モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

サルビア・メキシカナ‘ライムライト’の花

2009-09-30 09:16:49 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・メキシカナ‘ライムライト’の花


「サルビア・メキシカナ‘ライムライト’」は、やさしい黄緑の萼(がく)、青紫の口唇状の花で、 この組み合わせがすっきりしているところに、光沢があるライム色の葉が花序を支えるのでキリッとしたすがすがしさが漂う。

この「ライムライト」は、メキシコ中部原産の「サルビア・メキシカナ(Salvia mexicana)」を親にした園芸品種であり、メキシコの中部にあるQuerétaro州から1978年に愛称ボブ(Robert Ornduff 1932-2000)によってバークレーにあるカリフォルニア大学植物園に持ち出されたという。

ボブは、カルフォルニア大学バークレー校で30年間も務め、学部長、大学付属植物園長などを務めたカルフォルニア植物相の権威でもあった。

「サルビア・メキシカナ‘ライムライト’」の親
「ライムライト」の親である「サルビア・メキシカナ(Salvia mexicana)」は、森の端、ふちに生息し、「サルビア・イエローマジェスティ」の場合は、森の中に入りちょっとした空白地での木洩れ日で大きく成長する生き方をするが、
「サルビア・メキシカナ」は、森の中に入っていかないので、森に守られない代わりに草丈をあまり大きくさせずに森の周辺で光りを吸収する草丈などを形成したのだろう。

この「サルビア・メキシカナ」を採取したのは、1833年にアンドリュー(Andrieux, G)がメキシコで採取したという記録が残っている。
彼は、208もの新種をメキシコなどで1834年頃に集中して採取しているが、略歴を調べたが良くわからない謎の人物だ。


「サルビア・メキシカナ」の命名者Sessé y
また、この「サルビア・メキシカナ(Salvia mexicana Sessé & Moc.)(1893年登録)」の命名者は二人いるが、
Sessé y Lacasta, Martín (1751-1808)は、スペインの医者・植物学者で、彼が29歳の時の1780年に軍医としてメキシコに到着し、1785年にニューメキシコの王立植物園のコミッショナーに任命された。
1786年には、時のスペイン国王チャールズ三世(1716 – 1788)にスペインの新大陸植民地の大規模な植物・動物などの資源を調査する提案を行い、その中心メンバーとして探検で活躍した。
このときの探検隊の同僚がもう一人の命名者Mociño, José Mariano (1757-1820)だった。

スペインより遅れて新大陸に進出したイギリスでは、植物の重要性を早くから認識し、既に海外にプラントハンターを送り出していたが、新大陸の金・銀・財宝にしか興味がなかったスペインも遅れて植物探索をすることになる。

Sessé yとMociñoは、16年間に亘る探検の結果をまとめるために1803年にスペインに戻ったが、Sessé yは完成する前の1808年に亡くなり、この成果が発表されたのは何と約80年後の1887年だった。
こんなに時間がかかったのにはSessé yの死亡も原因となるが、スペイン王室の秘密主義も影響していたようだ。

イギリスでは、キュー王立植物園を初めとして情報を公開しているからこそ情報が集まるという流れをつかまえたのに対して、スペインは、情報の流れをせき止めるダムを作り秘匿したがゆえにイギリスに取って代られる凋落の原因を作ったのだろう。

「ライムライト」は、スポットライトを意味し転じて“栄光”をも意味する。
スペインが“栄光”の座から滑り落ちたのも納得が行くし、「サルビア・メキシカナ」にスペインの植物学者Sessé yが命名者となったことも皮肉なことだ。

(写真)サルビア・メキシカナ‘ライムライト’の葉と花
        

サルビア・メキシカナ‘ライムライト’(Salvia mexicana 'Limelight')
・ シソ科アキギリ属の常緑小低木で耐寒性がある多年小木。
・ 学名は、Salvia mexicana Sessé & Moc. 'Limelight'。英名は Mexican sage 'Limelight'。
・ 原産地は中部メキシコの森の明るい端に自生。
・ 草丈1m以上となるので、夏までに摘心をして丈をつめる。
・ 開花期は、9~11月。淡いライムイエローの顎に濃いブルーの唇形の花が咲く。
・ 耐暑性は強い。
・ 冬場は陽のあたるところで、多湿を控える。

・ コレクターは、Andrieux, G. で、彼自身の正体が良くわからないが1833年にメキシコで採取し、スイスの植物学者ドゥ・キャンドール(Candolle, Augustin Pyramus de 1778-1841)に標本を送ったようだ。

        

ライムライトといえば・・・
『ライムライト』は、電気というものがない時代に舞台で使われていた照明器具で、転じて“栄光”の代名詞として使われたという。
確かにスポットライトを浴びるヒトと場に必要なものであり、 “栄光”に欠かせない舞台装置だ。

チャールズチャップリンの『ライムライト』は、
この“栄光”と“挫折”と“愛”をテーマに、赤狩り旋風が吹きまくった狂気の時代のアメリカとの、チャップリンの決別の映画でもあった。

灯りは希望の象徴でもあるが、その隣には影があり、そこには人生の味がある。
『ライムライト』は、異性との激しい愛ではなく包み込む父の愛であったような気がする。
狂気を包み込める愛は、神か父母しかなかったのだろう。
さよならの愛は、先に死ぬ父母の愛なのだろう。

“ライムライト”という言葉には、こんな感傷的な前置きが欲しくなる。
それにしても、チャップリンの『ライムライト』は良かったな~

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オルトシフォン・ラピアツス(Orthosiphon labiatus)の花

2009-09-29 08:07:04 | セージ&サルビア
(写真)オルトシフォン・ラピアツスの花


「オルトシフォン・ラピアツス(Orthosiphon labiatus)」は、
南アフリカ北部の岩がごろごろしている高原の崖面に生育する潅木で、丈が1.5mで株張り1mというブッシュを作る。

その様相は、ゴツゴツした荒削りなところがあり洗練された姿ではないが、乾燥した大地で耐え抜くタフなジーパンのような味わいがある。
きっと、草食動物に食べられないように自分を魅力的に見せないすべを学習した結果ではないかと思う。

「オルトシフォン・ラピアツス」は、このように魅力的に見せないボディとブッシュで自分の身を守っているが、花が咲くと劇的な変身をする。

まつげが長~いピンクのサインで魅惑的な刺激を発し、蜂、蝶、鳥などを誘う。
そして、次から次へと咲き、惜しみなく与える。

この種としての狙いを実行する時=開花時期になるが、これを今か今かと探っている。
だから秋の兆しを察知するとすばやく全力疾走に入り、 “ピンクセージ(Pink Sage)”と呼ばれるように、淡いピンクの小花を多数咲かせる。

シソ科アキギリ属の植物を“セージ”と呼んでいるので、この花は厳密にはセージではないが、ピンクの花色をしたセージのイメージを相当満たしているのは確かだ。

ジーパンだけではパーティにいけないが、これに淡いピンクのジャケットなどを合わせると様になりそうだ。
こんな変身が楽しめるタフな植物だ。

(写真)大草原地帯にあるHaenertsburg村の風景


「オルトシフォン・ラピアッス」のコレクター・採取者
「オルトシフォン・ラピアツス」は、1894年11月8日にドイツのプラントハンター・植物学者シュレヒター(Schlechter, Friedrich Richard Rudolf 1872-1925)によって南アフリカ北部にあるHaenertsburg村付近で発見された。

Haenertsburg村は、2000m級の山脈の山麓にある小さな村で、熱帯雨林地帯であり、霧と多雨は豊かな自然環境を作り、高原に起伏する大草原には多様な植物が育つ植物学上も稀有な場所のようだ。
現在は、観光地として魅力ある環境であり、サイクリング・ジョギングなどのエコなスポーツの人気地となっているという。

ここに、1857年にドイツから移民したアニマル・ハンターで冒険家のハーネルト(Haenert、Carl Ferdinand ?-1894)が住みつき、この地域で初のコーヒーを栽培して定住する。
ハーネルトは、1880年ころ金を発見し、1887年にはこの村は小さなゴールドラッシュとなりにぎわったという。村の名前は、彼の名をとってつけられた。

ハーネルトがなくなった1894年に、この地域の山麓で、「オルトシフォン・ラピアツス」を採取したシュレヒター(Schlechter, Friedrich Richard Rudolf 1872-1925)は、
彼が19歳の1891年に南アフリカケープタウンへ植物探査に行き、その後スマトラ、ジャワ、セレベス、ボルネオ,ニューギニア、オーストラリアなどへ行ったプラントハンターで、ランの研究者・栽培者として著名な人物だ。
ランのマニアには教祖に近い人なのだろう。

彼の故国ベルリンのダーレム植物博物館に保存されていた世界一といわれたシュレヒターのラン等の植物標本コレクションとメモなどは1943年3月1日の連合軍の爆撃で破壊されてしまった。

戦争は、人類の汗による知の蓄積など全てのものを無にしてしまう。
人間のエゴにはこれをコントロールするブレーキの役割としての精神の鍛錬、他者とのかかわりでの規制するルールを作らないと争い・競争は終わらない。

(写真)オルトシフォン・ラピアツスの葉と花
        

オルトシフォン・ラピアツス(Orthosiphon labiatus)
・ シソ科オルトシフォン属の耐寒性がある半落葉性の潅木
・ 学名がOrthosiphon labiatus N.E.Br.(1910年登録)(オルトシフォン・ラピアツス)。英名がPink Sage(ピンクセージ)、Shell Bush、Pienk Salie。
・ 属名のOrthosiphon のOrthoは、ギリシャ語orths(まっすぐな, 正しい)からきており、Siphonは、パイプを意味するギリシャ語のsphnで,まっすぐなパイプを意味する。種小名のlabiatusは、lipped(唇の)を意味し、花の特徴について言っている。
・ 原産地は、南アフリカ北部からジンバブエで、オルトシフォン属はアフリカ、インドなどに35種以上が分布。
・ 丈は、1~1.5mまで成長するが、毎年花後および春先に摘心し30cm程度の鉢物としている。
・ 葉はハート型でセージ特有の匂いがある。
・ 開花期は初秋から晩秋まで咲き、1本の枝にピンクの花が多数咲く。
・ 花が終わった枝をつめると新しい枝から開花するので花を長く楽しめる。
・ 耐寒性が強い多年草。手間が要らない。
・ 木質を若返らせるために、3年に一度は、根元から1/3程度につめる。

命名者:N.E.Br
命名者のブラウン(Brown, Nicholas Edward 1849-1934)は、英国の植物学者で、1873年にキュー植物園にアシスタントとして採用されここから植物の道に入る。彼は、アロエ・サボテンなどの多肉植物及び南アフリカケープの植物の権威でもあり、南アフリカで発見された「オルトシフォン・ラピアツス」の命名者となった。

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ゼフィランサス・ロゼア(Zephyranthes rosea)の花

2009-09-28 08:28:01 | その他のハーブ
(写真) ゼフィランサス・ロゼアの花


「ゼフィランサス・ロゼア」は、草丈15cm程度の小型の球根植物で、葉はニラに似る線形で、その先に濃い目のピンクの花が咲く。
草丈のわりには大きめの花で、5cmはあり、黄色の雄しべが目立つようにピンクのグラデーションがかかっている。

英名では「レインリリー(Rain Lily)」と呼ばれ、雨の降った翌日に花穂を伸ばし、美しいピンクの花を咲かせるのでこんな名前がついたという。

早いものでは7月頃から咲くようだが、成長が遅く今頃やっと咲いた。

鉢植えが適しているようで、春先に4号の鉢に5個ぐらいの球根を浅く植え、乾燥させないように日当たりの良いところで管理する。
花後は、霜の降りる前に水遣りを中止して乾燥させて保存するとよいので、鉢上げをしないだけ手間が要らない。


「ゼフィランサス・ロゼア」の発見者と命名者
「ゼフィランサス・ロゼア」は、1823年にキューバ、ハバナでドン,ジョージ(Don, George 1798-1856)によって発見され英国に持って帰ったという。

ドン・ジョージは、彼が23歳の時の1821年に英国園芸協会からブラジル、西インド諸島、メキシコ・シエラレオネ(Sierra Leone.)に派遣され植物探索を行った。

このときに発見した多くの植物は、王立園芸協会の理事Joseph Sabine(1770-1837)によって発表されたが、シェラレオネで採取した植物に関しては彼が採取者として多くの植物の記録が残されていて、彼もそこで採取した新種を発表している。

初期のプラントハンターは、学問的な成果を残すことが出来なかったが、ドン・ジョージは、1832-1838年の期間に4分冊の「A General System of Gardening and Botany,」を出版しており、実践的な植物学者として成長した。

一方、命名者は、リンドレイ(Lindley, John 1799-1865)は、ロンドン大学の最初の植物学教授であり英国を代表する植物学者だが、スタート時は、バンクス卿のアシスタント司書から出発している。
1830年代後半に英国王立園芸協会が初めて主催したフラワーショーのプロデューサーとして成功に導き花卉植物の大衆化に貢献した。

キュー植物園が一般に公開されるようになったのは1841年ということであり、王侯・貴族の私有物としての庭園から、市民のための植物園になったのがちょうどリンドレイが活躍していた時代に当たる。

キュー植物園、園芸協会、リンネ協会などが世界の珍しい植物・花を育て、愛でるという新しい価値観を作り出したのがこの1700年代後半から1800年であり、英国の植物相が貧弱なことに気づいたリーダー達が組織的にアプローチした賜物でもあった。

欠落を知ることが出来れば、これを乗り越える知が出来てくる。欠点は決してマイナスではなさそうだ。

(写真)ゼフィランサス・ロゼアの葉と花


ゼフィランサス・ロゼア(Zephyranthes rosea)
・ ヒガンバナ科ゼフィランサス属の耐寒性がある球根。
・ 学名は、Zephyranthes rosea Lindl.(1824年)、属名はギリシャ語のZephyros(西風、ゼピュロス)とanthos(花)に由来する。英名はRain Lily Rose、Rosy zephyr lily。
・ 原産地はキューバ、中南米。
・ 草丈15-20㎝
・ 開花期は8月から10月。花弁が6枚のピンクの花が咲く。
・ 水はけのよい土壌に植え、日当たりのよいところで管理する。乾きすぎると花が咲かないので、湿り気味に保つ。
・ 鉢植えの場合は、霜の降りる前に水遣りを止めて腐葉土などでマルチングし軒下などで乾燥させて管理する。

命名者:Lindley, John (1799-1865)
コレクター;Don,George(1798-1856)

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サルビア・レウカンサ‘ミッドナイト’の花

2009-09-25 11:37:25 | セージ&サルビア
(写真) サルビア・レウカンサ‘ミッドナイト’の花


「サルビア・レウカンサ」の基本種は、赤紫の萼から白いビロードの花が咲くが、
その異種である「サルビア・レウカンサ‘ミッドナイト’」は、赤紫の萼から鮮やかな赤紫の花が咲く。

違いはこの花色だけで、葉、茎、草丈などほとんど同じだ。

「サルビア・レウカンサ」について詳しくはこちら


(写真) サルビア・レウカンサ‘ミッドナイト’の花穂
        

サルビア・レウカンサ‘ミッドナイト’
・シソ科アキギリ属の多年草。-5℃までの半耐寒性だが、霜が降りないところでは
 根元をマルチングすると戸外でも栽培できる。
・ 学名は、サルビア・レウカンサ‘ミッドナイト’(Salvia leucantha 'Midnight')。
・ 英名は、パープル・メキシカンブッシュセージ(Purple Mexican bush sage)。
・ サルビア・レウカンサには、別名が紫水晶のような色合いからアメジストセージ(Amethyst sage)、花がビロード状の柔らかい毛で覆われているのでベルベットセージ(velvet sage)という素晴らしい名がある。
・ 原産地はメキシコ。
・ 開花期は9月から11月と秋の代表的なセージ。赤紫のビロードのような萼(がく)につつまれ濃いビロード状の赤紫の花が次々と咲く。
・ 草丈100-150㎝ぐらい。8月までに2回ぐらい摘心で丈を詰めるとよい。
・ 花後は、株元で切り詰め腐葉土・ワラなどでマルチングし越冬させる。

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タカサゴユリの花

2009-09-24 10:37:41 | その他のハーブ
(写真)タカサゴユリの花


水も肥料もやらないで放置していた植木鉢にいつのまにか進出し、「タカサゴユリ」の花が咲いていた。
開花も1ヶ月以上も遅れているので、悪環境にもめげずに自己を主張する生命力が強いユリであることは間違いない。

1840年頃にヨーロッパに紹介されてセンセーショナルな話題を取った、沖縄・奄美諸島に自生する「テッポウユリ」と似ているが、「タカサゴユリ」の場合は、花の外側に赤褐色の帯が入っているので違いが良くわかる。


キュー植物園最後のプラントハンター:オルダム
この「タカサゴユリ」は、日本には大正時代に入ってきたようだが、このユリを採取したのは、キュー王立植物園から派遣されたオルダム(Richard Oldham 1837-1864)で、1864年台湾のフォルモサで採取した。

キュー王立植物園では、世界の植物を収集するためにジョセフ・バンクス卿(Sir Joseph Banks 1743 -1820)の時から組織的にプラントハンターを世界の各地に送り出した。最初のプラントハンターだったのがフランシス・マッソン(Francis Masson 1741-1805)であり、1772年7月13日にプリマス港をレゾルーション号で出港し南アフリカ喜望峰を目指した。

そして、キュー王立植物園最後のプラントハンターとなったのがキュー王立植物園の庭師であったオルダムであり、1861年から1863年まで日本に滞在し、日本の植物の標本を多数キュー王立植物園に送った。

日本では、1861年に長崎、西日本、横浜周辺で植物を採取し、1862-63年には小笠原諸島で採取した。1864年には台湾で採取しこの中に「タカサゴユリ」が含まれるが、この年に27歳という若さで死亡した。

オルダムは若死にしたために植物学者として名を残す東アジアの植物誌を残せなかったが、彼が採取した植物の標本は、シーボルトの『日本植物誌』第二巻を完成させたライデンの植物学者ミクェル(Friedrik Anton Willem Miquel1811―1871)によって研究され、ミクェルの著書「日本植物誌試論」に引用され、ヨーロッパでの日本の植物の研究を進化させる貢献をした。

(写真)30cmぐらいの小柄なタカサゴユリ


高砂ゆり(台湾ユリ)
・ ユリ科ユリ属の多年草。関東以西では越冬する耐寒性がある。
・ 学名はLilium formosanum。英名は、Formosa lily, Taiwan lily。
・ 原産地は台湾で、繁殖力が強く日本各地に帰化しテッポウユリとの交雑もあり区別が難しい。
・ 世界で96種類のゆりがあり、日本では15種類のゆりが自生。
・ 耐寒性に強いが、高温多湿は苦手。
・ 草丈150-200㎝と背が高い。
・ 開花期は、8月下旬で花の時期は意外と短い。
・ つぼみの時に外側に赤紫の筋が入る。
・ テッポウユリと花が似るが、葉が違う。テッポウユリは葉が太めで、タカサゴユリは細長い。

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サルビア・アズレア(Salvia azurea)の花

2009-09-23 09:27:09 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・アズレアの花


「サルビア・アズレア」は、
アメリカ南東部が原産で、草原・道端などに咲いているという。この地域は“プレーリー”とも呼ばれる大草原であり、そこに咲くので「プレーリーセージ(Prairie sage)」とも呼ばれている。

丈は、150~200cm程度まで伸び、葉が細長く小さいので筋肉質のスラッとしたスタイルをしている。大草原でブッシュを形成するとあらゆる隙間から茎を伸ばす自在な成長をし、茎は柔らかい記憶合金の針金のように過去の履歴を残しブッシュを形作る。

その枝の先に花序を延ばし、アズレア色といわれる空色をした素晴らしい花をつける。

乾燥した冷涼な空気感でのアズレア色の花は、人の足跡の無いアメリカ中部の原野“プレーリー”にいざなわれ、何をすることもなく、何を考えることもなく無の時間に浸れそうだ。
こんな時間に出会うと実に気持ちが良い。

このアズレア色は、美しいブルーの代名詞でもあり、イタリア代表サッカーチームのユニフォームの色でもあり、この代表チームの愛称はAzzurri(アズーリ)とも呼ばれている。

これほどのサルビアなので、人気になっているポピュラーなサルビアのはずだが、原産地アメリカでも意外なほど情報量が少なく、また適切なものも数少ない。
ということは、まだポピュラーではないということなのだろうか?

推定:サルビア・アズレア(Salvia azurea)の発見者
「サルビア・アズレア」の初期の発見者は良くわからない。
基本種の学名は、Salvia azurea Michx. ex Lam(1805)であり、1805年に登録されているのでこの年代の前に発見されていることは間違いない。

また、命名者には“Michx”が記載されていて、フランスの植物学者・プラントハンターのミッショー(Michaux, André 1746-1803)をさす。
ミッショーは、1785年11月にニューヨクに到着し1796年にフランスに戻るためにアメリカを去った。この間に、ミシシッピー川流域を初めとしたプレーリー地帯を探索している。
ミッショーがアズレア・ブルーセージを採取したという記録にはぶつかっていないが、彼が採取したという可能性は否定できない。

※ミッショーに興味があれば下記を参考
その57:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー①
その61:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー②
その62:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー③
その63:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー④
その64:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー⑤Final

その67:マッソンとミッショー 二人の関係 ①マッソン編
その68:マッソンとミッショー 二人の関係 ②ミッショーと二人の関係

(写真)サルビア・アズレアの葉と花
        

サルビア・アズレア(Salvia azurea)
・ シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・ 基本種の学名は、Salvia azurea Michx. ex Lam(1805)。英名はアズレア・ブルーセージ(azure blue sage)、別名は、スカイブルーセイジ(Sky blue sage)、ブルーセージ(Blue sage)。
・ アズレアには2種類があり、この花はどうもPrairie sage(プレーリーセージ)と呼ばれるもので、学名がSalvia azurea Michx. ex Lam. var. grandiflora Benth. (1848)のようだ。
・ 原産地は、アメリカ合衆国、ミズリー州などの中央部、ルイジアナ州などの南東部とテキサス。プレーリーと呼ばれる大草原はこの広大な地域にある。
・ 摘心をすると開花期は遅れ、9月~10月になり青い花を多数つける。
・ 草丈は1.5m。枝は柔らかく丈夫で風などにゆれ癖がつき直立しない。
・ 2回ほど摘心が必要。1回だけにしたら2mぐらいになり強風で枝は東西に奔走する。

命名者
「Michx」:Michaux, André 1746-1803、フランスの植物学者、プラントハンター
「Lam.」:Lamarck, Jean Baptiste Antoine Pierre de Monnet de 1744-1829、フランスの植物学者ラマルク
「Benth.」:Bentham, George 1800-1884、イギリスの植物学者ベンサム

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サルビア・レウカンサ(Salvia leucantha)の花

2009-09-22 07:02:48 | セージ&サルビア
(写真)赤紫の萼と白い花が美しいサルビア・レウカンサ


メキシコ原産で秋を代表するサルビア。
英名では、 「メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)」と呼ばれるが、日本でも普及していて結構見かけるようになって来た。

「サルビア・レウカンサ」には、4種ほど有名な品種がある。区別をわかりやすくするために学名でかくと、
1.基本種でこれから紹介する「Salvia leucantha」
2.萼・花とも濃い赤紫色の「Salvia leucantha 'Midnight'」
3.この「サルビア・レウカンサ‘ミッドナイト’」とパイナップルセージとも呼ばれる「サルビア・エレガンス」との交雑種である「Salvia 'Anthony Parker'」
4.1999年にサンタバーバラでKathiann Brownによって発見された新種「Salvia leucantha 'Santa Barbara'」

1-3までは育てているので花が咲いた順に紹介していくが、ないものは欲しいという心情があり、草丈が短い「S.レウカンサ‘サンタバーバラ’」はいずれ手に入れたい。


「サルビア・レウカンサ」は、草丈150㎝で幅100㎝の大株に育つので初秋からの花として見栄えがある。葉は濃い目の緑色で細長くこの葉も魅力的だ。

メキシコ原産のサルビアの中では、耐寒性もあるので関東以西では根元を腐葉土などでマルチングすると戸外でも育てることが出来る。

「サルビア・レウカンサ」の発見者
この植物を発見したのは、キュー植物園のデータでは、プリングル(Pringle, Cyrus Guernsey 1838-1911)が1900年10月にメキシコで発見したとなっているが、
ミズリー植物園のデータでは、1847年4月にメキシコでJosiah Gregg (1806 -1850)が発見している。
グレッグは、チェリーセージと呼ばれている「サルビア・グレッギー」などを発見したプラントハンターであり、メキシコから太平洋沿岸をとおりサンフランシスコまで探検をした西部開拓史を飾る人物でもある。

やはりグレッグが発見していたかと感心もしたが、1900年に発見したプリングルも面白い人物なので、下記に彼の紹介も掲載した。

(写真)サルビア・レウカンサの葉と花
        

サルビア・レウカンサ、(メキシカンブッシュセージ)
・シソ科アキギリ属の多年草。-5℃までの半耐寒性だが、霜が降りないところでは
 根元をマルチングすると戸外でも栽培できる。
・ 学名は、サルビア・レウカンサ(Salvia leucantha Cav.(1791))、種名のleucanthaは、“白い花の”からきている。
・ 英名は、メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)。別名が紫水晶のような色合いからアメジストセージ(Amethyst sage)、花がビロード状の柔らかい毛で覆われているのでベルベットセージ(velvet sage)という素晴らしい名がある。
・ 原産地はメキシコ。
・ 開花期は9月から11月と秋の代表的なセージ。赤紫のビロードのような萼(がく)につつまれ白い花が次々と咲く。
・ 草丈100-150㎝ぐらい。8月までに2回ぐらい摘心で丈を詰めるとよい。
・ 花後は、株元で切り詰め腐葉土・ワラなどでマルチングし越冬させる。

学名の命名者 Cav. は、
18世紀スペインの植物学の権威 カバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745 - 1804)
カバニレスは、メキシコからの新植物の栽培も行い、ダリアをヨーロッパで初めて開花させたことでも知られる。
1801年からは、マドリッド王立植物園の園長を彼が死亡する1804年まで務めた。
メキシコの宗主国スペインの代表的な植物学者カバニレスに献じられた植物は多い。

        

サルビア・レウカンサの発見者:プリングル
こんなアンビバレントな素晴らしいサルビアが発見されたのは、1900年10月と意外と遅い。
発見場所が、メキシコシティの真下にあるモレロス州の2000mを越えるテポトラン山中の崖というから発見が遅れた理由が何となく理解できる。

        
        (緑のマークがサルビア・レウカンサの新種が採取された場所)

限界を超えたその時に、発見されるべくしてそこで待っていたのだろう。
そして発見者は、限界を超えた男の一人であるプリングル(Pringle, Cyrus Guernsey 1838-1911)

プリングルは、アメリカの植物学者というよりは数多くの新種を採取したプラントハンターであり、メキシコ・アメリカ・カナダなどの植物相の探索と収集に力を入れ、特にメキシコの植物の採取とその標本の作成には35年をかけたという。

彼が収集した新種の数は1200以上もあり、プラントハンターとしても素晴らしい実績を残している。

しかしプリングルは、順調にボタニストとしての道を歩んだわけではない。
兄の死により、大学を中退し家業の農場経営に戻り、25歳で結婚したが、その直後に南北戦争(1861-1865)の兵役召集があったが、クエーカー教徒としてこれを拒否し牢に入り、過酷な待遇に歩けないほどに衰弱した。

リンカーン大統領の恩赦で病気治療のために出獄したが、健康が回復するのは彼が30歳の頃のようだ。

30歳半ば頃から好きな植物採集の道に入るようになり、1874年に最初の採取旅行をバーモント州のキャメル山脈で行い、バーモンド州中で集めた標本を1878年の第三回パリ万博で展示発表した。
プリングル40歳の時で、パリ万博のカタログを見たが、確かに小さくプリングルの名前が載っていた。

ここから第一線のプラントハンター兼植物学者プリングルの道を歩むことになるが、
若い時は決して順調な人生ではなく、回り道をしながら好きこそモノの始まりを生涯で達成した人でもある。

そして何よりも気に入ったのは、プリングルを評して
『 His species are beautiful 』
といわれたことだ。彼が見つけた「サルビア・レウカンサ」も確かに美しい。

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レモンバジル(Lemon Basil)の花

2009-09-21 08:11:31 | その他のハーブ
(写真)レモンバジルの花


「レモンバジル」は、その名のとおり葉をつまむとレモンの香りがする。
タイ料理では魚・鶏料理などに使われ独特の香りとなるが、慣れると病み付きになる。

この「レモンバジル」は、バジルの基本種である「スイートバジル」と「ホーリーバジル」のハイブリッド種であり、夏から秋にかけて5㎜程度の小さな白い花が咲く。陽の光を受けるとこの白には黄色が薄く入っているように見え結構美しい。

日当たりが良いところで育て、料理用で使う場合は、花穂が出たら摘み取り花を咲かせないようにする。わき芽が成長するので、枝・葉が充実する。

(写真)レモンバジルの葉と花
        

レモンバジル(Lemon Basil)
・ シソ科メボウキ属の非耐寒性の一年草。
・ 学名は、Ocimum basilicum x citriodorum。属名は、香りの良いを意味するギリシャ語に由来し、種小名は、ギリシャ語で気高い・王様を意味し、citriodorumは、ラテン語で“レモンのような香りlemon scented”を意味する。英名は、Lemon Basil。
・ レモンバジルは、スイートバジル(Ocimum basilicum)とホーリーバジル(Ocimum americanum)の間のハイブリッド。
・ バジルの原産地は、熱帯アジアで、インド原産と推定される。
・ 草丈20-40cm、葉は対生し薄緑色の細長い形状となる。
・ 開花期は7-10月で、シソに似た花穂を出し黄色が薄く入った白い小花を輪生する。
・ 料理用のハーブとして使う場合は、花穂が出てきたら開花させずに切り戻す。
・ 葉・茎にはレモンの香味があり料理用ハーブとして人気がある。タイ・インドネシア料理などのエスニック料理で使われる。サラダ、カレー、シチュー、魚・鶏料理などに利用される。
・ 肥沃で水はけのよい土壌で日当たりの良いところで管理する。

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政権交代の効果: 新聞が面白くなった!

2009-09-19 20:00:07 | ニッポンの政治
お気づきでしょうか?
新政権の大臣が着任した日から新聞が面白くなった。 というか、読みたい内容になったという気がする。

気になったので何紙か目を通してみたが、朝日新聞が劇的に変わり面白くなってきた。
新聞社もこの劇的な変化に気づいているのだろうか?
ほめてあげたい。

これまでの新聞といえば、チラシが欲しいがためにしょうがなく新聞を取っていたのでせいぜいテレビ・ラジオ欄を見るぐらいだった。
こんな極端な意見に賛成する人も多く、リクルートは、チラシとテレビ・ラジオ欄だけを無料で配布する事業化の実験をしているというので、いいところに目をつけている。

新聞には、日本人全体の知的水準の維持向上、世論の形成など目に見えない重要な役割を担ってきたが、読む気にさせる努力を怠ってきたツケがきている。
特に顔ともなる一面からの政治の欄がとても読む気になれる代物ではなかった。
日本人の知的センスを著しく落とすものだった。

民主党の時代になってからその読む気にならなかった理由が良くわかるようになってきた。
自民党政権時代は、派閥、族議員、業界との癒着、権力の二重構造、暗闘など政治を語る言葉が汚い言葉で満ちていた。
こんな言葉であらわされる政治に嫌気がさしていたし、どうしょうもない政治家という人達と政治部の記者のセンスを疑っていた。

民主党を中心とした連合政権が誕生してから、自民党時代に多用されていた言葉が少なくなり、子供手当てなどの政策を中心として、新大臣の方針、官僚と対峙する一挙手一動など政治面の記事ががらりと変わった。

まるで、政治部の記者が入れ替わったような変わりようだ。
この変化は政治をもっと身近にさせるものであり、新聞も生き返った。

政権交代の効果は、まず顕著に新聞に現れた。
次はテレビにもこのような変化を期待したい。特にNHKは大変化してもらいたいものだ。

民主党政権で、地盤沈下と存在の価値を問われかねない経団連はどう生まれ変わるのだろうか?

地球温暖化対策としてCo2 25%削減という目標の設定は、生産・流通・消費のあらゆる場面での総合的な省エネルギーなどの技術開発につながり、日本の優位な成長シーズを生み出すことに結びつきそうだが、実現困難ということで日本を逃げ出す気なのだろうか?

国籍を持たない企業は、どこからも支持されなくなる可能性があることを理解できないのだろうか?
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コスモスの花

2009-09-16 11:17:58 | その他のハーブ
(写真)コスモスの花
        

『♪ こんな小春日和の穏やかな日は・・・・・♪』

さだまさし作詞・作曲、山口百恵さんが歌う『秋 桜(コスモス)』は、この時期ピッタリで和やかな気分になれる。

特にいまはその気分に浸れるようになってきた。

というのは、一昨日、携帯電話をなくし、多分どこかの飲み屋かなと思い、昨日は逆の順番で携帯電話探索をして歩いた。

アドレスを失うのも大変だし、パスワードでガードしているとはいえ、変な出かたをすると登録していた友人などに迷惑をかけてしまう。

そこで、連続で朝まで飲むはめに陥り、いくつかの店で『秋 桜』を聞くことになってしまった。

携帯電話は無事発見したが、『秋 桜』だけは歌えずに帰って来た。

花のほうの「コスモス」で秋を味わう方がどうも合っているようだ。

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