モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

No13: アマランス(Amaranth)の品種と特徴

2013-01-07 11:15:31 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No13

ヒユ科アマランサス属(Amaranthus)には約70の種があり、そのうち60種はアメリカ大陸原産という。自然交配がしやすいので雑種が多く分類が難しいようだ。
属名のアマランサスは、ギリシャ語のamarantos(しおれることのない)に由来し、不死を象徴する。
アマランスは、茎・葉は野菜として食べ、ほうれん草のような味がするという。実は粉にして小麦粉のように調理し、或いはポップコーンのようにして焼いて食べるので、小麦・米などより利用するところが多い有能な植物だ。食用だけでなく、観賞用としても価値があり、薬用植物・染料としても使われていたので、オールマイティな有用植物といえるだろう。
コロンブスがアメリカ大陸に到着した1492年以降、メキシコ原住民の人口が激減した。その理由として、農場・鉱山などでの重労働による搾取、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病などがあげられるが、人身御供をする宗教と結びついたアマランスの栽培禁止による身体を維持する食料・栄養摂取の激変も大きな要因となっていたようだ。
食料としてオールマイティな存在であったアマランスの禁止は、同時代の日本人に米の栽培・摂取を禁止するようなものに近い。

穀類として使用されたアマランスには重要な種が三つあり、メキシコ・グアテマラ原産が二種(Amaranthus cruentusとAmaranthus hypochondriacus)、三番目の種が古代アンデス地方の住民の食料であったAmaranthus caudatusという。

アマランスとはどんな植物かというところをこの三品種にスポットを当ててみていこう。

(1)Amaranthus cruentus L.(1753) アマランサス・クルエンタス

(写真)Amaranthus cruentus

 
(出典)fine gardening

 
(出典)Plants For A Future

アマランサス・クルエンタスは、Purple amaranth, Red amaranth, Mexican grain amaranth(メキシコの穀物)とも呼ばれ、和名ではスギモリケイトウで知られる。
耐寒性が弱い1年生の草丈2mにも育つ顕花植物で、夏に赤紫の花が咲き実を結ぶ。
メキシコ・グアテマラが原産地で、紀元前4000年頃にはメキシコあたりの中央アメリカで食料として使用されていた。
その姿は観賞用としても素晴らしいが、種子はタンパク質が豊富で最近では健康食品として使用されている。

(2)Amaranthus hypochondriacusL.(1753)アマランサス・ヒポコンドリアコゥス

 
(出典)University of Wisconsin-Stevens Point
 
 
(出典)ミズリー植物園

アマランサス・ヒポコンドリアコゥス(Amaranthus hypochondriacus)は、Prince-of-Wales'-feather(ウェールズの王子の羽)、prince's-feather amaranthと呼ばれ、草丈120cmとアマランサス・クルエンタスよりは小さめの一年草で北アメリカ南部が原産地で、現在では熱帯・亜熱帯・温帯地方で観賞用、穀物として栽培されている。

(写真)The Prince of Wales's feathers
 
(出典)Flickr.com
※ The Prince of Wales's feathersとは、イギリス連邦の国王の後継者のバッジで、三つの白い羽を束ねる金の王冠から成る

栽培品種はその原種がよくわからないがAmaranthus hypochondriacusは、米国南部および北メキシコ原産の野生種Amaranthus powellii S.Wats.(1875)とAmaranthus cruentus のハイブリッドではないかと考えられている。

Amaranthus powellii について簡単に触れておくと、green amaranth(緑のアマランス)、Powell's amaranth (採取者パウエルのアマランス)と呼ばれるように緑色が特色のアマランスで、1874年に米国アリゾナでこの品種を採取したパウエル(Powell,John Wesley 1834-1902)を記念してこの名前がつけられた。

(写真)Amaranthus powellii S.Wats.(1875)
 
(出典)New England Wild Flower Society

(3)Amaranthus caudatus.L.(1753)  アマランサス・カウダトゥス>

 
(出典)ミズリー植物園

アマランサス・カウダトゥス(Amaranthus caudatus)は、南アメリカペルーのアンデス原産でアフリカ、インドでも自生している。草丈150cm程度で夏場に赤紫の房状の垂れ下がった花が咲く一年草または二年草で、英名ではlove-lies-bleeding、velvet flower、tassel flower amaranthと呼ばれ、和名ではひも状のケイトウという意味合いでヒモゲイトウと呼ばれる。
アンデス地方では若い葉を野菜として使い、実は穀類として朝食に食べ、このアマランスのことをスペイン語でキウィチャー(Kiwicha)と呼んでいる。

英名の“love-lies-bleeding”とは、エルトンジョンの亡き友にささげる歌「Love Lies Bleeding」ではなく、“葉野菜として利用される若葉”のことを意味する。

(写真)アマランスの実
 

この種の祖先は、Amaranthus quitensisとも推測されており、栽培を通じて品種改良されてきたようだ。このアマランサス・クイテンシスを採取したプラントハンターはフンボルト南米探検隊の植物学者ボンプランがエクアドルで採取している。

(写真)Amaranthus quitensis Kunth
 
(出典)wikipedia
コメント

No12: 征服者が禁止したアマランス(Amaranth)

2013-01-01 08:17:24 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No12

INTRODUCTION
コロンブスが来る前のメキシコ、アステカ王国の主要食料は、トウモロコシ、インゲン豆、トウガラシ、かぼちゃ、そして小麦・米に匹敵する穀類のアマランスだった。
トウモロコシ、インゲン豆、トウガラシ、かぼちゃはヨーロッパ、そしてアジア、アフリカに伝播し、世界の主要な食料となったが、アマランスだけは伝播しなかった。

アマランスは、荒地・乾燥地でも栽培出来て、栄養素が豊富で、小麦などに含まれるたんぱく質グルテンがないなどの特色があり、やっと1970年代になってから再評価されるようになった。ソバもグルテンが含まれていない穀類だが、グルテン拒否症とも言われるセリアック病(Celiac disease)患者にとっては選択肢が広がる貴重な穀類となる。
また、土壌の乾燥などで食糧生産が困難になっているアフリカなどの地域ではトウモロコシだけでなくアマランスは救いの穀類となりそうだ。

何故アマランスがトウモロコシなどとは異なり世界に伝播しなかったかといえば、アステカ王国を滅ぼした征服者スペインの統治政策がアマランスの栽培を根絶やしにしたからだ。

(写真)テノチティトラン(Tenochtitlan)
 
(出典)ウィキペディア

アステカ王国を征服したコルテス(Hernán Cortés, 1485-1547)が、テスココ湖中にある人口20万人以上が住む人工の島でその当時の世界有数の大都市、アステカの首都テノチティトランを訪れたのは1519年11月8日だった。
アステカのライバルであるトラスカラ王国の大部隊がコルテスの同盟軍としてテスココ周辺に侵攻しているとはいえ、コルテスの部下はわずか500人の兵、馬16頭であり策を練らない限りアステカ王国を支配すことが出来ない。
アステカ王モクテスマ2世をコントロールすることによって間接支配を狙ったが、コルテスの留守中にアステカの祭典に恐怖を覚えた兵が虐殺を始め、これに激高した住民が反乱を起こしモクテスマ2世を暗殺した。翌1520年6月30日にコルテス達はやっとのことでテノチティトランを脱出した。
1521年に再度アステカに進攻し、テノチティトランを包囲して3ヶ月以上の攻防の末8月13日にテノチティトランは陥落したが、アステカ軍に捕らえられたスペイン兵が神殿の上に引き連れられ人身御供として神にささげられた光景をまざまざと見たコルテス以下のスペインの征服者は、テノチティトランを徹底的に破壊した。(現在のメキシコシティは、この破壊された瓦礫の上に作られた。)
そして、教会とともにアステカの宗教を邪教として弾圧しキリスト教への改宗をすすめた。

(写真)アステカの神殿
 
(出典)NHK

アマランスとアステカの宗教との関係
さて、ここからが本題になるが、アマランスはこの宗教と密接な関係があったので、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的に徹底的な弾圧にあい、スペインの統治が拡大するに従いアマランスの耕作地も減り、忘れられた存在となっていった。

アステカ人を含む中央アメリカの宗教は多神教で、その中でも太陽の神・軍神Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)がテノチティトランの守護神として崇められていた。というのは、この神が放浪していたメシカ族をワシがサボテンに止まっているところ、後のテノチティトランに導いたからだ。

(写真)アステカの太陽の神Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)
 
(出典)Codex Telleriano-Remensis
※ 16世紀にメキシコで描かれたアステカの原画の写本

12月7日から26日までがHuitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)のお祭りで、紙旗で家と木を飾りつけ行列を作り歌・踊り・祈りをし、最後のハイライトが人身御供の心臓を神に供えるという。
そして、Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)の大きな像はアマランスの種と蜂蜜でつくり、これを小さく壊して食べお祭りが終わりとなる。
スペインの征服者にとって見れば、アマランス≒Huitzilopochtli(ウイツィロポチトリー)となるので、アステカ人の主食といえども許すわけにはいかなかったのだろう。

そして、アマランスは400年以上もの間忘れられた存在となり、耕作地ではなく路傍の雑草として時が経過した。
コメント (2)