モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

No9:トウモロコシの起源、その2

2011-12-23 14:21:36 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No9
遺伝学の手法を使ったドエブリーがトウモロコシの祖先を絞り込む
メキシコ、グアテマラ、ニカラグアに生息する5つの野生種テオシントがトウモロコシの起源に関係したことが明らかになり、その中ではバルサバレー(Balsas River Valley)で発見された野生種のバルサ・テオシント(学名:Zea mays subsp. parviglumis)が最もトウモロコシに近いということがわかった。

この野生種のバルサ・テオシントを発見したのは、ウイスコンシン・マディソン大学の植物学教授イルチスとこの大学で博士課程を受けていたドエブリーで、1977年9月22日のことだった。

1980年に博士課程を終了したドエブリーは、ノースカロライナ州立大学に移り、遺伝学者メジャー・グッドマン(Major Goodman)の指導の下で野生種のテオシントとトウモロコシの進化の関係を調査・研究した。どんな方法で調べたかは後で説明することにして、誰もが想像もしなかった結果を発見した。

それは、 『バルサ・テオシント(学名:Zea mays subsp. parviglumis)が遺伝的にトウモロコ(Zea mays subsp. mays)と最も近い。』 ということだった。
言い換えると、現代のトウモロコシの祖先は、バルサ川流域を原産地とする野生のテオシント、パヴィルミス(学名がZea mays subsp. Parviglumis)であり、古代の遊牧民がこの種を栽培し始めて今日の洗練したトウモロコシに至った。ということになる。

見た目の形態が大きく異なるパヴィルミスとトウモロコシなので“信じられない”というのが当然で、ドエブリーの遺伝子学からの主張が正しいのならば、「古代の遊牧民がパヴィルミスを栽培した」という痕跡がどこかにあるはずだ。

ドエブリーが主張した時期に考古学的にわかっていたことは、メキシコシティの南東部にあるテワカンバレーにあるコスカトラン洞窟(Coxcatlan Cave)で8千年前(紀元前5960年頃)に栽培された植物(トウモロコシ、ヒョウタン、スカッシュ、豆)の痕跡を見つけ、さらにテワカンバレーから160km南東に行ったところにオアハカバレーにあるギラ・ナキツ(Guilá Naquitz)洞窟で、テワカンバレーで発見したトウモロコシよりも700年も古いトウモロコシを発掘した。
このトウモロコシは、メキシカーナ(学名:Zea mays subsp. Mexicana)のようであり、この種が現在のトウモロコシの祖先に近い種とみなされていた。

パヴィルミスとメキシカーナ2種の気候的・地理的な位置関係を表したものが下記の地図になる。
メキシカーナは、寒冷な熱帯高地で生育しテワカンバレーはこの気候帯にあり、パヴィルミスは暑い熱帯低地で生育しバルサスバレーはここにある。
1970年代までは、化石などの保存状態が良い亜熱帯の乾燥した地域か寒冷な熱帯高地での考古学発掘しかされていなかったので熱帯低地は手がついていなかった。
それにしても、この2種は近いところで生育し交雑した可能性もある。

(地図)パヴィルミスとメキシカーナの地理的分布

(出典) McClung de Tapia (1992) and Matsuoka et al. (2002).

遺伝子の簡単な歴史
遺伝子の概念は、現在のチェコのブルノの司祭だったメンデル(Gregor Johann Mendel、1822-1884)によって1865年に発見された。えんどう豆の交配を繰り返し、背の高さなどの表現形質が異なるものに注目し、必ず背が高く育つ種子と、必ず背が低く育つ種子を選別し、これらを交配させてみると必ず背が高く育った。これを優性の法則というが、親から子に伝わる遺伝的な粒子があることを確信した。
後にこの粒子をウィリアム・ベイトソン(William Bateson, 1861-1926)によって1905年に遺伝子と名づけられたが、それまではこのメンデルの法則は忘れられていた。

遺伝子学が大きく進んだのは、1953年のジェームス・ワトソン(James Dewey Watson, 1928- )とフランシス・クリック(Francis Harry Compton Crick, 1916-2004)によってDNAの二重らせん構造モデルが発表されてからで、1966年にはDNAの暗号解読が完了した。

ドエブリーの手法
ノースカロライナ州立大学でのドエブリーの研究は、野生種のテオシントがトウモロコシに進化していく過程を調べるために異系酵素(allozymes)を使って調査した。
この異系酵素(一種の遺伝子マーカー)は、進化の履歴と生物の異なる種の関係を測定する時に使われる生物学的な酵素で、この酵素のアミノ酸配列を比較することによって親子などの関係がわかるという。

一種の遺伝子マーカーとして酵素のアミノ酸配列を使用したというが、遺伝子マーカーは一般的にはDNA型鑑定として知られている。
いまではサスペンスドラマを見ると犯罪捜査の必需品であり、タバコの吸い口についた唾液、血痕、髪の毛などからDNAの配列を調べ、犯人が残した遺留品に付着した血痕などのDNAと比較して同一か否かを完璧ではないが100%に近い確率で判定できる。
また親子の関係を調べるのにも使われていて、生物個体の遺伝的性質と系統(個人の特定、親子関係、親族関係、祖先など)の目印になるという。

(写真)(a)トウモロコシ(Zea mays subsp. mays)(b)パヴィルミス(Zea mays subsp. parviglumis)

(出典) ゲノムの変化からみた トウモロコシの栽培化と育種by山崎将紀

ドエブリー以前の種の同定は、雄しべ・雌しべ、花びらの数・形、茎・葉などの生え方など外観でわかる形態などによっていたので、野生種のパヴィルミスはとても現在のトウモロコシの祖先とは考えることすら出来なかった。

パヴィルミス(Zea mays subsp. Parviglumis)がトウモロコシの祖先だとする遺伝子学からの結論が正しいのならば、古代の遊牧民により栽培され食された痕跡がどこかにあるはずで、この発見と年代の測定により証明することが出来ることになる。

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2011年(平成23年、卯年)はどんな年? 記憶に残るベスト10 !

2011-12-20 22:32:32 | 街中ウオッチング
鴨長明(1155-1216)が、1212年に書いたといわれる『方丈記』の書き出しは次のような文章で始まる。

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし』

移り行く世のはかなさ、万物流転の理(コトワリ)を語り、モノに固執する生活を戒め“悟り”を人生の軸として追求することを書いている。
それから約800年経過した2011年においても“破壊”と“創造”が織り成すドラマがあった。

さて、2011年を振り返ってみて出来事のランキングを10位まであげてみると、

1位:東日本大震災
3月11日 は忘れられない日となってしまった。巨大地震と大津波で宮城・岩手・福島そして太平洋岸の茨城・千葉まで大きな被害をもたらした。被災者の方々の一日でも早い復興を祈願し、それを皆で支えていきたいものです。
この大災害は、これまで軽んじてきた大事なものを気づかせてくれた。マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908-1970)の欲求の5段解説でいうと5番目の欲求である自己実現の欲求で閉塞感に覆われていた人々及び日本の社会に、人間として根源的な欲求である『生存』が脅かされた現実に気づかされ、さらに『安全』の重要性、『所属と愛』という助け合って生きていく社会の重要性に改めて認識する契機ともなりました。
※ マズローの欲求段階説はこちらを参照

2位:なでしこジャパン女子ワールドカップで初優勝
6月26日-7月17日、ドイツで2011 FIFA女子ワールドカップが開催され、サッカー日本女子代表が初優勝。最優秀選手に澤選手が選ばれる。また、8月2日には団体には初の国民栄誉賞が授与された。大震災後に日本人に勇気と希望を与えてくれたので国民栄誉賞は当然でしょう。

3位:地上・BSテレビ放送、デジタル放送に完全移行
7月24日、日本のテレビ放送は、デジタルテレビ放送へ全面移行しアナログ放送は停止された。お隣韓国でもデジタルテレビ放送にもうすぐ完全移行なので日本だけが進んでいたわけではありません。

4位:10月20日に世界人口が70億人に達する。
人口が増えると、コミュニケーションの道具である世界のインターネット利用者は20億人、携帯電話の契約件数は50億件を超え(1月26日ITU発表)、食料価格は2010年12月に過去最高に達した。(1月5日FAO発表) 残念ながら、70億人の胃袋を支える食料は、供給不足と価格上昇がありそうです。“もったいない”意識をもっと高める必要がありそうです。

5位:中国2010年国内総生産(GDP)が日本を抜き世界第2位となる。
1月20日、中国が日本を抜きGDP世界第2位になりました。日本企業の中国進出も増加し、モノだけでなくヒトの往来も増えつつあり、中国さらにはアジアで就業する日本人がますます増加するでしょう。

6位:タイ王国において過去50年間で最悪の水害が発生。
10月、現地の複数の日本企業の工場が操業停止になり、日本経済にも深刻な影響を及ぼしてきている。集中による効率化は事故・天災にもろいことを改めて認識。
南半球では1月に大規模な大雨洪水の被害が複数あった。(ブラジルリオデジャネイロ州、オーストラリア北東部、南アフリカ、スリランカなど) 豊かな生活を追い求める人間社会のエゴイズムに、自然が強烈なカウンターパンチを繰り出しているようです。

7位:アラブの春
プラハの春はソ連軍によって鎮圧されたが、チェニジアに始まったアラブ世界での民主化は、エジプト・ムバラク大統領の辞任(2月11日)、リビア・カダフィ大佐の死亡(10月20日)で独裁体制が崩壊しました。アラブ世界の不安定化は石油の供給と価格に悪い影響が出そうです。来年も“省エネ”は徹底しましょう。

8位:今年は、ヒット曲がなかった年
9月末までのミリオンセラー(シングル盤で100万枚以上)は、3曲しかなく全て「AKB48」が独占。他のヒット曲不在という異例の年だった。心に余裕がない年だったのでしょうか? ちなみにベストスリーは:『Everyday、カチューシャ』(157.3万枚)『フライングゲット』(152.1万枚)『桜の木になろう』(107.8万枚)でした。

9位:2011年のヒット商品は「つながる」と「省エネ」
日経トレンディという雑誌主催の選考では、1位「スマートフォン」(携帯電話)2位「Face book」(インターネットの実名で仲間とコミュニケーションするサービス)3位「扇風機」だった。豊かで便利な生活を追い求めてきたが、”ちょっと不便な”生活を楽しんでも良いという芽が出てきたようだ。

10位:「原発」「セシウム」「放射性物質」>
googleの検索キーワード総合1位は「原発」でした。来年も放射能という目に見えないだけでなく良くわからないことと付き合わないといけない年が続きます。
地震・津波の被害からの復興が終わっても放射性物質の被害からの復興はまだ終わっていないと思うので、本当はこれが1位だと思います。

番外:「東アジアの春」は来るのだろうか?
12月17日に北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記が死亡したというニュースが飛び込んできた。核・ミサイルで恫喝外交を進めてきた指導者でもあり、その死亡は北朝鮮の体制を不安定にし、東アジア全体に危険な影を落とし始めた。
中国・台湾、韓国・北朝鮮、日本、(ロシア)などの東アジアに春は何時来るのだろうか?

2011年は、アルカイーダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディン(Usāma bin Lādin 1957- 2011年5月2日)が、米国海軍の特殊部隊によって射殺され、リビアの独裁者だったムアンマル・アル=カッザーフィー大佐(1942- 2011年10月20日)は、革命軍の兵士によった撲殺され、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記が毒殺などの謀略ではなく心不全で死亡した。

独裁者はいずれ死亡する。私たちも何時か死亡する。望ましい死に方を考え実践することが2011年からの贈り物のように感じる。

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No8:トウモロコシの起源 その1

2011-12-04 11:00:12 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No8
メキシコで農業が始まるまで

今から12,000年前までにベーリング海峡を渡ったモンゴロイドはアメリカ大陸に渡り、1,000年をかけて南アメリカの南端まで移動をしたという。

ベーリング海峡を超えたモンゴロイドは、気候の温暖化に伴い氷河が溶け水没したベーリング海峡を逆戻りすることが出来ず、マンモスなどの大型哺乳動物を求めてアメリカ大陸を南下したようだが、10,000年前頃に起きた寒冷化で多くの哺乳動物が死滅し狩猟・採取生活から狩猟・採取・農業生活に転換せざるを得なくなる。
一説によると、マンモス・象とマンモスに似ているマストドン・馬・ジャイアントビーバー・ナマケモノなど7割の大型哺乳動物が絶滅したというから原アメリカ人にとっても生存の危機が生じ、生き残るための知恵を働かさなければならなかった。

ここからが現在の企業戦略とか組織論に相通じる資源獲得の最適化が現実の歴史として現れ、マンモスという巨大な資源を獲得するための大組織では維持できないので少ない資源をスピードよく獲得する最適化が図られるようになる。

(写真)メキシコ・ゲレーロ州Teloloapanバルサス川付近の丘陵

(出典) University of Wisconsin-Madison

この10,000年前の頃の初期には、バンドと呼ばれる少人数のグループで遊牧(nomad,ノマド)をしながら寒冷化から生き残った小動物の狩り、野生植物の採取、釣り、海老などの甲殻類の採取をしていたが、時間が経過するに従い洞窟などを季節的なキャンプ地として使い、その周辺でカボチャ、スカッシュ、アボカド、トウガラシ、アマランス、そして初期のトウモロコシ等の栽培をするようになった。

キャンプ地での季節的な定住生活による原始的な農業の始まりは、少人数のバンドでの遊牧生活以上の食糧獲得が出来たのだろう。徐々に大人数のバンドとなり、5,000-3,000年前の時期になると人々は集まって定住するようになり、村と村長(ムラオサ)が登場する。

小動物の狩り、エビなどの甲殻類の採取は依然として重要な食料調達ではあるが、村の生活は農業によって維持されるようになり、トウモロコシ、豆、カボチャが重要な食糧となる。
村を維持するということは、食糧の生産だけでなく貯蔵・加工がなされるようになり、食糧獲得だけに労働力を割くのではなく、貯蔵するための容器、食糧を加工する道具などに、さらには、その容器・道具を飾るところまで労働力を割けるほどの食糧生産が出来るようになった。

農業が「定住」と「村」を創った。とよく言われるが、定住化は新たな発見をもたらし、男は狩猟に、女は採取にと分業が始まり、食べ残した物が腐りどぶろくのような酒に出会い、住居外のゴミ捨て場からは芽が出て栽培という可能性に気づき、落雷などでの焼け野原からは新芽が育ち農業の可能性など、長い年月をかけて学習をしていったようだ。ただ、狩猟生活と較べて農業はつらいようだ。狩猟生活の場合は、1日3-4時間の狩という労働時間で残りは遊びが大部分を占める。農業は労働時間が長いのでつらい。

農業の起源は、今から12,000年前頃のイスラエルあたりの西アジア、中国の揚子江中・下流で起こり世界に伝播したと考えられている。
アメリカ大陸に農業が伝播したのはモンゴロイドが持ち込んだか、食糧危機という大問題にぶつかった原アメリカ人が先祖の遺伝子的な記憶から開眼したかどちらかになるが、メキシコあたりの中央アメリカでは今から9,000-10,000年前に農業が始まったという。

トウモロコシになった野生のテオシントは?
トウモロコシの栽培は、いまから7,500-12,000年前に始まったと考えられている。12,000年前となるとアメリカ大陸にモンゴロイドが渡り、寒冷化して大型哺乳類が絶滅に近い状態になった頃にあたる。
この遊牧民達が、メキシコ・グアテマラ・ニカラグアに生えている3-5mもの大型のイネ科の雑草テオシントに目をつけ、季節的に利用するキャンプ地・洞窟などの傍の野原で栽培を始めたのだろうが、トウモロコシの祖先に関する説は幾つもがあり2000年を過ぎるまでトウモロコシの祖先となる野生種に関しては謎だった。
つまりわかっていないことは
① トウモロコシの祖先は絶滅したのではないだろうか?
② 現存しているとしたら可能性のある種を絞りきれる技術がないのでわからない。
③ 幾つかの種間の交雑或いは突然変異でトウモロコシが誕生したとすると実験でこの再現ができない。
④ 最初に何処で、何時頃に栽培されたのかその歴史的な証拠が見つからない。
などだろう。

(写真)トウモロコシ(右)と野生種のテオシント(Zea mays ssp. parviglumis)
 
(出典) University of Wisconsin-Madison

さらに、写真を見てもわかるように現在のトウモロコシと較べて野生種のテオシントであるジーア・パヴィルミスは、あまりにも小さく実は20粒位しかついていず、しかも硬い殻で覆われているのでそのままでは食べることが出来ない。
テオシントとトウモロコシとの間には大きな溝があり、「トウモロコシの祖先はテオシントではなく絶滅した。」という説があるぐらい違いがありすぎるが、原アメリカ人が種の選択と品種改良で長い時間をかけて栽培してきたから今日のトウモロコシになった。
どのくらい長い時間がかかったかといえば、5,000-6,000年もかかったという。
主食となる穀類不在時代が長かったので狩猟採取が中心の独特な文化が形成され、小麦・イネをベースに形成されたメソポタミア・エジプト・インダス・黄河文明とは異なり、石器の後の新石器文明が育たなかった。
わき道にそれてしまったが、それだけトウモロコシの祖先は栽培するのが難しい代物だった。

トウモロコシ起源説の流れ
1930年代初めに、小麦・トウモロコシなどの栽培植物の起源を研究したロシアの植物学者バビロフ(Vavilov, Nikolai Ivanovich 1887 –1943)と遺伝子の役割を発見したアメリカのノーベル賞受賞者ビードル(Beadle ,George Wells 1903 –1989)は、相次いで“トウモロコシの祖先はテオシントである”という「テオシント起源説」を発表した。
このテオシント起源説は方向として正しく、この御宣託がトウモロコシの起源探索ブームを引き起こした。
1930年代の後半にはハーバード大学のマンゲルスドルフ(Mangelsdorf, Paul Christoph 1899-1989)が、「未知の野生種のトウモロコシと近縁のTripsacum属の種との交雑で誕生した。」という説を発表したが、この説は後に遺伝学的な知見から否定された。

(図)テワカンバレーとオアハカバレーの位置
 
(出典)PNAS(Proceedings of the National Academy of Sciences)

1950年から1070年代までは、「トウモロコシの栽培は、メキシコのオアハカとハリスコの間の高地の盆地で始まった。」という仮説を検証する考古学的な調査に注目が集まった。

マクネイシ(MacNeish, Richard Stockton 1918-2001)が1961年夏からメキシコシティの南東部にあるテワカンバレーの発掘調査を行い、コスカトラン洞窟(Coxcatlan Cave)で8千年前(紀元前5960年頃)に栽培された植物(トウモロコシ、ヒョウタン、スカッシュ、豆)の痕跡を見つけた。

テワカンバレーから160km南東に行ったところにオアハカバレーがあり、1970年代にはこの盆地にあるギラ・ナキツ(Guilá Naquitz)洞窟の考古学的な調査が始まった。
リーダーは、マクネイシとともにテワカンバレーの調査を行ったミシガン大学のフラナリー(Flannery, Kent V 1934 - )で、テワカンバレーで発見したトウモロコシよりも700年も古いトウモロコシを発掘した。ヒョウタン,カボチャ、豆も発掘しており、最も古い栽培化された植物の痕跡とみなされた。

トウモロコシと書いたが正確には野生種のテオシントで、原アメリカ人による栽培化の痕跡があるという。トウモロコシの祖先、野生のテオシントを探す調査探検も同様に始まり、生涯をトウモロコシの起源探索にささげた米国の植物学者でウイスコンシン・マディソン大学の植物学教授イルチス(Iltis, Hugh Hellmut1925- )、その弟子で遺伝子の研究からトウモロコシの祖先を特定化したドエブリー(Doebley , John F 1952?- )達が1970年代から新種を発見・採取し命名していく。

メキシコ・オアハカバレーは標高1500m前後で、この周辺及び高地で発見された野生種は、Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972)であり、ジーア属メイズの亜種メキシカーナがトウモロコシの祖先に近いのではないかと考えられた。

この頃までは、考古学者・植物学者とも乾燥した高地だけを探索していて、メキシコ・グアテマラ・ニカラグア等の低地の高温多湿地域を探索していなかったので全ての状況を検討したわけではなかった。
局面を展開したのは、1977年にイルチスとドエブリー達がメキシコのゲレーロ州でパヴィルミス(Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980))を発見したときから起きた。

【ジーア属の種――――命名の年代順】
・Zea mays L.(1753)Corn
・Zea perennis (Hitchc.) Reeves & Mangelsd (1942).)Perennial teosinte(多年草)
・Zea mays subsp. mexicana (Schrad.) Iltis (1972).  Mexican teosinte
・Zea luxurians (Durieu & Asch.) R.M.Bird(1978) Guatemalan teosinte
・Zea diploperennis H.H. Iltis, Doebley & R. Guzmán (1979)Diploperennial teosinte(多年草)
・Zea mays subsp. parviglumis Iltis & Doebley, (1980). Corn、Balsas teosinte
・Zea mays subsp. huehuetenangensis (Iltis & Doebley) Doebley, (1990). Huehuetenango teosinte
・Zea nicaraguensis Iltis & B.F.Benz,(2000).  Nicaragua teosinte

(写真)Zea属の種の原産地(黄色のピン)

※オレンジのピンは洞窟
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