モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

パイナップルセージ(Pineapple sage)の花

2008-09-30 07:48:34 | セージ&サルビア
(写真)パイナップルセージの花


真っ赤な花が、矢印のように天を指し示し秋の陽にサインを出しているかのように咲き出した。
開花期は9月から11月初旬までと短いが、一気に咲き始める。

この花の原産地は、メキシコからグアテマラの2000~3000mの高地に生育し、
草丈1m、株張り1mのブッシュを作る。
温暖だが強い陽射しのなかが好みで、葉をこすると柑橘系の匂いがする。

夏場に乾燥させないように水遣りに注意することと、
耐寒性が強くないので、温暖なところ以外は冬場は枝を落として、
根元をマルチングして陽当たりの良いところで越冬させる。

メキシコ原産のものは大株に育つので、夏と冬の面倒が結構大変かもわからない。

学名は、サルビア・エレガンスで、優雅さ、上品を意味しているが、
強烈な赤、水が切れるとシワシワかさかさになる葉、斜めに成長する枝。
これらからは、命名者の意図が理解できず疑問のままだったが、次の一枚の写真がこの疑問点を解消した。

(写真)パイナップルセージとハミングバード



最愛の遺伝子拡散媒体である“ハミングバード”のために全てが美しく創られていたのだ。
ひきつけるための強烈な赤、
蜜を吸いやすいように上向きの花柄、
ハミングバードだけのための細く長い筒状の形状。
これだけのファシリティでハミングバードに尽くしている。

これこそ“エレガンス”なのだろう。

(写真)パイナップルセージの葉と花


パイナップルセージ(Pineapple sage)
・シソ科アキギリ属の半耐寒性の常緑低木。
・学名は、サルビア・エレガンス(Salvia elegans Vahl, 1804)、英名・流通名がパイナップルセージ(Pineapple sage)。
・原産地はメキシコ。標高2000~3000mの高地に生息。
・丈は成長すると1m前後。鉢植えの場合は、摘心して50cm程度にする。
・耐寒性は弱いので、マルチングするか軒下などで育てる。
・耐暑性は強いが乾燥に弱いので水切れに注意。
・開花期は、晩秋から初冬。短日性なので日が短くならないと咲かない。
・花は上向きにダークが入った濃い赤で多数咲くので見栄えが良い。
・葉をこするとパイナップルの香りがする。
・茎は木質化するまでは非常にもろく折れてしまいやすいので、台風などの強い風の時は風を避けるようにする。

「命名者Vahl.」は
Vahl, Martin (Henrichsen) (1749-1804)
ノルゥエーのベルゲンで生まれ、ウプサラ大学でリンネに植物学を学び、植物誌の編集(下記に記載)、ヨーロッパ及び北アフリカの植物探索などをし、コペンハーゲン大学の植物学教授を死ぬまで務める。
パイナップルセージの登録は1804年であり、彼の晩年の著作“Eclogæ Americanæ I-IV”と時期が重なる。
Flora Danica fasc. XVI-XXI (1787-1799),
Symbolæ Botanicæ I-III (1790-1794),
Eclogæ Americanæ I-IV (1796-1807)
Enumeratio Plantarum I-II (1804-1805)

<参考:リンク先>
ハミングバード (Rufous Hummingbird)
http://www.birds.cornell.edu/crows/rufous_hummingbird.htm
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その11 フェルメールに会ってきた

2008-09-28 13:44:22 | フェルメール
フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ シリース11回

上野の都立美術館で開催されているフェルメール展は、9月25日に入場者30万人を超えたそうだ。
これが多いのか少ないのか良くわからないが、入場まで10分待ちであった。

そろそろすいてきたのではないかと思いつつ、主催者の発表する入場者数からラップを見ると、
一日あたりの入場者数は増加しているようであり、出来るだけ平日が良さそうだ。

(写真)フェルメールに会うのに10分我慢


館内では意外とゆっくりと見ることが出来、あっという間の2時間だった。
映画でもないのにこれだけ我慢せずに見れるとは驚異でもあり、あと30分は見ていたかった。

展示されていたフェルメールの作品は、企画段階では5点だったが7点となり
生涯の全作品が30数点という中でこれほど一堂に会すること自体が稀有なことだと思う。


フェルメール 展示作品一覧
『マルタとマリアの家のキリスト』エジンバラ ナショナル・ギャラリー蔵
『ディアナとニンフたち』ハーグ マウリッツハイス王立美術館蔵
『小路』アムステルダム アムステルダム国立美術館蔵
『ワイングラスを持つ娘』ブラウンシュヴァイク アントン・ウルリッヒ美術館蔵
『リュートを調弦する女』ニューヨーク メトロポリタン美術館蔵
『手紙を書く婦人と召使』アイルランド ナショナルギャラリー蔵
『ヴァージナルの前に座る若い女』個人蔵


最も見たかった 『絵画芸術』 は、修復後の状況が悪いのか、日本の美術館の展示環境に疑問があるのか
“行かせたくない”ということで中止になってしまった。
ウィーン美術史美術館で見るいがいなさそうだ。

展覧会の見方として私の見方は単純で
① 欲しいもの
② 感心するもの
という見方をしている。
だからいたって簡単で、早足で欲しい絵を探し、戻ってきて再度眺める。
30分から1時間もあれば十分で、リズムがちがうのでヒトとは一緒に行かないが鉄則だ。

(写真)フェルメール展ポスターに『小 路』が・・・


今回選んだ欲しいものは、フェルメールで2点、他の作家で数点あった。

小 路(The Little Street)
(リンク先:ART.com)
http://www.mystudios.com/vermeer/7/vermeer-little-street.html

デルフトの街角を描いたこの『小 路』は、小さな部屋に飾るのに最適なサイズであり
この絵を見ながら飲むティーはきっとおいしいことだろう。
この夢想の実現はありえないと思うが、100億円単位の夢想なのかもわからない。

フェルメールは謎がある画家で、誰に習ったか先生がわからない。
いきなり完成度の高い画家として登場し、その当時主流の宗教画から入り、
直ぐに生活する人物を主題とした写実的な風俗画で異彩を放った。

写実的な風景画は2点だけ制作されているが、『小 路』は、1658-1660年に描かれた作品のようで、
デルフトの富が蓄積した都市景観を、350年まえという古さをまったく感じさせない力を有し、
写真とは違う写実性の素晴らしさを味わうことができた。
ずば抜けた才能にただただ感嘆し、“欲しい”と思うヒトが多いことを実感した。


【参考サイト】
● 朝日新聞フェルメール展開催概要
http://www.asahi.com/ad/clients/vermeer/

● フェルメール作『小路(The Little Street)』(リンク先:ART.com)
http://www.mystudios.com/vermeer/7/vermeer-little-street.html

● フェルメールの『小路』実在の場所・住居の研究サイト
http://www.xs4all.nl/~kalden/
デルフトの地図での推定場所、間取りのマップなどが見所

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オミナエシ(女郎花)の花

2008-09-25 07:14:54 | その他のハーブ

秋の七草の一つ“オミナエシ”がまぶしいくらいの黄色で咲いている。
草丈60㎝で枝分かれし、その頂上に数多くの黄色いつぼみを持ち、
そのうちのいくつかが5㎜程度の小さい花を開いている。

ひいて眺めると、黄色が滲み出し淡くボケていき、日本の秋の情緒をかもし出している。

(写真)オミナエシの花


オミナエシは、陽当たりのよい土手、草地などが生息地で、
冬前には雑草を刈り込むようなヒトの手が入る半自然半人工的なところが良い。
農業牧畜が支えてきた環境であり、このような環境は激減している。

最近では、ブルドーザーで土手の草を根こそぎ刈り取るので、
オミナエシには厳しく生息しにくい環境になっている。
オミナエシも園芸商品として庭に進出しないと生きにくくなっている。

万葉の秋の七草
秋の七草も現実不適合となりつつあるが、
万葉集の歌人 山上憶良が詠んだ2首が由来となり、次の詩が七草の具体名を詠っている。

萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花 』(万葉集・巻八 1538)
(はぎのはな おばな くずばな なでしこのはな おみなえし またふじばかま あさがおのはな)

女郎花は、万葉集では14首が詠まれている。
そのうちの1首を

『 おみなえし                         大伴池主
女郎花咲きたる野辺を行きめぐり 君を念(おも)ひ出 た廻(もとほ)り来ぬ

女郎花が咲いている野原をさまよい、あなたを思いながら回り道をしてきました。
とでも詠っているのだろうか?



オミナエシは、地域により“オミナメシ”“アワバナ”などと呼ばれていた。
“メシ”“アワ”などは、粟の飯に似ていることから呼ばれたようだ。

かすかな記憶に、
ゴザを敷いたその上でオミナエシの黄色いつぼみを山盛り盛った“ままごとのごはん”
これを見ていたような記憶がある。
ちょうど稲の刈入れの時期でもあり、オミナエシは、はかない恋を詠うだけでなく
農繁期で忙しい大人達に労を煩わせないための子供達の独立王国“ままごと”にも使われていた。

そう、この頃は陰暦で生活していたので、自然との一体感があった。
陰暦での生活を提唱している方がいるようだが、大賛成だ。
そして、農業の生産性を高めた“殺虫剤”、需給バランスに貢献した“防腐剤”
この二つの使用量を減らす技術革新・発想の転換があるともっと自然に近づいていける。
と思う のは野郎だからだろうか?

その野郎花にもチョッとふれておこう。
あまり話題にものぼらないが『男郎花(オトコエシ)』というのがある。

今回調べてはじめてわかったが、実物は野山で見かけることがある。
オミナエシよりも大柄で、8~10月に白い花を咲かせる。
「女郎花(オミナエシ)」のほうが人気があるのが良くわかる。

(写真)オミナエシの葉


オミナエシ(女郎花 Patrinia scabiosifolia)
・オミナエシ科オミナエシ属の多年草
・学名は Patrinia scabiosifolia Fisch. ex Link。英名はなし。和名がオミナエシ(女郎花)
・原産地は、沖縄を除く日本と東アジア全域で日当たりの良い草地に生える。
・草丈60~120㎝で、夏まではロゼット状という根からでた葉だけで、夏以降に茎を伸ばし枝分かれしその先に花をつける。
・開花期は8~10月で黄色い花をつける。秋の七草の一つ。
・乾燥させたものを敗醤(はいしょう)といい、解熱・解毒作用があるハーブ。


学名の由来(Patrinia scabiosifolia)
属名の“Patrinia”は、
フランス人の鉱物・博物学者ユージーン・ルイス・メルヒオール・パトリン(Eugene Louis Melchior Patrin 1742-1815)に因む。
種小名の“scabiosifolia”は、
scabiosaefolia=scabiosifoliaラテン語『マツムシソウscabiosaのような葉をもつ』を意味する。
命名者Fisch. と Link
Fisch.:Fischer, Friedrich Ernst Ludwig von (1782-1854)ドイツの植物学者、サンクト・ペテルブルグ植物園長(1823-1850)
Link :Link, Johann Heinrich Friedrich (1767-1851)ドイツの植物学者

<参考>出典:ボタニックガーデン
オトコエシ(男郎花 Patrinia villosa)
http://www.botanic.jp/plants-aa/otokoe.htm

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ワレモコウ(吾亦紅、吾木香)の花

2008-09-23 09:02:04 | その他のハーブ

(写真)ワレモコウの花


秋を代表する名花、ワレモコウ

このワレモコウには、いくつかの言い伝えがあるが、
「 われもこうありたい 」というはかない想いでつけられたという“ワレモコウ”
この説が一番似合っている。

花姿から受ける印象は、渋さを感じるし、孤高でもある。
秋は尾花にしても哲学する植物が多い。

源氏物語では、兵部卿(ひょうぶきょう)の宮(匂宮)は、
香りがするので珍重した庭木として吾木香をあげているが、
“見栄えがしない”という当時の評価が描かれている。

『老いを忘れる菊、衰え行く藤袴、見ばえのしない吾木香などをすっかり色香があせてしまう霜枯れの頃までも珍重なさるという風に、殊更めかしく、匂いを愛でるということを主にしてお好みになります。』
(参考:京都府 源氏物語千年紀 匂宮(におうのみや)) 

美意識あるいは美的評価の違いを改めて感じる。


ワレモコウの近縁種に“サラダバーネット(salad burnet)”がある。
和名では、オランダワレモコウと呼んでいるが、古典的なハーブの一種で、
傷の止血として、ビタミンCが豊富なのでサラダとして食するなど大活躍しており、
ヨーロッパから新大陸への移民の必携・常備薬&食品でもあった。

ワレモコウ、地楡(ちゆ)、サラダバーネットなど呼ばれるが、止血剤として洋の東西で使われてきたハーブだ。

(写真)ワレモコウのつぼみと葉


ワレモコウ(吾亦紅、吾木香)
・バラ科ワレモコウ属の耐寒性がある多年草。近縁種にサラダバーネットがある。
・学名は Sanguisorba officinalis。英名は Great burnet(素晴らしいワレモコウ)。
・和名はワレモコウで主な漢字は2種ある。(吾亦紅、吾木香)
・北海道から九州、中国からシベリア・ヨーロッパに広く分布する多年草で、陽当たりが良い山腹、草原に自生する。
・草丈は70~100㎝程度で葉は切れ込みがあり楡(にれ)の葉に似る。中国では、この植物を地楡(ちゆ)と呼んだ。
・開花期は8月~10月。花弁がなく赤紫の穂状のようなものは萼(がく)で赤黒く色づく。この姿から別名ダンゴバナとも呼ぶ。
・漢方では根を乾燥させたものを地楡(ちゆ)と呼び、生薬でタンニンを含み止血剤として用いられる。

名前の由来
Sanguisorba(サングイソルバ)は、ラテン語の「sanguis(血)」+ sorbere(吸収する)」が語源。根にタンニンが多く、止血効果のある薬として利用されることから。
officinalis : 薬用の,薬効のある

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イブニングプリムローズ(Evening primrose)の花

2008-09-22 07:55:37 | その他のハーブ

うかつにも
つい最近まで“メマツヨイグサ”“月見草”“イブニングプリムローズ”の関係が良くわかっていず、
メマツヨイグサ=月見草≠イブニングプリムローズとばかり思っていた。

正解は、メマツヨイグサ=イブニングプリムローズ≠月見草だった。

このイブニングプリムローズは、薬効があるのでハーブの仲間に入るが、
夕方に花が開き、陽が出るとお昼までにはしぼんでしまうので
月見草と呼ばれるオオマツヨイグサとは親戚になる。
しかし、大きくちがうのは、月見草の花の色が白で、めったにお目にかかれないことだ。

(写真)ブッシュの陰に咲いていたイブニングプリムローズ


イブニングプリムローズは、蛍とり、お月見などに行くと土手や路傍に咲いていたりする。
これは、散歩の途中で発見した。
日陰になっていたので、10時過ぎでも花開いていた。
そして、静かに呼吸をすると、スッキリとしたノーブルな香りがする。

野の雑草だが、
上品な黄色、ノーブルな香りは、高価な貴重品の花にも負けないものがある。


種子に有用な脂肪酸(ガンマリノレン酸Gamma Linolenic Acid)があり、再注目されているようであり、
そのうち菜の花畑のように一面イブニングプリムローズが咲き誇るようなことがあるだろう。

街興しのテーマにもなりそうだ。
夕方から朝早くというのも他にはなく良さそうだ。
“蛍とイブニングプリムローズの街”なんか懐かしい感じがする。

原産地の北米では、ネイティブは、根を茹でて食べるとか葉はサラダ風に食べたようだが、
ヨーロッパには17世紀に家畜特に豚の餌として導入された。
そこから、温暖な地帯に急速に広がっていき、今では世界で見かけることが出来るという。

1970年には、この植物に母親の母乳にあるガンマリノレン酸(Gamma Linolenic Acid)が
大量に含まれていることが発見され注目される植物となっているようだ。

菜の花畑のように一面この植物でうめられる街興しは、
美的価値による観光だけでなく、希少価値があるオイルが取れることにより経済価値も加わり実現可能性がましてきた。

(写真)イブニングプリムローズの花2


イブニングプリムローズ(Evening primrose)
・アカバナ科マツヨイグサ属の耐寒性がある2年草。
・学名は、Oenothera biennis。英名がイブニングプリムローズ(Evening primrose)、和名は、メマツヨイグサ。
・原産地は東部及び中央北部アメリカで、ニューファンドランドからテキサスに自生する。
・草丈1mで、道端、崖下、荒地など乾燥したところに生息する。
・開花期は、初夏から初秋で、5cm程度の大きな黄色い花を2年目に咲かせる。
・名前のとおりに夕方に開花し、朝陽とともに昼までにはしぼんでいく。
・根は大きく“ハムの根”とも呼ばれ、茹でてサラダ、シチューなどに使える。
・タネで殖やす(9~10月)。ただし繁殖力旺盛のようなので不要なものは早めに抜くと良い。また実をつけないように花柄を摘む。


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その57:マリー・アントワネットのプラントハンター:アンドレ・ミッショー①

2008-09-21 09:31:43 | マリーアントワネットのプラントハンター、ミッショー

アズレア・ブルーセージの命名者にスポットを当て
フランスのプラントハンター“アンドレ・ミッショー”の足跡を追ってみる。



ミッショーが活躍した時代背景
米国独立戦争とフランス革命のはざ間で活躍したアンドレ・ミッショー
1773年12月16日、ボストン港に停泊している英国東インド会社の船に侵入した、
インディアンに化けた植民地の住民は、積荷の紅茶を海に投げ捨てた。
世に名高いボストン茶会事件であり、アメリカ13州が英国からの独立を図る戦争の始まりだった。

この戦争にアメリカ側に立って参戦したフランスは、年間歳入の半分がこの戦争の借金で消えていくほど重い負担であり
1789年7月14日にパリバスティーユ牢獄が襲撃されフランス革命が勃発した。

この二つとも重い税金とその使途に不満を持つ市民が立ち上がった革命であるといわれている。
18世紀の後半は、こんな時代でありイギリスにフランスが挑戦し、市民が貴族に挑戦する時代でもあった。


フランスの植物学者・プラントハンターのアンドレ・ミッショー(Michaux, André 1746-1803)
フランス革命の直前1785年に、ルイ16世から王室の植物学者に任命され、
さらにフランスにとって有用な植物を収集するために米国植物探索を命じられた。
そして歴史の表舞台に登場してきた。

それ以前のミッショーはあまりよくわからない。
1770年、ミッショーが24歳の時、前年結婚したばかりの奥さんが、息子を生んで亡くなった。
この出来事を契機としてか、彼は植物学を勉強するようになった。

18世紀後半は、リンネ(1707-1778)ビュフォン(仏、1707-1788)が活躍した時代だが、
この二人は天敵のようで、リンネがパリに来た時に親交を結んだのは、ビュフォンの前任者である
ベルナール・ド・ジュシュー(1699-1777)だった。
ジュシュー最後の弟子にあたるのがミッショーで、ベストな先生に学ぶことが出来たようだ。
ミッショーは既に24歳を過ぎているようであり決して若くはなかった。


ミッショーのアメリカ植物相の探索の目的は、有用植物の探索と収集であったが
有用な植物の代表は、『木』であった。
フランスは、イギリスなどとの競争で、軍艦を建造するために森を破壊してきており、
森を作り変える必要を感じていた。
その苗木を採取するために独立戦争(1775-1783)で支援したアメリカの植物相探索となった。
後のミッショーとジェファーソン(Thomas Jefferson)との関係から見て、
両国間には、盗むのではなく合意が形成されていたものと思われる。

イギリスでは、バンクス卿によりマッソンが南アフリカ探索を命じられたのが1772年なので、
遅れること13年で、フランスも国策としてのプラントハンティングに着手した。と見ても良い。

これで筋は通るが、しかし、実態は違うようだ。
何か革新的なNewが始まる時にこの歯車をまわしたエネルギーは、理性ではなく感情だったりする。
これを隠すために、後日大義名分をつけたり、もっともな辞令を出すための優秀な官僚の作文だったりする。

本線は、マリー・アントワネットが、“自分の庭に目新しい植物が欲しかった”ということが動機のようだ。

ジュシューは、ベルサイユ宮殿のトリアノン庭園の管理者として、
リンネとは異なる分類体系(自然配列)で庭園の植物を分類配置していたことで知られるが、
マリー・アントワネットのエゴイズムの人選にかかわった可能性がある。

ミッショーにとっては、大チャンスが舞い込んできた。

(Next)
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アズレア・ブルーセージ(Azurea Bleu sage)の花

2008-09-20 07:25:15 | セージ&サルビア
いざ~にそなえ、眠れぬ夜をぐっすりと床の上で寝てしまった。
だが、台風が素通りをし雨風とも過剰ではなかったのでひと安心。 腰が痛いだけだが・・・・

アズレアが適量の雨を受け一気に咲き始め、どんより曇った中に溶け込んでいた。

(写真)アズレア・ブルーセージの花


アズレア・ブルーセージは、アメリカ南東部が原産で、草原・道端などに咲いているという。
丈は、150~200cm程度まで伸びるが、葉が細長く小さいので筋肉質のスラッとしたスタイルをしており、
ブッシュを形成するとあらゆる隙間から茎を伸ばす自在な成長をする。
そして、茎は柔らかい記憶合金の針金のように過去の履歴を残しブッシュを形作る。

その枝の先に花序を延ばし
アズレア色といわれる空色をした素晴らしい花をつける。
乾燥した冷涼な空気感でのアズレア色の花は、人の足跡の無いアメリカ中部の原野に誘い
何をすることもなく、何を考えることもない無の時間に浸れそうだ。
こんな時間に出会うと実に気持ちが良い。

耐寒性もあり育て方も簡単なので、1ポットを園芸店で手に入れ、
4号サイズ(直径12cm)の鉢から出発して陽の当たる庭の片隅で育てて欲しいセージでもある。

これほどのセージなので、人気になっているポピュラーなセージのはずだが、
原産地アメリカでも意外なほど情報量が少なく、また適切なものも数少ない。
ということは、ポピュラーではないということなのだろうか?


アズレア・ブルーセージの雑学
アズレアについては情報量が少なく、裏取りがとれていないところもあるので、雑学とした。

アズレアの新種をチェックすると2種しかないので、園芸品種の開発はされていないようだ。
学名で確認すると、
Salvia azurea Michx. ex.Lam.(azure blue sage
Salvia azurea Michx. ex Lam. var. grandiflora Benth.(pitcher sage
の2種になる。(データ:USDA米国農務省)

この学名は1805年に登録されており、これ以前に採取されたはずだが、誰が採取したかよくわからない。

手がかりは、登録日の「1805年」、命名者の「Michx.」「Lam.」「Benth.」だが、
Lam.」は、フランスの植物学者ラマルク(Lamarck, Jean Baptiste Antoine Pierre de Monnet de 1744-1829)
Benth.」は、イギリスの植物学者ベンサム(Bentham, George 1800-1884)だ。

ラマルクは、ダーウイン以前の進化論の提唱者であり、進化論としては否定されるが、
社会学的な人間社会の組織における進化論としては魅力のある
「用不用説」「獲得形質の遺伝」の原則を唱える。

ちなみに、「用不用説」は、要なものは強化され、要がないものは退化するという考え方であり、
ご近所とのお付き合い、愛情、筋肉などなどこの原則に当てはまりそうだ。
獲得形質の遺伝」は、後天的に獲得した経験が次の組織にナレッジとして伝播するということであり、
感覚的には理解できるものがある。

蛇足のついでにベンサムを紹介すると、イギリスの分類植物学の権威で、植民地の植物相の体系化を行っており、
またサルビア属が含まれるシソ科の権威でもあり、ヤマボウシの学名にも登場する

この二人は、フランスと英国のアズレアを採取したプラントハンターに敬意を表されて献じられたのだろう?

アメリカ独立戦争とフランス革命のはざ間で活躍したアンドレ・ミッショー
残された命名者1名の「Michx.」がキーマンのような気がする。
フランスの植物学者・プラントハンターのミッショー(Michaux, André 1746-1803)である。

現段階では、ミッショーがアズレア・ブルーセージを採取したという記録にはぶつかっていない。
しかし、学名登録が1805年であり、ミッショーの活躍した年代に重なり
しかも原産地のアメリカ南東部も探索しており、命名者だけでなく採取者であっても不思議ではない。

フランシス・マッソンのシリーズが完結していないが、
フランスのプラントハンター“アンドレ・ミッショー”の続きは後日掲載する。

(写真) アズレア・ブルーセージの葉と枝


アズレア・ブルーセージ(Azurea Bleu sage)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・学名はSalvia azurea Michx. ex Lam。英名はアズレア・ブルーセージ(azure blue sage)
・別名は、スカイブルーセイジ(Sky blue sage)、ブルーセージ(Blue sage)。
・アズレアには2種類がありPrairie sage(プレイリーセージ)と呼ばれるものは、学名がSalvia azurea var. grandifloraであり花がチョッと大きい。
・原産地は、アメリカ合衆国、ミズリー州などの中央部、ルイジアナ州などの南東部とテキサス。
・摘心をすると開花期は遅れ、9月~10月になり青い花を多数つける。
・草丈は1.5m。枝は柔らかく丈夫で風などにゆれ癖がつき直立しない。
・2回ほど摘心が必要。1回だけにしたら2mぐらいになり強風で枝は東西に奔走。



(写真)アズレア・ブルーセージの花2

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メキシカンブッシュセージの花 と 発見者プリングル

2008-09-18 06:08:03 | セージ&サルビア
(写真)メキシカンブッシュセージの花


昼が短く夜が長くなり、短日性の花の時期になった。

メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)の花は、
赤紫の毛羽立ったビロードのような萼(がく)に包まれ、白い花が顔を出す。
別の名を“ベルベットセージ” 、紫水晶のような色合いから“アメジストセージ”ともいわれ
敬意が払われた素晴らしい呼称を得ている。

花が咲くまでは、品は崩していないが荒々しいブッシュを形作る枝ぶりと葉であり
やはり、メキシカンブッシュセージという名が適している。

赤紫の萼(がく)が出てから白い花が咲くまでに2~3日も時をかけ、
さらに、白い花が口をあけ虫達を誘うのにはさらに1~2日かかる。
熟してから登場するのか晩生なのかわからないが、あせっていない戦略をとっており珍しいかもわからない。


メキシカンブッシュセージの発見
こんなアンビバレントな素晴らしいセージが発見されたのは、1900年10月と意外と遅い。
発見場所が、メキシコシティの真下にあるモレロス州の2000mを越えるテポトラン山中の崖というから
発見が遅れた理由が何となく理解できる。

限界を超えたその時に、発見されるべくしてそこで待っていたのだろう。
そして発見者は、限界を超えた男の一人であるプリングル(Pringle, Cyrus Guernsey 1838-1911)

プリングルは、アメリカの植物学者というよりは数多くの新種を採取したプラントハンターであり、
メキシコ・アメリカ・カナダなどの植物相の探索と収集に力を入れ、
特にメキシコの植物の採取とその標本の作成には35年をかけたという。
彼が収集した新種の数は1200以上もあり、プラントハンターとしても素晴らしい実績を残している。

しかしプリングルは、順調にボタニストとしての道を歩んだわけではない。
兄の死により、大学を中退し家業の農場経営に戻り、
25歳で結婚したが、その直後に南北戦争(1861-1865)の兵役召集があったが、
クエーカー教徒としてこれを拒否し牢に入り、過酷な待遇に歩けないほどに衰弱した。
リンカーン大統領の恩赦で病気治療のために出獄したが、健康が回復するのは彼が30歳の頃のようだ。

30歳半ば頃から好きな植物採集の道に入るようになり、
1874年に最初の採取旅行をバーモント州のキャメル山脈で行い、
バーモンド州中で集めた標本を1878年の第三回パリ万博で展示発表した。
プリングル40歳の時で、パリ万博のカタログを見たが、確かに小さくプリングルの名前が載っていた。

ここから第一線のプラントハンター兼植物学者プリングルの道を歩むことになるが、
若い時は決して順調な人生ではなく、回り道をしながら好きこそモノの始まりを生涯で達成した人でもある。

そして何よりも気に入ったのは、プリングルを評して
His species are beautiful
といわれたことだ。彼が見つけたメキシカンブッシュセージは確かに美しい。

19世紀のプラントハンターとしてもう少し実績を調べ、
メキシコのセージ類の植物相との関係で再リサーチしてみようかと思った。
そして、プリングルの美しい植物を確認し堪能してみたい欲求に駆られた。

(写真)メキシカンブッシュセージの立ち姿


メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)
・シソ科アキギリ属の多年草。-5℃までの半耐寒性だが、霜が降りないところでは
 根元をマルチングすると戸外でもOK。
・学名は、サルビア・レウカンサ(Salvia leucantha Cav.)、種名はleucanthus(白い花の)からきている。
・英名は、メキシカンブッシュセージ(Mexican Bush Sage)。
・別名が紫水晶のような色合いからアメジストセージ(Amethyst sage)、花がビロード状の柔らかい毛で覆われているのでベルベットセージ(velvet sage)。
・原産地はメキシコ。
・開花期は9月から11月と秋の代表的なセージ。赤紫のビロードのような萼(がく)顎につつまれ白い花が次々と咲く。
・草丈1~1.5mぐらい。8月までに2回ぐらい摘心で丈を詰めるとよい。
・花後は、株元で切り詰め腐葉土・ワラなどでマルチングし越冬させる。


学名の命名者 Cav. は
18世紀スペインの植物学の権威 カバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745 - 1804)
カバニレスは、メキシコからの新植物の栽培も行い、ダリアをヨーロッパで初めて開花させたことでも知られる。
1801年からは、マドリッド王立植物園の園長を彼が死亡する1804年まで務めた。
メキシコの宗主国スペインの代表的な植物学者カバニレスに献じられた植物は多い。

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ローズマリー“ロックウッド デ フォレスト”の花

2008-09-16 06:34:18 | その他のハーブ
ローズマリーが早咲きし始めた。
1本だけでなく、4種とも咲き始めているので冬咲きをまちがっているのだろうか?
このうち種名が明確にわかるのが1種だけで、後はよくわからない。
ローズマリーには、新種が多くまた異種交配が進むので名前がよくわからない。

「Rosmarinus officinalis」と登録されているだけで98種もの栽培品種があり
唯一名前がわかっている“ロックウッド デ フォレスト”もそのうちの一つだ。

(写真)ローズマリー“ロックウッド デ フォレスト”の花



名前がよくわからない垣根みたいに育ったローズマリーと比較したが

花の形、薄いブルーの花の色、濃い緑の葉ともあまり変わらない。
枝ぶりもいまのところ直立しており、違いがよくわかりにくい。

ローズマリー“ロックウッド デ フォレスト”は、
ほふく性があるところに特色があり、下に垂らすつくりができる。
2階のベランダから、吊った鉢から、鉢を置く棚の上段から、階段の上から・・・
などこれからの育て方が楽しみだ。
きっと相当な時間がかかるのだろうが・・・・・


“デ フォレスト”夫妻が偶然に作出した新種 ==普通は気づかない==
この品種は、ロックウッド(Lockwood)とエリザベス・デ・フォレスト(Elizabeth de Forest)夫妻
サンタ・バーバラ(Santa Barbara)にある自分達の庭で偶然に誕生し、しばらくしてから発見された。

サンタ・バーバラは、ロスアンゼルスから北150kmの海岸線上にあり、今では結構なリゾート地となっている。
気候的には、ローズマリーの故郷と似た地中海性気候であり土壌としては適地である。

夫妻のこの庭には、La Mortola庭園オリジナルのRosmarinus officinalis ’Prostratus’と
Rosmarinus officinalisの茂みがあり、この2種の異種交配によって誕生したハイブリッドのようだ。

発見の時期は定かではないが、経緯はこうだ。
1930年代の初めにサンタ・バーバラの庭にシドニー・ミッシェル(Sydney Mitchell)という人物が訪ねてきて、
「イタリアのモルトラ庭園で地を這うローズマリーを見た。是非ここで育てるべきだ。」と教えてくれ、
このローズマリー・プロストラータス(Rosmarinus officinalis ’Prostratus’)を手に入れた。
庭には、その時にすでに木立性のローズマリー(Rosmarinus officinalis)が植わっていた。

ある日、ロックウッドはこの2種と異なる種があることに気づき、これをカッティング(挿し芽)で殖やしていた。
これが後に夫妻の名前をつけた新種のローズマリーだった。

エリザベスが新種に気づいたのはロックウッドが死亡した1947年以降であり、
1963年には第三者が認める新種としてカタログに掲載されるまでになり、
栽培者のロックウッドとデ・フォレスト夫妻の名前が入った現在の学名として認知されるまでになった。

このローズマリーは、
今では、ロックガーデン、段差のある庭でトップから垂らすグランドカバーとして
世界を魅了する人気のあるローズマリーとなっている。

(写真)いまはまだ立ち性のローズマリー“ロックウッド デ フォレスト”


ローズマリー・ロックウッド デ フォレスト(rosemary Lockwood de Forest)
・シソ科マンネンロウ属の常緑小低木。
・学名は、Rosmarinus officinalis (Prostratus Group) 'Lockwood de Forest'。英名がrosemary
・ローズマリーの原産地は地中海地方だが、'Lockwood de Forest' 種は米国Santa Barbaraの庭で誕生した異種交配種。
・乾燥したアルカリ性土壌を好む。
・耐寒性は強い。
・草丈は20~200cm。匍匐性(ほふくせい)あり斜面に垂れ下がるか吊り鉢に適している。
・開花期は、初夏(6~7月)と冬(12~2月)が開花期だが、9月に一斉に咲き始めている。
・ローズマリーには、様々な品種があるが、名前と実物をマッチングさせることが難しい。


ローズマリーのグループ名の「Prostratus(プロストラータス)」は、
ラテン語で“地をはう”の意味で、枝は地を這うか垂れ下がるかする。
Prostratusグループのローズマリーは、壁またはロックガーデンのトップからの吊り下げ形が適している。

“La Mortola Botanical Gardens”は、イタリアのリビエラにある有名な庭園。

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ブラジリアンセージ、サルビア・ブルースカイの花

2008-09-14 07:10:47 | セージ&サルビア
サルビア・ガラニチカは、日本ではメドーセージとして流通しているが、
本来のメドーセージは、サルビア・プラテンシス(Salvia pratensis)のことをいう。
大分ちがうのにどうしてこうなったのだろう?

そこで、
サルビア・ガラニチカはブラジルで発見されたので、
コモンネームでも使われている“ブラジリアンセージ”と呼ぶことにしたが、
その園芸種‘ブルースカイ(Blue Skies)’の花が咲いた。

(写真)ブラジリアンセージ、ブルースカイの花


ブルースカイの学名は確認できなかったが、
サルビア・ガラニチカ+ブルースカイであろうからSalvia guaranitica. ‘Blue Skies’となるのだろう。

花の色は、淡いブルーでクレヨンの空色というような感じがする。
長さは4cmほどありサルビア・ガラニチカと変わらないが、
品種としては、 “アルゼンチン・スカイ('Argentine Skies')” によく似ている。

つぼみがチョッと顔を出しているが、この色合いは完全なブルーであり、
この色合いから空色にどう変化したのか不思議に感じる。

ガラニチカのはっきりしたブルー、パープルスカイの青紫、ブルースカイの空色
これらを混栽して育てて見よう。
丈がそろったら見ごたえがあるかと思う。

ブラジリアンセージ、サルビア・ガラニチカ発見の歴史は?
スウェーデンのウプサラ大学でリンネ学派の先生から医学・植物学を学んだ“レグネル”がブラジルで発見する。
参考:ブラジリアンセージ発見の歴史はこちらに

(写真) ブラジリアンセージ、ブルースカイの立ち姿


ブラジリアンセージ、サルビア・ブルースカイ(Salvia guaranitica. ‘Blue Skies’)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある常緑低木。但し、冬場は、地上部から切り戻しを行う。
・学名は、Salvia guaranitica. ‘Blue Skies’。英名はBrazilian sage、anise scented sage、流通名がメドーセージ。
・原産地は、ブラジル、アルゼンチンを含む南米。
・花弁が4cm級の淡いブルーの花を初夏から秋まで多数咲かせる。
・咲き終わった花穂は切り戻す。
・草丈50cmで葉からはセージの独特の香りがする。
・5月までに摘心を行い丈を調節し、花穂を増やす。
・夏場に乾燥させないように根元を腐葉土でマルチングすると良い。
・さし芽、株分けで増やす。

(写真)ブラジリアンセージの仲間
サルビア・ガラニチカ と サルビア・ガラニチカ‘パープルスカイ’


【参考サイト】(Botanic Gardenより)
サルビア・プラテンシス
http://www.botanic.jp/plants-sa/salpra.htm
サルビア・ガラニチカ‘アルゼンチン スカイ’
http://www.botanic.jp/plants-sa/salarg.htm

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