モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

“箱めし”What? 『日本橋玉ゐ』

2009-04-20 07:22:12 | グルメ
『箱めし』という気になる看板があった。

場所は、日本橋室町にある蕎麦屋『室町砂場』の近くに、和風の古く居酒屋風の建物でちょっと入りにくい感じがある店があった。
『日本橋玉ゐ』。店先にあるメニューを見るとアナゴ専門店のようだ。

いつか行こうと思っていたが、土曜日に銀座から中央通を散歩し途中日本橋三越界隈の新規の店を探しながら日本橋室町まで行って「箱めし」を所望した。

(写真)アナゴ箱めしの小箱


アナゴ一本が箱めしの小箱、二本が中箱となり、うな重のようなものをいう。
アナゴは、“煮上げ”“焼上げ”が選べるので、香ばしい香りがあるという“焼上げ”を頼んだ。
さらに、ご飯大盛りにしますかと聞かれたので、ボリュームは?と質問したらごはんを少し残し茶漬けにするといいですよと説明されたので、大盛りと茶漬けセットを頼んだ。

小さなおろし金がついていて、既にゆずがおろしてありこれをアナゴに竹べらでサッサと掻きだしていく。なかなかおしゃれな演出もある。

アナゴは美味しいかどうかは良くわからない。大体が味がないので甘辛いタレでだまして食べる代物と思っているが、この箱めしは美味しかった。
お米が立ったご飯とアナゴと甘辛いタレがマッチしていて小箱では物足りないかもわからない。

お茶漬けに1/3ほど残し、アナゴの骨からとったというだし汁をかけてお茶漬けを食べたが、これが絶品であった。

(写真)アナゴ茶漬け
        

『日本橋玉ゐ』
室町支店は日曜日・祝日が休みだが、日本橋高島屋近くにある本店は年中無休。
小箱のご飯大盛りでお茶漬けをプラスすると良い。

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今年も生き残った『黒めだか』

2009-04-19 12:12:28 | メダカ・昆虫
水草で一杯になった瓶を掃除し、越冬したメダカを確認した。

水草を半分刈り取り、冬の間中替えなかった水を替え

広いスペースが出来たので、しばらくするとメダカさんがお出ましになった。

最初は恐る恐る顔をだしていたが、慣れるに従い一族で集まり始めた。

その数6匹が生存していてまずは安心した。

(写真)水草を半分刈り取った水瓶

(写真)越冬したメダカの隊列


昨年生まれたであろう小さめのメダカがいないこともあり、今年も新しく黒メダカを追加してあげる必要がありそうだ。

絶滅危機にあるメダカだが、庭先の水瓶でしかも水道の水で十分に生存している。
水瓶の中だけは、擬似自然環境を作り、土と水草で水質の浄化とメダカの隠れ場所を作っているだけで、氷が張っても生き残る力を持っている。

この水がめは、野良犬の水のみ場ともなっていてメダカも驚いただろうが、
ボウフラを退治してくれるので水溜りには欠かせない存在だ。
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自然交配で出来たビオラのようだ ?

2009-04-18 06:08:40 | その他のハーブ
(写真)名無しのビオラ

この花は、こぼれ種から育ったビオラのようだ。

毎年、ブルーとイエローのビオラを中心に育てている。
大部分が園芸品種のF1種なので一代限りのはずだが、初めてタネが出来そのこぼれタネから誕生した。と思う。

親がわからないので類似のビオラを探してみたが、 「宿根ビオラ・ディーナ」というのが似ている。

しかし、ディーナではないだろう。
単なる雑種のはずだ。

(写真)昨年育てたブルーのビオラ
         

昨年育てたブルーのビオラと見比べると、花の形はほぼ同じで、上の4枚の花びらの色合いも似ている。
違うところは、下の花びら一枚の色合いだけが異なる。

黄色が入っているので、同時期に育てたイエローのビオラとの交雑で出来たようだ。
葉の形も同じであり、1年草の園芸品種でも交雑することがあるのかという発見となった。
咲き終わった花柄を摘んで、土の上に捨てておいたのが正解だったようだ。

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その83:江戸を歩く ⑦ 素晴らしい『旧古河庭園』

2009-04-17 08:04:07 | ときめきの植物雑学ノート
いくつか庭園・公園を見て回ったが、『旧古河庭園』は素晴らしい。

「六義園」の明るく詩的な庭造りにも感心したが、この『旧古河庭園』はハイカラな聡明さが感じられた。
施主と庭師などのチームによる総合芸術の勝利であることは間違いない。

この聡明さを伝えるのに、1枚の絵或いは写真で切り取れないもどかしさがあるが、設計・デザイン・施工・庭で使う植物や石などの素材などの組み合わせに“理”が貫かれているのだろうと思う。

(写真)駒込から王子までの周辺地図 (中心が旧古河庭園) by google


『旧古河庭園』の場所的な位置
幕末の1860年11月に江戸に来たイギリスのプラントハンター、ロバート・フォーチュンも歩いたという、団子坂、染井、王子は、江戸の大名屋敷、裕福な商人、庶民などに植木・花を提供するセンターであり、江戸城から日光に向かう本郷通りで貫かれている。

この道筋には、「後楽園」「六義園」『旧古河庭園』「渋沢庭園」「飛鳥山」などいまでも残っている。

『旧古河庭園』は、JR駒込駅から徒歩で15~20分、ここから「飛鳥山」へは徒歩で15分もかからない。
東京で40年以上も暮らしていたが、この一帯に足を踏み入れたのは初めてであり、お互いにこんなに近いとは思いもしなかった。
江戸は徒歩圏内だということが実感できた。

『旧古河庭園』の由来

江戸時代には、この地に植木屋仁兵衛が造った植木御用庭園「西ヶ原牡丹屋敷」があり、
徳川吉宗時代からのこの一帯は、将軍家の鷹狩りの場であり、狩で使う殿舎や動物を飼育する厩舎、庭園などがあったという。植木屋仁兵衛は、染井村の植木屋というのをどこかで読んだ記憶があるが、その確認は出来なかった。

明治になって元勲の一人で日清戦争時の外務大臣、陸奥宗光がこの牡丹屋敷を購入し別邸として使い、公園の入り口である小高い丘に洋館を建て、その前面と斜面に西洋庭園、低地に日本庭園を作った。直接は関係しないだろうが陸奥宗光の家紋は仙台牡丹のようだ。

洋館は結構大きいが、お茶を飲むだけなら一階の喫茶室に入れるが、全体を見る場合は事前に予約をしなければならない。(ということで見れませんでした。)

この洋館を設計したのが、英国のジョサイア コンドル博士(Josiah Conder 1852~1920)で、御茶ノ水にあるニコライ堂などを設計し、日本の建築家を育成した人だ。このニコライ堂の鐘の音は素晴らしいとタクシーの運転手さんが言っていたが、一度聞いてみたいものだ。

日本庭園を造園したのは、近代日本庭園の代表的な造園家である七代小川 治兵衛(おがわ じへえ、1860-1933)で、京都の平安神宮、円山公園なども手がけている。

さらに、この明治時代に成功した古河・住友・三井・岩崎・藤田などの財閥家の庭園も手がけており、新しいパトロンが大名庭園とは異なる新しい庭園を創る作家を育てた時代でもあった。

「小石川後楽園」、「六義園」などの大名庭園には直線がないが、『旧古河庭園』には直線と自然な曲線が上手に組み合わされていた。

(写真)『旧古河庭園』園内マップ


庭園入り口を入ると洋館が正面となり、その洋館周辺にはフランス幾何学庭園が小さく作られていて、5月頃にはバラが見事のようだ。
この洋館の左手は、10mは段差がある階段下となるが、ここに起伏のある地形を利用するイタリア式庭園が作られ、一番下に日本庭園が作られている。

(写真)「洋館」(ジョサイア・コンドル設計)    洋館前のフランス式庭園
 

(写真)段差を利用したイタリア式庭園        池を中心とした日本庭園
 

(写真)素晴らしい日本庭園


自然界には直線というものがないという。「フランス幾何学式庭園」は、自然を統治する国王の権威を直線の組み合わせで表現した。この庭園へのアンチが「イギリス風景庭園」であり、より自然界を庭に取り入れようとした。
日本庭園は、前方後円墳から直線を多用することなく「小石川後楽園」、「六義園」などの大名庭園にも直線がない。
『旧古河庭園』には直線と曲線が上手に棲み分けていて、江戸から明治への“開国”“近代化”の息吹きが感じられ、施主、陸奥宗光のセンスの良さを感じた。

お奨めの庭園です。

補足:<江戸を歩くシリーズ>は、
ロバートフォーチュン『幕末日本探訪記―江戸と北京』(講談社学術文庫)に刺激され、彼の足跡をたどってみました。
ここには、英国人が見た当時の美しい日本が描かれており、忘れつつある文化とか価値感を見つめなおすことができ、とても参考になった日本のガイドブックでした。
次はイサベラバードを読もうかな? など思っていますが水遣りで旅行できない時期になったので、朝帰り程度で済む圏内でしばし我慢し「庭園」を追っかけて見ます。

その73:江戸を歩く ① 小石川御薬園跡地、小石川植物園
その74:江戸を歩く ② 江戸の庭園、六義園(りくぎえん)
その75:江戸を歩く ③ 江戸の『出島』長崎屋
その76:江戸を歩く ④ 日本の名庭園「小石川後楽園」
その77:江戸と同時代のヨーロッパの庭園、『フランス式庭園』
その80:江戸を歩く ⑤ 江戸の育種園『染井村』と「ソメイヨシノ」
その81:江戸を歩く ⑥ 飛鳥山の花見

その83:江戸を歩く ⑦ 素晴らしい『旧古河庭園』

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イキシア・マキュラータの花

2009-04-16 07:18:23 | その他のハーブ
南アフリカ、南西部・ケープ地方に生息する『イキシア』。
南アフリカには約50種ほどの『イキシア』の原種があるが、日本でも原種の球根が販売されていて、そのうちの1種「マキュラータ」が開花した。

(写真)イキシア・マキュラータの花とつぼみ


フランシス・マッソンが初めてイギリスに『イキシア』の球根をもたらしたのが1775年頃であり、それからヨーロッパに『イキシア』が広まった。特に、マッソンがもたらした「幻のイキシア」といわれる「イキシア・ビリディフローラ(Ixia viridiflora Lam.)」は、植物の花としては珍しい緑色の花が咲きキュー植物園のスタッフを魅了し『イキシア』の人気が高まったという。


俄然、『イキシア』を育てたくなり、昨年11月末に『イキシア』の球根を植えた。
茎が弱いために芽が出たら土をかけてあげられるように浅めに植え、寒さから守るために腐葉土をたっぷりとかけ保護して、日当たりが良い軒下で管理した。

葉がでたら5~10℃の温度で20日ほど育てると美しい花が咲くということだったが、室外なので、5℃以下の日もあり枯れそうになったこともあったが何とか開花した。

茎の先端に7~8個ほどのつぼみがつき、その中から2cm程度ののオレンジ色の花が咲く。センターが濃い紫色であり昆虫に花粉と蜜のありかを示している。
夕方から花びらを閉じ陽が昇ると開花するのはチューリップ、アネモネなどと同じで、光・温度に感応している。

このつぼみのつき方が英名のAfrican corn lily、コーンのようなユリとなったのだろう。
また葉は、アヤメ科らしい細く長い葉だが強い風に弱い華奢な感じがする。

(写真) イキシア・マキュラータの葉と花
        

イキシア・マキュラータ
・アヤメ科イキシア属の半耐寒性の球根
・学名 Ixia maculata.L. 。 英名African corn lily。
・原産地 南アフリカの南西部、南部、ケープ地方。
・草丈 25~40cm
・開花期は4~5月、黄緑の花を咲かせる。
・開花後は花柄を摘み取り、葉が黄色に変色したら根元から切り取り風通しの良いところでマルチングをして夏をすごさせる。
・植え付けは11月末までに行い、深さ2センチぐらいの浅植えをし、葉が出たら土を入れて倒れるのを防ぐ。
・有機質が多い排水のよい土壌。霜にやられないように出来るだけ遅く植える。腐葉土・わらなどを敷いてマルチングする。
・葉がでたら、5~10度の温度を1ヶ月保つ。その後は日当たりの良いところで管理する。

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ハナズオウ(花蘇芳)の花

2009-04-15 07:48:46 | その他のハーブ
(写真)ハナズオウの花


何と艶やかな花だろう。
枝から直接薄紅色の花が咲き、この花が蝶のような形をしている。
マメ科らしい花だが、この色彩は桃源郷のような色合いといっても良さそうだ。

10年前ぐらいに植木屋が入れたものだが、枯れてしまったので裏庭に放置していてすっかり忘れていた。驚いたことに、枯れた枝の下から新しい枝を出し、見事に再生していただけでなく、花を咲かせていた。

枯れ木に花を咲かせましょうという“花咲か爺”がかけた魔術かとも思ってしまった。


この『ハナズオウ』は、江戸時代に中国から渡来した花木で、薄紅色の花色がその頃江戸で人気があった染め色の『蘇芳(すおう)』に似ていたので、『ハナズオウ』と名付けられた。

一方の『蘇芳(すおう)』は、
インド・マレーシア原産のマメ科の小木で、この幹の心材を染料の原料として利用した。日本への渡来は奈良時代のようで、天竺を経て中国経由で入ってきた貴重な染料だった。当初は十二単に使われるなど上流階級の染色服飾だったが、江戸時代になると直接輸入されるようになり庶民にも人気があり広まったという。

(写真)ハナズオウの葉と花
        

ハナズオウ(花蘇芳)
・マメ科ハナズオウ属の落葉低木。
・学名は、Cercis chinensis Bunge。属名のCercisは“鞘・さや”を意味し、小刀の鞘に似た実がなる。
・和名は花蘇芳(ハナズオウ)。古代から赤色の染料とされた「蘇芳」の木の染料汁に似た色から来ている。
・英名は、Chinese red bud (中国の赤い芽、赤い小娘)
・原産地は中国。
・樹高2~4m。
・開花期は4月~5月。木の枝に薄紅色の蝶の形をした花が束になって咲く。
・開花後にハート型の薄い黄緑色の葉が互生する。また、秋に扁平な豆のような果実がなる。
・日当たりが良いやや湿った土壌が適している。
・江戸時代に中国から渡来する。

命名者は、ブンゲ(Bunge, Alexander Andrejewitsch (Aleksandr Andreevic, Aleksandrovic) von 1803-1890)は、ドイツ系ロシア人でアジア・シベリア探索などを行ったTartu大学の植物学教授。この大学はエストニアにあるが、スウェーデン国王によって設立されたリンネ、ツンベルクなどが教授をしたウプサラ大学についで古い大学でもある。
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どうだんつつじ(灯台ツツジ)の花

2009-04-14 07:49:17 | その他のハーブ
(写真)枝分かれした先につくドウダンツツジの花


サクラに浮かれていたらいつのまにかドウダンツツジの白い釣鐘型の花がビッシリと咲いていた。
この花は、満開になってから気づかされることが多く、自己主張しないというがしとやかというか控えめな感じがする。

しかし、良く見ると爪楊枝の軸ともなりそうな真っ直ぐな小枝が分岐し、その先に花がつく。
この姿が「結び灯台」と似ているので『灯台ツツジ』これが転化して『ドウダンツツジ』となったといわれている。

(出典)日下部あかりの資料館

灯台は、海の航路を安全に守るための灯台ではなく、昔の室内照明器具をいう。3本の竹を組み合わせてこれを結び、上に油皿をのせ灯心を立て火をともす木製の台のことを言う。

簡単だけどこれでは火事になりやすい。
きっと、秋になると真っ赤に紅葉する姿をも含めて『灯台ツツジ』と名付けたのだろうと思ってしまう。

どうだんつつじ(灯台ツツジ)
・ツツジ科ドウダンツツジ属の耐寒性がある落葉低木。
・学名は、Enkianthus perulatus C.K.Schneid.で、属名のEnkianthusはギリシャ語で妊婦のように膨らんだ花を意味する。
・和名は、灯台つつじ、満天星つつじ。枝分かれする形が昔の燈明・燭台に似ているところから灯台つつじ⇒どうだんつつじとなる。
・原産地は、日本の伊豆半島から以西に自生する。
・この属の種は東アジアに分布し、ヒマラヤ、中国、日本に10種がある。そのうち日本には4種がある。
・樹高は4mの落葉低木で、我が家では1m程度に丈をつめ、大きな鉢に植えている。
・開花期は4月から5月。
・釣鐘のような白い小さな花がたくさん咲く。
・もともと山地に自生しているだけあって、頑強。手入れは簡単。
・秋に紅葉する。その色は緋色であり夕陽に燃えるように輝く。

命名者シュナイダー(Schneider, Camillo Karl 1876-1951)は、オーストリアの植物学者で造園家。父親が破産したので大学には進学できず、ドレスデン、ベルリンなどで庭師として働き、1904年からはヨーロッパ各地を旅行し1906~1912年にかけてその成果として美しいイラストの入った植物図鑑を出版した。1913~1915年には、オーストリア・ハンガリー樹木協会のプラントハンターとして中国で植物探索をする。そのとき採取した数百種の植物・種、写真は失われた。中国上海からボストンに行きハーバード大学のアーノルド植物園に勤める。この中国の経験から命名者として献じられたのだろう。

(写真)ドウダンツツジの花

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スモークツリー・ロイヤルパープルの若葉

2009-04-13 07:39:09 | その他のハーブ

4月初旬に若葉が出る。

この若葉は、朝日に当たると透きとおった茶色でとても美しい。
ロイヤルパープルという名がぴったりで、花よりも葉が美しいと思った数少ない植物だ。


葉が大きくなるにつれ、緑が入るようになり、色彩的には魅力が落ちる。
だが、花柄が伸び花が咲いたあとの霞のような或いは煙のような姿は幽玄そのものだが
葉は時間が経過するに従い汚れた色になっていく。

まるで、人生を見ているようだ。

秋には、一瞬だが紅葉がきれいになり、夕陽に映える燃えるような赤紫は素晴らしい。

(写真)スモークツリー・ロイヤルパープルの若葉


スモークツリー・ロイヤルパープル(Smoke tree'Royal Purple')
・ウルシ科コティヌス属の耐寒性がある落葉高木。
・学名は、Cotinus coggygria Scop. 'Royal Purple'、1771年にScopoliにより命名される。
・英名は、スモークツリー(Smoke tree), smoke bush。和名ハグマノキ(白熊の木)、ケムリノキ。
・原産地、南ヨーロッパ、ヒマラヤ、中国。
・樹高は120cmで芯止めをしているが、4mぐらいまで大きくなる。
・開花期は6~7月。花は目立たないが、その後に羽毛状のフワフワしたものが伸びてくる。これが煙のようにたなびくのでスモークツリーと呼ばれる。
・耐寒性、耐暑性に強い。

命名者Scop.は、スコポリー(Scopoli, Joannes Antonius (Giovanni Antonio) 1723-1788)
オーストリアとイタリアにまたがるアルプス山脈の東部にあるチロルで生まれ、アルプス山脈の植物と昆虫を集め博物誌を出版した。彼は同時代のリンネと親交を結んでおり、18世紀を代表する植物学者・医師でもある。


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レースラベンダー(ピナータ・ラベンダーPinnata Lavender)の花

2009-04-12 08:40:40 | その他のハーブ

(写真)レースラベンダー、ピナータ


レースラベンダー・ピナータ、これが三代目にあたる。
我が家は日差しが強すぎて、ラベンダーにとってはつらいところのようだ。大部分が失敗しており、木陰に置いた五種類ぐらいしか生き残っていない。

悪環境を生き残ってきた二代目のレースラベンダー・ピナータは、盆栽のように枯れた魅力があり結構気に入っていたが、昨年の秋に枯れ死した。この代わりを育てているが、冬の間中つぼみを持っていたがやっと開花した。
やれやれお疲れさんというところだ。

このレースラベンダー・ピナータは、葉に特徴があり、シダのように切れ込みがあり、また産毛で覆われていて光を柔らかく反射するので、全体としてはレース網のような風合いが出る。
そして華奢に感じる細長い花茎を伸ばし、荷重とも思える花穂をつける。

その花穂から美しい紫の小さな花がポッと咲き、上に上にと咲きあがる。
四季咲き性があるので、咲き終わった花茎を摘むことによって次の花が期待できる。


さて、このレースラベンダー・ピナータの由来だが、
アフリカの北西沿岸にある現スペイン領の島、カナリア諸島が原産地で、この島はポルトガルの大航海時代の幕を開けたエンリケ航海王子(Infante Dom Henrique, 1394年-1460年)の頃は、カナリア諸島から先は地の果てであり海が絶壁から滝のように落下していると信じられていたところでもある。
世界が広がるということは、その当時の常識だがいまは迷信といえるコトを、事実の蓄積で検証していき、結果として常識を破壊することなのだろう。

いつごろ発見されたかを調べたがわからなかった。手がかりは学名の命名者と登録日であり、1802年にドイツの植物学者モエンス(Moench, Conrad 1744-1805)によって登録されている。

キュー植物園のプラントハンター、フランシス・マッソンも南アフリカ探検から戻った翌年の1776年にカナリヤ諸島にプラントハンティングに出かけているが、マッソンが持って来たものかどうかはわからない。
いづれにしても、1802年以前に採取されヨーロッパに持ってこられたことは間違いなさそうだ。しかも命名者から見て、ドイツ系のプラントハンターが持ち込んだのだろう。

(写真)レースラベンダー・ピナータの葉と花


レースラベンダー(ピナータラベンダーPinnata Lavender)
・シソ科ラバンデュラ属の半耐寒性の常緑性の低木。
・学名は、Lavandula pinnata Moench。英名は Jagged lavender, Fernleaf lavender。
・流通名は、レースラベンダーともいわれるプテロストエカス系のラベンダー。
・原産地は、カナリー諸島、北アフリカ・地中海沿岸。
・灰緑色のシダのような切れ込みがある葉、10cmほどの長い花穂に青紫の花が咲く。
・半耐寒性で四季咲き。霜を避けるところでは冬場でも戸外で大丈夫。
・草丈は、30~50cmで横に広がる。
・弱アルカリ性の土壌を好むので、石灰を入れる。
・花後に刈り込む。花穂が一杯出た場合は、間引きすると良い。
・夏場の取り扱いに注意。風通しの良い半日陰か1日二回の水遣りで水切れに注意。

命名者は、ドイツの植物学者モエンス(Moench, Conrad 1744-1805)1786年から死亡までゴシック建築が保存されている大学の都市マールブルク大学の植物学教授を務めた。

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総選挙近し??

2009-04-11 01:15:39 | ニッポンの政治
どうも5月に衆議院議員の選挙を狙っているようだ。

というのは、かなり核心的な投票行動の電話調査があり、その対象者になった。

質問は7つ。
Q1.今度の選挙でどの程度の確度で投票するか?
→ 絶対投票する

Q2.予定される3人の候補者のうち誰に投票するか
→ 民主党候補

Q3.その理由はつぎのうちどれか
イ、政党、ロ、政策、ハ、人柄、ニ、その他(順番は多少違う)
→ 政党

Q4.支持政党はどこか
→ 自民党

Q5.性

Q6.年齢

Q7.職業

質問は以上です。

こんな質問をし、今頃調査するのは民主党ではなく共産党でもなく自民党しかありえない。

さて、調査の解説を独断と偏見で展開します。

民主党小沢さんの政治献金問題による世論の変化、09年度予算が通り、また、プロンプターで漢字の読み間違えがなくなって自信を回復した麻生首相の支持率アップ、そしてこれから争点とするテンコ盛りの追加経済対策の予算ができそうなので、チャンスであることは間違いない。

しかし、ムードで選挙するわけには行かない。
支持率の変化を調査する必要がある。
ということでの調査のように思える。
前に(昨年)やった時はボロ負けのようであったが、今回は期待でき勝負になるのではないかと考えても不思議ではない。

さて、あなたはどうする。

個人的には、いつ選挙やってもらってもいいと思っている。
何故かというと、経済では100年に一度の大不況が起きているように、政治と行政においても100年に一度の大変革があって欲しい。というよりも大変革させたい。

政権与党と官僚は自分たちで掃除できないよどみと汚物にまみれている感がする。今度の選挙は、このよどみと汚物を掃除するために政権を変わってもらいたいたいと考えている。

行政をスリムにし、地方に予算と権限を与えることを前提に、スリムになった国家公務員は、日本の国の価値を高める政策立案機能に特化してもらいたい。
今回のような、補正予算の考えは、普通の企業の経営企画部でもデーターさえあれば立案できるし、データーをもっと分析するとこんなことは考えたくないほど当たり前すぎるような気がする。
需要の先食いをおまけで釣っているだけで、ちょっとひどすぎないかい!レベルの低さが。

政権与党の要求でこんなレベルになっているという官僚の言い訳がありそうだが、そろって退場していただき、政治と官の100年の大改革を失敗してもいいからやって欲しい。(もちろん次の選挙の投票に影響しますが・・・)

税金を有効に使っていないだけでなくチョロまかして無駄遣いしているところにメスを入れて欲しい。
政権与党と官僚が経営する”ぼったくりバー”には税金の使途を任せておけない。

自民党も一度下野して野党のつらさがわかると政策政党として脱皮できるのではないかと思う。健全な政策を競う政党が初めてはじまるように思えてならない。
日本の価値を高め、国民に自身を持たせ、税金を安く出来る経営者の出現を政党に期待したい。
そしてその日本国の経営方針を実施するために、官僚に協力してもらう人事権を持ち、従わないものの降格・配置転換・クビという当たり前の構造にして欲しい。
政治もおかしいが、それ以上におかしいのは国家公務員制度だということはご承知ですよね~麻生首相。

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