写真)ヨハネス・フェルメール 《地理学者》1669年 油彩・キャンヴァス

(出典)mystudios.com

フェルメール(Johannes Vermeer 1632-1675)が描いた「地理学者」は、ジャッキーチェーンの映画「酔拳」などに敵方の用心棒として登場するそっくりな人物がいた。それを確かめるためにしげしげと見てしまった。
なぜこんな印象を持ってしまったかといえば、この地理学者は、右手にコンパスを持ち窓の外のはるか遠くを思考がさまよっているようだが、日本の“どてら”か中国の“ガウン”を着ているせいだろう。
そして、机の下の隠れたところには、“火鉢”があり股を温めている。となると、鉄火場にいる用心棒となってしまう。
日本・中国ではこんな職業を表すスタイルとなるが、フェルメールは、地理学者・天文学者としてのきっとその当時ではNewサイエンスの先進的なスタイルとして取り入れた。
1600年代中頃のオランダは、東インド会社が日本・中国との貿易で大活躍していて、その異国情緒な“どてら”が地理学者の設定として貴重な衣装だったのだろう。

フェルメールは、左側にやわらかい陽の光が入る窓(北側といわれている)、左手前に彼の視線でもある消失点またはカメラオブスキュラがあったといわれる構図で多くの絵を描いている。
しかし、単独の男を描いた絵は2点しか残されていない。「地理学者(1669年作)」と前年に描かれた「天文学者(1668年作)」であり、同じ人物が描かれている。

実在のモデルがいたといわれており、フェルメールと同じ年にデルフトで生まれたレーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632-1723)で、フェルメール死後の遺産管財人となった人物だ。
フェルメール家は、フェルメールブルーとも言われる、“ラピスラズリ(lapis lazuli)”が入ったウルトラマリンブルーという高価な絵の具などを使用したために借金がかさみ破産した。残された数少ない絵は、競売にかけられ分散することになるが、この仕切りをしたのがレーウェンフックだった。

(写真)レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632-1723)

(出典)xs4all

レーウェンフックは、独学で顕微鏡を作り、趣味でこれを眺めているうちに微生物を発見し、微生物学の父とも言われるようになった。とにかくなんでも顕微鏡で眺めていたのだろう。1677年には、精液を眺めているうちにおたまじゃくしのようにうごめく精子まで発見してしまった。

単なる職人・商人ではなかったので、学者のモデルとして適していたのだろう。
だが、フェルメールは、男を描ききれなかったと感じた。
同じ構図での女の描き方には魅入られるほどだが、この「地理学者」には何故かワクワクしない。

(写真)ドゥ マゴ パリのテラス


何故なのだろう? ということを考えながら、“ドゥ マゴ パリ”のテラスでオムレツを食べながらビールをノンビリと飲んだ。
この一時間は癒しの一時間だった。タバコが吸えたことも得点が高い。

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その15 フェルメール 『レースを編む女』、 ルーヴル美術館展

2009-04-05 09:07:41 | フェルメール
(写真)ルーブル美術館展看板にフェルメールが


上野国立西洋美術館で、『ルーヴル美術館展』が開催されている。
サクラ見学で上野に行ったときに、そのポスター・看板に見たことのある絵が載っていた。なんとフェルメールだった。

フェルメール部分をアップすると『レースを編む女』だった。
知らなかったな~、気づかなかったな~
と反省をし、後日の花見で見に行くことにした。

(写真)『レースを編む女』(フェルメール、1669-70年頃の作品)


待ち時間30分ということだったが、たっぷり40分は待った。

中に入ると、思い通りに進むことが出来ず、後戻りもしにくいような状況だった。
大部分の絵が、天使が空を飛んでいるような宗教画だったので、これらはほとんど遠くから肩越しで眺めてふ~んという感じでいた。

同じ17世紀頃の作品とはいえ旧教徒の国フランスと新教徒の国オランダとの絵の違いに驚き、嫌いというほど感情が刺激されるわけでもなく、見れども見えず、記憶に残らない絵だった。

『レースを編む女』は意外とはやいところにあった。しかし小さい。人を掻き分けて前に出るのが大変だ~。ここは人が動かない。

フェルメール 『レースを編む女』
(アンダーラインをクリック)
フェルメール(1632-1675)晩年の作であり、1669-1670年頃に制作された。サイズは、縦23.9×横20.5cmで現存する中で最も小さい絵だった。
フェルメール作と認められている33作品の中で、縦が100cmを越えるのはわずか4作品だけであり全体的に小さい作品が多い。しかしそれにしてもこの人ごみでは見えにくい。

ルーヴル美術館では、フェルメールの部屋があり『レースを編む女』と「天文学者」が展示されているが、部屋の大きさの割りに絵が小さいのでどこにあるのか気づくのに一瞬の間があるそうだ。

その小ささの割には、この絵は、妙に緊張感がある。
息を止めて見ないでも感じられるぐらいの緊張がある。
遠くからは見えないのに、視線が編み物をしている右手と左手の糸のありそうな場所に誘導される。
それから目を上げ、少女の顔を見るが、また少女の視線に誘導され手の間に何か見落としたものがあるかもわからないという気になり手元を見てしまう。

フェルメールの大好きなブルーと、イエローが消えていくから不思議だ。
ただあるのは、緊張感と編み物で過ぎ行く時間だけのようだ。
一心不乱は無の境地に導くというが、そんなことを会得した少女がキャンバスの中にいた。

左脇のクッションからは、白と赤の糸が飛び出ている。この赤糸を除くととたんに緊張感が弱まり良家の子女の自画像となってしまう。赤糸は編み物で失った時間やこの時間でできたコトの犠牲の様でもあり、流した血の様でもある。
この犠牲で得たものは集中力であり何ものかを成し遂げる推進力なのだろう。

編み物は、上流階級での子女のたしなみだった時代があったという。
1600年代のオランダでは、裕福な市民が増加したので、余暇の過ごし方の新しいスタイルが出来上がったのだろう。
編み物は、意識を集中させ、この時間を継続させないと出来上がらないし出来映えもよくならない。しかも家の中でやるので悪い虫がつく時間がなくなる。 この精神の集中と悪い虫予防が裕福な家庭にとって必要だったようだ。

日本でも、昭和の中ごろまではこの価値観があったようだ。バレンタインデーでレース編みのしおりをもらった時にこのことを知っていれば人生も大分変わったのだろう。今では、“安くていいものが買えるわよ!”という娘たちの一言で何も言えない親になってしまった。親だけはこの価値観をわかっていたいものだ。どこかで応用できるかもわからない。

ルーヴル美術館展には、40分待で入ったが、ほぼ30分で見終わった。
展示作品は70を超えていたが、見たいものが少なかった。だが収穫もあった。

ボタニカルアートの草分け的な絵で、「風景の見える石のアーチの中に置かれた花束」(アンブロシウス・ボスハールト、1619-1621年作)だ。
花が主役として絵画で登場したのは、ヤン・ブリューゲルの『木桶の花束』が1606年に描かれていて、これが最初ではないかと思うが、改めて取り上げることとする。


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その14 フェルメール『リュートを調弦する女』に思う

2008-12-14 01:51:11 | フェルメール

展覧会を見る時の見方として、盗んでも欲しいという欲望を刺激されるものはどれだ。
という素直な見方をしている。(決して盗みませんが・・・)
今回のフェルメール展では、2点あり 『小 路』   『リュートを調弦する女』 だった。

『小 路』 は、自慢げにヒトに見せびらかす場所に飾りたい絵で、
『リュートを調弦する女』は、ヒトには見せないで隠しておく。まるで危ない浮世絵のようだがとにかく隠しておく絵だ

『小 路』については以前書いたので
『リュートを調弦する女』について気に入ったことを自分なりに称えてみたい。

まずはクリックして絵を確認していただきたい。
『リュートを調弦する女』 (作、1664年頃)ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵
http://www.mystudios.com/vermeer/18/vermeer-woman-with-lute.html

『リュートを調弦する女』の来歴
この絵は、誰かが隠しておいたせいか、保存状態が悪く相当に傷んでいた。
光と色彩の魔術師フェルメールの面目がなく、しかもちょっと前まではフェルメールの真作とは見られていなかった。

この絵が記録に登場するのは2回だけのようで、
最初が1817年であり、この絵がアムステルダムで競売にかけられ65ギルダーでコクレルスという人物が入手しているという記録がある。

二回目は、コリス・P・ハンティングトンがイギリスで6000ドルで購入し、1897年にメトロポリタン美術館に寄贈(1925年に移管)し現在に至っている。

ハンティングトン(Collis Potter Huntington 1821-1900)(Collis Potter Huntington 1821-1900)は、アメリカの鉄道王といわれ、彼の甥 ヘンリー・エドワーズ・ハンティングトンが寄贈したロスアンゼルス郊外サンマリノの彼の自宅敷地にある庭園・美術館・図書館なども有名で、ここには世界でも有数のバラ園がある。

フェルメールが歴史上で再評価されるのは、フランスの評論家トレ=ビュルガー(本名テオフィール・トレ)が1860年代にフェルメールを評価し、ここから純粋芸術の偉大な先駆者として評価されるようになるが
これ以前のアムステルダムでの競売価格65ギルダー、ハンティングトンの購入額(1ドル360円とした場合で216万円)とも極端に安く、フェルメールの真作として売られていない可能性がある。

秘匿したい絵
それにしても、来歴がよくわからず秘匿の時間が長いことだけがわかる。

隠し持っていたいもの、それは“秘められた恋”の匂いがするからではないだろうか?
ナポレオンの浮気の中でもジョゼフィーヌが最も怖がったのはこの“秘められた恋”のようで、妻が最もいやなものはどうもこれらしいと気づいた。

この仮説を『リュートを調弦する女』で検討してみると

・女性は、どう見ても既婚者に見える。しかも美しい。
・壁には、地図がかけられており、夫は海外出張中で留守のようだ。
・はっきり見えないが、女性の前にはもう一つの楽器と空いた椅子がある。
・ということは、誰かを待っている。
・でも、夫ではなさそうだ。何故? 
・楽器演奏よりは、お茶の方がいいに決まっている。旅から帰ってきた夫にとって。

地図・楽器などの舞台装置から見てもインテリジェンスが高く、窓の外を見るクールに燃える炎は、
命をかけざるをえない。
燃えッかすをも完全燃焼させるものがありそうだ。

だから余人には見せたくない。ましてや妻という人種には。
ハンティングトン氏に聞いてみたかった。

『リュートを調弦する女』と対照的な女がいたのでクリックしてみていただきたい。
 『ワイングラスを持つ娘』   (作、1659=1660頃)アントン・ウルリッヒ美術館蔵
http://www.mystudios.com/vermeer/11/vermeer-girl-with-wineglass.html

特にコメントすることもなさそうだが、命をかけることもなさそうでホッとする絵ではある。
きっと“お馬鹿チャン”なんて言うのだろう。

このような見方をするまでもなく、
フェルメールの絵は、その絵の中から人物を取り出したら(或いは消去したら)成り立たない。
確かに、この女性を取り除いたら魅力がない唯の部屋になる。そして壁と机の距離感が変で壁が前に出すぎているような感じがしてくる。

ということは、この絵は厳密な意味での写実ではなく計算ずくで構成された或いは編集された虚構があることに気づく。

フェルメールは、現実を写真が切り取るように写し取っているのではなく、
テーマ設定がされ、舞台装置がおかれ、台詞が出来ているような気がする。

ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632年10月31日 - 1675年12月15日)
フェルメール展が今日で終了になる。
そして明日はフェルメールが43歳の若さでなくなった命日に当たる。
フェルメール展のエンディングをここに設定したのは主催者のこんな意図があったのだろう。

今回のフェルメール展は、都合4回行ったことになるが実にいい企画だったと思う。
個人的には、ランチと飲み会とをセットしておいたのでなおさらおいしい企画でもあった。
蕎麦のうまいところ、フランス料理、イタリア料理、中華、すしなど値段が安く味はオリジナル性があるところにいったので満足いくところでもあった。頭だけでなく、胃袋もセンスアップしたのではないかと思う。
盗んだ味はいずれわが台所で再現させてみるつもりだ。

脱線しないで本線に戻ると、
この展覧会を一言でいうと、よくもまぁ~これだけ体系的に集めたものだ。ということにつきる。フェルメールだけでなくオランダの写実主義絵画の代表が一同にそろっており、17世紀中頃の短い時間に、同時多発的に開花したリアリズムのそれぞれの捉え方と表現の違いを見ることが出来た。

植物の世界でも、百花繚乱という言葉があるように、劇的な環境変化のときに様々な方向を向いた種が誕生し、環境適応を結果的に競うようだ。そして適応したものが生存することになるようだが、

フェルメールが時間軸を超えて光り輝いていることはいうまでもない。

今度会えるのは何処でだろう・・・・。

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その13 フェルメール展:エサイアス・バウルス『中庭の女』

2008-12-12 09:44:44 | フェルメール

1枚の絵葉書が届いた。

その絵葉書は、年末の挨拶だったが裏にある絵は、
東京都美術館で開催されているフェルメール展で、気になった絵二つのうちのもう一つだった。

その絵は、エサイアス・バウルス(Esaias Boursse 1631–1672)が描いた『 中庭の女 』だ。


(絵葉書) エサイアス・バウルス 『中庭の女』(作1660年頃)ボイマンス美術館蔵

なんとおしゃれな年末の挨拶だろう。
達筆なのか、へたなのかよくわからない自筆で書かれており判読に苦労したが
おしゃれさに免じて許してあげたくなってしまう。
いや失礼、センスのよさに感心してしまった。

ただし、このセンスのよさは私しかわからない可能性もある。
或いは、フェルメール展を見に行って、“気になった絵”として意識している人だけかもわからない。

日常という物語が語られている絵
何ということもない絵であり、
中庭に面したベランダで老女なのか熟女なのかわからないが、女が洗濯をしている。
或いは大根を漬けているのかもわからない。(?)
目の前の手すりには洗い終えた赤い布か或いは腰巻が干されている。(ちょっと短いか?)

ベランダの下にはペンペン草が生えており,左側のレンガ壁は薄汚れ始めている。
立派ではないが、貧しくもなさそうな一家の生活のワンシーンが描かれている。
部屋の中に一歩はいると・・・・といったシーンが浮かび上がりそうで、
ここから物語が始まりそうだ。

この絵は、豊かではないが貧しくもない一家の日々の労働、家事を描いた一枚であり、
勤勉・誠実・清潔な一家のありふれているが一つしかない物語が描かれている。

1660年に描かれているが、この時期では“売れないだろうな~”とも思う。
画家は描きたいものを描く。
しかし次の絵を描くためには、食って寝て絵の具代と取材費が必要だ。
売れなければ次の絵がかけなくなる。

1600年代の100年は、オランダが世界の海を支配した時期であり、
世界の物資がオランダを経由し、豊かな市民(実業家、商人など)が出現した。
彼らは、事務所、市庁舎、公共の建物、自宅である邸宅に飾る絵を求め、
宗教画とは異なる実世界のリアリズムを絵に求め写実主義絵画が勃興した。

これ以前の絵の買手は、王侯貴族・教会だったので、新しい芸術が誕生するのは当然としても、
バウルスの絵は、あまりにも今的で売れ線から外れている。と思う。

フェルメールには華があるが、バウルスには影がある。
フェルメールは、ハイソ(High societhy)に好まれる贅があるが、バウルスは余分なモノがなく素あるいは貧だ。

フェルメールにはあった、壁にかける絵・地図、テーブルに置く置物・楽器など
絵を構成する高価な嗜好品がなく、たった一つの生活必需品しか描かれていない。
ここに同世代のバウルスとフェルメールとの違いがありそうだが、
『中庭の女』とフェルメールの『小路』、何故かダブって見える。

似ている。双生児のようだ。

フェルメールは、誰に師事し絵を学んだかよくわかっていない。
前回その12で、10歳年長のカレル・ファブリティウスから影響を受け
対象をリアルに捉え心を描く「写心」を学んだのではなかろうかと推理した。

そして、光と影の描き方は、同世代のライバル、バウルスからも学んだのではないかと思えてならない。
その上で違いを、バウルスよりは、明るく、上流志向で、高価な絵の具を使い目新しい色彩で創った
と思えてならない。

フェルメールは、バウルスからもっと重要なことを学んだような気がする。

Boursse, Who are you ?
バウルスは、アムステルダムで生まれたフェルメールと同世代の画家で、
イタリアで絵の勉強をしたという以外あまり知られていない。
とにかく貧しかったようだ。
いつの世も芸術家は本業で飯が食えないのが当たり前で、パトロンと呼ばれる支援者がいなければアルバイトなどをやって食いつなぐ必要がある。

彼は、オランダ東インド会社の艦隊付け画家の道を選び、1661-1663年はスリランカに航海し、
ケープ、喜望峰、スリランカなどの街の景観や人々を描いたようだ。
そして、2回目の航海の1672年に船上でなくなった。

バウルスは、大きな宿屋を営むような裕福な父も、愛してくれる妻も、財政的な支援をしてくれる義母も、子供たちも、何もなかった。
ただあるのは、対象をリアルに見つめ、そこに物語を埋め込むだけの情熱だけだったのかもわからない。

写実的な絵画はそれだけで新しく価値がある時代に、写実だけに止まらず感情・心を描き、
さらには読み解く楽しみがある物語を埋め込んだフェルメールが後世に評価されるのは当然だろう。

そのキーコンセプトを教えたのではないかと思われるバウルス、
彼の『中庭の女』にある赤い布(腰巻)は、全てを消したがゆえに目立ち、
ここから物語が始まるような気がする。

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その12 フェルメールが認めた「カレル・ファブリティウス」

2008-12-10 09:10:22 | フェルメール

フェルメールに影響を与えた画家、カレル・ファブリティウス

上野の東京都美術館で開催されている『フェルメール展』
フェルメール以外で気になる絵が二点あった。
カレル・ファブリティウスの『自画像』がその一つだ。

この展覧会は、フェルメールを含めてオランダ、特にデルフトで活躍した画家の
素晴らしい絵が集積している。
特に、17世紀オランダで発展した写実主義アートの流れが一望できたことがうれしかった。
1660年の前後20年の間に描かれた作品ばかりで、わずか30年で写実主義絵画が頂点を迎える。

その中でもやはり抜きんでていた最高傑作がフェルメールであることを実感でき、
12月14日の最終日までにもう一度見て、フェルメールをまぶたなのか心なのかどこかに焼き付けておこう!
(それからず~っと気になっていたブリューゲルに戻ってみようかなと思っている。)

フェルメールに関しては最後に残しておいて、気になる絵その1を書きとめておこう。

カレル・ファブリティウス『自画像』(作:1647-1648年頃)


(出典)Web Gallery of Art,(画面下部の“F”をクリックし、“Fabritius, Carel”を選択)

この絵は、じっと引き込まれるものがある。
これを写実的というのだろうか? と問いを発したくなる。
鏡に映った自分、その内面を切り出して描いたような印象がする。
“写実”というよりも“写心”といいたい絵のようだ。

ファブリティウス(Fabritius, Carel 1622-1654)は、32歳の若さで亡くなったが、
1640年代半ば頃はレンブラントの才能豊かな弟子だった。
レンブラントの元を離れ、1650年にはデルフトに住みつき作品は少ないが独特の絵を描いている。

展覧会では『歩哨』『楽器商のいるデルフトの眺望』など5点が展示されていたが、
写実の中に物語を埋め込むような感じがあり、レンブラント+デルフトという
他のデルフトの画家にはない独特な画風のように受けとった。
大胆な筆づかいと強い明暗がレンブラントの特色といわれるが、
それに緻密な観察眼による写実性が溶け込んでいるとでも言ったらよいのだろうか?

さらに付け加えると、フェルメールが尊敬した10才年長の先人のようであり、
フェルメールは、画商としてなのかよくわからないが、ファブリティウスの絵を三点ほど所有したようだ。

フェルメールの絵も写実的ではあるが写実的でないと感じる。
ファブリティウスは、 “写心” というコンセプトをフェルメールに残して早世したのだろうか?

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その11 フェルメールに会ってきた

2008-09-28 13:44:22 | フェルメール
フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ シリース11回

上野の都立美術館で開催されているフェルメール展は、9月25日に入場者30万人を超えたそうだ。
これが多いのか少ないのか良くわからないが、入場まで10分待ちであった。

そろそろすいてきたのではないかと思いつつ、主催者の発表する入場者数からラップを見ると、
一日あたりの入場者数は増加しているようであり、出来るだけ平日が良さそうだ。

(写真)フェルメールに会うのに10分我慢


館内では意外とゆっくりと見ることが出来、あっという間の2時間だった。
映画でもないのにこれだけ我慢せずに見れるとは驚異でもあり、あと30分は見ていたかった。

展示されていたフェルメールの作品は、企画段階では5点だったが7点となり
生涯の全作品が30数点という中でこれほど一堂に会すること自体が稀有なことだと思う。


フェルメール 展示作品一覧
『マルタとマリアの家のキリスト』エジンバラ ナショナル・ギャラリー蔵
『ディアナとニンフたち』ハーグ マウリッツハイス王立美術館蔵
『小路』アムステルダム アムステルダム国立美術館蔵
『ワイングラスを持つ娘』ブラウンシュヴァイク アントン・ウルリッヒ美術館蔵
『リュートを調弦する女』ニューヨーク メトロポリタン美術館蔵
『手紙を書く婦人と召使』アイルランド ナショナルギャラリー蔵
『ヴァージナルの前に座る若い女』個人蔵


最も見たかった 『絵画芸術』 は、修復後の状況が悪いのか、日本の美術館の展示環境に疑問があるのか
“行かせたくない”ということで中止になってしまった。
ウィーン美術史美術館で見るいがいなさそうだ。

展覧会の見方として私の見方は単純で
① 欲しいもの
② 感心するもの
という見方をしている。
だからいたって簡単で、早足で欲しい絵を探し、戻ってきて再度眺める。
30分から1時間もあれば十分で、リズムがちがうのでヒトとは一緒に行かないが鉄則だ。

(写真)フェルメール展ポスターに『小 路』が・・・


今回選んだ欲しいものは、フェルメールで2点、他の作家で数点あった。

小 路(The Little Street)
(リンク先:ART.com)
http://www.mystudios.com/vermeer/7/vermeer-little-street.html

デルフトの街角を描いたこの『小 路』は、小さな部屋に飾るのに最適なサイズであり
この絵を見ながら飲むティーはきっとおいしいことだろう。
この夢想の実現はありえないと思うが、100億円単位の夢想なのかもわからない。

フェルメールは謎がある画家で、誰に習ったか先生がわからない。
いきなり完成度の高い画家として登場し、その当時主流の宗教画から入り、
直ぐに生活する人物を主題とした写実的な風俗画で異彩を放った。

写実的な風景画は2点だけ制作されているが、『小 路』は、1658-1660年に描かれた作品のようで、
デルフトの富が蓄積した都市景観を、350年まえという古さをまったく感じさせない力を有し、
写真とは違う写実性の素晴らしさを味わうことができた。
ずば抜けた才能にただただ感嘆し、“欲しい”と思うヒトが多いことを実感した。


【参考サイト】
● 朝日新聞フェルメール展開催概要
http://www.asahi.com/ad/clients/vermeer/

● フェルメール作『小路(The Little Street)』(リンク先:ART.com)
http://www.mystudios.com/vermeer/7/vermeer-little-street.html

● フェルメールの『小路』実在の場所・住居の研究サイト
http://www.xs4all.nl/~kalden/
デルフトの地図での推定場所、間取りのマップなどが見所

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