モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

メダカの水草 カボンバ(Cabomba caroliniana)の花

2018-09-28 19:06:38 | その他のハーブ
(写真) カボンバの花


金魚、メダカなどの水草としてポピュラーになったカボンバ、水中での葉は注目されているが、花は鑑賞の対象として注目されていないようだ。
確かに際立ったものは感じられないが、水面に顔を出し咲かせる1㎝~1.5㎝の大きさの白花はシンプルで可もなく不可もない。

このカボンバの原産地は、北アメリカ東岸の広いエリアでの河川に生息し、カロライナ・ファンワート(Carolina fanwort、カロライナ州の水草)と呼ばれている。
今では全世界に広がり、日本には1929年に小石川植物園に導入され、後に野生化したと言われている。
黄色い花を咲かせるカボンバもあるが、これは、南米ブラジル原産になる。

(写真)カボンバ カロリニアナ(Cabomba caroliniana)


カボンバ カロリニアナ
・ハゴロモモ科ハゴロモモ属の多年生水草。
・学名は、カボンバ カロリニアナ(Cabomba caroliniana A. Gray 1837)、1837年にアメリカの大植物学者アーサ・グレイ(Asa Gray 1810-1888)によって命名された。種小名のcarolinianaは、米国カロライナ州を意味する。
・原産地は米国東側の諸州の河川で、ファンワート(Fanwort)、カボンバカロリーナ( Cabomba caroliana)と呼ばれる。
・日本には1929年小石川植物園に初めて導入され、金魚の水草として普及し、販売店では属名のカボンバ或いは金魚藻として売られている。
・カボンバは1~3mの深さの水中で根を下ろす多年生の水生植物で、茎は長さ10mまで成長するという。
・葉は、明るい緑色で 全体の形は半円形~円形、茎に対して対生でつき、基部から5つに分かれ、それぞれの先は3つ程度に箒状に分かれる。これが水中で浮遊する状態が美しいと感じさせる
・花は、6-9月頃大きさ1.5㎝ぐらいの白いを咲かせる。雄しべが黄色なので清楚だが気品を感じる。
・水道の水でも十分に育つが、カボンバが増殖した場合は枝をカットする。捨てる時には川などに捨てずに、生ごみとして処理する。(河川汚染の原因となるので。)


【付録:メダカを飼育している瓶】
(写真)カボンバの栽培環境 ⇒ 紹興酒の瓶


庭でメダカを飼っている。

メダカは生命力が強く、暑い夏を生き延び、氷が張る冬には泥の中に潜り越冬し、春になって水面が波立ちし生き延びてきた証しとしての動きを見せる。
春を感じる感動の一瞬です。

それまでは放り投げておいてもいいぐらい手がかからないので10年以上もメダカを飼うことが長続きしている。

メダカを飼い始めた当初から 3個の瓶を庭に入れ飼育している。
この水瓶3個は、大きな火鉢、江戸末期から明治初期頃に水屋で使われていた水瓶、そして紹興酒の瓶で、古道具屋の倉庫を物色して選んだ。
(この時、餅をつく臼も有ったのでこれも購入し、ガラス屋で丸テーブル用のガラスを切ってもらい花などを置くテーブルとして今でも使っている。)

2018年の夏は、40度近い高温が数日続き、頭が痺れるような異常な夏でした。
ふとメダカの瓶をみると、水草が茶色に変色し枯れているではないですか!
さらに、大きめの黒メダカ(2~3年生存しているメダカ)が数匹死んでいました。

淀んだ瓶の水と枯れ死した水草を入れ替え、瓶底の土をきれいにし、10匹ほど新しく緋メダカを入れました。

ある日、緋メダカは元気かなと瓶をのぞいたら、水草(カボンバ)の花が咲いていました。
水草も定着し、緋メダカも元気なようで、芽出度し目出度しというところですが、黒メダカと緋メダカの未来はどう決着がつくのだろう?
というのが来年の関心です。

(写真)クロスする黒メダカと緋メダカ


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オーストラリアンローズマリー(Westringia fruticosa)の花

2018-06-14 13:27:57 | ローズマリー&ラベンダー
(写真)ウエストリンギア・フルーティコサ’バリエガータ’(Westringia fruticosa 'Variegata')の花


オーストラリアの東海岸の崖の上で育つ『ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa)』は、 「オーストラリアン・ローズマリー」といわれるようにその灌木の立ち姿と葉の形はローズマリーによく似る。

本来のローズマリ(Rosmarinus officinalis)は、地中海周辺の海岸近くに生育し、属名のRosmarinus は、“海の雫(しずく)”を意味するように、ブルーの花は地中海の一滴の雫のようだ。

(写真)ローズマリー(Rosmarinus officinalis)の花


これに対して、オーストラリアン・ローズマリーの花は、古代からの神々の物語とか神秘性とは無関係であるがごとく、明るく健康的でスッキリとしていて、地中海原産のローズマリーとまさに対極的なポジションにいるような印象を受ける。

温暖で乾燥したところが適地なので、梅雨時期には軒下、夏場は半日蔭、冬場は室内または霜の当たらないところが良い。ということは 鉢植えで育てることになり、地植えの場合は木陰等場所を選びたい。
開花期が 初春から初夏までと比較的長く、剪定をうまくやれば1mぐらいの高さのブッシュを作れそうだ。

【学名にある過去の記録】
学名のウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917)は、1917年に英国の植物学者ドルース(Druce, George Claridge (1850-1932))によって命名された。
ドルースは後にオックスフォードの市長となるが、私生児として生まれ薬局の見習いからスタートし、試験に合格し薬剤師となりオックスフォードで薬局を経営するようになる。また、植物学に興味を持つようになり、ロンドン・リンネ協会、王立協会のフェローにも選ばれたというので趣味の領域を超えた活動であることは間違いない。

ところで、オーストラリア東岸の海岸線に育つこの植物が1917年に命名されること自体が遅すぎるので、この疑問を調べると・・・・
オーストラリア大陸にヨーロッパ人が初めて到着したのは1606年であり、オランダ人の航海士ウイレム・ヤンツーン(Willem Janszoon Blaeu 1571–1638)がオーストラリア大陸の北部に到着した。
一方、ウエストリンギア・フルーティコサの原産地であるオーストラリア東海岸に初めて到着したヨーロッパ人は、エンデバー号で世界一周航海をしていたイギリスのジェームズ・クック(James Cook 1728-1779)であり、1770年にオーストラリア東海岸、シドニーの南方のボタニー湾に上陸した。

なお、このクック船長の第1回の世界一周航海には、後の英国科学界の重鎮でプラントハンターを世界に送り出した27歳のサー・ジョゼフ・バンクス(Sir Joseph Banks 1743− 1820)がこの探検隊の博物学者という役割で乗船していたので、バンクス卿達が採取した可能性もある。

つまり、ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917)は、1770年代にオーストラリア東海岸で採取され命名されても良さそうなことが分かる。

このヒントは、学名“Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917”の中の“(Willd.)”にある。
1917年にドルースによってウエストリンギア・フルーティコサと命名されたが、それ以前に“(Willd.)”によって別名で命名されている。ということを意味する。

“(Willd.)”は、ドイツの植物学者カール・ルートヴィヒ・ヴィルデノウ(Carl Ludwig Willdenow、1765-1812)であり、1797年にCunila fruticosa Willd. と命名している。
この属名のCunilaは、北米・南米原産の植物に1759年に名付けられた。

ヴィルデノウは、南米を探検したフンボルトの師匠であり、フンボルトたちが収集したアメリカ大陸の植物の調査研究をし植物地理学を創設した人物であったが、北米・南米原産の属からオーストラリア原産のウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa)が分離された。

単純なことだったが、植物地理学を構築したヴィルデノウが北米・南米の植物グループにオーストラリア原産の植物を入れたことは良くなかったが、誰がオーストラリア原産の植物をヴィルデノウに持ち込んだんだろうかということが気になり始めた。この人物が最初の採取者かもわからない。

(写真)直立型でなく横に広がるウエストリンギア・フルーティコサ


ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa)
・シソ科ウエストリンギア属の半耐寒性常緑の低木。
・原産地はオーストラリア東部のニューサウスウェールズ州の海岸近くに生息し、日本では、オーストラリアンローズマリーとして流通している。
・学名は、ウエストリンギア・フルーティコサ(Westringia fruticosa (Willd.) Druce 1917)で、1917年に英国の植物学者ドルース(Druce, George Claridge (1850-1932))によって命名された。
・属名のWestringiaは、スエーデンの医師でコケ類の専門家Johan Peter Westring (1753-1833)を称して名付けられ、オーストラリアの低木25種が属する。種小名のfruticosaは、shrubby=生茂る低木を意味する。
・開花期は春から初夏
・樹高は1~1.5mで横幅も同じぐらいをみる。
・常緑で夏場は半日蔭で育てる。冬場は半耐寒性なので霜の当たらないところで育てる。
・水遣りに注意する。乾燥気味に育て、土が乾いたらたっぷりと与える。梅雨時は軒下などで育てる。
・生け垣などに使われるようだが、横に広がるので狭い庭には不向きだろう。
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2017年(平成29年)の出来事ランキング

2017-12-13 18:33:38 | 街中ウオッチング
2017年を振り返ってみて
今年は年明けから8日連続で中国海警局の船が尖閣諸島の領海に侵入し、4日には韓国籍の海洋調査船が竹島の日本の排他的経済水域で海洋調査を行う等、日本近海でのパワーバランスが崩れかけるような事態が頻発しました。海だけではなく空でも自衛隊の緊急スクランブルが相変わらず多くその大半はロシアと中国の航空機の領空侵犯でした。
米国を初め、自国No1主義が強まる中で、米・中・露の強力なリーダー達に挟まれて日本を運営しなければならない日本国内閣総理大臣・首相の苦労が分かるような年でもありました。
それだからこそ、日本だけでなく世界のリーダーと対話しこの国をリードできる次の首相候補がいるのだろうか?と不安を覚える年末でもあります。

経済が政治を支えてきた1960年からの30年間があり、今でも世界第三位の経済力を持つ日本ですが、強かった工業力は海外シフトをし、先端技術は海外、国内では今ある技術と設備で現状維持という期間が長かったために、技術・設備・人材までサビが出て土台から崩れそうになりつつあります。
経済だけでなく支えるモノがなくなった政治でも、そして私たち自身の生活においても、基礎・基本から見直さなければならない教訓となる事例が多々あった年かなと思います。

こんな日本の現状を表す言葉『忖度(そんたく)』 が2017年の流行語大賞に選ばれました。意味としては、“他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること”です。
障害者など差別と戦っている隣人に優しい「忖度」なら嬉しいのですが、為政者・上司に“阿(おもね)る”「忖度」では、変化が無くライバルが育たない保育器で守られた社会となりかねません。いやむしろ、こんな日本社会に既になっていることを指摘した大賞だったのかもわかりません。

そこで、2017年もまだ少し残っていますが、今年の出来事ランキングをまとめてみました。

1位:2017年を象徴する一語 『北』
朝鮮半島はこの1年で、北朝鮮・金正恩(キム・ジョンウン)による核開発と大陸間弾道ミサイルの実験強行で、米・韓・日・中・露の覇権がぶつかる、かつて無いほどの危険度の高い「火薬庫」となってしまいました。
中国・ロシアが米国に吠え噛みつこうとしている北朝鮮を止めることもせず、太平洋・インド洋での米国の力をそごうとしている感があります。
この問題を解決するためのトランプ大統領の初のアジア訪問は、中国・習近平にいなされてしまい、期待した解決は遠のいてしまいました。
「今年の年末から年明けに何かが起きそうだ。」という小野寺防衛大臣の発言がいま話題になっていますが、核開発の一点に北朝鮮の国家資源を絞り込んで生き残りをかけている金正恩が態度を軟化するはずがなく、トランプ大統領が決断することを意味しているのだろうか? と思われてなりません。

そういえば歴史は繰り返されるというが、1991年1月17日未明アメリカ軍中心の多国籍軍がイラクを空爆する「砂漠の嵐作戦」が始まり、CNNを通じたテレビでの映像はまるで戦争シュミレーションゲームを見ている感がありました。
今度北朝鮮で同じようなことがあった場合はゲームでは済まされません。
ドキドキするような年末・年始でないことを祈りましょう。

(写真)北朝鮮のミサイル発射映像

(出典)ミサイル発射動画 (時事通信映像センター)

※ 京都・清水寺の管主が今年の漢字を毎年選んでいますが、2017年は「北」になりました。「北」という漢字は、二人が背を向けている姿を表し、同じ二人でも「仁」はお互い話をしている姿なので「仁」ある世の中を勧めていますが、核ミサイルを搭載したロケットを想像すると頭も心も凍り付いてしまいます。

2位:中国及び習 近平(シュウ キンペイ、シー チンピン)の存在感が高まる
人口13億6700万人(世界1位)、GDP 11兆2182億ドル(世界2位)中国の存在感が高まってきました。米国1強時代がまもなく終わり米・中の2強時代がやってきそうです。
今年10月に開催された中国共産党第十九回全国代表大会で、習体制が磐石な状態となり内政が安定化しました。習は、中国を中心とした経済圏の構想『一帯一路』を2014年に発表し、『一帯』は中国西部から中央アジアを経てヨーロッパまでの陸のシルクロード圏を意味し、『一路』は、中国沿岸からマラッカ・シンガポール海峡を経てインド洋・アラビア半島・アフリカ東岸までに至る海上シルクロード圏を意味します。
このコースは、明の時代に鄭和(ていわ1371-1434年)が1405年~1433年までの間に7度にわたって大航海をしたコースでもありました。この壮大な経済圏構想が動き始めました。先々あらゆるところで日本と利害がぶつかって行くと思われます。

(地図)習 近平の一帯一路構想


3位:『戦後2番目に長い景気拡大期』=数字では好況なのに実感がありませんね!
安倍政権が発足した2012年12月から始まった足元の景気拡大が、2017年11月で60ヶ月に及び戦後2番目の長さになることが事実上確定した。
発足当時、1万円前後だった日経平均株価は12月12日の終値も22,866円の大台を維持し、株高給与安はまだまだ続きそうだ。
次の記録更新は、平成14年に小泉純一郎政権下で始まった戦後最長の「いざなみ景気」(73ヶ月)を抜くかが焦点だ。あと1年この状態が続けば記録に並ぶことになる。

(出典)日本経済新聞

4位:10秒を切る男 日本でもやっと登場!
桐生祥秀(21歳、東洋大)が、語呂あわせが良い9月9日に100m競争で9秒98の日本人初の新記録を出した。世界では、米国のジム・ハインズによって人類初の10秒を切る記録が1968年に達成されたので、50年遅れての日本人での記録達成となる。
現在の世界記録保持者はウサイン・ボルトの9秒58で、この50年間で9秒台の記録を達成しているのは125人しかいないと言う。これまで宇宙に行った人は551人(2017年4月現在)といわれているので、9秒クラブのメンバーは価値あるレジェンド達だ。

(出典)スポーツナビ

5位:舞台に上がる前に排除された野党勢力!
選挙権年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げられてからの初めての衆議院議員総選挙。注目の投票率を見ると18歳が50.7%、19歳が32.3%で全体の投票率54.7%を下回った。AKB48の総選挙には熱くなれるが、難しいことを言うおじさん選挙にはいまいち乗れない19歳が垣間見られた。
今回の総選挙は、小池劇場開演ともいわれミラクルショーを期待したヒトも多かったはずだが、幕を開けずに閉めてしまったため、5年間の安倍政権の実績が順当に評価され、野党惨敗となってしまった。
敵を撃たないで味方を撃っていれば勝てないですよね~。
まてよ、小池東京都知事の希望の党立ち上げは、自民党の影の部隊で、野党候補を統一させないで分散多数立候補させるための与党の高度な選挙戦術だったと仮定すると、一連の小池さんの動きがピッタリと合点する。
安倍総理兄貴筋に当たる小泉元総理と選挙前に会っており策を授けられたのだろうか?それとも安倍総理と裏約束でもあるのだろうか? こんな疑念がある結末だった。

(出典)講談社 小泉・安倍・小池「三者"怪"談」

6位:工業製品にまで偽装が及ぶ
2007年~2013年頃は赤福餅の消費期限偽装、大阪の高級料亭・船場吉兆の産地・賞味期限偽装、大手ホテル・デパート等での産地虚偽表示等食品業界での偽装問題が多発した。まさか基幹産業である鉄・自動車等の工業製品にまで偽装が来るとは思わなかった。
日産自動車の場合は、完成車の検査を無資格者が実施して納期を守っていた。この問題で、10月の販売台数は前年比43%の減となった。神戸製鋼の場合は、素材メーカーなので自社1社で問題が解決できない。アルミ素材・銅素材等の強度データーを改ざんし需要先に収めていたので、神戸製鋼から素材を仕入れた企業の担当者は、この問題による影響などを調べるのに多大な労力をかけたというから恨みは大きそうだ。いずれも大きな代償を払うことになりそうだ。

7位:安室奈美恵、来年引退発表
安室奈美恵(40)が9月に1年後に引退すると発表し、その後初の『オールタイム・ベストアルバム Finally』が11月8日に発売になった。予約だけでも100万枚を超えたようで、デビュー以来10代~40代までの各世代でミリオンセラーを出した日本人初の歌手となるという。
昨年はSMAP解散があり、彼らは解散で失うモノが大きかったようだが、安室奈美恵は解散までの期間にどれだけ稼ぐのだろうかというそろばん勘定が順調のようだ。

(出典)オールタイム・ベストアルバム「Finally」

8位:準天頂衛星システムみちびきが3機打ち上げられた
高層ビル街などでは、GPS(位置情報)衛星が真上にいないとビルに邪魔され位置情報の精度が悪いという。この精度がmm単位まで高まるとカーナビだけでなく、土地の測量や道路などの工事、或いは地殻変動による移動距離まで測れることになる。
4機以上の衛星だと位置の計測が可能になるが、精度を高めるには8機以上の衛星を運用する必要があるという。今年、みちびき2号機、3号機、4号機を打ち上げたので来年から4機体制で運用できるので衛星を使った計測ビジネスが登場し、測量屋さんの出番が減って行くなど社会を大きく変えて行くのだろう。

(出典)三菱電機

9位:今年のヒット商品「うんこ漢字ドリル」
文響社が2017年3月24日に定価980円+税で発売した『うんこかんじドリル』(小1~小6)が9月までの累計で276万部も売れ、今年のヒット商品番付の11位にランクされ、流行語大賞候補にもノミネートされた。
文響社は『エンターテインメントは現実まで変えてしまうほど力があり、すべての人の「現実」に、夢と希望を与えるエンターテインメントを提供する。』ということをポリシーとして作品を提供している。小学生用ドリルとして税込み1000円を超え、高価格にもかかわらず売れ行き好調なのは“ドリル”を“エンターテインメント”に仕立てたところにありそうだ。

(出典)うんこ漢字ドリル

10位:『Jアラート』をご存知ですか?
ユーキャンが12月1日に発表する流行語大賞30語の中に「Jアラート」がノミネートされた。「Jアラート」って何? というほど知られていないと思うが、国民の生命と安全に関わる事態(大地震・津波・火山噴火等の気象関係、ミサイル攻撃・テロなどの有事)が発生した時に緊急に警告を発信するシステムで、今年は8月29日、9月15日の二回お披露目された。これは、北朝鮮が発射したミサイルの危険を知らせるためであり、テレビ画面が一瞬フリーズし、危険を知らせる音とともに警戒警報の画面にかわってしまった。この場面に遭遇すると一瞬にして平和ボケが修正されてしまい、憲法9条は修正したほうが良いと思わせる効果がありそうだ。
「Jアラート」を発動した危険性の判断根拠は、大陸間弾道弾というコントロールが難しいミサイルでも今では半径100mの精度で命中するようだが、北朝鮮のミサイルは、何処を狙っているか分からないというよりも、命中精度が悪いので何処に落ちるか分からないということなのだろうか?
(写真)な、なん~だ。テレビ画面が突如こんな画面になる。

(出典)朝日新聞 

補足: 気になる北朝鮮の大陸間弾道ミサイルICBMの距離と精度
大陸間弾道ミサイルの定義は、有効射程が「アメリカ合衆国本土の北東国境とソ連本土の北西国境を結ぶ最短距離である5,500km以上」を射程距離とする弾道ミサイルと定義されており北朝鮮のことは念頭に無かったが、北朝鮮が開発しているのがワシントンを狙える核搭載の大陸間弾道ミサイルになる。
しかし、精度が気になる。米国などのミサイルは、平均誤差半径0.1km(=100m)程度に改良されているのでピンポイント爆撃だが、これが怪しいと何処に落ちるのか分からないことになる。

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『J・ジュシューが採取した植物』 (1)キナノキ

2017-10-29 06:03:31 | Ruiz&Pavón探検隊、ペルーの植物探検
18世紀末、スペインの科学的な植物探検物語 ⑤

ジュシューが採取した植物

(1)キナノキ
(地図)キナノキを採取したエリア


キナノキの皮は、1632年にイエズス会の修道士コボ(Bernabé Cobo 1582–1657)によってヨーロッパに伝わり、 「ジェスイットの粉末」として知られていたが、実際の生きたキナノキを見たものは無かった。

ヨーロッパの科学者でキナノキを実際に確認したのはジュシューとコンダミンが最初のようだが、記録上は、フランスに先に帰ったコンダミンがキナノキに関して発表したのでコンダミンということになっている。

1737年にコンダミンがキトからペルー・リマの銀行に行く時にロハ(Loxa、Loja)で“Quin quina”と書かれたプレートをつけたキナノキ3種を見つけた。この旅はキナノキを調べる為に意図的につくられた旅であり、キナノキは3種あることがこの時点で初めて明らかになった。
しかも、コンダミンは帰国後に完璧なキナノキを説明する論文(「Sur l'arbre du quinquina(キナノキの木について)」)を発表している。

しかし、この旅にジュシューが同行していないはずがない。何故かというとコンダミンは植物学が専門ではなく、標本が作れず、又特徴を記述することも出来ないので、ジュシューに頼らざるを得ない。
「彼は(ジュシューは)私の植物の目である。」とコンダミンが言っているようにキナノキを探すことが南アメリカで子午線の長さを測るプロジェクトの隠れた狙いであるならばジュシューがその中心にいるはずだ。

ジュシューについて分かっていることは
ジュシューは、1739年というから子午線の長さを測る最終局面の頃、クエンカ(Cuenca)から125kmほど南下したロハ(Loxa、Loja)、及びロハから60km北西にあるサルマ(Zaruma)でキナノキを採取していたことが分かっている。

これは、ジュシューが採取したキナノキの標本が英国のキニーネ製造会社の経営者で化学者のハワード(John Eliot Howard 1807-1883)のコレクションとなり、ハワードの筆跡で“The knotty sort of Jussieuジュシューのもつれたタイプ”というラベルが貼り付けられているという。

(写真)Cinchona tree by Theodor Zwinger, 1696


キナノキの歴史
1.キナノキの概要
キナノキは、アカネ科シンコーナ(Cinchona「/ s ɪ ŋ ˈ k oʊ n ə / or /-kəʊnə/ 」)属の5~10mの高さの常緑樹で、少なくとも23種があり、そのうちマラリアに効くキニーネを含有する薬用品種は3種だけである。原産地は、南アメリカ、エクアドル・ペルー・ボリビアなどのアンデス山脈東側の熱帯雨林に生息する。

2.薬用植物3種と属名の由来
(写真)Cinchona calisayaの葉と花

(出典)Wikipedia

< 薬用3種の学名 >
1. Cinchona officinalis L. (1753) - quinine bark
2. Cinchona pubescens Vahl (1790) - quinine tree
3. Cinchona calisaya Wedd. (1848)

キナノキの学名の命名は、キナノキの植物標本を1743年にコンダミンから前述の論文と一緒に受け取ったリンネ(Carl von Linné 1707-1778)が、1753年にCinchona officinalisと命名した。

属名の“Cinchona”は、リンネの大きな誤解、根拠のない伝説を信じることから生まれた。

1638年、当時のペルー総督Chinchón伯爵の夫人アナ・デ・オソリオ(Ana de Osorio 1599–1625)がマラリアにかかりキナノキの樹皮に救われた。そして、この薬をヨーロッパに持って帰り貧しい人たちに分け与えた。という伝説を信じたリンネが、Chinchón伯爵夫人に敬意を表して名づけたという。

偉大なリンネも伝説に惑わされることがあったが、このような事実はないというのが現在の定説となっている。
伯爵夫人アナ・デ・オソリオはペルーに行く前の1625年に死亡しており、実際にペルーに行ったのは二番目の夫人Francisca Henríquez de Riberaで、彼女は健康に恵まれていてマラリアにはかかっていなかったという。

(植物画)Cinchona calisaya 1872

(出典)Dessins-Images-Cliparts-Gravures-Illustrations

3.現地でのキナノキとマラリアとの関係
キナノキは、エクアドル、ペルー、ボリビアに住むケチュア族の人々によって体温が低いときの震えに対する筋肉疾患剤として長く栽培されてきた歴史があり、1600年代にスペイン人が、現地人が熱と寒けの薬として木の皮を使っていることを発見した。

一方、マラリアは、ヨーロッパ人或いはヨーロッパ人によって連れてこられたアフリカ人が新大陸アメリカに持ち込んだ可能性が高く、ペルー副王国でマラリアとキナノキの必然的な遭遇となった。

この二つを結びつけたのは、エクアドルのロハ(Loxa、Loja)に住んでいた薬剤師の資格を持つイエズス会の修道士アゴスティーノ・サルムブリノ(Agostino Salumbrino 1561‐1642)で、現地のケチュア人がキナノキの皮で熱を下げるなどの治療に使用していることを観察し、マラリア患者にも応用してみたがこれが意外にも効果があり、マラリアの決定的な治療薬の発見となった。

イエズズ会の宣教師は、マラリアの治療薬としてヨーロッパの医学界にキナノキの皮を導入したが、“Jesuit's bark(ジェスイットの粉末)”として知られたが忌避された。

マラリアという病気が存在しない南アメリカに、その特効薬キニーネの成分を含むキナノキが用意されていたことは、まるで予定調和的だが天の差配なのだろうか?
と思ってしまう。

4.キナノキの皮、採取現場
キナノキの生育する場所はアンデス山脈の東崖、アマゾン側で高度が1200~3600mで多雨多湿の雲霧地帯にのみ生育するという特徴を理解して1枚の絵を見ると良くわかる。
晴れるということが少ないようだが、晴れて霧がない日のワンショットのようだ。

(絵)カラバヤ(ペルー)の森におけるキナノキの採集.サン・フアン・デル・オロ(Peru San Juan Del Oro)の谷

出典:国際日本文化研究センター
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昼咲く、イブニング・プリムローズ‘アフリカン・サン’(Evening primrose 'African Sun')の花

2017-06-21 19:37:26 | その他のハーブ

(写真)鮮やかな黄色、イブニング・プリムローズ‘アフリカン・サン’の花


イブニング・プリムローズ(Evening primrose)の園芸品種‘アフリカン・サン’(Evening primrose 'African Sun')は、日が沈んでから咲くのではなく、昼に咲く。
イブニングではなくモーニング・プリムローズという名前のほうがふさわしいが、出自が分からなくなるので親の名前を使ったのだろう?
親との違いはまだある。親は真上に伸び草丈1mにもなるが、アフリカン・サンは60cm程度で横に広がりグランドカバーに適する。
しかも暑さ・寒さ・水不足に強いとなるとかなり楽になる。

アフリカン・サンを開発したブリーダーは、オランダ、ボスコープのW.M. van Nieropという。
ブリーダーのことはこれ以上分からなかったが、ボスコープという町は花卉産業が集中したところのようで、個人及び企業が1000ぐらいあるという。
日本で言えば植木屋が集中している埼玉県川口市の安行などが近いかもしれない。

Googleでボスコープを見ると、碁盤の目のように整理された町割りが見えるが、これを拡大すると、長方形に囲まれて道があるように見える。しかしこれは道ではなく全て運河で、泥湿地を開拓して出来た“島”が農場になっている。

アフリカン・サンは、耐寒性・耐暑性も強いのでパテントがなければ道路を整備した広大な敷地に利用されるのだろうが、オランダの花卉産業のパテントを破ると厄介なことになる。

(写真)開発者の居住地、Boskoop Nederland




アフリカン・サンの親とイブニングプリムローズの話
アフリカン・サンの学名は、エノテラ・フルティコサ‘アフリカンサン’(Oenothera fruticosa 'African Sun')で、エノテラ・フルティコサ(Oenothera fruticosa)が親となる。和名ではキダチマツヨイグサという。
原産地は北アメリカ東部で、乾燥した森林、岩の多い荒地、道端などに生息する。

一方、英名で「イブニング プリムローズ」といえば、黄色の美しい花を夕方から朝方まで咲かせるアカバナ科マツヨイグサ属の植物を総称して使われるが、種としては、学名Oenothera biennis のことを言う。

(写真)Oenothera biennis イブニング・プリムローズ植物画

(出典)ウイキペディア:Otto Wilhelm Thomé 「Flora von Deutschland, Österreich und der Schweiz 1885, Gera, Germany」

和名では、“メマツヨイグサ”と呼ばれるが、竹久夢二の作詞による流行歌「宵待草」が大正時代にヒットした影響で“ヨイマチグサ”と誤解されるようになる。

又、月見草とも混同があるが、月見草は白花の別種で、学名Oenothera tetrapteraという。メマツヨイグサの繁殖力に負け生息地を奪われ、めったにお目にかかれなくなった。

注意することは、“イブニングプリムローズ”で検索すると、健康食品・サプリメントが数多く表示されるように、昔は「cure-all king(万能薬の王様)」のハーブとして使用されていた。しかし、効果・効能は疑問視されるモノが多いので注意が必要だ。

エノテラ・フルティコサ(Oenothera fruticosa)を採取したプラントハンター

アフリカン・サンの親、エノテラ・フルティコサ(Oenothera fruticosa)を最初に採取したのは、英国の植民地ヴァージニアに父に従って1715年に移住したジョン・クレイトン(John Clayton 1686-1773)のようだ。
クレイトン29歳の時で、その後5年間何をしていたのか記録がない。
植民地アメリカでの最初のクレイトンの記録は、1720年に現在のニュージャージ州グロスター郡の書記官で登場し、以後50年間今で言えば土地家屋調査士、司法書士のような仕事を続けた。
いかにも謹厳実直が取り得の貧乏な生活というイメージを持つが、450エーカー(1エーカーを 4047㎡とすると約55万坪)のタバコを栽培するプランテーションを所有し、30人の奴隷を使っていたという。

クレイトンに植物学の影響を与えた人間がいる。
マーク・ケイツビー(Mark Catesby、1682-1749)で、父親が死んで充分な遺産を受け取った彼は、アメリカ植民地バージニア州の長官と結婚した姉とともに1712年にアメリカに渡った。
西インド諸島や、バージニア植民地に住んだ後、1719年にイギリスに戻り、この間に採取した植物標本・種子等を英国で著名なガーデナー、フェアチャイルド(Thomas Fairchild ? 1667 – 1729)に送った。

クレイトンは、このマーク・ケイツビーから植物学の素晴らしさを学んだようだ。
確認は出来なかったが、クレイトンが何をしていたのか分からない5年間(1715-1719)は、ケイツビーとクレイトンは一緒にプラントハンティングをしていたのではないだろうか? と思うほど植民地バージニアで接近していた。

クレイトンは、彼が49歳の1735年からオランダの植物学者で、リンネの2命名法の守護者を自負するグローノビウス(Johan Frederik Gronovius 1686-1762)などに採取したバージニア原産のハーブ・果物・木等を編集したカタログ及び植物の種子と標本を送っていた。

グローノビウスは、このカタログをラテン語に翻訳して「Flora Virginica(1739-1743)」として出版した。本の表紙にはクレイトンの名前が入っているが、断わりなしの無断借用だった。今なら著作権侵害で学者生命を絶たれるが、この時代でも許されることではなかった。
クレイトンは、ヒトが良すぎるのか抗議をしなかっただけでなく追加の植物標本なども提供した。

しかし、これで懲りることなく1746年にはカナダでの植物採取、1747~1748年はミシシッピー川以西での植物採取、そして1758年には、オランダの植物学者グローノビウスに盗作された「Flora Virginica」の新改訂版を書き上げ、今度は親交がある英国の園芸家として著名なピーター・コリンソン(Peter Collinson 1694 – 1768)に送った。

この原稿の植物画は当時最高の植物画を描くゲオルグ・ディオニシウス・エレット(Georg Dionysius Ehret 1708-1770)だった。

その作風を感じてもらうために以下に掲載させてもらった。

(植物画)Selenicereus grandiflorus (夜咲くサボテンの女王) by Ehret. Plantae selectae. Ionnes Elias Haid filius. Tab. 31

(出典)Botanical Art & Artists

残念なことにこの新改訂版は出版されず、クレイトン死亡後の1787年に原稿を保管していたオフィスが火災で焼失し、この時に燃えてしまった。
エレットの植物画がなくなったことも残念だ。

ここまでは、クレイトンを実りのない人生を送ったと思ってしまうだろうが、クレイトンを評価するヒトは多く、英国の植物界を世界レベルに引き上げた立役者、サー・ジョゼフ・バンクス(Sir Joseph Banks, 1st Baronet 1743 −1820)は、1794年にクレイトンがオランダの植物学者グローノビウスに送った数百もの植物標本を手に入れ、ロンドンの自然史博物館にクレイトン標本館を作った。

アフリカン・サンの親、エノテラ・フルティコサ(Oenothera fruticosa L. 1753)は、1753年にリンネによって命名されている。1735年からリンネと親交があるオランダのグローノビウスにバージニア原産の植物標本を送っているので、採取したのはクレイトンであることが確信できる。

気になる採取者がもう独りいた。時期不明でアンドレー・ミッショー(André Michaux 1746-1802)の名前が登場した。
彼は、1785年11月にニューヨクに到着し1796年にフランスに戻るためにアメリカを去ったので、この間に採取しただろうから植民地バージニアのプラントハンターとして知られているジョン・クレイトン(John Clayton 1686-1773)が最初の採取者となる。

ミッショーについては“マリーアントワーネットのプラントハンター”アンドレー・ミッショーとして記載しているので過去の作品を参照していただきたい。

(写真)匍匐して広がる黄色の花Evening primrose 'African Sun'


イブニング・プリムローズ‘アフリカン・サン’(Evening primrose 'African Sun')
・アカバナ科オノテラ属(マツヨイグサ属)の耐寒性がある多年草
・学名はエノテラ・フルティコサ‘アフリカンサン’(Oenothera fruticosa 'African Sun')、英名がイブニング・プリムローズ‘アフリカン・サン’(Evening primrose 'African Sun')。
・属名の‘Oenothera エノテラ’は、ロバの捕獲者を意味するギリシャ語の“onos therasオノス・ザラス”、又は、ワインシーカーを意味する“oinos theras オイノス・ザラス”に由来するという。又、ラテン語での“oenotheraオノテラ”は、“汁が睡眠を引き起こす可能性のある植物”を意味する。種小名の‘fruticosa’は、“低木状の”を意味する。
・原種エノテラ・フルティコサ(Oenothera fruticosa)の原産地は、メキシコ北東部からアメリカ合衆国のテキサス州にかけての地域が発祥の地と考えられている。
・‘アフリカンサン’('African Sun')のブリーダー(生産者)は、オランダ、ボスコープのW.M. van Nieropという。オランダは、花卉産業が優れていて有名だが、ボストークには数多くのナーサリーがあり、日本で言えば埼玉県川口市の安行のようなところのようだ。
・‘アフリカンサン’は、葉は濃い緑色、細長い槍状で、草丈60cm程度で横に広がり、開花期は初夏から秋と長く、ラッパ状の黄色の花を昼間に咲かせる。陽が沈んでから咲くイブニング・プリムローズの特色を昼に持ってきた園芸品。

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