モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ その9

2007-11-25 10:11:42 | フェルメール
その9 (A ending): ここで、フェルメールに会える!

ゴッホの『医師ガシェの肖像』を124億円で購入した大昭和製紙名誉会長の斉藤氏は、
「自分が死んだら棺おけに一緒に入れて焼いてほしい」と言ったそうだ。

フェルメールが愛したブルー。
このブルーの原料は、”ラピスラズリ(lapis lazuli)”という鉱物で、
ツタンカーメン王の黄金のマスクにも使われていることは前にも触れた。

確かに、
ツタンカーメン王達は、生前と同じ暮らしが出来るように、様々な財宝を埋葬して
死後の世界に持参した。

現在においても、頂点を極めたヒトに限らず
例えそれが貴重なもの・高価なものであっても、自分が愛したモノと一緒にいたい。
という欲求は、わかりやすい欲求だと思う。
遺族は、出来る限りこの遺言をかなえてあげたいと思うだろう。

ゴッホの名作『医師ガシェの肖像』を自分の棺おけに入れて焼くという発言には、
賞賛は少なく、非難が多かったそうだ。
“人類の遺産”を個人が消費・消耗していいのか?
というのが非難の論点のようだ。
さすが精神貴族だね~。などという声援は聞こえてこなかった。

結局は、斉藤氏が死亡しても棺おけの中に一緒に入れて焼かれることはなかったが、
遺族ではない社会という存在が異議申し立てを行ったのだから、
社会として、個人の自己実現と、残しておきたい社会資産の維持管理との調和を考える必要がありそうだ。

個人財ではなく公共財として保有する“美術館“という装置が、この役割を担うようになったが
個人・家の財産管理から脱して社会の装置となったのは、
1789年のフランス革命以降であり、
フランス国立美術館(現、ルーブル美術館)が設立され、1793年から一般公開された。
フェルメールが死亡してから100年以上経過した後のことだ。

それまでも美術品を収納する場(美術室)がなかったわけではない。

ヒトラーが愛したフェルメール作『アトリエの画家』は、ナチスが略奪した美術品とともに、
オーストラリア・ザルツブルク近郊の岩塩坑に秘匿していたが、
戦後オーストラリアに返還され、現在は、ウィーン美術史美術館が所蔵している。
この美術館の出自は、
第一次世界大戦まで中世・近世の中央ヨーロッパを支配した、
ハプスブルク家の膨大なコレクションを管理するところであり、
一般公開が初めてされたのは、1891年というから
ルーブル美術館の公開から、さらに約100年も後となる。

さらに、
1764年にロシア・ロマノフ朝のエカチェリーナ2世が収集を始めたのが起源となる
エルミタージュ美術館が一般公開したのは、1917年ということだから

貴重なもの・価値あるものは、秘蔵される。
公開なんてとんでもない。
或いは、愛用品は、死者とともに埋葬され死蔵された。

美術・工芸品を蓄積する“場”が“美術館”として創られ、体系化付けられ“公開”される。
このこと自体が新しい出来事であり、人類の知恵の結晶の一つでもある。

機械には、潤滑油が必要なように、人々には、感動する優れモノが必要だ。
美術館は、感動という素晴らしいモノを生産する装置となり、
世界中の人々に潤いを与えてくれる。

1696年、フェルメールの作品33点の内21点が、アムステルダムで競売にかけられ散逸が始まったが、
以後、様々な所有者がドラマをつくり、現在は、世界各国の美術館が所蔵している。
個人所有されると公開されないということが起きるが、
フェルメール作品で本物と鑑定されている作品に関しては、全て観ることができる。
稀有でもあるし、素晴らしいことでもある。

これまで、近くに行っても、フェルメールに会いたいという目標がなかったので素通りしたのが
今となっては残念だ。


(表)フェルメール33点の絵画の所蔵先
<ヨーロッパ>
·アムステルダム国立美術館(アムステルダム) 4点『牛乳を注ぐ女』他
·マウリッツハイス美術館(ハーグ) 3点『真珠の耳飾りの少女』他
·ドレスデン美術館(絵画館)(ドレスデン) 2点『窓辺で手紙を読む女』他
·ベルリン美術館(ベルリン) 2点『真珠の首飾り』他
·ナショナルギャラリー(ロンドン) 2点『ヴァージナルの前に座る女』他
·ルーヴル美術館(パリ) 2点『天文学者』他
·ブラウンシュバイク アントン・ウルリッヒ公美術館 1点『二人の紳士と女』
·バッキンガム 宮殿王室コレクション 1点『音楽の稽古』
·エジンバラ ナショナルギャラリー 1点『マリアとマルタの家のキリスト』
·ダブリン ナショナルギャラリー 1点『手紙を書く女と召使』
·ロンドン ケンウッドハウス 1点『ギターを弾く女』
·シュテーデル美術館(フランクフルト・アム・マイン) 1点『地理学者』
·美術史美術館(ウィーン) 1点『アトリエの画家』

<アメリカ>
·メトロポリタン美術館(ニューヨーク)5点『窓辺で水差しを持つ女』他
·ニューヨーク フリック コレクション 3点『仕官と笑う女』他
·ナショナル・ギャラリー (ワシントン)(ワシントンDC) 2点『天秤を持つ女』他
·イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館(ボストン) 1点『合奏』


美術品などの“公開”は、
所有権は移転しないが、個人・家の資産管理から脱却し、
国の資産、社会の資産、人類の資産となることを意味する。
所有する財産価値だけでなく、観ることによる心の健康・豊かさ、ヒトとしての高次な欲望へのガイドなど
生き方・生き甲斐のマネジメントに貢献するようになる。と考える。
歴史的に、パトロン・戦争(略奪)・バブルなどで翻弄されてきた美術界だが
歴史のゴミを引きずっている怪しげなところを浄化し、心を豊かにする産業としての基盤をつくって欲しい。
金持ち・欲持ちの一人の人間の所有するだけの満足を満たすのではなく、
観る満足、語る満足、そこに行く満足を最大化することを事業としてもっと取り組んで欲しい。
と思った。



フェルメールとその時代のオランダ
その1:フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展
その2:近代資本主義の芽生え
その3:遠近法は15世紀に発見された!
その4:リアリズムを支えた技術、カメラ・オブスキュラ
その5:プロテスタンティズムと風俗画誕生
その6:フェルメールのこだわり “フェルメールブルー”
その7:フェルメールを愛した人々&世俗のフアン
その8:アートを描く視線、アートを欲する欲望
















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フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ その8

2007-11-22 08:22:58 | フェルメール
その8:アートを描く視線、アートを欲する欲望

現在のアメリカでは、貸してはいけない人まで住宅資金を融資してしまった。
この投資・融資回収が難しい局面に至っており、
バブルがはじけそうな危ない状況にある。
何とか庶民まで巻き込まないでプロの世界で退治してほしい。

日本でもかってバブルがあった。
1986年の末から1991年2月までをバブル景気ということにするが
余剰なお金は、株・土地に向かった。
絵画などの美術品・工芸品・ブランド品など、それまで無縁だった庶民レベルまで買いあさり
“ジャパン・アズ・No1”を楽しんでいた。

著名なところでは、
1987年 安田火災海上(現損保ジャパン) が、ゴッホの『15本の向日葵(ひまわり)』を
3992万1750ドル(当時のレートで約58億円)で購入。
1990年 大昭和製紙名誉会長斉藤氏によってゴッホの代表作『医師ガシェの肖像』を
8250万ドル(当時のレートで約124億円)で購入した。
バブル期は、文化的な日本・私に、豊かさと誇りを感じ自慢することが出来た。

しかし、バブルがはじけ、以後10年は、資産デフレで苦しい思いをした。
浮かれて買ってしまった資産は、買手がいないため一気に値段が下がり、
これまでの蓄積を投げ捨てざるを得なくなった。

“汗”が“泡”となって落ちるということでは、清潔になったのだろうが、
過剰を清算するのに、戦争(破壊)・バブル(消える)・廃棄などでのクリーニングは困ったことだ。
国レベルでの覇権主義がなくなり、グローバルでのフェアーな市場が形成されれば、
ここで、清算されるのであろうか?

オランダは、近代資本主義先進国であるだけでなく、
その影としての“バブル”先進国でもある。
1602年 世界初の株式会社としてオランダ東インド会社設立から
イギリスとの覇権戦争に敗れるまでの約1世紀は
オランダが唯一の覇権国家であり、ヒト・モノ・カネが流れ込み、
バブル景気ともいえる状況のようだった。
余剰のカネは、やはり美術品にも向かったようだ。
王侯貴族しか出来なかった生活のシンボルが美術工芸品で、
時代が21世紀になっても同じだから、ヒトは、あまり進化していないのかもわからない。
或いは、生存欲求のなかで高度な欲求なのかもわからない。

こんな中で、
1637年、フェルメールが5歳の頃、世界初のバブルがはじけた。
この時期にすでにチューリップの“先物市場”があったというから驚きだ。
来年の春には、チューリップの球根をいくらで売ります・買いますなどの約束がなされ、
これが実現できないほどの異常な人気で高価格になり、
庶民を巻き込んでしまったため、売る球根がない、買うお金がないということで
破綻が起きてしまった。
日本のように、株・土地への過剰投資という、資本・生活の基本でのバブルでなかったため、影響は軽微であったようだ。

オランダというとチューリップのイメージがあるが、
原産地は、天山山脈であり、ここを支配したオスマントルコがヨーロッパに広めたようであり、
17世紀初めのオランダでは、園芸マニアだけでなく裕福な市民レベルまでチューリップ人気が広まったようだ。

マニアの市場に、生産技術の革新などがない段階でビギナーが大量に入ってくると、
無理が生じるのでチューリップのようにトラブルが発生するが、
17世紀オランダの絵画市場は、専門特化した分業体制で裕福な市民の欲求に答える
画家サイドでの生産革新があった。
具体的には、物語画、歴史画、風景画、海景画、風俗画、静物画、生物画など
一人の画家がいくつもの領域を描くことがなく、専門特化していた。
画家としての生活の維持が出来るほど絵画ニーズがあった証であり、
専門特化したからこそ、量産体制が出来たのだともいえる。

17世紀オランダの画家の絵を見るにつけ、
写実主義という近代的な視線を持ち合わせている。
客が画家を育てたのか、画家が絵画市場を読んでいたのかよくわからないが、
共通感覚として写実主義があったと思われる。

フェルメールは、ほぼ200年間忘れられていた画家だったが、
200年後になって、やっとわかってもらえたというのが良さそうだ。
17世紀オランダの画家達とは、一線を画した写実的な絵画だと思う。


これまで、
フェルメールと、フェルメールが活動した時代のオランダというテーマで書いてみたが、
1600年代なのに昨日の延長上にある感じがしてならない。
しかしながらこれは後付け的で、
地中海、バルト海から一気に世界が拡大し、
大西洋、インド洋、太平洋へという、地理の拡大は、
領土・権益の拡大という資源の拡張をもたらし、平和・豊かさではなく、戦争・競争をもたらした。
また、頭脳(知覚・認識・体系化・再現・・・・)の拡張でもあった。

15世紀からの大航海時代以降は、
世界のNEWを集め・集積・体系化する“博物学”の時代でもあり、
新たな知覚・認識・感覚のフレームを切り、構図として焼き付ける新しいアートの時代でもあった。

急成長し、膨張するオランダの世界
この社会・生活を支えるたった一人の無名の女
家事をする女(牛乳を注ぐ女)、音楽を楽しむ女(リュートを調弦する女)、手紙を読む女(青衣の女)、・・・・・・・・・
17世紀にこのような絵を描けるフェルメールは、
男女共同社会の実現などがやっと叫ばれている、21世紀を透視する目を持っていたのだろう。
いま(現在)を語るのではなく、存在を語っているので、
時間を越えたのだと思う。

フェルメールの視線形成には、
オランダ、しかも成長著しいアムステルダムでなく、没落していく古都デルフトという
舞台があったことも重要だと思った。
レンブラントは、アムステルダムで物語画・歴史画を描いた。
フェルメールは、古都デルフトで一人の女を描いた。


フェルメールとその時代のオランダ

その1:フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展
その2:近代資本主義の芽生え
その3:遠近法は15世紀に発見された!
その4:リアリズムを支えた技術、カメラ・オブスキュラ
その5:プロテスタンティズムと風俗画誕生
その6:フェルメールのこだわり “フェルメールブルー”
その7:フェルメールを愛した人々&世俗のフアン



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2回目の越冬に向かうアフリカンブルーバジル

2007-11-21 10:44:19 | その他のハーブ


濃い紫の葉脈が浮かぶ淡い緑の葉、
薄赤紫の受け口の花
木質化した枝
そして、気持ちを静めるシソの香り。

ハーブ園の温室にたたずんでいた大株のアフリカンブルーバジル。
3年目はたっていたのだろうか?
ハーブの仲間では、何故か枯山水の味があり、
洋風の玄関先にあると両方が引き立ちとてもマッチする。

アフリカンブルーバジルは、多年草だが越冬が難しい。

ハーブ園の大株を目指して、
昨シーズン、初めて越冬させることが出来、今度で2回目の越冬に向かう。

今は、花が咲き乱れているが、
2年目で、やわな枝が木質化し、枯れた味が出てきた。
また、枝ぶりも大きくなり存在感が出てきた。

今週から、寒さが厳しくなったので、
陽射しは弱くなるが、屋根のある霜に当たらない場所に早くも移し、
3年目の無事な越冬をさせたい。



アフリカンブルーバジル(African Blue Basil)
・ダークオパールバジルとカンファーバジルとの交配種
・耐寒性弱い。霜に当てないで0℃程度なら越冬可能。
・成長が早いので葉をすくなどし、夏場は水切れに注意。
・草丈100cmまで成長。株張りも100cmぐらいになるので、摘心で丈を詰める。
・ダークオパールバジルは多年草だが、越冬はもっと難しそうだ。


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牛すじ肉の和風シチュー

2007-11-20 08:50:43 | 男の料理

フォンドボーを初めて作ろうかと思ったが、
時間がたっぷりかかることがわかり、
夕食に間に合わないので、
市販のデミグラソースを使った、ビーフシチューを3時間でまず作り、
購入した牛すじ肉は翌日に持ち越した。



さて、ビーフシチュウーがあるので、何にしようかと考えたが
旬の大根を使った和風シチュー的なものを作ることにした。
縁取りをすると、煮崩れしないことがわかったので、
大根の活用範囲が広がりました。

牛すじ肉は、初めて料理に使う食材ですが、
沸騰したお湯とお酒で、脂と臭みを取ってしまえば
後は、普通の食材と同じ扱いでいけることがわかりました。

完成まで4時間強かかりましたが、
下ごしらえの時間だけが忙しいが、
煮込みの時間は、1時間ごとにタイマーをセットしてチェックするだけなので、
他のことが出来ます。

のんびりと、濃くのあるものを自宅で食べたい時は、お薦めです。
CDを聞き、本を読みなどの・・・ながら料理に最適でした。

4時間後には、
うまみを吸い取ったジューシーな大根と、
プリン~プリン~のゼラチンのような牛すじ肉が、
濃厚でかつやさしい味を提供してくれます。

これは、メインディッシュになれる一品だと思う。

材 料(4人分)
牛すじ肉(国産にしましょう)  500グラム
大根            1本
こんにゃく         1枚
緑の野菜(インゲン)      適量(1袋)
(アスパラ、インゲン、ピーマンどれでもOK)
しょうが          小1個
長ネギ           1本
水(又は、だし汁)       800cc
だし調味料         小さじ2杯
しょうゆ          大さじ3杯
酒             大さじ3杯
砂糖            大さじ2杯
オイスターソース      大さじ1杯
輪切り唐辛子(乾燥した)   少々
花こしょう         少々

作り方
1.沸騰したお湯に、牛すじ肉とお酒をいれて湯通しをする。煮えたところで取り出し、
大き目の一口大にきっておく。
2.しょうが・長ネギをみじん切りにし、熱した鍋にサラダ油を引き、香りが出るまで炒める。
3.炒めたら、この鍋に水とだし調味料を加え、牛すじ肉を入れる。
4.さらに、しょうゆ・酒・砂糖をいれ、弱火で2~3時間煮込む。(空焚き注意。)
5.2時間後から次の準備をするが、大根を2~3cmの厚さで輪切りにし、縁取りをする。
6.インゲン豆は、鞘を取り1/2の大きさにし、ボールにとっておく。
7.すじ肉が煮えたら(2時間30分後ぐらい)、大根を入れ煮込む。
8.大根を入れたら、オイスターソースと輪切り唐辛子を入れ、大根が煮えるまで煮込む。
9.大根に串を刺し煮えていたら、インゲンをいれ軽く煮立てる。
10.最後に、花こしょうを入れ火を止める。

チェックポイント
大根を入れる前に味見をし、この味を覚えておく。しょうが、ネギだけでもいい味がつくれます。
オイスターソースを入れると、味が変化するので、好みの味を確認するとよい。


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庭の見張り番。

2007-11-19 08:59:09 | その他のハーブ

枝に登っているトカゲ


このトカゲは、わがファミリーの一員です。

彼らの役割は、植物の害虫を退治することです。
天気のいい日は、午前中にのんびりと日光浴をしていますが、
午後からは、エサをとるので活躍をしています。

最近は、枝登りをし、チョウ達をもターゲットにするようになりました。
これは、今年初めての現象です。
冬が近づいているので、出来ることは全てやりつくそうとしているのでしょうか?

枝登りしているトカゲの頭を、カミサンがなでてあげても逃げなくなり
危害を加えないことが理解されるようになったのでしょうか?

こうなるまでに多少時間がかかりました。



当然我が家の周囲は、コンクリート、アスファルトで囲まれています。
緑を維持するために、可能な限り何も使わず、人力を加えない環境を維持しようと思い
最低限のルールで庭いじりをしている。

1.殺虫剤を使わない。
2.農薬は、病気の植物だけに少しだけ使う。
3.肥料は、腐葉土を中心に有機質を使用する。
4.土は再生して使う。

この結果は、ダンゴムシ、アリ、ケムシなどの虫が増え、これを食べるカマキリ、トカゲが増え、
たまには、これらを食べる蛇にもお目にかかるようになりました。

追い払ったりもしないので、
ハチ、チョウ、トカゲまで逃げるということもせず
カメラを向けてものんびりとしています。
望ましくない、ケムシなどには、トカゲだけに期待することなく、
防虫効果があるハーブ
サントリナグレー、レモンマリーゴールドなどを活用してます。


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有楽町の隠れた一品。ミルクワンタン。

2007-11-18 08:38:55 | グルメ

これがミルクワンタン


今日のお奨めは、 “ミルクワンタン” 。
有楽町の穴場だよ!

初めて、この“ミルクワンタン”に出会ったのは、
20数年前のことと思う。

イメージが悪く、ゲテモノ食いに近い感じを持った。
ミルクとワンタンを個別にするとイメージが悪いことはないが、
一緒になり、ミルクワンタンとなると
いけないことをしているような感じがする。

このミルクワンタンにハマッた人に無理やり連れて行かれた。
しぶしぶ食べたら、あまりのイメージとのギャップに驚いてしまった。

よく考えると、不思議ではなく、ミスマッチでもない。
むしろ、ベストマッチかもしれない。

この自分のイメージと
実際の味とのギャップを楽しんでもらうために
これ以上味覚のヒントを出さないこととする。

この看板が目印                  有楽町でも人通りがない


有楽町イトシアに来る際には、ランチで行くとよい。
有楽町駅から東京国際フォーラムの反対側で、
JRガード下沿いに右側を東京駅のほうに向かうと
中間のあたりのガード下に『ミルクワンタン鳥藤』という小さな店がある。
20年以上も健在だからすごい。
いまやガード下の老舗だね!

ランチの場合は、ミルクワンタンとミニチャーハンを頼むとよい。

自宅でも作りたくなるが、家族に言うと、
きっと自分の最初のイメージと同じことが言われると思う。
最初のイメージの記憶をメモしておきたい一品だ。
自分の感覚・味覚のセンスが計れるかもしれない。
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フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ その7

2007-11-17 09:09:38 | フェルメール
その7:フェルメールを愛した人々&世俗のフアン

フェルメールは“サザエさん家のマスオさん”だった。
彼は、1653年カタリーナ・ボルネスと結婚し、1675年12月15日43歳でなくなるまで、妻の実家に同居していた。
彼が安心して絵を描けたのも、義母が生涯最大のパトロンであったからだ。

しかし、フェルメールの死後は、悲惨なことが多かった。
残された家族は、借金返済などで絵を手放さざるを得ず
『ギターを弾く女』 『手紙を書く女と召使』はパン代の代わりに手放し、
最も手放したくなかった『アトリエの画家(絵画芸術)』も手放さざるを得なくなった。

この調整をしたのが、フェルメールの遺言執行人(管財人)として登場した、
アントニ・ファン・レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632年~ 1723年)だ。
彼は、独学で世界ではじめての顕微鏡をつくり、
動物・植物以外に“微生物”があることを発見した、微生物学の父とも言われる。
また、いろいろ顕微鏡でのぞいているうちに、精子まで発見してしまった。
男だよね~。
彼は、デルフトの役人も勤め、フェルメールと同年齢であった。

1687年、未亡人カタリーナが死亡。
1696年、21点のフェルメールの作品がアムステルダムで競売にかけられた。

『アトリエの画家(絵画芸術)』を初め、
フェルメールの33作品という数少ない絵は、この後、数奇な運命をたどる。

1866年までフェルメールは、忘れられた過去の画家となっていた。
光を当てたのは、フランスの批評家トレ=ビュルガー。
これ以降、再評価され、取引の値段もうなぎのぼりとなった。

フェルメールの絵は、意外な人達に愛されたようだ。
たとえば、ヒトラー、テロリスト、窃盗犯、贋作作家などである。

最も意外なのは、
1974年には、フェルメールの絵『ギターを弾く女』『手紙を書く女と召使』などが盗難にあい、
テロリストとして逮捕されていたアイルランド共和国軍暫定派のメンバーを
ロンドンから北アイルランドの刑務所に移動させることを
交換条件として出してきた。
フェルメールの絵の価値は、
自分達(テロリスト)の要望を受け入れると考えた人間が企画・実行しており、
テロリスト側に、偉い人を人質にするより高い効果が期待できる。
ということだ。
世俗を超越したフェルメールのフアンがテロリスト側にいたということだろう。

贋作者に至っては、
フェルメールを誰よりも理解し、かつ、そっくり真似られる高度な技術を持ち
さらに、市場が求めるニーズを知っているという
フェルメールに同化し、さらにはフェルメールを超えたいフアンがいた。
贋作者ハン・フォン・メーヘレン(Han van Meegeren 1889-1947)だ。
フェルメールフリークが求める、フェルメールが描いていない作品を制作し、
フェルメールならこんな作品を描くだろうという評論家・専門家の想像に答えたのだ。
『エマオのキリスト』がそのピカ一の贋作だ。
というよりは、オリジナルなので、フェルメール作というブランドの盗用に該当する。
“だまされた”というよりは“信じた”落とし穴は、
フェルメール作とされている作品は33と寡作であり、しかも、宗教的な物語画が少ない。
まだ未発見の作品があるのではないかというところにあった。
この作品は、1938年ロッテルダムのボイマンス美術館が過去最高の価格で購入した。

意外性がなかったのが、ヒトラーだった。
ヒトラーは、フェルメールの大のフアンだった。
特に、『アトリエの画家(絵画芸術)』がお気に入りで、欲しくてしょうがなかった。
当然、略奪をしたのかと思ったら、
ウィーンのチェルニン伯爵家から、1940年に150万帝国マルク(66万ドル)で購入していた。
初恋の女性に口が聞けなかったというのに近い、ヒトラーの思い入れがそこにはあったようだ。
チェルニン伯爵を恫喝しようかという側近の意見を退けたようであり、
若い頃に絵描きを目指したヒトラーの、フェルメールフアン心理が出ているようだ。
成功者が田舎にモニュメントを作る例通りに、
リンツに計画していた、ヒトラー総統美術館オープンがかなわず、
『アトリエの画家(絵画芸術)』は、そこに飾られることはなかった。

フェルメールの代表作といってもよい『アトリエの画家(絵画芸術)』は、
第二次世界大戦終了後、オーストラリア・ザルツブルク近郊の岩塩坑で発見され、
1946年からウィーン美術史美術館の所蔵となった。

ウィーン美術史美術館は、フェルメールの代表作を所蔵しているだけでなく、
わたしの大好きな、ブリューゲルのコレクションがあるところでも知られている。

フェルメールとその時代のオランダ
その1:フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展

その2:近代資本主義の芽生え

その3:遠近法は15世紀に発見された!

その4:リアリズムを支えた技術、カメラ・オブスキュラ

その5:プロテスタンティズムと風俗画誕生

その6:フェルメールのこだわり “フェルメールブルー”



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冬の緑と花 ツワブキ

2007-11-16 09:09:51 | その他のハーブ

冬がやってくる。 こんな実感の朝です。

日本の代表的なハーブは、ねぎ、シソ、ゴマ、しょうが、セリ・ミツバ、ワサビなどであるが、
蕗(フキ)そしてツワブキもりっぱな薬効があるハーブだ。



諸外国のハーブは、派手系が結構多いが、
日本のハーブは、地味系が多い感じがする。
ドクダミなどが代表かもわからないが、ちょっと嫌われすぎだ。

ツワブキは、日本庭園の代表的な草花だが、
渋い脇役として、岩、池、木などを引き立てる役割が似合っている。

濃い緑で光を跳ね返す艶があるしかも厚手の葉。
傘がなければ、ちょっと大きめの葉を拝借したいと思ったりするが、
この葉の下で、ガマかえるが雨宿りなどをしているととても似合う。

わが庭のツワブキは、
いろいろなハーブの後に隠れ、
これらが枯れてくる12月過ぎにならないと目立たない。

脇役ではあるが、地力があるため、病弱な主役を食ってしまうほど
自らの生存戦略とテリトリーがしっかりしている。
地下茎で横に広がり、いつの間にか陣地を取ってしまう。
そこでお灸をすえ、バッサリとカットしてやると
体勢を自ら立て直し、テリトリーをしっかり確保する。
意外と頭がいいと思う。

今年は、ツワブキの前にある古老のラベンダーが猛暑で老衰したため、
ツワブキ、フェンネルの黄色の花が目に入るようになった。
フェンネルは夏場が開花期であるので、ちょっと変かなとは思うが、
ツワブキは予定通りの開花だ。

葉を見ている限りは、キク科とは思えないが、花を見ると菊の血を引いている。



ツワブキ
・キク科ツワブキ属の耐寒性がある常緑の多年草。
・学名は、Farfugium japonicum。和名は石蕗(ツワブキ)。
・原産地は、日本福島以西、朝鮮半島、中国、台湾などの海岸、岩場、林の下などに自生。
・葉につやがあるので艶葉蕗(つやはふき)からツワブキとなった。
・開花期は、10月~11月末。黄色い花を咲かせる。
・草丈は、50cm程度で横に広がる。


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これが開け実(アケビ)

2007-11-15 08:33:28 | その他のハーブ

開け実です


初めての完熟あけび

パクッーと割れ、食べてくれと誘っています。

もうここまで来たら、イタダク以外ありません。

収穫。収穫だ!

あと4個もあるので、

最初の収穫は、カミサマに献上!

雌雄同株だから来年も期待したい。

お供え


御下がりもの


カミサマからのお下がりを頂戴してみました。

片栗粉を硬めに溶いだ中にタネが一杯あり、

口にほおばりタネをプゥ~と噴出すのがやはり正しい食べ方ですね

上品な甘さと後味としての渋みが残り

よく子供の時にこの味がわかったなと驚いている次第です。

40~50年ぶりの味覚確認です。

ミツバアケビ(Akebia trifoliata )
・アケビ科アケビ属の落葉つる性の木。対象物に左巻きで巻きついてくる。
・本州から九州の野山に自生する。
・雌雄同株で、花は見たことがないが、春に濃い紫色の花が咲く。
・果実は9~10月頃で、紫色に熟する。(1ヶ月以上遅れていますね)
・小葉が3枚で、縁に波状の大きな鋸歯がある。
・“開け実”(あけみ)が名前の由来。
・味はやわらかい甘さに後味としての渋みがあり、大人の味。


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ファンタスティックなローズリーフセージの花

2007-11-14 08:55:00 | セージ&サルビア


メキシコ原産のセージは、魅力にあふれている。
日本的ではまったくなく、西洋的でもなく、
アナザーワールドというか、ニューワールドと言える。

その一つが
ローズリーフセージ。学名はサルビア・インボルクラータ。

なんとも、この花は摩訶不思議で、
離発着が複数ある宇宙ステーションのようでもあり、
深海を探る潜水艇の基地のようでもあり、
日常空間の造形物とは思えない。

ピンクというよりは、桃色と言いたい包(ホウ)につつまれ
包を突き破り、筒のような花が飛び出してくる。
筒のような花は、360度全方位に照準を合わせている。

成長すると、この面白さが減じ、
潜望鏡が延びるように、桃色の花がその周りに咲き乱れる。

耐寒性が弱いみたいだが、晩秋まで咲き続けるありがたい花だ。



ローズリーフセージ(Rose-leaf sage)
・シソ科アキギリ属の半耐寒性がある多年草。強い霜に当てなければ、戸外で越冬可能。
・学名は サルビア・インボルクラータ(Salvia involucrata)、英名がローズリーフセージ( Rose-leaf sage)。
・原産地は、メキシコから中央アメリカ。森の半日陰に生育。
・草丈1.5m、カブ張り1.5mと大株に成長する。摘心で草丈を調整する。
・開花期は、夏から晩秋。桃色の包(ホウ)につつまれた蕾の中から鮮やかな桃色の花が咲く。


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