モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

その19:フェルメールと手紙、 その2 「愛人と召使 (Mistress and maid)」

2012-05-27 09:27:15 | フェルメール
フェルメールが手紙をテーマに描いた残りの3作品にはメイド(召使)が登場する。
構図は3作品とも同じで女主人が右手手前で椅子に座り、メイドが左手後方に立っている。これをワンパターンというのだろうが、フェルメールは制作者・クリェイターとして一体何を描きたかったのだろうか?

17世紀ともなるとオランダの上流家庭にはメイドが不可欠となり、メイドらしい服装も登場・完成する。スタイルが職業を表すまで一般化したとも言えるが、監督し育てなければ何をするかわからないまだ“危険な存在”でもあったようだ。
しかしフェルメールは、このメイドの存在を“危険で邪悪”なものとして描いていない。『牛乳を注ぐ女』のように主役としてメイドを描き、彼女たちメイドの支援者として“勤労は美徳”という思想を愛情を持って描いているようだ。

手紙三作品に登場するメイドは、女主人と恋人の関係をメイドが何かを暗示する重要な役割で登場させているようだ。これをドラマ風にいえば、“恋愛心理サスペンス”ジャンルの作品ともいえるのだろう。
それではメイドが登場する三作品を制作年代順に見てみよう。

4.愛人と召使 Mistress and maid


(出典)mystudios.com
・制作年代:1667年頃
・技法:カンヴァス、油彩
・サイズ:90.2×78.7cm
・所蔵:ニューヨーク、フリック・コレクション

女主人の右手は開封された手紙の上にあり、返事を書こうとしていたのだろう。そこにメイドがやってきて多分愛人からのまだ開封されていない手紙を持ってきた。女主人はこの内容を推測している風情であり、メイドは大丈夫ですよと励ましているようでもある。
別れ話が起きているとしたらこんなシーンになりそうだ。

(写真)メイドと愛人の顔


ここでの注目点は、女主人の顔は横向きで目立たず、着ている服だけが目立ち、一方のメイドは、服がメイド服で壁に溶け込むようで目立たず、顔をしっかりと描き対照的にさせている。
この二人の視線は90度に開き、目線が手紙に向いこの手紙が際立つようになっている。二人の顔をアップしたものを見比べるとこれが良くわかる。フェルメールはメイドを主役として扱っていたということが。
しかし、女主人の戸惑いを慈しむ菩薩のようなメイドだが、よく見ると左目が女主人を窺い、右目が手紙を見ているようで、このアンバランスがメイドの邪悪な印象を醸し出す。
となると、恋人との不安定な関係に戸惑う女主人と、これを機会に自らの立場を優位にしたいメイドとの格闘技とも読めないこともない。

心に残る絵には謎がありそうだ。見る時の心理状況で見え方が異なるという謎を埋め込んでいるから気になり心に残るのだろう。

さらによく見ると、主役はやっぱり愛人で、机の上にある手紙とメイドが持ってきた手紙との間での心の揺れ動きが見事に描かれている。
蛇足だが、女主人が着ているジャケットは、フェルメールの6作品に登場し、彼の死後の遺品の中にもあったという。このタイプのジャケットは、寒さが厳しいオランダの上流家庭の冬の室内着として使われたようだが、愛人を象徴する安定感のなさが刺激的な印象をもたらす。

「愛人と召使 (Mistress and maid)」の来歴
この「愛人と召使」は、1696年5月16日アムステルダムのオークションでフェルメールの絵画21点が競売に掛けられたがその中の一点だった。売り手は、フェルメールのスポンサーとして知られるPieter Claesz. van Ruijven (1624 -1674) の娘婿Jacob Abrahamsz Dissius(1653-1695)で、その後パリ、マルセイユ、サンクトペテルスブルグ、ベルリン等ヨーロッパ大陸で所有者が転々とするが、1919年にニューヨークのHenry Clay Frick (1849 –1919)が彼の死亡直前に290,000ドルで手に入れ、彼の死後Frick Collection and art museumに寄贈された。

この絵を入手した経緯だが、フリックは三番目に所有したいフェルメールの絵画を探しており、1914年にドイツ、ベルリンの絵画コレクターで知られている (Henri) James Simon (1851–1932)に250,000ドルで打診をしたが断られた。しかし、第一次世界大戦でのベルリンの荒廃により、サイモンはこの絵をフリックに売ることになった。

このフリックという人物の経歴は、コークスを製造する会社で財を形成し、米国最大の製鉄会社USスチールをつくり、鉄道会社・不動産会社など事業領域を広げ、その経営手法の悪どさで米国で最も嫌われている経営者として名高い人物だが、美術品のコレクターでもあり金に糸目をつけないで欲しいものを集めた。

フリックはフェルメールの絵画3点を購入した。
アメリカにはメトロポリタン美術館(ニューヨーク)に5点、ナショナル・ギャラリー(ワシントンDC)に2点、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館(ボストン)に1点、そしてニューヨークのフリック コレクションに3点の合計11点があるが、フリックはアメリカで4番目に早いフェルメールの本物の絵「中断された音楽の稽古(Girl Interrupted at Her Music)」を1901年に26,000ドルという高値で手に入れたという。

(写真) 「中断された音楽の稽古(Girl Interrupted at Her Music)」

(出典)mystudios.com
・ 制作年代:1658–59
・ 技法:カンヴァス、油彩
・ 所蔵:ニューヨーク、フリック・コレクション

1900年代初頃のフェルメールの値段は、数百ドルか数千ドルだったが、急速に値段が上がったのはフリックとライバルのPeter Arrell Brown Widener (1834 –1915)によるコレクションの獲得競争だった。ワイドナーはフィラデルフィアの路面電車事業からスタートした事業家でマネー、ルノアール、レンブラントのコレクターでもあった。
ワイドナーは、フェルメールの「天秤を持つ女(Woman Holding a Balance)」を1911年に115,000ドルで購入したが、同じ年にフリックはこの2倍の価格で彼にとって2番目のフェルメール「Officer and Laughing Girl」を購入した。

(写真)「兵士と笑う娘(Officer and Laughing Girl)」

(出典)mystudios.com
・ 制作年代:1657
・ 技法:製作中の油彩
・ 所蔵:ニューヨーク、フリック・コレクション

そして三番目に手に入れたのが前述した「愛人と召使 Mistress and maid」だった。

このように、旧世界の巨匠たちの絵画の値段を吊り上げたのが新世界アメリカの成金、といってもものすごい資産を形成した人たちだった。資産を形成するまでは悪どいことをしたが、人類の文化遺産である絵画をお墓に持っていくということをせず、美術館を創設して寄贈したセンスは罪滅ぼしと思ってもいないのだろうが素晴らしい。

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その18:フェルメールと手紙、その1 主役一人の絵

2012-05-06 15:34:19 | フェルメール
東京渋谷の文化村ミュージアムで開催された『フェルメールからのラブレター展』は、今から2ヶ月前になるが2012年3月14日に終了した。

2月の初め頃展覧会に行ったが、なかなか書けないで今日に至ってしまった。
それは、今にして思うとラブレター展という企画がつまらなかったからなのだろう。
どの絵を見ても“手紙”だらけで、大好きなフェルメールの絵すらときめきを感じないものになってしまった。
この悪印象の残像が消えた今、“フェルメールと手紙”というテーマで書いてみようと思えるようになった。

フェルメールと“手紙”
フェルメール(Johannes Vermeer, 1632 -1675)は、彼の作といわれている36作品のうち“手紙”を主題とした絵を6作品描いている。生涯の作品数が少ない割には、手紙を主題とした作品数はかなり多いなという感じがする。この時代17世紀の“手紙”については最後にまとめることにして、フェルメール作の6作品を年代順に以下に掲載する。
この6作品のうち3作品、 「手紙を読む青衣の女」 「手紙を書く女」 「手紙を書く婦人と召使」 が『フェルメールからのラブレター展』に展示されていた。「手紙を読む青衣の女」は日本初の展示だった。

1.窓辺で手紙を読む女  Girl reading a Letter at an Open Window


・制作年代:1657年頃
・技法:カンヴァス、油彩
・サイズ:83×64.5cm
・所蔵:アルテ・マイスター絵画館(ドイツ、ドレスデンにある美術館でドレスデン美術館を構成する12の美術館のうちの一つ。)
(出典)1st-art-gallery.com

この「窓辺で手紙を読む女」の絵をX線写真で検査すると、壁にはキューピットの絵が描かれ、こぼれた果物の手前にワイングラスが描かれていたというが塗りつぶされており、不倫相手からの手紙を読む女性を描いているという。手紙を通じて窓の外の世界を見ているのだろう。

【来 歴】
1742年にポーランド国王Friedrich August von Wettin (1696 –1763)が、当時はレンブラントの作品としてこの絵を購入したという。この絵を所蔵するアルテ・マイスター絵画館のコレクションは、この国王が集めたものが出発点となっている。
フェルメールよりはレンブラントのほうが有名であり絵が高く売れるのでレンブラント作となったのだろうが、レンブラントらしさはない。

1826年にはフェルメールと同時代のデルフトの風俗画家ピーテル・デ・ホーホ(Pieter de Hooch、1629-1684)の作とされ二度目の誤診がされた。レンブラントよりはピーテル・デ・ホーホの絵に近いと思うが、それでも違うところがある。フェルメールの絵は写真そのものと見間違うほどの写実性があるが、写真にはない物語性という構図でのフィクションとそれらが作り出すなんともいえない気品がある。

ピーテル・デ・ホーホの有名な『配膳室にいる女と子供』(アムステルダム国立美術館, 1658頃)と比較していただくと違いが良くわかる。

(出典)ウイキペディア

この絵がフェルメールの作と認められるようになったのは、1860年の頃でありフェルメールを再評価し現在のフェルメールブームを作り出したフランスのジャーナリストで美術評論家のトレ・ビュルガー(Théophile Thoré-Bürger 1807 –1869)による。

第二次世界大戦の時にドレスデンは爆撃され赤軍が侵攻したが、この時に絵画が略奪されソ連に持っていかれた。スターリンの死後の1955年に元の持ち主に返還することが決定した。この頃は、鉄のカーテンの内側にある東ドイツであったから戻ったのだろうが、ヒットラーもフェルメールのファンだったが、もしかしたらスターリンもフェルメールファンだったのかもしれない。

2.手紙を読む青衣の女  Woman in Blue Reading a Letter

・制作年代:1663〜1664年頃
・技法:カンヴァス、油彩
・サイズ:46.6×39.1cm
・所蔵:アムステルダム国立美術館
(出典) 1st-art-gallery.com

日本で始めて公開されたこの絵は、妊婦が旅行中の夫からの手紙を読んでいるという風に受け取られる。壁には薄汚れて読み取れないがネーデルランドの地図が掛けられ、テーブルには読み終えた手紙と真珠の宝石箱が置かれ恋しい人を暗示しているという。

しかしこの女性の顔をアップで見ると、口を半開きにし手を強く握り締めている立ち姿は、恍惚感というか緊張感があり、妊婦服に見えるこのブルーの服は、オランダ語でbeddejakと呼ばれるベットでも着れるカジュアルで高級な服となると解釈が異なってくる。
さらにX線で検査するとこのブルーの服が描かれる前は毛皮の服となると、妊婦が恋しい不在の夫からの手紙を読んでいるということではなく、朝起きたばかりの若い女性が朝陽の下で恋人からの手紙を期待と希望で陶酔状態で読んでいる。ということになりそうだ。
細部のアップは展覧会ではわからない或いは気づかないが、デジタル画像での楽しみ方だとはじめて気づいた。

それにしてもこの絵は汚れていたが、来歴を見てなるほどと思った。
わかっているだけでも10回以上も所有者が変わり、そのうちの誰かの保存状態が悪かったのだろう。
最後は、1847年、アムステルダムの銀行家アードリアン・ファン・デル・ホープ(Adriaan van der Hoop 1778-1854)に渡り、彼の死後にアムステルダム市に寄贈し、1885年以降レイクスミュージアム(Rijksmuseum、国立美術館)に貸し出されているという。


3.手紙を書く女  A Lady Writing a Letter

・制作年代:1665年頃
・技法:カンヴァス、油彩
・サイズ:45×39.9cm
・所蔵:ワシントン、ナショナル・ギャラリー
(出典) 1st-art-gallery.com

手紙は書かれなければ読まれないが、フェルメールはこの他にもう1点手紙を書く絵を描いている。
この絵は、手紙を書いている最中にイベントが発生し、振り向いて何が起きているかを確認しようと凝視している姿を描いている。

三つ編みされたシニョンとリボンのヘアスタイルは17世紀中頃に人気があったファッションのようで、モデルはフェルメールの妻Catharina Bolnesではないかといわれている。

【来  歴】
1696年5月16日アムステルダムのオークションでフェルメールの絵画21点が競売に掛けられた。売り手は、フェルメールのスポンサーとして知られるPieter Claesz. van Ruijven (1624 -1674)の娘婿Jacob Abrahamsz Dissius(1653-1695)で彼の死後1年後にフェルメールの作品21点が競売された。

Pieter Claesz. van Ruijvenは、1657年にフェルメールに200ギルダーを貸したことが記録に残っている。フェルメールの死亡(1675年12月15日43歳)の前年1674年に彼は死亡しているので、彼が遺産として残したフェルメールの絵画はこれ以前に入手していることになる。

21の作品は合計で1503ギルダーで競売されたようだが、このうち現在のフェルメール作と一致するのは以下の15作品で6作品は未確認か疑わしい絵のようだ。

・A Girl Asleep (眠る女)
・Officer and Laughing Girl(兵士と笑う女)
・The Little Street (小路)
・Woman Holding a Balance (天秤を持つ女)
・The Milkmaid (牛乳を注ぐ女)
・View of Delft (デルフトの眺望)
・The Lacemaker (レースを編む女)
・Woman with a Pearl Necklace (真珠の首飾りの女)
A Lady Writing a Letter (手紙を書く女)
・Lady Standing at a Virginal (ヴァージナルの前に立つ女)
・The Girl with the Wine Glass (ワイングラスを持つ女)
・Girl Interrupted at her Music or The Concert (中断された音楽の稽古)
・The Guitar Player (ギターを弾く女)
Mistress and Maid (婦人と召使)
・The Music Lesson (音楽の稽古)

20世紀にはいるとアメリカの大富豪が名画のコレクターとして登場する。
アメリカの大財閥を形成したジョン・ピアポント・モルガン(John Pierpont Morgan, 1837-1913)も1907年にこの絵画を取得し、父の死後息子が1940年まで保持した。
その後、1946年にはアメリカの砂糖財閥ハブマイヤー家のHorace Havemeyer (1886–1956)が購入し、彼の死後息子たちが1962年にワシントンのナショナルギャラリーに寄贈して今日に至る。

フェルメールが描いた年代順に6作品を見たが、この三作品に共通しているのは、描かれているのは主役一人だということだ。残り三作品は脇役としての召使が登場するので、これは意図して描いたのかもわからない。私的で閉ざされた手紙からオープンになった手紙を描こうとしたのだろうか?

(続 く)
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