モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

ウオールジャーマンダー(Wall germander)の花

2011-07-19 20:57:55 | その他のハーブ

(写真)Wall germanderの花


ヨーロッパから中近東に自生するウオールジャーマンダー(Wall germander)は、草丈30センチ程度で、光を反射して輝くダークグリーンの葉が目にまぶしく、初夏から淡いパープルのシェル状の花が咲く。
花はサラダに使われるが、古くは痛風の薬として使われていた。

ウオールジャーマンダーは、紀元1世紀頃にはギリシャ人によって作られた万能薬・解毒剤として使われたヴェニス糖蜜(Venice treacle)の材料の一部としても使われ、シルクロードを通じでインド・中国まで流通していたという。

ヴェニス・トリアクレはかなりの高級な万能薬・解毒剤で、16世紀頃の英国では、ニンニクを指して“貧乏人のトリアクレ(Poor man's treacle)”と呼んでいるほどなのでその価値観としての違いが良くわかる。
いつの世も毒殺を恐れるのは、王侯・貴族なので解毒剤の値段は相当高かったのだろう。また高くないと信用されなかったのだろう。
ショウガ・ニンニクを刺身の薬味として使う日本食の文化は、16世紀の英国から見ると何と呼ばれたのだろうか? 調理もしないので“Poor man’s foods”と呼ばれたのだろうか?

今では悪玉になっている砂糖について触れると、砂糖の歴史は古く、南太平洋原産のサトウキビがインドに伝わり、紀元前2000年頃にインドで砂糖が生産された。(さらりと歴史的には書かれているが、どういう手段で移動したのかチョット気になります。)
ヨーロッパ人で砂糖に最初に触れたのは、アレキサンダー大王(Alexander the Great、紀元前356-紀元前323、在位紀元前336-紀元前323)の遠征軍のようであり、インダス川流域で現地人らが砂糖きびの絞り汁を発酵飲料にしているのを発見しそれを「蜂蜜のようなもの」と記述している。
実際にヨーロッパに砂糖キビ栽培と製糖技術を持ち込んだのは11世紀末から始った十字軍の遠征であり、アラブの先進医科学とともにもたらされたという。
それまでのヨーロッパでは、蜂蜜が砂糖の代わりであり貴重品であり医薬品として扱われてきた時間が長かった。砂糖で治療した時間の方が長かったという歴史は日本にもポルトガル人の来航でもたらされた。

この糖蜜トリアクレ(Venice treacle)は、解毒剤を研究・開発し解毒王として歴史的に有名なポントゥスの王ミトリダテス6世(Mithridates VI or Mithradates VI 134 BC-63 BC、在位120BC-63BC)に始まり、彼の死後ローマ帝国に伝わりヴェニス・トリアクレにと結びついている。

余談、解毒王ミトリダテス6世
ポントゥスは、現在のトルコにあった王国で、アレキサンダー大王の武将を祖先として建国され、ミトリダテスが12歳の時の紀元前120年に父親のMithridates Ⅴ世が毒殺された。その父の遺言により母親が摂政となり弟とともに共同の王となった。しかし母親は弟をかわいがっていたので、毒殺を恐れ逃げて隠れることになった。
父王を毒殺した犯人はわからなかったが、母ではないかという疑いを持っていたからで毒との関わり合いは幼少のときに始っていた。

母から逃れたミトリダテスは7年間荒野に隠れ、死なない程度の毒を服用して免疫力をつけ、解毒剤の実験・研究をしていたという。
紀元前113年にポントゥスに戻ったミトリダテスは、母と弟を追放したった一人の王となり、黒海周辺の小さな領土からエーゲ海方面へと現在のトルコ全体まで領土を拡大した。
当然、カエサル(Gaius Julius Caesar、紀元前100年-紀元前44年)ポンペイウス(Gnaeus Pompeius Magnus, 紀元前106年-紀元前48年)のいたローマ帝国とぶつかる事になり、紀元前63年にポンペイウスによって打ち破られた。

ローマ帝国と戦ったミトリダテスの晩年にも、こんな危ない王と一緒にいられないという部下・友人が毒殺を試みたとか、ポンペイウスに負けた後で毒を飲んで自殺しようとしたが、様々な解毒剤を飲んでいたので死ねなかったなどの逸話が残っている。

しかし、ミトリダテス6世は、解毒剤の開発でどれだけの捕虜などを実験台として毒殺したのだろうか?
という疑問と、王侯・貴族、日本での殿様など、毒見役が試食を繰り返すので、冷めた食事しか取れないという日常生活にならざるを得ず、系譜的には味覚障害(音痴は差別用語のようなので使わないようにしましょう)になりかねない。
毒殺されるというトップだけしか味わえない特権を現代のトップ、例えば総理大臣とかにも味わってみてもらってはどうかな? などつい思ってしまうほど危険のない職業になっている。

(写真)Wall germanderの立ち姿
  

ウオールジャーマンダー(Wall germander)
・シソ科ニガクサ属の常緑で耐寒性がある多年草。
・学名は、Teucrium chamaedrys L.(1753). (テウクリウム カマエドリス)。英名がWall germander。
・原産地はヨーロッパから中近東で、乾燥気味の土壌を好む。
・草丈15-30cmでスパイシーな香りがする濃緑色の葉は光を反射して美しい。
・開花期は7月から夏場で淡いパープルの色の小花が咲く。
・庭の縁取りとして利用され、花はサラダに、葉はリキュールの香り付けに利用され、茎は乾燥させて香料として使われる。

コメント

ヒソップ・パープルの花

2011-07-01 20:44:03 | その他のハーブ

(写真)ヒソップ・パープルの花


ヒソップは、“聖なるハーブ”として古代から宗教の儀式と密接に関わってきた。
ギリシャ語の属名“Hyssopos”は“聖なるハーブ”を意味するヘブライ語の“ezob(エゾブ)”から来ているといい、神殿を清めるのに使われたり、ハンセン氏病患者を消毒する薬草として使われてきた。
中世の頃には、キリスト教の儀式で聖水を振りまく刷毛として使われ、シェクスピア(William Shakespeare、1564-1616)の時代のイギリスでは、ストゥルーイング・ハーブ(Strewing Herbs)の一つとして使われてきた。

バージンロードを芳香性のある花々を“撒き散らかす(Strewing)”、あの映画的なシーンが“ストゥルーイング”で、災いを清め新婚を祝う儀式として人気があったという。
花が少ないイギリスでの贅を尽くしたビックイベントであり、ヒソップの他にフェンネル、ローズマリー、タイム、バジル、ミント、カモマイル、ラベンダー、バラなど香りが良いハーブが使われてきた。

しかし、実際のヒソップは、決して見栄えが良いわけでもなく、花が素晴らしいわけでもない。和名では、「ヤナギハッカ」と呼ばれるように、小さな細長い葉とヒョロッとした枝ぶりの先に薄紫の小さな花が咲き、ヒソップの価値観を知らないと見逃してしまう普通のたたずまいをしている。
聖なるハーブ、清めのハーブとも言われるが、「謙虚」という花言葉が良く似合う。

だからか、写真よりもボタニカルアートの方が素晴らしい。
このイラストは、ドイツの植物学者でボタニカルアーティストのオットー(Otto Wilhelm Thomé 1840-1925)が描いているが、腕がいいアーティストが描く植物画は素晴らしい。実物以上にわかりやすい。

 

(出典)caliban.mpiz-koeln
http://caliban.mpiz-koeln.mpg.de/thome/band4/tafel_056.html

ヒソップ・パープル

・シソ科ヒソップ属の多年性の小潅木。
・学名は、Hyssopus officinalis L.(1753)。英名はHyssop Purple、和名はヤナギハッカ。
・原産地は、ヨーロッパ南部、地中海沿岸。
・丈は30-60cmでまっすぐに成長する。葉は細長く濃い緑色でかすかにハッカの香りがする。
・開花期は6月から夏の間にパープルの花が咲く。ピンクの花が咲くヒソップ・ローズもある。
・古代からハーブとして用いられ、20世紀には慢性的気管支炎の治療薬としても使われた。妊婦は要注意のハーブとなる。
・キャベツ、ブドウの外敵を寄せ付けないコンパニオン(companion)植物として使われる。

コメント