モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

No7:マヤ・アステカ文明をささえたトウモロコシ、その5

2011-11-22 20:28:12 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No7

e. Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980)
・ ジーア属メイズ亜種パヴィルミス
・ Corn、Balsas teosinte
 
(出典)Uppsala universitet

ジーア属メイズ亜種パヴィルミス(Zea mays subsp. parviglumis)は、写真を見てもわかるように茎が細く草丈200-500mと背丈が高く、タッセルと呼ばれる花穂は小さく、実を成熟させるのに6-7ヶ月もかかる。
生息する地域は、メキシコの西部、太平洋側にあるナヤリットからオアハカ州の標高400-1800mの低地で生育する。亜種メキシカーナ(Zea mays L. ssp. mexicana)が標高1700-2600mの高地で生息するのと較べると一般的に100mで1℃違うのでパヴィルミスの方が高温多雨なところに生息している。

このパヴィルミス(Zea mays subsp. parviglumis)を発見したのはイルチスおよびドエブリーで、1977年9月22日にメキシコのゲレーロ州で野生種の新種のテオシントとして採取され、1980年にジーア属メイズ亜種パヴィルミス(Zea mays subsp. parviglumis)と名づけられた。
種小名の“parviglumis”は、“小さな頴(エイ)”を意味し、この頴(エイ)には①穂先、②才知が鋭いという意味があるので、他のテオシントなどと較べて穂先が短いという特色から名づけられた。
コモンネームとしては、発見された場所である「Guerrero teosinte」或いは、バルサス川の渓谷が原産地なので「Balsas teosinte」と呼ばれる。
このパヴィルミスが人間によって栽培された現在のトウモロコシの祖先ではないかと言われていて、この点については後述することにする。

イルチスと弟子のドエブリー達は、翌年の1978年10月22日にハリスコ州マナントゥラン山脈で、もうひとつの重要な野生種のテオシントで学名が「ジーア・ディプロペレンニス(Zea diploperennis)」と呼ばれる種も最初に発見・採取しているので、トウモロコシの起源に生涯をかけたイルチスにとってラッキーにも2年間で2つの重要なトウモロコシの野生種を採取したことになる。

しかしジーア属メイズ亜種パヴィルミスに関して言えば、45年前の1932年9月17日にメヒコ州のTemascaltepecでヒントン(Hinton,George Boole 1882-1943)が採取しているので最初の採取者の栄誉はヒントンのはずだがそうはなっていない。

何故という疑問が残るが、トウモロコシの祖先を探す1930年から1960年頃までの科学的なアプローチは古代遺跡に残された化石などの残留物であり、乾燥した地域での洞窟などの遺跡の発掘であった。
マクネイシ(MacNeish, Richard Stockton 1918-2001)がメキシコシティの南東部にあるテワカンバレーの発掘で最も古いトウモロコシ、ヒョウタンなどの証拠を見つけたのも1960年代だった。

言い換えると、古いものが腐らずに残る可能性が高い乾燥したところでしか出来なかった時代があり、緯度が高い寒冷地、高度が高い山岳地に限定していて、高温多湿・多雨な緯度が低いところ、高度が低い低地、湿地などは除かれていたというよりも対応できる技術がなかった。ということになる。
遺伝子技術、デンプン・花粉などの酵素の構造分析などがこの壁を打ち破ることになるが、ヒントンの頃は、何か目新しい雑草が採取されたで終わっていたのだろう。
イルチスとドエブリーがただの雑草ではないと見極めたところからヒントンが採取した雑草に名前がついた。と考えると最初に採取したということよりも、最初に違いを見分けた方の価値を認めざるを得ない。

f. Zea mays subsp. huehuetenangensis (Iltis & Doebley) Doebley, (1990)
・ジーア・メイズ亜種ウエウエテナゲンシス
・Huehuetenango teosinte(ウエウエテナンゴ・テオシント)

(出典)CIAT

ドエブリーによって「ジーア・メイズ・亜種・ウエウエテナゲンシス(Zea mays subsp. huehuetenangensis)」と1990年に命名された野生種のテオシントは、メキシコ国境の近くのグアテマラ北西にある古い都市ウェウェテナンゴの500-1700mに生息する一年草のテオシントで、草丈が5メートルまで成長する。写真を見ても丈の高さが良くわかる。
姿かたちはパヴィルミスと似ていて、放棄されたトウモロコシ畑で発見され、トウモロコシと容易に交雑し一代の雑種を作るという。

この雑種「Zea mays var. huehuetenangensis H.H. Iltis & Doebley (1980)」は、1976年1月にイルチスが最初に採取し、採取した場所であるグアテマラのウエウエテナンゴを種小名として命名された。

パヴィルミスが採取された場所に近いところ(メキシコゲレーロ州)でもこの野生種ウエウエテナンゴ・テオシントが採取されていて、1982年10月にイルチスが採取しているのでグアテマラからメキシコのゲレーロ州までの低地で生息し、交雑を繰り返していたのだろう。

g. Zea nicaraguensis Iltis & B.F.Benz,(2000)
・ ジーア・ニカラグエンシス
・ Nicaragua Teosinte

ニカラグアの太平洋岸にあるチナンデガ(Chinadega)の海抜5-15mの平野部で生育している野生のテオシントが、イルチス(Iltis, Hugh Hellmut)テキサス・ウエスリアン大学のベンツ(Benz, Bruce F.)ニカラグアにあるセントラル・アメリカン大学のグリハルバ(Alfredo Grijalva)によって1991年10月というからごく最近になって発見・採取され、2000年に新種の「ジーア・ニカラグエンシス(Zea nicaraguensis)」と命名された。

この「ジーア・ニカラグエンシス(Zea nicaraguensis)」は変わった特徴を持っていて、水位がかなり高い水浸しのところでも平気で育つという。低地で育つテオシントは、4~5mと丈が高いが、周りの雑草・樹木に負けないで光を受けるだけでなく水浸しの地でも顔を出す高さが必要だったのだろう。
20年前まではかなり広い範囲で生育していて、畑などのフェンスとして栽培され、牛などの飼料として使われていたという。しかし、今では絶滅に近く2箇所でしか生存していないという。そのうちの一箇所が6000本程度というからかなりの絶滅危機状態にある。

残念ながら写真がないが、「ジーア・ニカラグエンシス(Zea nicaraguensis)」は、グアテマラの野生種テオシント「Zea luxurians (Durieu & Asch.) R.M.Bird(1978)」に非常に近いという。

ジーア属の原種の関係

ジーア属(Zea)には数多くの種がある。その中に現在のトウモロコシの祖先が紛れ込んでいるはずだが、交雑した種ではなくテオシントと書いた野生種を絞り込むと4種になる。さらにトウモロコシの亜種4種の関係を見ると次の図が個人的にぴったりと来る。
現在のトウモロコシ(Zea mays mays)に最も近いのがメキシコの低地に生息するパヴィルミス(Zea mays parviglumis)で、このパヴィルミスに近いのがメキシコ高地に生息するメキシカーナ(Zea mays mexicana)という読み方になる。
採取された原産地ごとにそれぞれの種を地図に表示するとこの分類が良く見えてくるが次回からトウモロコシの祖先探しのまとめを試みる。


(出典) Vollbrecht E, Sigmon 2005.


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古民家レストラン 「カフェフラココ(FURACOCO)」

2011-11-16 23:06:46 | グルメ

(写真)スパゲティ


美味しいものがないとあきらめていた町で驚きの味に出会った。
ランチタイムのスパゲティで、野菜・キノコなどをトマトソースでスパゲティを包んだ見た目にありふれた料理だったが、後味がよく最後まで美味しかった。
食べ終わってから、食材と調味料が何だったか気になったが後の祭りだった。きれいさっぱりと食べてしまっていた。

「カフェフラココ(FURACOCO)」との出会いは、諦めているとはいえ「野田のグルメ」で検索したら「古民家カフェ FURACOCO」が見つかった。
この町では味に期待できないので“古民家”というのが気になりこれを見るつもりで行ってみた。
事前に地図でわかっていたはずだが、見つからずに通り過ぎてしまった。
当然あるべき“私の店に来て欲しい!”というサインを発する客寄せの看板がないのだ。

この辺から何かに自信がある店だなと気づくべきだったが、この町には旨いものを食べさせる店がないという先入観から抜け出していなかった。

(写真)室内


建物は昭和初期のつくりでしょうか?
ちょうど西岸良平原作「三丁目の夕陽」、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のセットのようで、戦後ベビーブーム世代の私にとっては見慣れた住宅でした。
今の若いヒトには古民家でも、これは古民家じゃないよな~。
住宅というかあらゆる物は、作られたときから価値が下がり続け、これが底をうち価値が上がるようになった時から“古民家”とか“骨董”とかになるのかなと思うので、解体して立て直すかどうか悩むような古い家というのが妥当な気がする。

この古い家を修理して使う際のセンスが重要だが、“FURACOCO”のセンスはなかなかだった。新しさ・豪華さ・奇抜さを入れずに建物と同じ時代でまとめているところが良い。
そこには、懐かしさ、素朴さ、貧しさ、そして助け合って生きてきた大家族の温もりがあった。

食べ終わって気づいたが、このセンスが食にも一本筋を通しているようで、無農薬・有機栽培の野菜、穀類、そして、氏素性がしっかりした調味料を使用するこだわりを持っていた。
オーガニック(有機肥料)を売りにしたレストランがあるが、「FURACOCO」は、農薬・化学肥料が高価で買えなかった昭和初期の当たり前の農業であった、有機肥料と人力での除草で育った無骨だが味のある野菜・穀類とそれらを使った味噌・しょうゆなどの調味料を大家族の食卓で食べた家を再現しているようだ。

一つ一つの野菜の個性的な味、それを旨みとして引き出す調味料の力、これが美味しいと感じたのだろう。 とてもやさしい味だった。

気になったのは、店の名前だ。何か由来でもあるのだろう?
フランス語、イタリア語、ポルトガル語、ラテン語など調べたが“ない”。
ひらがなで「ふらここ」と入れてみたら、

ふらここ=【鞦韆】【秋千(しゅうせん)】=「ぶらんこ」に同じ。
エ~。「ブランコ」なんだ!


ランチのメニューは、3種類から選ぶようになっていた。①スパゲティ ②おにぎりプレート ③大豆ハンバーグ。 おにぎりプレートの写真だけでも載せておきましょう。 これも結構美味しかったな。

(写真)おにぎりプレート


「カフェフラココ(FURACOCO)」
住所:千葉県野田市柳沢40
電話:04-7121-2327
営業日・時間:ランチ:11:00~16:00 ディナー:17:30~21:00 (月曜日休み)
 ※2012年1月から金曜日休み、
 ※初めてのヒトは電話してから行った方がいいです。(ディナー休みの場合あり)

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レオノチスセージ(Leonotis sage)の花

2011-11-06 16:06:32 | セージ&サルビア
好天気が続いたので霜が落ちる前にすべり込みセーフで開花した。

(写真)レオノチスセージの花


Lion's Tail(ライオンの尻尾)と呼ばれる「レオノチスセージ(Leonotis sage)」、 どこが“ライオンの尻尾”なのだろうかと考えていたが、その立ち姿にあるのだろうと思うようになって来た。

200cm程に直立に伸び、基部は木質化しライオンが尻尾を立てたときの姿に似る。
上部に花が輪生しオレンジ色の大きな花が咲く。まるで尻尾に結んだリボンのようで、タイヨウチョウ(sunbird)をひきつける。
花は上部に向って咲き、タイヨウチョウが空中で停止(ホバリング)しながら長いくちばしを使い花の蜜を吸うときに花粉を着けやすい形をしている。しかも移動を少なくするため輪生して咲く。ぱっと見た目が奇抜でも、生き残った形には合理的な理由があることがわかる。
葉は対生し、細長い披針形のダークグリーン色でシャープでスリムな全体の印象をかもし出している。

このレオノチスセージ、セージと呼ばれているがサルビア属の植物ではない。
薬草として使われていたのでセージと名づけられているが、レオノチス属(Leonotis)に分類され、属名はブラウン(Brown, Robert 1773-1858)によって1810年に命名され、レオノチスセージ(Leonotis leonurus (L.) R.Br. (1811))は、翌年1811年にブラウンによって命名された。

命名者ロバート・ブラウンと採取者?
 
(出典)Australian National University

このブラウンはスコットランド生まれの植物学者で、多くのプラントハンターを海外に派遣したバンクス卿の支援を受け1801-1805年までオーストラリア探検隊に加わり数多くの新種の標本を持ち帰り、その成果を1810年に「Prodromus Florae Novae Hollandiae」として発表した。
帰国後はバンクス卿のアシスタントとしてバンクス卿が集めた植物コレクションの分類・研究を行い、1825年に被子植物と裸子植物の違いを最初に見分け、1827年には“ブラウン運動”として有名になる水面上に浮かべた花粉が破裂すると中から出てきた微粒子が不規則に動くことを発見した。ブラウン運動の原因は、ブラウンの没後1905年にアインシュタインによって解明された。

ブラウンは南アフリカに旅行していないので彼が採取して命名したわけではない。命名したのが1811年なので、これ以前に南アフリカにプラントハンティングに出かけ、バンクス卿に植物標本を送った人物となる。

(地図)フランシス・マッソンのプラトハンティングの旅

(出典)モノトーンでのときめき

可能性があるのは、マッソン(Masson, Francis 1741-1805)だろう。彼は、二回(1772-1775年、1786-1795年)南アフリカに旅していて、ケープタウンを基地として南部アフリカの奥地までプラントハンティングをしたので住民に重宝な薬草として使われていたこの植物が目に留まらないわけがない。そしてキューガーデンに採取した植物を送っていたのでその中に紛れ込んでいた可能性がある。
しかし、確証がない。

キューガーデンの記録にレオノチスセージ(Leonotis leonurus)の採取者としてあげられている中で、採取した時期は不明だがもう一人可能性がありそうな人物がいた。
バーチェル・ウイリアム(Burchell, William John 1781-1863)だ。
彼は、1810年に南アフリカケープに旅立ち、この地で5年間もの間内陸部を探検して5万もの標本を採取し1815年に英国のフルハムに戻っているので、可能性として否定できない。

Wild Dagga(野生のマリファナ)
南アフリカの伝統的な薬草として、咳、寒さ、インフルエンザ、胸部感染症、糖尿病、高血圧、湿疹、癲癇、遅れる月経、回虫、便秘、クモ、サソリ、蛇にかまれた傷に対する特効薬として使われていたようだが、効果がないところまで使われていたようだ。
また、Wild Dagga(野生のマリファナ)と呼ばれているように、アメリカ大陸以外にはタバコの原種がなかったので、タバコとして乾燥させた葉を喫煙していたようだが、煙は、不快な味覚があって、肺とのどへの刺激物であることが報告されている。(これをタバコというんだけど・・・)

いずれにしても、この薬草を大量に使用すると、器官・赤血球・白血球等に毒物的な悪い作用があることをネズミを使った動物実験であったようなので、花としての鑑賞にとどめた方がよさそうだ。

(写真)レオノチスセージの立ち姿
 

レオノチスセージ(Leonotis leonurus)
・ シソ科レオノチス属の耐寒性が弱い小潅木。
・ 学名はLeonotis leonurus (L.) R.Br. (1811)。英名はLion's Tail(ライオンの尻尾) Wild Dagga(野生のマリファナ)。日本の園芸市場では“レオノチスセージ”で流通。
・ 学名の命名者「R.Br.」は、Brown, Robert (1773-1858)
・ 原産地は南アフリカ、アンゴラで、草原、岩の多い荒地に生息する。
・ タバコのように喫煙される比較的無毒な南アフリカのハーブ
・ 樹高120-200cmで直立に育つ。ダークグリーンで披針形の細長い葉は対生し、葉の付け根に輪生して蕾をつける。
・ 開花期は晩夏から霜が落ちる晩秋にオレンジ色の花が咲く。
・ 土壌は、乾燥気味に育てる。
・ 関東以北では鉢植えで冬場は軒下・室内・温室で育てる。
・ 南アフリカではあらゆる病気に使われた薬草で、抗炎症性・低血糖特性効果があるようだ。

Leonotis は、“Lion's ear”を意味するラテンでシソ科レオノチス属の植物の総称。南アフリカに約20種が分布し、葉は披針形、花は白か橙色で葉腋(ようえき)に密につく。花後も萼(がく)が葉腋ごとに球状に残る。この属名はRobert Brown によって1810年に名づけられた。
Leonurusは、“Lion's tail(ライオンの尻尾)”を意味する。

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コキア(Kochia)の紅葉

2011-11-02 15:45:33 | その他のハーブ
(写真)いっぱいに植栽されたコキアの紅葉


好天気に誘われ清水公園を散歩したら、花ファンタジアに紅葉したコキアの群生があった。こののどかな光景は捨てがたい。
夕陽を映した羊の群れのようでもあり、月の大地で生存する未確認物体のようでもあり、時間感覚を麻痺させる。
新しいのか古いのか。新鮮なのか懐かしいのか良くわからない。

アメリカの草原・乾燥した砂漠の端に群生していたので北米原産かと思っていたが、ユーラシア大陸原産の一年草で、日本には中国から伝来し、ホウキグサなどと呼ばれ乾燥した枝を束ね箒として使われていた。
草丈100cm程度で、根元から密に枝分かれし丸くまとまっているので、箒にうってつけの形態をしている。
1753年にリンネはこの植物にアカザ属のスコパリア(Chenopodium scoparia)と命名した。種小名の“scoparia”は、“ほうき状の”“ごみ収集人”を意味するので、既にこの当時にはごみ掃除の道具として日本だけでなく使われていたようだ。

しかし、最近では広いスペースを装飾デザインする植物として人気があり、丘一面をコキアで埋め尽くすところもでてきた。10月になると緑から紅葉し、朝陽、夕陽に映えるコキアは格別の美しさで、“fire-bush,”“burning bush”と呼びたくなるのも良くわかる。

コキアの種は秋田名物の“トンブリ”
(写真)「トンブリ」(見た目がキャビアだね!)
 
トンブリは、秋田県米代川流域に住む民が飢饉のときに食べたのが始まりといわれる。以来、秋田名物のひとつとなっていて10月から旬のものが出回る。
山かけの上に飾ったトンブリは黒緑色が鮮やかでかき混ぜて食べるとプリッとした食感が良い。味は無味なので、冷采のトッピングとして色彩と食感を楽しむ使い方がされるので、酢の物、納豆などだけでなくパスタ、チラシ寿司などにもあいそうだ。

しかし、このプリッとした食感を出すのは秘伝の技があるそうだ。
ホウキグサからトンブリにする工程は、秋に取り入れた実を乾燥させ、これを煮て冷水につけ、手を切るような冷たい水で手もみで殻を取るそうだが、この単純な工程に技があるという。

名前の由来は、トンボの方言である「ダンブリ」から、或いは、「ぶりこ(ハタハタの卵)に似た、唐伝来のもの」を意味する「とうぶりこ(唐ぶりこ、唐鰤子)」が省略され転訛したとする説がある。

中国から何時頃日本に伝来したかは定かでないが、平安時代の醍醐天皇に侍医として仕えた深根輔仁が延喜年間(901-923)に編纂した「本草和名」に薬草として、同じ頃の905年から藤原時平らが編纂を始め927年に完成した「延喜式」には、『武蔵国より地膚子一斗五合、下総国から地膚子一斗を貢献する』と記載されているので、これ以前に伝わり、10世紀初めには栽培も関東まで広がっていたことがわかる。

日本が面している高齢化と放射性物質の体内蓄積の問題を解くキーワードのひとつが“不必要なものを対外排出”することだが、トンブリは利尿促進効果がありそうなので、体内の悪いものを排出するところで注目を浴びる食材かもしれない。
今はわからないがそんな秘めた力を持っている食材のような気がする。

(写真)コキア植物画
 
(出典)University of Wisconsin - Stevens Point

コキア(kochia)
・ アカザ科の一年草
・ 学名は、Bassia scoparia。種小名の“scoparia”は“ほうき状の”を意味する。英名は、沢山ありkochia scoparia(以前の学名)、fire bush, summer cypress, belvedere, fire-bush, burning bushなど。和名はホウキギ、ホウキグサ、ニワグサ。
・ 原産地はユーラシア大陸で平安時代には中国から伝わっていた。
・ 草丈30-150cm、根元から密に枝分かれする。
・ 開花期は8月、花は目立たない。
・ 伝統的な漢方薬として代謝性障害(高脂血症、高血圧、肥満とアテローム性動脈硬化症)予防、利尿促進の生薬として使われる。
・ 北米では家畜の飼料として使われる。
・ 日本では、乾燥させた種子を沸騰したお湯で煮て冷水に一日つけ、殻を取ると黒緑色の秋田名物“とんぶり”の珍味が誕生する。見た目、食感はキャビアで“畑のキャビア”とも呼ばれる。

※ コキアは3回分類が変わった。
1. Chenopodium scoparium L.(1753)
1753年リンネによってアカザ属に分類される。
2. Kochia scoparia ( L. ) Schrad.(1809)
1809年には、ドイツの医師・植物学者シュレーダー(Schrader, Heinrich Adolf 1767-1836)によってコキア(Kochia)属に分類される。属名の由来はドイツのエルランゲン大学薬学・植物学教授コッホ(Koch, Wilhelm Daniel Joseph 1771-1849)による。
3. Bassia scoparia (L.) A.J. Scott (1978)
1978年にスコット(Scott, Andrew John 1950- )によって現在の学名であるバシア(Bassia)属に分類しなおされる。属名の“Bassia”は、イタリアの植物学者でボローニャ植物園の教授Ferdinando Bassi (1710-1774)にちなんで名づけられた。

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