モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

植物の知恵と戦略 ④ 花の色の不思議

2009-02-28 07:30:54 | 植物の知恵と戦略

早春の花に黄色が多いのは何故?
こんなお題をいただいた。
確かに年明けから掲載した花は、ロウバイ、マンサク、フクジュソウ、そしてクロッカスの早咲き黄色系など黄色の花が多い。(気になったら書庫「その他ハーブ」を!)

同じ疑問を持っている識者がいた。(やれやれホッとした~)
『花はふしぎ』の著者 岩科 司さんだ。(講談社ブルーバックス2008年7月20日第一刷発行)

まず岩科さんの見解を著書から引用するとこうなる。
『なぜ春には黄色い花が多いのか? その理由についてはよくわかっていないが、黄色の花というのは比較的特定の動物との結びつきが少ない。昆虫の動きがまだ活発でなく、しかも種類・数も少ない早春にはあまり特定の昆虫と結びつかない方がよいのかもしれない。』

なるほど、悪環境のときはお得意先を絞り込まずに多元外交がいいのだろう。

しかしそれだけではなさそうだ。自己にとって有利なこともある。意訳すると・・・
『春は降り注ぐ紫外線が多く、紫外線は生物にとって有害だ。黄色の花は人間が眼に見える可視光のうち黄色を反射し(だから黄色に見える)、黄色の反対色を吸収する。黄色の反対色は紫でありその隣の人間には見えない紫外線をも吸収する。これで花を保護している。』という説もあげている。

そういえば、早春の花は、花が咲いてから葉がでるものが結構ある。自己防衛という線も捨てきれない。
環境が厳しい時は優先順位をしっかりし、まず子孫繁栄、次に葉を出し栄養を蓄積し来年の準備。理にかなった生き方だ。

花が色をもつようになったのは?
初期の花には花びら、葉から変化した花を保護する萼片がなかったようだ。
風などの偶然に頼って花粉を飛ばしていた(風媒花)と推測されていて、その後昆虫によって花粉が運ばれる虫媒花が出現したようだ。

さらにその後花びらや萼片を持つ花が誕生し、色を持った花が登場してきたと推測されている。化石には色がないので何色だったかはわかっていない。

花粉を運ぶ代償として昆虫の食糧となる花粉を与えていたが、花粉は生産が大変でコストが高いという。また、子孫繁栄に使ってもらう方がいいので食料となる部分を減らしたいということもあり、花粉よりも簡単に作れて植物のエネルギーを多消費しない蜜を作り出したという。(これは意外な展開となった。花も経済合理性で行動を選択している。義理とか人情での行動選択は間違いが多いのかもわからない。)

色を持つ花は昆虫をひきつけ子孫を残す効率がよいので、花と昆虫の共進化がはじまり、花色の増加と昆虫の種類の増加がともにおきたという。

このような歴史を知ると、昆虫に目立つ色、美味しいご褒美は、花粉をばらまくための植物の知恵の結晶でもあることがわかる。
人間がこの花の美しさに気づき再発見したのは16世紀頃からであり、平和な時代をもたらした果実のようだ。

早春の黄色系の花の知恵その他
・黄色の花の多くは上向きに咲く。蜜がやや深いところに隠されているので、口が短い昆虫には蜜が吸えない。
・よくやってくるのは、黄色が好きなハナアブ類、小型で口が短めのチョウの仲間。ハナアブは着陸がへたなので上向きでないとダメなようだ。
・ミツバチやそれよりも小型のハナバチも来て蜜や花粉を集める。
・人間には見えない紫外線の模様で蜜のありかを昆虫にそっと教えている花も多い。紫外線写真でとると、紫外線を反射するところは白く、吸収するところは黒く写り花の中心が黒ずむ。
・フクジュソウは、ハナアブにご褒美で提供する蜜がない。そのかわり、寒くて活動しにくい時期に身体を温めてあげる集光パラボナアンテナを持っている。温まった昆虫は活動的になり花粉を遠くに運ぶことになるから一石二鳥となる。
・マンサクの花の中心に当たるしべ部分が赤紫色なのは、パートナーのハエが大好きな腐肉の色に反応する事を利用しているという。
・(注)ハナアブは、アブの仲間ではなくハエの仲間だという。

最後に気になる紫外線の映像を擬似的に作ってみた。
昆虫からは、黄色が反射して明るく見え、吸収される色は暗く写り、マタ、蜜のありかを誘導する矢印のような印として見えるという。多分こんな風になっているようだ。
(写真)人間の目で見た黄色の花


(写真)昆虫の目から見た黄色の花(擬似)

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植物の知恵と戦略 ③ 開花のメカニズム

2009-02-26 09:12:22 | 植物の知恵と戦略

この項は、『② 植物が“時”を認識する仕組み』の後編です。

花は美しい。
花の美しさの価値が認識され再発見されたのは、ヨーロッパ社会においては16世紀後半からのようだ。日本でもほぼ同じ時期からだが、江戸時代は平和が続いたため庶民レベルまでこの審美眼が浸透したようであり、江戸末期に日本に来た西欧人はこの水準の高さに驚いている。(末尾に抜粋を掲載)

しかし、人間社会の変化がどうであれ植物は花をつけ、この花は、植物にとってのパートナーを求めるサインのあらわれであり、子孫を残す大切なプロセスだ。

花にとってのパートナーは、昆虫であったり風などであり、決して人間ではない。
このパートナーに来てもらい花粉をたっぷりとつけ他の花々に受粉してもらいたいという願いがこめられている。

この呼び込みの看板・ネオンサインが花であり、餌・食料となる蜜や花粉がこれから行われる労働の対価でもある。或いは撒き餌となるチラシ・ティシュなのかもわからない。

(写真)まだ咲いているセミアトラータの花


長日植物・短日植物
開花の準備は、夜の長さの変化を感じ取って始まる。
夏至を境に夜が長く日中が短くなると開花の準備が始まるのが夏から秋咲きなどの短日植物であり、冬至を境に昼が長くなると開花の準備がされるのが春咲きからの長日植物となる。

花が咲くまでの開花の準備には三つのプロセスがあるという。まず最初に「つぼみが出来るプロセス」、第二に「つぼみが生長するプロセス」、第三が「開花」である。

どこがどう違うのかといえば、
最初の「つぼみが出来るプロセス」とは、植物が成長するところは芽の中にある成長点だが、この成長点が葉を作ることをやめ“つぼみ”を作るようにスイッチが切り替わることをさす。そして花芽を形成する。
第二段階はこの花芽がつぼみとして花弁・雌しべ・雄しべを成長させ形を作っていく。
そして、最後の第三段階で開花する。

アサガオの暗黒と開花の実験
小学校の理科実験などでアサガオの栽培観察などがあったが、出題者の先生もわかっていないかもしれない実験がある。内緒で子供・孫達に教えると良さそうだ。

アサガオは単日植物の典型的な植物であり、日中が短くなり夜が長くなると開花の準備に入る。そこで、発芽し双葉になったばかりのアサガオを、人為的に夜を長くしてあげると、一度だけでも敏感にこれを感じ取り開花の準備に入るという。具体的には真っ暗なところに一日(14時間以上)入れておくだけでよい。
アサガオの苗の数が多くあれば、何時間暗くすると開花するかという関係が調べられ、先生も驚く研究発表となる。夏休みの研究テーマとしていけそうだ。

この逆もまたありで、明るい室内でアサガオを育てると開花しないでつると葉だけが育つことになる。明るい街灯の下のアサガオは花を咲かせないということになる。水遣り・肥料が問題ではなかったのだ。

植物の感知センサーは、『葉』
植物の暗黒を感じ取る精度はきわめて高いようで、15分間の違いをも認識するという。
そしてどこでこの暗黒を感知しているかというと『葉』だという。
かなり精度の高いセンサーのようだ。

また、植物によりこのセンサーが作動し開花の準備に入るトリガーが異なるようだ。
短日植物のシソは、暗黒時間8時間以上を7~8回認識すると花芽が分化する。同じ短日植物の大豆の場合は、暗黒時間10時間以上で、数回認識すると花芽が分化するという。

このバラツキは、植物の生存に関わる過去の経験が何らかの形で影響しているのだろう。1回でも認識するアサガオ、8回以上ないと認識しないシソでは、シソの方が安全弁機能が内蔵され疑り深い或いは慎重だと感じるがどうだろうか?
花が咲かないことには生き残れない。シソの場合は、8日間も確認して大丈夫と思い咲くのだろうか?

植物の生存戦略も、こんなところから見ると面白そうだ。
堅苦しくいうと、自らの経営資源を花を咲かせ、タネを結び、次につなげるということで、環境の変化に如何に適合するように創り上げてきたか?
そして種間の競争に生き残ってきたか? が見えてくるかもわからない。

(写真)黒に見えるダークブルーのディスコロールセージの花


認識と伝達
アサガオは葉が長時間の暗黒を1回でも認識すると開花行動をとる。そこで、14時間暗闇に置いたアサガオの葉を直ぐに切り取ると開花しないという。ということは、開花しろという伝達が成長点に届かなかったということになる。
しかし、切り取る時間を遅らせると開花するという。

このことは、葉から茎の成長点まで開花指令をのせて運ぶ物質があるのではないかという仮設が成立するが、この物質はいまだに発見されていない。
ホルモンなのか?ニューロンなのか?何なのだろう?この謎が解けたらノーベル賞がもらえるだろう。

もしこれがわかれば、新しい伝達方法とヴィークル(乗り物)の可能性が広がる。
マクルーハンは「メディアはメッセージだ」といったが、植物からわかるメディアとメッセージの関係は、人間のアナロジーで考え、ロボットなどに応用してきた認識と伝達の考え方を根底から変える可能性がありそうだ。

付録【幕末の頃の日本人の美意識】
幕末の1860年に日本に来たイギリスのプラントハンター、ロバート・フォーチュン(Robert Fortune )が帰国後に書いた「幕末日本探訪記」がある。現在これを酒の間に読んでいるが、イギリス人から見たこの頃の日本がわかって面白い。日本人の花・植物への関心のところだけを抜粋すると次のように書かれている。

「馬で郊外の小ぢんまりした住居や農家や小屋のかたわらを通り過ぎると、家の前に日本人好みの草花を少しばかり植え込んだ小庭をつくっている。日本人の国民性の著しい特色は、下層階級でも皆生来の花好きであるということだ。(中略)もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人々は、イギリスの同じ階級の人たちに較べると、ずっと優って見える。」

江戸郊外を散策してのフォーチュンの感想で、日本の庶民文化の高さをほめているが、リーダー階層に関しては言及していない。この点は、今も昔も変わらず国際レベルに到達していないのだろう。

わき道に入ってしまったが、英国人から見た日本の美しさが新鮮に感じるのでどこかで紹介したい。

参考資料:『花の自然史』北海道大学図書刊行会 
第13章『花が季節や時を告げる仕組み』甲南大学 田中 修
※ 田中さんの文章は読みやすくわかりやすい。

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ミツマタ(三椏)の花

2009-02-24 08:23:10 | その他のハーブ

丈夫で通風性がよい和紙。
その原料がミツマタだが、最近はインテリア素材としても使われており、省エネ時代に逆行するかもわからないが電球を使った照明は柔らかい灯りとなり蛍光灯にない憩いをくれる。これを“ほっこり”するというのだろう。

身近では1万円札がミツマタから作られていて、これを得るために悪戦苦闘する世になっている。人間が作ったものを道具とするならば、道具は使い方によって豊かさとかプアー感とかを与えてくれる。道具が豊かであったりプアーになるのではなく、使う人間の心にその違いが生じるのだということは百も承知だが忘れがちになる。
さて、“ほっこり”できる1万円札。これが今の課題だ。

ミツマタの花を見て、1万円札の元となっている不思議を味わっていただきたい。

(写真)ミツマタの花


春の花木は、ウメ・ロウバイなど花が咲いてから葉が出てくるものが多い。いつ見ても気恥ずかしさがあり、何故そう思うのかを考えてみたら、素っ裸のような気がするからだと気づいた。
ミツマタも同じであり、葉が落ちた晩秋から銀白色の蜂の巣のようなつぼみをつけ、
2月から3月頃に開花する。

原産地は中国であり、日本にはいつ入ってきたかわからないという謎がある。
記録に残っているのは、1598年に徳川家康が伊豆修善寺の製紙工にだした許可状で 「豆州にては 鳥子草、かんひ、みつまたは 何方に候とも 修善寺文左右衛門より外には切るべからず」 と書かれている。

日本の製紙の始まりは聖徳太子の頃といわれているが、「かんひ」は、「ガンピ」であり、奈良時代から和紙の原料として使われていたという。
ミツマタは梅と同じ万葉の時代に入ってきていたかもわからないが、紙の原料として歴史に記録されたのが戦国時代終わりでだいぶ時間差がある。

日本の和紙の質を日本及び世界に広めたのが紙幣であり、1879年(明治12年)大蔵省印刷局によってミツマタがはじめて使われた。明治の初期はドイツに発注し輸入していたというのでいわゆる造幣局の歴史とともに歩んだことになる。

この日本の紙幣の始まりは、1600年頃伊勢の商人が、銭で払わなければならないおつり分を貨幣がないので“いくら借り”という意味で出した紙ッ切れ(証文=私幣)が始まりのようだが、よほど信用があった商人なのだろう。
フタマタは信用を失墜するが、ミツマタは信用を創造する役割を担うということになったから偶然にしても言葉遊びは面白い。

(写真)蜂の巣のようなミツマタのつぼみ


(写真)つぼみが一杯のミツマタの木


(写真)ミツマタの花横顔


ミツマタ(三椏)
・ジンチョウゲ科ミツマタ属の耐寒性がある落葉低木。
・学名は、Edgeworthia chrysantha Lindl。属名のEdgeworthia(エッジワーシア)は、イギリスの植物学者「Edgeworth 夫妻」の名前にちなみ、種小名のchrysanthaは「黄色の花の」を意味する。
・原産地は中国の中南部、ヒマラヤ。
・樹高1-2mで枝が全て3つに分かれるのでミツマタという名前がついた。
・晩秋に落葉した頃に銀灰色の蜂の巣のようなつぼみがつき、2月頃に葉がでる前に開花する。
・花は、蜂の巣が開くように黄色のラッパ状のものが多数つくが、これは花を保護する萼(がく)で花弁ではない。
・花が咲いた後に葉がでるが、葉は表が緑色だが裏面に細い毛が密集し灰白色。
・生育環境は西日本の暖かいところが適しているが、東北以西で栽培できる。
・樹皮は高級和紙となり鳥の子紙・紙幣などに使われる。
・明治9年に政府印刷局で三叉を原料として紙幣を作ってから、三叉の利用度は非常に高くなった。

命名者Lindl.
ジョン・リンドレイ(John Lindley 1799-1865)は英国の植物学者でロンドン大学の植物学の教授。若い頃はバンクス卿のアシスタント秘書などを勤め、1830年代後半にはロンドンにある王立園芸協会の最初のフラワーショーを組織し成功させ、多数の著作があるが、「The Theory and Practice of Horticulture」(1840)は、19世紀のアメリカの園芸家に多大な影響を与えた。

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酔っ払い論。

2009-02-22 08:15:33 | 街中ウオッチング

前財務・金融大臣の中川さんが酔っ払ってしまった。ようだ。
公の場でやってしまったので、しかも国内ではなく海外の重要な場でやってしまったので世界に配信されてしまった。

私も自慢ではないが中川さん同様かそれ以上に酔っ払うので、 「酔っ払い」というものを考えるいいチャンスになった。

私には、理想の酔っ払い像というものがある。
それは、蕎麦屋で、ぬる燗1本を肴一品でゆっくりと飲み、仕上げにもりそばを食べて今日一日に感謝する儀式を行って帰るスタイルだ。

たまにいく神田のまつやという蕎麦屋に、夏は着流し、先日は寒いので刺し子状の厚手の羽織をはおっていたが、瞑想のように超然として飲んでいる“いなせなおやじ”がいる。

たぶん毎日きている常連客のように感じるが、氏素性に興味がわきじっと観察をしている。最初の頃は、この蕎麦屋のおやじが蕎麦うちが終わり、仕事上がりで飲んでいるのかと思うほど店の中でのデッドスペースに遠慮がちに陣取って飲んでいる。
しかしどうも店の人間ではなく客のようだ。次には、江戸の伝統的な職人ではないかと思った。或いは、今はいない江戸の火消しのようでもあった。

観察からわかったこのいなせなおやじには一つの酒を飲む哲学があるようだ。
悪い席に座る。彼は、いい席を初めての客のためにゆずり、自分は末席のデッドスペースで飲むことを旨としているようだ。そして、人に話しかけない。寂しさをヒトで紛らわせる愚行をしない。そして、既定の量でやめる。

(写真)神田まつやの蕎麦


私が理想としている飲み方を現に実践しているおやじがいた。

こんな飲み方が出来る人間は、そうあまりいないように思う。
過去に壮絶な物語があったとしか思えない。
中川さんもこの仲間に入れる切符を手に入れたかもわからない。これからはじまる壮絶な経験を乗り越えれば。

一人で飲む酒には二つのタイプがあると思う。
奈落の酒に落ちていく飲み方で、到着駅はアルチュウだろう。
もう一つは、奈落の底から這い上がってカムバックしてきたヒトが感謝して飲む酒だろう。

中川さんは、ストレスの多い重労働もあったと思うが、荒んでいく直前の人相になりつつあったが、このおやじはすがすがしい顔をしている。しかし、このいなせなおやじは、どうも奈落の底を経験したようだ。でなければ規定量でとまらないし、自分を律することが出来ない。

私はいまだにこのおやじのような飲み方が出来ない。
友人と飲みたいし、最後は体力テストで倒れるまで飲み続ける、ブレーキをはずした暴飲列車の乗客なのだ。ただ、この列車には人生経験のない若者を乗客として乗せない見識だけは持ち合わせている。幸いなことに、現地調達で一緒に飲むヒトを探してしまう嗅覚があるので飲み仲間には不自由しない。
奈落の酒を極めるには、緊張感が欠ける身内と飲んではいけない。
中川さんは習慣を省みることがなかったためか中途半端なことで失敗している。

何故酒を酔っ払うほど飲むのか?ということを考えてみるといいのかなと思う。
酒は現実からの逃避に便利であり、現実に戻っていく勇気をも与えてくれる。
考えなしの常用はこの意味・効用を麻痺させ逃げっぱなしになってしまう。
考えて、現実から“逃げるな”ということだろう。

私の理想の酒の飲み方をしている“いなせなおやじ”は素晴らしい。
きっと彼は、奈落を経験しそこから這い上がってきたことで得た自分を律する技術を持っていると思う。一人遊びできる大人は、IT技術など先端科学の技術も重要だが、人間の気持ちを制御する技術を持っており、この技術はヒューマン・サイエンスとして重要だと思うに至った。
飲み屋で学ぶことも結構あるということだろうか?

『酔っ払い、正常と思う心に酔っている。』

医療領域を除き、正常・正常でないかは、民主主義的に決めるしかないようなので、自己評価だけでは危ないということだろう。第三者の声を聞けないお山の大将は、わかっていないし危ないということにつながる。

『ストレスは、身内と飲むと高くなる。』 持つべきもの身内と飲むより直言の友だろう。

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クリスマスローズの原種、リヴィダスの花

2009-02-21 08:44:35 | その他のハーブ

温度は上がらないが快晴でクリスマスローズのいい時期に入ってきた。

(写真) クリスマスローズ・リヴィダスの花


地中海西側のスペインのマジョルカ島など狭い地域に生息するリヴィダス。
20ある原種のうちの一つで、大理石の模様をした緑色の葉が美しい。
クリスマスローズは、ノコギリのような葉の切れ込みがあるがリヴィダスにはこれがない。また、3枚の葉はめずらしい。

花は、日焼けして色が飛んだ赤茶色なのか赤紫のような淡いキンツバのような渋めの色をしており、長い雌しべが際立って目立つ。咲き進むに従って赤味が増していくので、この頃が見ごろとなる。

クリスマスローズの中では耐寒性が弱い種であり、関東以北では戸外での栽培が難しいようであり、夕方からは室内に取り込んで育てている。夏場をまだ経験していないが、マジョルカ島育ちだけありこの種だけは夏場にも強いが、梅雨には弱く乾燥気味なほうがよいという。

花後は、花が咲いた茎を刈り取り、咲かない茎は来年咲くので残しておく。これは忘れがちなので特記しておくことにする。

リヴィダスには、花の色が緑色をしたものがある。これはリヴィダス・コルシカ(Helleborus lividus subsp. Corsicus)という亜種になる。これもなかなか良さそうだ。

(写真)クリスマスローズ・リヴィダスの葉と花


クリスマスローズ・リヴィダス(原種)
・キンポウゲ科クリスマスローズ属の耐寒性が弱い常緑の多年草。
・学名はヘレボルス・リヴィダス(Helleborus lividus Aiton)。英名はLivid Hellebore(鉛色のヘレボルス)。
・属名Helleborusの語源は、ギリシャ語で「殺す」を意味するHeleinと「食べ物」を意味するboraからなる。食べると危ない毒草であることを意味しており、根には強心剤・利尿剤の効果がある成分が含まれている。種小名のlividusは、「鉛色、青味がかった灰色」を意味し、特徴のある花の色を示す。
・ヘレボルスの原種の原産地は、ヨーロッパ、地中海沿岸、カスピ海沿岸、中国四川省までの北緯40~50度の地域に生育。原種は20種あり石灰質の土壌に生息する。
・H.リヴィダスは、20種ある原種の一つで、その原産地は西地中海に浮かぶスペインのマジョルカ島の山麓・谷などの斜面に自生する。
・草丈20-40cmで、濃緑色に葉脈の筋が入り大理石のような模様をつくった丸みがある葉はクリスマスローズの中でも特色があり最も美しいと思う。
・花茎の先端に1~3輪の赤紫を帯びたくすんだピンク色の花をつける。
・花のように見える5枚の花弁は、花を保護する萼(がく)で、本来の花弁は退化して蜜を出す蜜腺となっている。
・開花期は、他のクリスマスローズよりも早めで2月頃が最盛期。
・関東地方以西では戸外で越冬できるようだが、耐寒性は弱いので防寒する方が良い。
・他のクリスマスローズよりは暑さには強いが、過湿には弱いので水はけが良いアルカリ性の土壌が適する。
・繁殖は株分けが難しい種類なのでタネを取る。種からの場合は発芽後1~2年後に開花。
・タネを取った或いは咲き終わった花茎は取り除くようにする。花が咲かない茎は翌年の花茎となるので切り取らない。

Aiton, William (1731-1793)
命名者エイトンは、スコットランドの園芸家・植物学者。キュー王立植物園が設立されたのが1759年だが、この時からキューの庭師として責任ある立場に着き、バンクス卿の信頼も厚くキュー植物園の今日の基礎を築く。彼は、1789年に『Hortus Kewensis』というカタログを出版した。この中にはキュー植物園が育てている5600もの外国産の植物が収録されていて、マッソンが南アフリカケープ植民地で採取した植物も含まれている。

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クリスマスローズ・オリエンタリス・グッタータス系の花

2009-02-19 13:41:45 | その他のハーブ

原稿をコピーしてペーストしたが、古いものをコピーして新しいものに上書きしてしまった。しかも保存してしまい新しい原稿が消えてしまった。
悪戦苦闘して履歴がどこかにあるのではないかと探しまくったが出て来ない。
ヒェ~ !!
元原を思い出そうにも思い出せない。
眠い~!! あきらめじゃ~。
敗因は酔っ払い。ではなくて、酔った後に作業をしたこと。
そこで本日の教訓を一言 「酔っ払い、正常と思う心に酔っている。」

(写真)クリスマスローズ・グッタータスの花


栽培し始めてから10年近くになるオリエンタスの園芸品種が咲き始めた。
きらびやかなところはなく、クリスマスローズとしては古風な花だが、結構な大株になっている。しかし、氏素性がよくわからなかったので先祖を探す謎解きをしてみた。
このことに今まで気づかなかったというのもうかつだったが・・・。

園芸品種の祖となっているオリエンタリスには
①オリエンタリス・オリエンタリス(Helleborus orientalis subsp. orientalis)
②オリエンタリス・アプチャシクス(Helleborus orientalis subsp. abchasicus)
③オリエンタリス・グッタータス(Helleborus orientalis Lamarck. subsp. guttatus)
といった3つの亜種(subsp)グループがあるという。

その中で、花弁(=萼)の内側に赤紫のスポットといわれる点々があるのが決め手となり、写真のクリスマスローズは、グッタータス系の園芸品種だと思われる。
というのは、この赤紫のスポットは、オリエンタリスの園芸品種の中でもグッタータスにしか出ないというのでほぼ確定だろう。次は、グッタータスの品種の中で何か?がわからなければならないが今年はここまでとする。

グッタータスの発見
このグッタータスは、1979年に黒海近くのグルジア、アブハジア共和国にあるリゾート地スフミ(Sukhumi)で発見された。発見者の一人は、プラントハンターとして名高いロイ・ランカスター(Lancaster, Charles Roy 1937-)であり、樹木が密集した山脈の石灰岩の多い斜面で見つけたという。

ロイ・ランカスターは、イギリスのマルチ人間で、フリーの作家であり園芸家であり植物探検家でもありテレビラジオのキャスターなどをも務め、植物探検で世界中を回り、中国・日本にもきているという。どうもすごいヒトのようだ。

このランカスターを調べていて面白いことに気づいた。
第二次世界大戦以降の植民地帝国主義が崩壊した時代では、植物探索者をプラントハンターとは言わないようになっていて、代わってプラントマン(Plantsmen)と呼んでいる。訳すと植物人間ではなく、園芸家とか植物家とかになるのだろうが、冒険的で狩人・略奪的意味合いがあるハンターではふさわしくない時代になったせいなのだろう。

ボタニスト(botanist)、ナチュラリスト(naturalist)、ナーサリーマン(nurseryman)、ガーデナー(gardener)など周辺領域にはまだまだ呼称があるが、プラントマンとは面白い呼称で、刈り取り型から育てる意味合いが付加されたようだ。

日本にも世界的に知られた荻巣樹徳(おぎすみきのり)という人物がいる。
クリスマスローズ、バラなどの幻の原種を中国で再発見した人であり、彼を称して“最後のプラントハンター”とか言われているようだが、ご本人はどう思っているのだろ?
彼の植物探索のアプローチ方法は参考になるところがあるので、どこかで紹介してみることにする。

(写真)クリスマスローズ・グッタータスの葉と花


クリスマスローズ・オリエンタリス・グッタータス系
・キンポウゲ科クリスマスローズ属の耐寒性がある常緑の多年草。
・学名は、ヘレボレス・オリエンタリス・グッタータス(Helleborus orientalis subsp.guttatus.)の園芸品種。
・オリエンタリスには3つの亜種がありグッタータスはそのうちの一つ。
・属名Helleborusの語源は、ギリシャ語で「殺す」を意味するHeleinと「食べ物」を意味するboraからなる。食べると危ない毒草である
・イギリスでは、オリエンタリスを四旬節(Lent)に咲くのでレンテン・ローズ(Lenten rose)とも言う。
・オリエンタルス(h.orientalis)種の原産地は、ロシアコーカサス地方・トルコ・黒海沿岸だが、グッタータスは、ウクライナ産で、花弁に赤紫の点々としたスポットが入り、オリエンタリスの中では区別がつきやすい。このスポットは優性遺伝するためスポットを消すことが出来ない。
・草丈20-40cmの常緑の多年草で、花茎の先端に一輪または分岐して二輪の花をつける。
・花のように見える5枚の花弁は、花を保護する萼(がく)で、本来の花弁は退化して蜜を出す蜜腺となっている。
・開花期は2月頃で、ハルザキクリスマスローズとも呼ばれる。種からの場合は開花まで2~3年かかる。
・アルカリ性の土壌を好むので石灰を入れて酸性を中和する。また肥沃な土壌を好む。
・夏場は半日陰で育てる。
・乾燥気味がよいので、乾いたらたっぷりと水をあげる。
・繁殖は株分けをする。

学名の命名者は
学名:Helleborus orientalis Lam. subsp. guttatus (A. Braun & Sauer) B. Mathew
命名者:
Lamarck, Jean Baptiste Antoine Pierre de Monnet de 1744-1829)
Braun, Carl Friedrich Wilhelm (1800-1864)
Sauer, Friedrich (Fritz) Ludwig Ferdinand (1852-)
Mathewは不明

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紫系のクロッカス・ヴェルヌス(Crocus vernus)の花

2009-02-17 03:46:47 | その他のハーブ
どうも朝まで飲むと時差ぼけのようになり風邪薬を飲んだとうそをつかなければならない誰かさんのようになる。カミサンからは大丈夫という慰めどころでなく叱責を受けてしまう。
「辞められるなら辞めてみたい深酒とお小言」(日本国材無相)
「辞めろといわれても辞めさすわけにいかない次自分」(日本国想離大臣)

さて気分を変えて
(写真) クロッカス・ヴェルヌスの花


クロッカスの基本種である紫色のクロッカスの花が咲いた。
早咲きの黄色系のクロッカス・クリサントゥス(Crocus chrysanthus)より1週間ほど遅れての開花であり、春咲きクロッカス或いはムラサキサフランとも呼ばれる。

この種は、英名では「Dutch Crocus」と呼ばれ、オランダで園芸品種が開発された重要な種となる。

クロッカスの歴史
クロッカスは世界に約80種と多数の園芸品種があるが、チューリップと同じ経路でヨーロッパに入ってきたという。

最初のクロッカスは、1560年代に神聖ローマ帝国のトルコ大使ブスベック(Ogier Ghiselin de Busbecq 1522--1592)によりオスマントルコ帝国のコンスタンチノープルからもたらされた。ブスベックは他にも植物を持ち込んできていて、チューリップ、ライラックなどが知られている。

また、ブスベックは、フランス人の植物学者で1573年にウイーンの帝国付き植物園を作り、後の1593年にオランダ・ライデン植物園を作りその初代園長となったクルシウス(Carolus Clusius1526-1609)にも球根を送り届けた。

クルシウスは球根に関心があり、スイセン・ユリ・チューリップ・アネモネ・イリス・ラナンキュラスなどの新種をヨーロッパに広めたヒトとして知られている。
ここからオランダが世界の球根類を生産するセンターとして発展していくことになる。

クロッカスの記録上の歴史は新しいが、秋咲きのサフランの歴史は相当古く、紀元前15世紀のクレタ文明は、黄金に匹敵するほど高価なサフランが支えたといわれる。わずか1グラムのサフランを得るために千個以上もの花を集め、その雌しべの柱頭を乾かして得たというから貴重なものこの上ない。

クロッカスは、明治時代に日本に伝わってきたが、サフランの方は江戸時代に伝わり平賀源内の『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』(1763)に紹介されたのが初めてのようだ。この本は、源内が日本ではじめて開催した物産展(いまでいうところのコンベンション)のカタログというべきものであり、鉱石・動植物など広く薬用となるものをとりあげている。またサフランは、スペイン料理のサフランライスだけでなく、婦人薬「中将湯」の主原料として使われているという。

(写真) クロッカス・ヴェルヌス


白・紫系のクロッカス・ヴェルヌス(Crocus vernus)
・アヤメ科クロッカス属の耐寒性がある多年性の球根。
・黄色系以外の原種の学名は、Crocus vernus J.Hill。クロッカスの総称は、Crocus L. (1753)、英名がDutch Crocus、Common Crocus。和名は、晩秋に咲くサフランに対して、春に咲くので「春サフラン」、ムラサキサフラン、或いは、花を楽しむ園芸品種なので「花サフラン」とも呼ばれる。
・原産地は中部ヨーロッパの山岳地帯に生息する。
・球根は、9-11月に植え付け2-4月に開花する。基本種の花色は紫だが園芸品種が開発され様々な色がある。
・花が先に咲き葉はその後に茂る。葉が黄色くなり枯れたならば、球根を堀上乾燥保存するが、そのままにし陽の当たらない軒下で保存したが問題なく開花した。
・水はけが良い、日当たりの良い場所が適地。
・花が終わると葉が茂るが、これを切らないで球根に栄養を与えるようにする。また花のお礼の肥料を与える。
・同じ属にあるサフランは秋咲きで、香辛料・薬用として使われ、グラム単価が非常に高価なものだ。

Crocus(クロッカス)は、ギリシャ語の「Krokos(糸の)」からきており、めしべが糸状に長く伸びることに由来する。また、神話上の青年の名前に由来するとの説もある。
種小名のvernusは、ラテン語「春の、春に開花する(spring)」を意味する。

この基本種の命名者は、ヒル(Hill, John 1716-1775) 。英国の多才なライターで、薬剤師の見習いから出発し植物学を独学で学び、リンネ式の植物分類法をイングランドに導入する伝道師的な役割を働いた。彼の著作「The Vegetable System」で1774年にスウェーデン国王から爵位をもらう。


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人形町『玉ひで』の親子丼

2009-02-16 11:04:29 | グルメ

土曜日となると受診者が二名のため健康診断が早く終わった。
20度を超える汗ばむほどの好天気なので、
一度は行列に並んで『玉ひで』の親子丼を食べてみようかな?

ということで、11時20分に並んだ。
もう既に20メートルぐらいの行列が出来ていて、店の周りをぐるりと取り囲むように並んでいた。

(写真)行列が長~い長~い玉ひで


待つこと40分で中に入ることが出来た。
下足番がいる古いタイプの上がり口から上に上がり、ここでも行列でチケットを求め5分ぐらい並ぶ。
土曜日のメニューは2品。「元祖親子丼」か「匠親子丼」。
バリウムを流すためにビールは当然として、やはり元祖かなということで、これを注文。

席に案内されざっと見ると30人は詰め込める感じだが、
掘りごたつ風のところに足をいれ座った瞬間に待たされることもなく、ビールと親子丼がきた。
この手際よさがないと行列をさばけないことは確かだが、素晴らしい、訓練された流れ作業に乗ってしまった感がある。

(写真)元祖親子丼


45分並んで食べた一口目は、悪くはないが銀座の『比内や』で食べた時の感激ほどではなかった。
『玉ひで』はとき卵に火を通していて柔らかい食感を残しているが
『比内や』のは、これに生卵がかかっている分ツルッ~とした不思議な食感を作り出していた。

可もなく、不可もなくまた食べたいという気にもならない親子丼だった。
味的にはこれは作れそうな味だと思った。

行列の中で、「一度並んでみたかった。今日は並べて感激。」という出張族の若者5人がいたが、この言葉が適切な評価のようだ。
1300円で、45分並び、5分で食べるので1時間持つから素晴らしいのだろう。
これが行列のできる店の効用かもわからない。

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クリスマスローズ・オリエンタルス赤系の花

2009-02-15 11:50:46 | その他のハーブ

今朝帰ったら、昨日の春一番がクリスマスローズの固いつぼみを溶かしていた。

(写真)クリスマスローズオリエンタルス赤系の花


バラにはトゲがある。クリスマスローズにはノコギリが葉にある。
美しきものローズには共通してその美しさを守るために”毒”があり、この毒が美しさの価値を高めているのだろう。

しかし、クリスマスローズには本物の毒が根にある。
毒は使い方により薬となり、中世時代は狂気をおさえる薬として使われていたというから、見かけ以上にタフで恐い植物のようだ。

世界には約20種の原種があり、ヨーロッパ、地中海沿岸、カスピ海沿岸、中国四川省までの北緯40~50度の地域に生育している。
今では園芸品種が数多く開発されていて、チューリップ・クロッカスなどはオランダが中心で、バラはフランスだが、クリスマスローズの園芸品はイギリスが中心のようだ。冬のイギリスは厳しい、そして花がない。だからパンジーやクリスマスローズの品種改良が進んだのだろう。

園芸品種の中心になった原種が「ヘレボルス・オリエンタリス」で、数多くの品種が開発された。
原種オリエンタリスは、種小名のごとく東方のヘレボルスで、トルコ・グルジア・ウクライナが原産地であり、耐寒性が強く丈夫な品種だ。ただ政情不安定なところが多いのが難点で、まだまだわからないことがありそうだ。


クリスマスローズの園芸品種開発の物語No1
この品種改良に尽力したのがクリスマスローズの女王といわれるイギリスの女性育種家ヘレン・バラード(Helen Ballard 1909-1995)で、彼女が60歳になった1960年代後半から新しい品種改良がはじめられた。
60歳が定年ではなく、これからもうひと働き出来るという勇気づけられるケースでもある。

ただ、まったくの素人ではなく、彼女の家系は園芸一家でもあった。義父がアスターの育種家、夫のフィリップ(Philip Ballard)がスノードロップの育種家と恵まれた環境にあったという。

彼女は、クリスマスローズ原種の産地であるマジョルカ、コルシカ、ユーゴスラビア、コーカサスに60歳を過ぎてから採取に出かけ、そこで十分な原種を集め、またその当時の園芸品種開発の先端を行っていたドイツから学ぶために独学でドイツ語を学習した努力家でもあった。
ただただ敬服する60歳からのばあさん、いやパイオニアなのだ。

バラードは、あらゆるものを交雑させ彼女の名前がつけられたヘレボルス・バラーディアエ(H.x ballardiae)と呼ばれる交雑種の作出に成功した。そしてそこから、オリエンタリスとの交雑で様々な色彩の品種開発を始めた。
しかし彼女は、約20年間で53もの交配種を開発したが、亡くなる3年前までこれらの事実とドキュメントを個人だけで秘匿し秘密にしていた。

1993年に、ドイツの植物家 ジゼラ・シュミーマン女史(Gisela Schmiemann)に、作出した品種とその開発のメモを渡し、公開することに同意した。
ジゼラは、ヘレン・バラードが残した数々のクリスマスローズハイブリットの花を豪華本「Helen Ballard」に編集出版した。これがあったから、また、ジゼラがヘレン・バーバラの品種を守り彼女の名前を冠したクリスマスローズを作り続けたので、クリスマスローズの女王としてバラードが歴史に名前を残すことが出来た。

持つべきものは、経典の作成とこれを普及する弟子だが、バラードはいい弟子を持ったことになる。
ジゼラは、2007年10月に来日して講演などを行っているが、今ではクリスマスローズの大家となっている。

1850年ベルリン植物園で始まったクリスマスローズの品種改良は、100年後にイギリスのヘレン・バラードが開花させ、この成果を受け継いだのはドイツのジゼラであり女性が活躍した領域でもある。二人とも生年月日がわからないのも特有の謎で、深く追求しては失礼に当たるのだろう。

(写真) クリスマスローズオリエンタリス赤系の葉


クリスマスローズ・オリエンタルスのハイブリッド
・キンポウゲ科クリスマスローズ属の耐寒性がある常緑の多年草。
・学名は、ヘレボレス・オリエンタリス(Helleborus orientalis Lam.)の園芸品種。
・属名Helleborusの語源は、ギリシャ語で「殺す」を意味するHeleinと「食べ物」を意味するboraからなる。食べると危ない毒草である
・イギリスでは、オリエンタリスを四旬節(Lent)に咲くのでレンテン・ローズ(Lenten rose)とも言う。和名は花の形が、祭りでかぶる花笠に似るので八つ手花笠とも言われる。
・ちなみに、英名でクリスマス・ローズ(Christmas-Rose)と呼ばれるのは白花の原種H.ニゲルのこと。他にはウインターローズとも呼ばれる。和名は待雪草。(スノードロップの和名も同じ)
・オリエンタルス(h.orientalis)種の原産地は、ロシアコーカサス地方・トルコ・黒海沿岸。
・園芸品種の交配種の片親となる重要な原種。オリエンタリスの園芸品種は登録されているだけで141品種もある。
・草丈20-40cmの常緑の多年草で、花茎の先端に一輪または分岐して二輪の花をつける。
・花のように見える5枚の花弁は、花を保護する萼(がく)で、本来の花弁は退化して蜜を出す蜜腺となっている。
・開花期はクリスマスローズよりも遅く、2月頃に咲く。ハルザキクリスマスローズとも呼ばれる。種からの場合は開花まで2~3年かかる。
・受粉の仕組みは、先に雌しべが成熟しその後で雄しべが花粉を放出する。雌しべが受粉して種が出来るのが5月頃。
・アルカリ性の土壌を好むので石灰を入れて酸性を中和する。また肥沃な土壌を好む。
・夏場は半日陰で育てる。
・乾燥気味がよいので、乾いたらたっぷりと水をあげる。
・繁殖は株分けをする。


命名者のLam.は、かの有名なフランスの博物学者ラマルク(Lamarck, Jean Baptiste Antoine Pierre de Monnet de 1744-1829)。ダーウインの前に進化論を唱えて注目を集める。

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スカーレット・フラックス(scarlet flax)の花

2009-02-13 09:12:15 | その他のハーブ

(写真)スカーレット・フラックスの花


この花色は強烈だ。
英名ではスカーレット・フラックスというので“緋色の亜麻”ということになる。

原産地は、北アフリカ、アルジェリア。アルジェリアは地中海に面した北部は温暖で乾燥した気候だが、国土の90%以上がサハラ砂漠の一部を形成する。
こんな気候で自生していた花だけあって、環境に負けない強烈な個性を持っている。

一方、よく見慣れている「フラックス」は、原産地が中央アジアであり同じように乾燥した砂漠地帯でもあるが、シルクロードを絹だけでなくフラックス(亜麻)も行き来したのかと思うとロマンチックなブルーに見える。

スカーレット・フラックスの開花期は、5月頃から初秋まで比較的長く咲き、細長い茎の頭部に風に揺れながら夏の陽に負けない力強さがある。
その花がハーブ園の温室栽培で咲き始めたので、初物をお届けする。

一昨年育てたが、1年草なのでタネを取らないといけないが、取ることが出来ず改めて苗から育ててみようと思った。

(写真)スカーレット・フラックスの立ち姿


スカーレット・フラックス(scarlet flax)
・アマ科アマ属の1年草。
・学名はLinum grandiflorum Desf. 。英名がスカーレットフラックス(scarlet flax)、 別名flowering flax、red flax。和名は赤花フラックス。
・原産地は北アフリカ、アルジェリア。(青い花のフラックスは中央アジア・コーカサスが原産地)
・草丈60~100cmで細長い茎が風にそよぐように直立する。
・茎の先に花穂をつけ、濃い目の赤い花(緋色)をつける。
・開花期は6~8月だが早いところでは5月から咲き始める。
・フラックスの種子から亜麻仁油が取れるが、リノール酸、オレイン酸などが含まれておりうれしい贈り物だ。(ただし、自分で採油するのは注意が必要)
・茎からは、耐久力に優れた繊維がとれこれで織った織物がリネンとなる。

命名者のDesfは、フランスの植物学者デフォンテーヌ(Desfontaines, René Louiche 1750-1833)で、1783年から2年間チュニジア、アルジェリアの植物相を探索し数多くのサンプルを採取した。この中には、新種300を含んでおりこれらをまとめた『Flora Atlantica 』(1798–1799, 2巻)を著作する。
18世紀後半は、マッソンなどプラントハンターが活躍し始めた時期であり、デフォンテーヌもその一人に当たる。

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