モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

No47: ヒントンが採取したサルビア ⑤

2011-05-30 19:32:10 | メキシコのサルビアとプラントハンター
メキシコのサルビアとプラントハンターの物語 No47

ヒントン父子が採取したサルビアでこれまで記載してこなかったものをアルファベット順に紹介する。
この中では、空色のサルビア、サルビア・ラングイドラ(Salvia languidula Epling (1939))、黒に近いダークブルーの花、サルビア・ヒントニー(Salvia hintonii Epling (1938))に注目してもらいたい。 

18.Salvia hamulus Epling (1938) サルビア・アムロス

ヒントンは、サルビア・アムロスを1936年11月にゲレーロ州で採取した。彼が最初の採取者のようだが、その標本がミズリー植物園に保存されていた。
ハート型の葉と長く伸びた花序は、スマートな感じがする。気になるのは種小名の“hamulus”で、ラテン語で“はねかぎ”を意味し、フックのようになるかぎ状の毛があることを指す。きっとこの花序にフックがあり、倒れないように隣に引っ掛けながら成長していくのだろう。

  
左(出典)ミズリー植物園
右(出典)Robins salvias

この実物写真が「Robins Salvias」にあった。逆光ではっきりとは見えないが、パープル系の花のようで、グアダラハラ大学にある珍しいサルビアのひとつのようで、詳細は不明だ。

19.Salvia helianthemifolia Benth. (1833) サルビア・エリアントミィフォリア

 
(出典)Les senteurs du Quercy

サルビア・エリアントミィフォリアは、常緑の葉を背景にカラミントに似た愛嬌のあるホワイトピンクの花を咲かせる。草丈60㎝程度というところもカラミントに似ている。

ヒントンは、このサルビアをメヒコ州で1936年1月に採取している。命名されたのが1833年なので100年前に他の誰かが採取しているが、セッセ探検隊なのだろう。
こんな愛嬌のあるサルビアもいいものだ。

20.Salvia hintonii Epling (1938) サルビア・ヒントニー

  
左(出典)ミズリー植物園
右(出典)Robins salvias

ヒントンしか採取していないサルビアがあった。ヒントンの名前がつけられたサルビア・ヒントニーは、1936年10月にゲレーロ州で採取しキューガーデン、ミズリー植物園などに標本を出品している。標本から見ると、ハート型の葉で花序を伸ばしそこに比較的大きな花をつける。
その花色は、サルビア・ディスコロールに似ており、花としては珍しい黒に近い濃紺・ネイビーブルーのようだ。
詳細はわからないが、グアダラハラ大学に生存しているという。
これはぜひ手に入れてみたいサルビアになりそうだし、園芸市場に導入されたならば人気を得るだろう。

21.Salvia hyptoides M. Martens & Galeotti(1844) サルビア・イトイデス

  
(出典)conabio.gob

ヒントンはこのサルビア・イトイデスをメヒコ州で1932年11月に採取した。が、命名者にベルギーのプラントハンター、ガレオッティがいるので、彼が最初の採取者なのだろう。
唯一見つかった写真から見ると、草丈30-60cmで、直立的に成長しハート形の葉と長めの花序にブルーの花をつける。

だが、このサルビアの正式な学名は、サルビア・ラシオチェファラ(Salvia lasiocephala Hook. & Arn.(1838))で、「No46:ヒントンが採取したサルビア④」のNo14 で紹介した「Salvia galinsogifolia Fernald (1900)」も同一種となる。

22.Salvia inconspicua Bertol. (1827) サルビア・インコンスピキゥア

 
(出典)Robins Salvias

種小名の“inconspicua”は、何と“目立たない”というラテン語だった。
草丈12フィートというから300cmを超える丈の高いサルビアで、枝分かれがしその先に晩秋頃から淡いブルーの花が咲く。しかし、見るからにボウボウとしていて雑然としている。雑草のきわみとでも言うのだろうか洗練されていないところが感じられる。

こんな大柄なサルビアに、お茶目なのか正直なのかわからないが“目立たない(inconspicua)”という名前をつけたのは、イタリアの植物学者ベルトリーニ(Bertoloni, Antonio 1775-1869)だった。
彼は、イタリア植物の当時の権威でもあったが、中南米に探検に来ているのでその時に採取したのだろう。
ヒントンもミチョアカン州、ゲレーロ州でこのサルビアを採取しているが、品種としては認められていない。まだわからないところがあるサルビアのようだ。

23.Salvia languidula Epling (1939) サルビア・ラングイドラ

 
(出典)Robins Salvias

「サルビア・ラングイドラ」唯一の画像が見つかった。
チョット見にはごく普通のサルビアかなと思ってしまったが、よく見るとこの抜けるような空色はあまりない。
種小名の“languidula”は、ラテン語で“ロサンゼルス”を意味する。“ロサンゼルス”は、天使の地(Los angels)として名づけられたので、天使(ángel)でも宿っているのだろうか?と思ってしまう。
このサルビアは、ヒントンが最初の発見者で1937年6月にゲレーロ州で採取している。

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スィート・ジャーマンダー(Sweet Germander)の花

2011-05-24 17:01:47 | その他のハーブ
(写真)スィート・ジャーマンダーの花


葉脈浮き出た濃緑の葉と淡いピンク色の小さな花、そしてかすかに香る匂い。
非常にシンプルだが、写真で見るとまるで首の周りにハイカラーをつけた1600年代の頃の優雅なレディのようにも見える。
エリザベス一世ほどではないが。

(写真)エリザベス一世(Elizabeth I, 1533-1603)
 
(出典)ウィキペディア

こんな人間世界とのアナロジーはあまり関係がなく、テウクリム属(和名ではニガクサ属)の特徴がこのハイカラーのようなところにある。
シソ科の花は口唇型に特徴があり、下唇が大きく、上唇は雌しべ・雄しべをカバーするように帽子をかぶるようになる。テウクリム属の花は、上唇に当たる花が後退ししべがむき出しになっているところに特色がある。

このスィートジャーマンダーは、ギリシャ、クレタ島、地中海西部が原産地で、種小名の“massiliense”は、イオニア人が交易港として紀元前600年頃に建設した植民地に与えた名前でギリシャ語では“Massalia”が語源で、現在では、フランスのマルセイユとなるが、この地に咲く花としてリンネが命名した。

ついでに属名の“Teucrium(テウクリウム)”は、トロイの初代王といわれるテウケル(Teucer)がこの植物を薬草として最初に使ったということから、ディオスコリデス((Pedanios Dioscorides、40-90年頃)によって書き記されていたことによる。

掘り下げると、ギリシャ以前の小アジア、エーゲ海の神話と実話の壮大な物語が始まりそうだ。

(写真)スィートジャーマンダーの立ち姿
 

スィート・ジャーマンダー(Sweet Germander)
・ シソ科ニガクサ属の耐寒性がある多年生の小潅木。
・ 学名は、Teucrium massiliense.L.(1763) (テウクリウム マシリアンセ)。種小名の“massiliense”は、“マルセイユの人々”という意味。
・ Teucrium属の植物は、一般的にGermanderと呼ばれ、英名では、Sweet Scented Germander、或いは、Sweet Germander。
・ 原産地はギリシャで、地中海西部に広がる。
・ 草丈30-50cmでハーブ園の境界線或いは垣根などに利用される。
・ 開花期は5月から夏場で淡いピンク色の小花が咲く。
・ 葉は細長く端がチリチリしていて全体から良い香りがする。
・ 水はけの良い乾燥気味のアルカリ性土壌を好み頑健。冬場に刈り込む。
・ エッセンシャルオイルが豊富で、葉はハーブティーとして利用される。

ウッドセージ(Wood sage)もこの仲間で葉はそっくりだ。
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その17:フェルメール「地理学者」より気に入った1枚の絵

2011-05-20 19:40:18 | フェルメール
フェルメールは、男を描ききれなかったと感じた。
同じ構図での女の描き方には魅入られるほどだが、この「地理学者」には何故かワクワクしない。
というのが前回<その16>での謎かけだった。

やはりあった。というか存在していた。
フェルメールに影響を与えたと言われているカーレル・ファブリティウス(Fabritius, Carel 1622-1654)

彼は、フェルメールに写真的な写実ではなく、心を写し取る“写心”を教えたのではないだろうかと思ったが、その弟、バーレント・ファブリティウス(Fabritius, Barent 1624 -1673)の絵にもやはり惹きつけられた。
 
(出典)
バーレント・ファブリティウス「自画像」
1650年作、油絵、キャンバス
シュテーデル美術館蔵

バーレント・ファブリティウスは、兄のカーレル・ファブリティウス同様にレンブラント(Rembrandt Harmensz. van Rijn、1606-1669)に師事したようだ。

兄はレンブラントから離れ、フェルメールと同じデルフトの町で自分の色彩を捜し求めた。長生きしたら後世に残る画家になっただろうといわれているが、残念ながら32歳という若さで亡くなった。

弟はレンブラントだけでなくこの兄の影響を強く受けている。
自画像が似ているので見比べて欲しい。(でも、兄のほうが上かなと思ってしまうが。)

さらに“でも”だが、フェルメールの「地理学者」よりもこの弟バーレント・ファブリティウスの「自画像」の方が男を描いているような気がする。

こんな比較が出来たのだから、満足いく展覧会だったかもわからない。

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その16: 『フェルメール<地理学者>』 と 「ドゥ マゴ パリ」

2011-05-18 22:28:38 | フェルメール
渋谷東急文化村の美術館にフェルメールが来ていた。
気づくのが遅かったし震災後はなかなか東京に行くことが出来なかった。『フェルメール<地理学者>とオランダフランドル絵画展』の最終日が5月22日なのであわてて昨日見に行ってきた。

東急文化村は久しぶりで、勝手がわからなくなっていた。
オーチャードホール(Orchard Hall)にはよく行ったものだが、ミュージアムがあったとは気がつかなかった。
エスカレーターで地下1階まで降り、そこには新緑に陽が降り注ぐ中庭を取り囲んで、ミュージアム、カフェ「ドゥ マゴ パリ」、本屋がある。
とてもコンパクトな美術館だが、「ドゥ マゴ パリ」があるので他の美術館と違って絵だけではない魅力ポイントがある。

昨年も上野の東京都美術館で“フェルメールと同時代のオランダ絵画展”があったが、その時の半分ぐらいの規模なのだろう。
絵画展は適度に込んでいたが、目的の絵を3点に絞っていたので15分ぐらいで見終わってしまった。

(写真)ヨハネス・フェルメール 《地理学者》1669年 油彩・キャンヴァス

(出典)mystudios.com

フェルメール(Johannes Vermeer 1632-1675)が描いた「地理学者」は、ジャッキーチェーンの映画「酔拳」などに敵方の用心棒として登場するそっくりな人物がいた。それを確かめるためにしげしげと見てしまった。
なぜこんな印象を持ってしまったかといえば、この地理学者は、右手にコンパスを持ち窓の外のはるか遠くを思考がさまよっているようだが、日本の“どてら”か中国の“ガウン”を着ているせいだろう。
そして、机の下の隠れたところには、“火鉢”があり股を温めている。となると、鉄火場にいる用心棒となってしまう。
日本・中国ではこんな職業を表すスタイルとなるが、フェルメールは、地理学者・天文学者としてのきっとその当時ではNewサイエンスの先進的なスタイルとして取り入れた。
1600年代中頃のオランダは、東インド会社が日本・中国との貿易で大活躍していて、その異国情緒な“どてら”が地理学者の設定として貴重な衣装だったのだろう。

フェルメールは、左側にやわらかい陽の光が入る窓(北側といわれている)、左手前に彼の視線でもある消失点またはカメラオブスキュラがあったといわれる構図で多くの絵を描いている。
しかし、単独の男を描いた絵は2点しか残されていない。「地理学者(1669年作)」と前年に描かれた「天文学者(1668年作)」であり、同じ人物が描かれている。

実在のモデルがいたといわれており、フェルメールと同じ年にデルフトで生まれたレーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632-1723)で、フェルメール死後の遺産管財人となった人物だ。
フェルメール家は、フェルメールブルーとも言われる、“ラピスラズリ(lapis lazuli)”が入ったウルトラマリンブルーという高価な絵の具などを使用したために借金がかさみ破産した。残された数少ない絵は、競売にかけられ分散することになるが、この仕切りをしたのがレーウェンフックだった。

(写真)レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632-1723)

(出典)xs4all

レーウェンフックは、独学で顕微鏡を作り、趣味でこれを眺めているうちに微生物を発見し、微生物学の父とも言われるようになった。とにかくなんでも顕微鏡で眺めていたのだろう。1677年には、精液を眺めているうちにおたまじゃくしのようにうごめく精子まで発見してしまった。

単なる職人・商人ではなかったので、学者のモデルとして適していたのだろう。
だが、フェルメールは、男を描ききれなかったと感じた。
同じ構図での女の描き方には魅入られるほどだが、この「地理学者」には何故かワクワクしない。

(写真)ドゥ マゴ パリのテラス


何故なのだろう? ということを考えながら、“ドゥ マゴ パリ”のテラスでオムレツを食べながらビールをノンビリと飲んだ。
この一時間は癒しの一時間だった。タバコが吸えたことも得点が高い。

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No46:ヒントンが採取したサルビア④

2011-05-16 19:53:16 | メキシコのサルビアとプラントハンター
メキシコのサルビアとプラントハンターの物語 No46

ヒントン父子が採取したサルビアでこれまで記載してこなかったものをアルファベット順に紹介する。

14.Salvia galinsogifolia Fernald (1900) サルビア・ガリンソギフォーリア

このサルビアの種小名“galinsogifolia”は、“端がザラザラした葉”を意味し、ヨーロッパのカヤツリグサを呼ぶ名前として使われているので、このカヤツリグサのような葉を持つサルビアということだろう。
このサルビア・ガリンソギフォーリアを最初に採取したのは、パーマー(Palmer,Edward 1831-1911)で、1885年にチワワ州で採取している。ヒントンは、1937年11月にゲレーロ州でこのサルビアを採取しているが実物の写真がない。

パーマーが採取した植物標本がニューヨーク植物園にあり、これを見る限り路傍に生えているひょろっとしたカヤツリグサとの形態の類似性は感じられないので、葉の端がザラザラしていることだけが似ているのだろう。
 
(出典)ニューヨーク植物園

花はといえばこの標本からはわからないが、正式に認められた学名が「Salvia lasiocephala Hook. & Arn.(1838)」であり、この写真から見ると細長い総状花序に薄いブルーの花が咲く。メキシコだけでなく中南米一帯に生息する1年草のサルビアだ。

(写真)Salvia lasiocephala Hook. & Arn.(1838)
命名者は、グラスゴー大学教授・キュー植物園の園長Hooker, William Jackson (1785-1865)、グラスゴー大学での弟子・後に教授Arnott, George Arnott Walker (1799-1868)
 
(出典)ミズリー植物園

15.Salvia gesneriiflora Lindl. & Paxton(1851) サルビア・ジェスネリーフローラ

  
(出典)サンフランシスコ植物園

Salvia gesneriifloraまたは、Salvia gesneraefloraは、初春からスカーレットオレンジの見事な花を咲かせる。この品種には2つのタイプがあり、紫色の萼(がく)を持つものと、緑色の萼を持つものがあり、ハート型の葉は芳しい香りがするという。樹高は最大で300cmにもなり木質化するのでシーズンオフには刈り込む必要がある。
種小名の“gesneriiflora”は、“gesneriad”(イワタバコ科のツル性の植物)に似た葉を持っているので名づけられた。

命名者は、英国の植物学者で王立園芸協会が初めて開催したフラワーショーの提唱者、リンドレイ(John Lindley 1799-1865)と巨大なガラスで作った温室クリスタルパレスの設計者パクストン(Joseph Paxton1803-1865)だった。
園芸市場を革新した二人が命名しただけのサルビアという感がする。

ヒントンは、このサルビアを1932年2月にメヒコ州で採取したのを皮切りにゲレーロ州、ミチョアカン州でも数多く採取している。

日本でも馴染みとなった「サルビア・パープルマジェスティ(Salvia ‘Purple Majesty’)」は、このサルビアとブラジル原産の「サルビア・ガラニチカ(S. guaranitica A.St.-Hil. ex Benth)」が偶然に交配して誕生した。
ということをすっかり忘れていた。

16.Salvia gracilis Benth.(1833) サルビア・グラシリス
 
(出典)conabio

サルビア・グラシリスは、草丈最大で150㎝、濃い紫色の花と先の尖った卵形で濃緑色の葉のコントラストがマッチしている。
このサルビアの最初の採取者は、セッセとモシニョー(Sessé & Mociño)のようだ。

種小名の“gracilis”は、アイビーの古い種にグラシリスというのがあるが、1800年頃はアイビーの品種が少なかったこともあり“優雅な外見”という賛辞が与えられていた。
今日でも十分通用する美しさだが、産業革命後のスモックで汚れたロンドンではもっとその美しさが際立っていたのだろう。
ヒントンは、1932年5月にメヒコ州で採取してから数多くこのサルビアを採取している。
しかしこのサルビアの正式な学名は「Salvia carnea var. carnea」で、フンボルト探検隊が最初の採取者となる。

17.Salvia gravida Epling(1940) サルビア・ガビダ

(出典)flickr

高さ360cmの巨大なサルビアからぶどうの房のように花穂が垂れ下がり、チェリー色の花が咲く。しかも冬場に咲くので開花したときの感激はひとしおだろう。葉からは、サルビア特有の薬くさい香気がかなり強くするというので、中毒症状の私にとっては欲しい一品となる。
しかし、育てるのは難しそうだ。霜が苦手のようであり温室でないと育たなさそうだ。

種小名の“gravida”は、ラテン語で“子供と”、スペイン語では“妊婦”を意味するが、さてさて何を指しているのだろうか?
このサルビアを最初に採取したのはヒントンで、1938年10月にミチョアカン州で採取している。

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No45:ヒントンが採取したサルビア③

2011-05-10 11:26:39 | メキシコのサルビアとプラントハンター
メキシコのサルビアとプラントハンターの物語 No45

ヒントン父子が採取したサルビアでこれまで記載してこなかったものをアルファベット順に紹介する。

9.Salvia cyanocephala Epling (1935) サルビア・シアノセパラ
 
 
(出典)INSTITUTO DE CIENCIAS NATURALES

植物標本しか見つからなかったが、サルビア・シアノセパラは、草丈100cmで、卵形の大きな葉とブルーの花を咲かせる。原産地は、メキシコからコロンビアまでの中南米で、2000mの高地の小川の近くの荒れたところに生息する。
ヒントンは、1938年11月にミチョアカン州でこれを採取するが、最初の発見者は、米国の植物学者Killip, Ellsworth Paine (1890-1968)とHazen, Tracy Elliot (1874-1943)の二人で、1922年8月にコロンビアで採取している。

10.Salvia dichlamys Epling (1939) サルビア・ディクラミス
 
(出典)flickr.com

サルビア・ディクラミスは、1932年7月にメヒコ州でヒントンが最初に採取した。とあるが、1909年9月にフランスの修道士で植物学者のアーセン(Arsène,Gustave Joseph Brouard 1867-1938)がミチョアカン州でこのサルビアを採取している。
円鋸歯状のグリーンの葉、花序を伸ばしそこに真っ赤な花が咲く。グリーンの萼との組み合わせが美しい。

サルビア・フルゲンス(Salvia fulgens)と似ていて、セッセ探検隊が採取したサルビアが最初なのかもわからない。

11.Salvia elongata M. Martens & Galeotti (1844) サルビア・エロンガタ

ヒントンは、サルビア・エロンガタ(Salvia elongata)を1932年10月にメヒコ州で採取しているが、最初の採取者はベルギーのプラントハンターガレオッティ(Galeotti, Henri Guillaume 1814-1858)だった。

このサルビアのビジュアルを見つけることが出来なかったが、種小名の“elongata”は、ラテン語で“細長い”を意味しているので、きっとこんな姿だったのだろう。

(写真)Salvia elongata.Kunth(1818)
 
(出典)Missouri Botanical Garden

長い槍の様であり、こんなサルビアもあるのかと驚きをもってこの絵をじっと眺めている。槍の穂先に花が咲き、その姿の拡大図は、左下にサルビア特有の口唇型の花の姿が描かれている。

この「Salvia elongata.Kunth(1818)」は、フンボルト探検隊が最初に採取したサルビアであり、上の絵は、盟友の植物学者ボンプランが描いたようだ。白黒の線画も味があっていいものだ。

同じ学名をつけているので似たところがあるのだろうが、近年になって「Salvia elongata M. Martens & Galeotti (1844)」は、「Salvia protracta Benth.(1848)」であり、「Salvia elongata.Kunth(1818)」は、「Salvia stachyoides Kunth(1818)」なので、別種とされていることを付け加えておこう。
この4品種はどう調べてもこれ以上違いがわからないので、私もチンプンカンプンだ。

12.Salvia excelsa Benth.(1841) サルビア・エクセルサ

ベルギーのプラントハンター、ハートウェグ(Hartweg, Karl Theodor 1812-1871)が最初に採取したサルビア・エクセルサ。ヒントンは、人生およびプラントハンターとしての活動の晩年である1940年1月にゲレーロ州でこのサルビアを採取した。
種小名の“excelsa”は、ラテン語で“高台の”を意味する。

写真・標本とも見つからなかったが、認められた学名は、「Salvia tubifera Cav(1791)」なので、セッセ探検隊かスペイン人が採取したものだろう。
このサルビア・トゥビフェラは、サルビア・ロンギスティラ(Salvia longistyla)とよく似ているが、薄い緑色の大きな葉と上を向いた真っ赤な花が素晴らしい。

(写真)Salvia tubifera Cav. (1791).
 
(出典)Robins salvias

13.Salvia filipes Benth.(1848) サルビア・フィリップ

太陽の沈まない国としてスペイン絶頂期の国王フェリペ二世(Felipe II, 1527-1598)の名前を冠したであろうサルビア・フィリップは、植物標本しか見つからなかった。そこに記載されている特長は、低木で白い花のサルビアということなので、現存していれば人気のサルビアとなったであろう。
最初のプラントハンターは、ハートウェグ(Hartweg, Karl Theodor 1812-1871)で、採取時期は不明だったが、1836年から1839年までメキシコを探検したのでこの時期だったのだろう。
ヒントンは、これから100年たった1939年11月にゲレーロ州でこのサルビアを採取している。

 
(出典)ニューヨーク植物園

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レッド・キャンピオンの花

2011-05-03 13:42:37 | その他のハーブ

(写真)レッド・キャンピオンの花


キャンピオン(campion)は、チャンピオン(champion)とも呼ばれ、馬上試合の勝者のための花冠として用いられたという。
この花には、赤・白・ピンクの色があるが、赤花を“レッド・キャンピオン”、白花を“ホワイト・キャンピオン” 、ピンクの花は、この二種の交雑種のようだ。

“ホワイト・キャンピオン”は、ムスクの香りがするが、“レッド・キャンピオン”にはこの香りがなく、種小名の“dioica”はギリシャ語で雌雄異株を意味するので、種を取るには雌株と雄株がないと実をつけない。
だが、花の美しさにおいてはなんら問題はない。

古においては、蛇にかまれた傷に塗られたり、膀胱や腎臓の病にワインに入れて服用したという。

原産地は、ヨーロッパからアジアに広く分布し、開けた野原や平原で30-60㎝に育つ二年草または多年草で、5月から開花する。
花や葉はサラダに利用されるようだが、食べてみたいという食欲を刺激しない。

17世紀の英国を代表する植物学者ジェラード(John Gerard 1545-1611 or 1612)は、レッド・キャンピオンを“bachelor buttons(独身者のボタン)”と称した。背広の襟のボタン穴に花を飾るということは独身者を意味し、既婚者は真似をしたり指輪をとってはいけないということだろう。

今ではこのような由来は忘れられ、オシャレなのかキザな男を意味しているのかもわからない。一度こんなキザをやってみたいと思いつついまだに出来ないでいる。


「レッド・キャンピオン」には、三つの学名がある。
Silene dioica ( L. ) Clairv. (1811)
Lychnis dioica L. (1753)
Melandrium dioicum (L.) Coss. & Germ.(1845)

ナデシコ科の植物で1753年にリンネがこの三つの名前をつけたが、1811年にフランスの植物学者・昆虫学者でスイスで活動したClairville, Joseph Philippe de(1742-1830)がシレネ属に分類し(ほぼこれが学名として通用している)、
1845年には、北アフリカの植物相を調査研究したフランスの植物学者Cosson, Ernest Saint-Charles (1819-1889)とGermain de Saint-Pierre, Jacques Nicolas Ernest (1815-1882)によってメランドリウム属に分類されたが、この決着はいまだついていない。

こんなややっこしいことも重要だろうが、それぞれのボタニカルアートを楽しみつつ違い発見をしてみよう。

(写真)Silene dioica
  
(出典) Go Botany
カーティス(William Curtis 1777-1798)がボタニカルマガジンに掲載した画

(写真)Lychnis dioica
  
(出典)meemelink.com

(写真)Melandrium dioicum
  
出典) wikimedia

(写真)レッド・キャンピオンの立ち姿
  
レッド・キャンピオン( Red campion)
・ ナデシコ科シレネ(和名マンテマ)属の耐寒性のある2年草か短命な多年草。
・ 学名は、Silene dioica ( L. ) Clairv. (1811)。英名はRed campion。
・ 原産地はヨーロッパからアジアの明るい草原、荒地。
・ 草丈30-60cmで雌雄異株。
・ 開花期は5-10月で、赤色の5枚の花弁が素晴らしい。
・ 雄花には10本のおしべと10本の筋のある萼が、雌花には5本の花柱と20本の筋のある萼がある。
・ 湿った酸性でない土壌を好む。
・ ホワイト・キャンピオン、レッド・キャンピオンを混裁すると雑種化しやすくピンクの変種が出来やすい。

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