モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ その3

2007-10-31 03:32:47 | フェルメール
その3:遠近法は15世紀に発見された!

偶然でしょうか?
今日が、フェルメールの誕生日です。


ワールドカップラグビーのテレビ画面

さて、一枚の写真を見ていただこう。
これは、テレビ画面(平面)を写真でとったものだ。
10月21日AM4時から放送された、イングランド対南アフリカ。
ワールドカップラグビー決勝戦の1カットだ。

実際はラグビー場で対戦しているが、見ているのはテレビで
テレビは平面だ。
しかしながら、我々は、これを立体として見ている。
足の立つ位置、重なり具合で前後を認識し、選手は立体だと受け入れている。
これは、
脳が2次元の平面の画像を修正し、それを3次元の映像として認識(=見ている)しているからだ。
(というように、理解している。)

見えているのではなく、認識している。ということがここでは大事になる。
ということは、
上下、前後、左右ということは、発見された。ということになる。
いいかえれば、万有引力がニュートンにより発見されたように
“遠近法”も、自然界から発見された。

誰が発見したかは明確ではないが、
15世紀のフィレンツェの建築・絵画家によって発見され、
フィレンツェ及びイタリアから他国へ広まるのにはだいぶ時間がかかったようだ。
遠近法の代表的でもあるかのあまりにも有名な 
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、1495~1497年に作成されており、
中央のキリストのこめかみに消失点(遠近が収束する中心)がある。
ここに釘の跡があり、糸を張って使徒を描いたことが確認されている。

遠近法発見以前の中世時代は、象徴性・物語性などが重要で、
天使が空を飛んでいるとか、リアリズムの対極にあった。
それ以前の、アルタミラの洞窟壁画などは、
遠近感こそないが、動物をリアリズムで描いていた。

誤解を恐れずにいうと、
キリスト教の浸透がこれを喧伝する普及のツールとしての芸術を必要とし、
現実を現実として捉えるのではなく、キリスト教の理想でとらえる芸術が必要だった。

この時代が結構長かったが、
遠近法は、リアリズムから離れた芸術、
さらには、シンボル操作として芸術を活用した中世からの決別をもたらしたようだ。
遠近法は、
画家・建築家にとっては“科学”であり、神の啓示ではなく計算する必要があった。
一方、我々にとっては、“現実を認識する方法・様式”であり、
近くのものは大きく鮮明で、遠くのものは小さくぼやけることで、
現実を切り取った絵画に立体を感じるように
現実を2次元で認識するように迫られ、理解するようになっていった。

フェルメール(1632-1675)が活躍した17世紀のオランダでは、
遠近法を取り入れた絵画が市場として形成された。
これが、“17世紀オランダ風俗画”であり、
現実を現実として眺める絵画市場がつくられ、
裕福な商工自営業者が買手として登場した。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、遠近法についてこう言っている。
“実践は強固な理論のもとでのみ構築される。”
と。

カトリック教会、スペインのハプスブルク家を顧客にもてない
オランダの画家は、宗教画から離れ、
遠近法を活用したリアリズムなNew領域の絵画へと向かう。
これが必然的な流れのように思えてならない。

(Nextへ)


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フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ その2 

2007-10-30 06:19:12 | フェルメール
その2:近代資本主義の芽生え

フェルメールは、オランダが世界を制覇した時代の
1632年10月31日に現在のオランダ南部のデルフトに生まれた。
フェルメール作 『牛乳を注ぐ女』リンク

フェルメールの画風&オランダ風俗画は、偶然の産物ではなく、
なるほどという時代背景がある。
その時代背景の簡単なおさらいからはじめると・・・・・・
(近代の曙の歴史ということで、これを書く文献サーチは自分のタメになっている。)

【市民階級の出現】
15世紀からのネーデルランド(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクにあたる地域)は、
毛織物産業が勃興し、裕福な商工自営業者である階層が新たに誕生した。

中世は、支配階級(地主=貴族・教会)と被支配階級(小作人)という単純な関係だったが、
裕福な商工自営業者の多くは、王侯貴族・教会が支配する中世社会からの脱皮を願い
宗教的には、偶像崇拝を禁ずる新教(プロテスタント)を信じ、
それまでの支配階級と1568年から80年間にわたって生存をかけて戦った。

【プロテスタントを奉ず】
1581年には、カトリック教を信じ、新教徒を弾圧・虐殺した
スペイン国王でハプスブルク家のフェリペ2世の統治権を否認する布告を出し、
1600年頃にはネーデルランド連邦共和国として独立した。

【17世紀はオランダがグローバルNo1】
1602年には、世界初の株式会社として著名なオランダ東インド会社を設立し、
ポルトガル・スペインがそれまで独占していた香辛料貿易を奪い、
世界の海を支配することになる。

日本との関係では、
1609年には、平戸にオランダ商館を建設し、
1641年には唯一の交易国として長崎出島に移転した。
江戸幕府のキリシタン(旧教)禁止に、新教国であるオランダが大きくかかわった。

王侯貴族・教会と戦ったオランダの画家にとって、
彼らから絵を発注・購入してもらうということが期待できなくなった。
新たなパトロン・顧客は、裕福な商工自営業者であり、かつ、プロテスタントでもあり
当然求めるものも異なっていた。
そこに17世紀のオランダ風俗画のユニークネスがある。

(Next:その3へ)
フェルメール作 『牛乳を注ぐ女』リンク

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フェルメール(Vermeer)とその時代のオランダ

2007-10-29 09:56:56 | フェルメール
【A beginning】
乃木坂にある国立新美術館で開催されている
フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展を見に行った。

国立新美術館 フェルメール展入り口


素直に、フェルメール『牛乳を注ぐ女』は素晴らしい。
光り輝いていた。

また、フェルメールも含めた全体的な印象は、
17世紀オランダの絵画は、虚飾を廃し、神話をも廃した、
あまりにも写実的で
まるでモノクロ&パートカラーなどの写真を見ているようだった。

ルネッサンスは、それ以前の神話性の絵画から、
人間に目線をおいた芸術への復興だと捉えるとすると
16世紀オランダの画家ブリューゲルから、17世紀のフェルメールなどの絵画は、
もっと人間の生活に的を絞り、現実を切り取っている。

あまりにも写実的に現実を切り取っているがゆえに
ここが写真と感じるところでもある。
写真機がない時代に
写真に迫る絵画を16世紀~17世紀のオランダで集中的に描かれた。
この事実が今でいうパラダイムシフトに近い変革があったのだろう。

このような絵画が成立した16世紀以降のオランダ絵画のユニークネスは
画家の目線・技術向上だけでは成立しない。
絵画の買い手とその流通構造にも変革が必要だ。

その時のオランダは、
①政治・権力の構造
②産業・経済の構造
③絵画の技術
などで劇的な変化があり、これらの上にオランダ風俗画という市場が成立した。
と捉えたい。

(Next)

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国立新美術館帰りのお奨めカフェ 乃木坂②

2007-10-28 09:49:49 | グルメ
地下鉄乃木坂駅3番出口から出ると
丁度、国立新美術館の逆の方向になるが
地図どおりに歩くと、ガラス張りの喫茶店が見える。



“カフェ ド ラペ(CAFÉ DE LA PAIX)”

落ち着いた内装、レベルが高い従業員。
好きな絵を見てきた帰りは、こんなグレードが高い店で
一服したい。

写真を撮っておきたかったが、
他の客の迷惑になるので、禁止だそうだ。
残念だが、このようにグレードがしっかりしているので、
店のグレード以上に自分のグレードを高めなければ
ここでは、楽しむことが出来ない。

まずは、コーヒーだが、
雨が降って寒かったので、アイリッシュウイスキー入りのコーヒーを頼んだ。
デザートには、焼きあがったばかりのレアーチーズケーキを頼んだ。

この店は、1981年からというから、今年で26年目になる。
廃れ流行が激しい飲食業でこれだけもっているのは、稀有に近く
しっかりしたものがあるからだと思う。

さて、
味の方だが、コーヒーもレアーチーズケーキも期待以上の水準だった。
特にレアチーズケーキは、初めてのご対面で、
フワーとした滑らかなとろけるような口当たりと、
甘みを感じさせない上品な甘さは相当水準が高い。
お奨めだ。

軽く食事も取れるので、
ビール&ソーセージを頼んだ。
ハーブが効いたソーセージ、付け合せの冷野菜の上品な酢の味は、
ビールを引き立て、ビールは、ソーセージを引き立て
とてもおいしかった。

メニューは少ないが、上質の一日を楽しめる店であり、
新美術館の余韻を楽しめ、さらに、忘れさせてくれるお店での時間だった。

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ガラスのカーテンウォールの美術館 乃木坂①

2007-10-28 09:48:45 | 街中ウオッチング
フェルメール展が開催されている国立新美術館に行ってきた。
フェルメール&オランダ風俗画展に関しては、
展示画・作家を再リサーチしてから書くことにして、
乃木坂のスポットとしての“国立新美術館”&その後のお楽しみ
お茶するところを紹介する。

“国立新美術館”の設計は、黒川紀章さんが手がけている。
黒川さんは、
東京都庁選挙・参議院議員選挙から、かわいらしさが滲み出し
世界的に著名な建築家、怖いヒトというイメージが
愛嬌と親しみを増した。
こんな印象を持った人が多いのではないかと思うが、
黒川紀章さんは、2007年10月12日 心不全でお亡くなりになった。
はやすぎる73歳での逝去をお痛みいたしたい。

この黒川紀章建築都市設計事務所が手がけた“新国立美術館”は、
地下鉄千代田線乃木坂駅 6番出口をあがると
新国立美術館のチケット売り場にたどりつく。
台風の雨に濡れることもなく、
展示フロアーのある1階に導かれる。

1階はガラスのカーテンウオール

地下鉄入り口                      地下鉄からの美術館までの通路

椅子とヒトもアートの一部か?               正面からの入り口


このスムーズなアクセスの快適さは、これからの素晴らしい魅力であり、
大きな展示会が集中する可能性がある。
他の美術館にとっては、脅威であると思われる。

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待ち時間 1時間40分。クリスピークリームドーナッツ。

2007-10-27 11:25:50 | 街中ウオッチング
         
               有楽町クリスピー・クリーム・ドーナッツ


そろそろ行列も減ったのではないかと思い
有楽町交通会館に行ったついでに
有楽町イトシアの地下1階にある“クリスピー・クリーム・ドーナッツ”
に行った。

話題のドーナッツを2個でも買い、これから行くデートで食べようかと思い
行列の最後尾を聞き、そちらに向かった。

なんと、1時間40分待ち。



これはすごい、1時間40分も並べないよ~。

そのうち、行列待ちのアルバイトが並ぶようになるのだろうか!!
或いは、並んで大量に買った人が、有楽町の脇でプレミアム価格で再販売している。

という珍ニュースが出るのでは?????


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『ブリューゲルへの旅』

2007-10-26 07:25:20 | 街中ウオッチング

子供が増えたり、引っ越したり・・・・・・
ライフステージが大きく変化するごとに
或いは、カミさんの声が大きくなったりするごとに
新たな荷物が増え、代りに、これまでのものを捨てざるを得なくなる。

取捨選択。選択と集中。
などなど・・・・・・簡単なようで簡単ではない。
愛着、偏愛、狂気などの明快な軸がない限り、
取捨選択も、選択と集中も、私生活においては説明不能だ。
私生活だけでなく、世紀を超えるロングセラーブランドでも同じだと思う。

合理的な説明抜きに
この1冊の本は、いくつかの変遷を乗り越え、捨てることが出来ずに生き残っている。

中野孝次著 ブリューゲルへの旅

 表紙:農家の婚礼(1568年、ウイーン大学美術史美術館所蔵)

1976年に初版が発刊され、1977年7版を購入している。
30年間も捨てずに持っている唯一に近い本だと思う。

何故、捨てずにいたのだろうか?
30年後のいま、読むためにとっておいたような気がする。

中野孝次氏は、この作品で、日本エッセイストクラブ賞を受賞し、
51歳から評論家・作家として登場してきた。

中野孝次氏の終生の想いは、1枚の絵から始まったようだ。
それは、
ブリューゲルの『雪中の狩人』との出会いだ。
(出典)Wikipedia

ブリューゲルは、1525年(?)フランドルというオランダ南部・ベルギー西部・フランス北部にまたがるところで生まれた。といわれている。
このフランドル地方は、英語読みではフランダースであり、
毛織物産業が栄え、当時の商業・経済の最先端地域であるとともに裕福な地域でもあった。
この経済力を背景に文化も活発化した。

そんな繁栄の都市で、ブリューゲルは、農民の生活を描き続けた。

中野孝次氏は、『雪中の狩人』に出会い、
「ここがお前の帰っていくべき場所だと語りかけてくるようであった。」
と書き留めている。
そして、
「そこにあるのは厳しい冬の自然の中の生の営みである。・・・・(中略)・・・・・
私はそれまでこんな絵を見たことがなかった。・・・・・(中略)・・・・
わたしはその前で自分自身の半生と(わたしはそのとき41歳だった)会話していることを発見したのである。」
と。

ブリューゲルの絵は、中野孝次氏の内面を写しだす鏡だったのかもわからない。
そして、
この本は、私のブリューゲルの旅へのガイドブックとなるはずだ。
そんな予感が、30年も前にあったのだという気がする。

『雪中の狩人』の最初の啓発は、
小学校までは、大雪となると絵と同じような白の世界になってしまい、
陽射しがちょっと出ると、雪がとけ、こげ茶色の木々の地肌が顔を出す。
そんな既視感があリ、違和感のない世界であった。
むしろ、中野孝次氏同様に、ブリューゲルを飽きるまで見てみたい。
と思うようになって来た。

その前に
乃木坂にある国立新美術館で、『フェルメール展』が開催されており、
これをまず見なければ・・・・。

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紅色の赤、パイナップルセージ(Pineapple sage)の花

2007-10-25 09:12:56 | セージ&サルビア
やっと咲いたか! というのが正直な実感。
3年もチャレンジしてしまった。



パイナップルセージは、花が咲くまでに5~6ヶ月かかる。
いまどきとしては、晩生(おくて)のセージだが、
この3年間で、花が咲くまでの間に霞のように消えていってしまった。
だから
私には縁のないセージなのかとも思っていた。

今年も、バッタの幼虫に集中的に攻められて葉が食い荒らされ枝が枯れるなどの危ない時期もあったが、
日当たりと風通しが良く、庭に棲みついているトカゲ家族が通りやすいところに
配置換えして何とか乗り切ったようだ。


バッタは、パイナップルセージの葉が好きなのだろうか?
夏の夜に“キチキチ”と鳴いていたから、ショウリョウバッタのようだ。

真夏に水を切らさず、バッタの攻勢にも耐え、つぼみの穂が出てきた時はうれしかった。
しかし、ここから花が咲くまでが長い。
タイマーをセットしているように、陽が短くならないと花を咲かせない。

パイナップルセージの学名は、サルビア・エレガンス(Salvia elegans) というが、
命名した人のエレガンスという感覚がよくわかりにくい。

枝は、真っ直ぐではなく斜めに伸び、この枝にゴワゴワした葉が密集する。
太陽に向かって真横に広がる様相であり、
立ち姿は美しくない。

きっと紅赤に近い鮮やかで派手な赤の色にときめいたのだろうか?



「パイナップルセージ(Pineapple sage)」

・シソ科アキギリ属の半耐寒性の常緑低木。
・学名は、サルビア・エレガンス(Salvia elegans)、英名・流通名がパイナップルセージ。
・原産地はメキシコ。標高2000~3000mの高地に生息。
・丈は成長すると1m前後。鉢植えの場合は、摘心して50cm程度にする。
・耐寒性は弱いので、マルチングするか軒下などで育てる。越冬させていないのでこれからも気を抜けない。
・耐暑性は強いが乾燥に弱いので水切れに注意。
・開花期は、晩秋から初冬。短日性なので日が短くならないと咲かない。
・葉をこするとパイナップルの香りがする。

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豚肉&パイナップルの甘酸っぱいソテー

2007-10-24 07:18:32 | 男の料理

酢豚風の甘酸っぱい豚肉のソテーが食べたい。
単に甘酸っぱいだけでなく、
パイナップルそのものが入っていた方が旨そうだ。

パイナップルは、しょうゆとのマッチングがよく
黒酢を使うよりも、酢・しょうゆ・パイナップルで創る味が
豚肉に合いそうだ。

ということで、
さっそく作ってみました。



難しいところは何もなく、
下味のカレー粉が隠し味になっており、
片栗粉をまぶすことにより、旨みを封じ込め、
大量の油を使い揚げることもなく、少量の油でカリッとソテー。

このカリッとしたソテーに、たまねぎ・ピーマンとパイナップルを炒め
味をとるタレを加えたものをかけあわせる。
ケチャップが、酢・パイナップルのすっぱい系にコクをつけたみたいで、
期待通りの甘酸っぱい豚肉とパイナップルのソテーが出来上がりました。
付け合せは、前日に大量に作ったポテトサラダ。
消費が進まずまだ1/3が残っています。

豚肉を買いすぎたので、
同じように塩・こしょう・カレー粉などで下味を取り、
1昼夜寝かせた豚肉をソテーし、
大根おろしで食べましたが、

これはさっぱりした和食の一品になりました。

<材 料>(5人分)
豚肉            100g程度×5枚
たまねぎ          1個
ピーマン          5個
パイナップル        1/2(輪切りの場合は5個)
[豚肉の下味]
塩             少々
こしょう          少々
カレー粉          少々
片栗粉           大さじ4~5
[味付けのタレ]
酢(黒酢)          大さじ6
砂糖            大さじ4
酒             大さじ1
しょうゆ          大さじ1
しょうが          すりおろし少々
ケチャップ         大さじ1
水溶き片栗粉        大さじ1(適量の水で溶く)

<作りかた>
1.豚肉は塩・こしょう・カレー粉をそれぞれにふり10分寝かせる。
2.たまねぎ、ピーマンをザクッと切る。パイナップルも一口大に切る。
3.酢・砂糖・酒・しょうゆをカップに入れ、しょうがのすりおろし及びケチャップで
味付けのタレを作っておく。
4.下味の付いた豚肉に片栗粉をまぶし、余分な片栗粉を取り、熱したフライパンに並べる。
5.上蓋をかけ片面がカリッと焼けるまで中火で焼く。両面が焼きあがったらフライパンから取り出しておく。
6.たまねぎ・ピーマンを炒めたら、豚肉を戻し、パイナップルを加える。
7.パイナップルに火が通ったら、味付けのタレを加える。
8.最後に、水溶き片栗粉を加え、とろみが付いたら出来上がり。


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夕方からのつぼみが美しい オキザリス・パーシーカラー

2007-10-23 10:34:46 | その他のハーブ
まさか現役復帰するとは思ってもいなかった。

オキザリスは、カタバミ科の中で球根タイプのものを指し
種類が豊富で、オキザリスマニアが結構いるようだ。

我が家には、紫の舞とも呼ばれるオキザリス ・トリアングラリスを含め
2種類あることになるが、全く別種のごとく感じる。

                  パーシーカラー 夕方からのつぼみ


このオキザリス・パーシーカラーは、
昨年は、冬場の花として貴重であり、室内の日当たりが良い窓辺で、
花びらの縁が淡い緋色の白い花を咲かせていた。

春になり、日当たりが良い戸外に出していたが、
葉が枯れ、土が乾き、夏場には死亡したものと思っていた。

そろそろ鉢を他の花に使おうかと思っていたら、9月末に芽が出ていた。
1ヵ月後の、10月22日には、一輪だけ花を咲かせた。
今朝見るとあっという間につぼみが増えており、
霜に当てなければ、春先まで楽しめる。

しかも
陽の光が弱い夜間、曇り空の時間帯は、
花を閉じ つぼみのままであり、紅白のパラソルを巻いたような独特の色彩となる。
花よりは、つぼみに特色があるのもめずらしい。

振り返ってみると、
残酷かと思った春から夏にかけての扱いが、
オキザリス・パーシーカラーの育て方であった。
正しくは、花が咲き終わったあとは、
葉が枯れても水をやらずに乾燥させ、秋に植え替える・・・・です。

(写真)9月末に芽を出す。               10月下旬に初の花


「オキザリス・パーシーカラー」

・カタバミ科の半耐寒性の球根で冬場は室内又は屋根下で。
・学名は、オキザリス・ベルシコロル(Oxalis versicolor)、流通名がパーシーカラー。
・原産地は南アフリカケープ地方。
・草丈は10~15cmで、線形の葉、白と赤の縞模様のつぼみが特色。
・やや渇き気味を好むので、乾燥したらたっぷりと水を与える。
・開花期は、10月から春先まで。
・休眠期は、5月から9月頃まで。この時期は乾燥させ水を与えない。


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