モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

No11:トウモロコシの世界への伝播

2012-02-29 20:51:40 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No11
コロンブス探検隊との出会い
1492年10月12日コロンブス(Christopher Columbus、1451年頃-1506年5月20日)探検隊は、2ヶ月航海してカリブ諸島のひとつの島に到着し、この島をサン・サルバドル島と命名した。
ここから旧大陸と新大陸の文化の交換が始まることになる。その代表例がコロンブスたちは梅毒を持ち帰り、旧大陸からはコレラ・ペストなどが持ち込まれることになる。

ヨーロッパ人で初めてトウモロコシに出会ったのは、コロンブス隊が10月28日にキューバ島を発見し、(コロンブスは、大きな陸地なので中国にたどり着いたと死ぬまで思っていたようだが) 奥地を探検するために派遣された二人のスペイン人であり、島に住むアラワック族はこれを“マイス(Mays)”と呼び、「人間ほどの背の高さがあり、腕の太さほどの穂をつけ、えんどう豆ほどの大きな粒をつけていた。」と記述されているのでこの頃には今日のトウモロコシに近い姿となっている。

コロンブス以降にアメリカ大陸に来たヨーロッパ人、例えば、メキシコのアステカ帝国を滅ぼしたコルテス、ペルーのインカ帝国を滅ぼしたピサロなどいたるところでトウモロコシとその多様な調理方法に出会うことになる。
つまり、コロンブスが新大陸を発見した頃には既に南北アメリカにトウモロコシが伝播していたことになる。

メキシコから南北アメリカへの伝播
メキシコ南西部のバルサ川流域で8700年前以前に栽培化されたトウモロコシは、南北アメリカに伝播し、中南米ではカボチャ・インゲン豆・アマランス、南米ではジャガイモ・キノア(チチカカ湖周辺が原産の穀類)などとともに重要な食料として普及し独自の文化を形成していく。
何時頃、何処まで広がったかというと、3200年前頃には南西部の米国、2100年前には東部米国、紀元700年頃にはカナダまで商取引のルートで広がったといわれている。

アメリカ大陸から他の大陸への伝播
中南米原産のタバコ、トウガラシ、ジャガイモ、トマトなどの普及はかなり時間がかかったが、トウモロコシの普及はかなりスピーディだった。1500年にはセビリアで栽培され、1500年代の半ばには地中海に広がり、後半にはイギリス、東ヨーロッパまで栽培が広がった。
また、スペイン・ポルトガルの商人によって1500年代初めにはアフリカ、アジアにも広まり、日本には1579年にポルトガル人が四国にフリント種(硬粒種)をもたらしたという。この説は『本朝世事談綺』(菊岡沾凉作の江戸享保時代の随筆)によるが、『大日本農史』(明治23年編纂)によると後奈良天皇天文四年(1535年)に中国より来るという説もある。
どちらが正しいかわからないが、トウモロコシは100年もかからずに世界を一巡したことになる。

急速に世界に広まった理由としては、トウモロコシの生産性の高さによる。小麦よりも3倍の収穫量があるトウモロコシは、貧困層の食糧として受け入れられただけでなく、増加しつつある人口の胃袋を満たす食料ともなった。
どんな食べ方がされたかというと荒引きされたトウモロコシの粉を熱湯に入れ、かき混ぜながらドロドロの粥として煮て食べたようだが、空腹を少ない食料で満たす代用食として貧しい地域(寒冷地・山間部など)に入っていった。
この食べ方は、いまでは北イタリアの名物料理“ポレンタ(Polenta)”として知られるが、栽培しやすく生産量が多いトウモロコシが小麦粉・キビに取って代わったという。

余談になるが、アメリカ大陸原産の植物は、スペイン・ポルトガルの商人がアフリカ・アジアなどの自国の植民地に普及させ、ヨーロッパでは地中海貿易を通じイタリアに入り定着したものが多い。トウモロコシ、トマト、ズッキーニ、トウガラシ等でありイタリア料理を彩る食材となっている。
何故スペイン料理を彩る食材にならなかったのだろうかという疑問があるが、食の基本は保守的であり、新大陸の怪しげな食材を拒否できるリッチマンと、食べられるのであれば危険をものともしないプアーマンとの違いがあったのだろう。16世紀のイタリアは飢饉が何度も襲い貧しかったことは間違いない。この貧しさが新世界の食物を取り入れ世界に冠たるイタリア料理を作り上げたのだから歴史は面白い。

メキシコ原産ではないという説
コロンブス以前に中国にトウモロコシが伝播、或いは中国原産のトウモロコシがある と主張する意見もある。
或いは、インド北東部のアッサム地方、中近東原産という説もあった。

ドゥ・カンドル(August Pyrame de Candolle 1778-1841)の息子アルフォンズ・ドゥ・カンドル(Alphonse de Candolle 1806-1893)の大著『栽培植物の起源』は、トウモロコシについての説明を次のような書き出しで始める。

『トウモロコシは、アメリカの原産物であり、そして新世界の発見後に旧世界に移入されたに過ぎない。』
21世紀の今日でもトウモロコシの原産地に関して異論があるが、19世紀末においてもアルフォンズ・ドゥ・カンドルと異なる意見が多々あった。

その誤解の原因が16世紀の西ヨーロッパでトウモロコシのことを“トルコの麦(Bie de Turquie)”と呼んだことにあると断定している。
丁度、メキシコから中米原産の七面鳥が英語でターキー(Turkey)と呼ばれたようにトルコ原産を意味していず、スペイン・ポルトガルから地中海貿易を経てトルコに入り、ここから西ヨーロッパに広がっていった流れを受けている。

“トルコの麦”という記述を最初にしたのは、フランスの植物学者リュエリウス(Johannes Ruellius1474-1537)であり1536年の出版物に記述しているので、かなり早い時期からこの名前がついていたことになるが、原産地を紛らわしくしたことは否めない。

世界最古の栽培植物といわれるヒョウタンにも、南アフリカ原産というのが定説となっているが、中南米原産という主張もあり、トウモロコシにも同じような主張がありこれはこれで面白い。
人間の手により世界に普及した栽培植物の祖先・原産地を、さかのぼって特定化するのは困難だなということがよくわかった。しかし、遺伝子を調べれば何らかの決着がつく時代になっているので、古の本草書の比較研究だけでは当てにならないので本草書研究者泣かせになってきた。

トウモロコシのトピックス
世界的な人口増加と異常気象による干ばつなどで穀物の値段が上昇傾向にある。下記のグラフを見ても特に米の国際価格上昇が著しい。成長著しいアジアの主食である米なのでこれからも油断は出来ない。
トウモロコシの価格も上昇しておりこれまでの二倍になっている。この理由は再生可能なエネルギーであるバイオマスエタノールの原料としてトウモロコシ・サトウキビなどの需要が増加しているためで、食糧以外にも使われるトウモロコシの潜在的な力が値上がりの要因となっている。
トウモロコシの消費分野を知るとさらに驚く。
人間の食糧として食べられている割合はたったの4%であり、その多くは家畜の飼料(64%)、コーンスターチやコーン油などの加工品(32%)に使われていて、家畜を育て肉類を生産する役割に貢献している。さらには、車などを動かすエネルギーとしての役割も発見され、トウモロコシの潜在力に感心する。


(出典)「社会実情データ図録」
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No10:トウモロコシの起源、その3.バルサ流域での考古学調査での発見

2012-02-14 12:02:02 | 栽培植物の起源と伝播
栽培植物の起源と伝播 No10

トウモロコシの祖先を特定化する難題は、2000年代になってから急展開したというからつい最近のことになる。
遺伝子の分析と澱粉粒子の分析という新しい科学的な手法が開発され、考古学に応用されるようになって急展開した。

澱粉粒子の分析は、
それ以前の考古学が乾燥した地層で化石化した植物の残存物を発見しこの地層の年代を測定することによって栽培されていた年代を割り出していたのに対して、
石の表面に付着した澱粉から植物を割り出すのでゴミ捨て場として使用された洞窟近くの沼に沈殿した残留物からも植物を特定化できるという。

アメリカ大陸の古代文化には、コロンブス達がやってくるまで鉄の時代がなかった。
武器としての矢じりは石であり料理で使う包丁も石で、トウモロコシは硬い皮を叩いて磨り潰しこれを食していたようなので石の表面には澱粉が付着する。
澱粉は熱にさらされない限り種特有の形態を持つので、種の特定化が可能だという。

この澱粉粒子分析を使いトウモロコシの祖先である野生のテオシント(Zea mays subsp. parviglumis)の考古学的な証拠を発見したのがテンプル大学人類学の女子卒業生だったDolores R. Piperno(1949- 、現スミソニアン国立自然史博物館)だった。

異分野からのチャレンジャーがトウモロコシの祖先を見つける

(写真)  Dolores R. Piperno(ドロレス・ピペルノ)

(出典)スミソニアン国立自然史博物館

ピペルノは、1971年にニュージャージ州カムデンにあるRutgers Universityを医療技師の学士で卒業し、フィラデルフィアにある病院の血液センターの研究技師として血液検査の技術開発も含めて5年間勤め、1976年にフィラデルフィアのテンプル大学で子供の頃から興味を持っていた人類学コースで大学院に再入学した。
この大学でパナマ共和国の熱帯雨林考古学を研究していたRanere, Anthony の研究室に入ったことから熱帯での栽培植物の考古学という道に踏み込むことになる。

大学から考古学に入ったならば、新しい考古学の技術開発に踏み込むこともなかっただろうが、実験・検査、顕微鏡の活用という医学的スキルを身につけたピペルノは、高温多湿で植物を腐敗させ痕跡をとどめない熱帯地方で、植物の種類を特定化する科学的なアプローチを開発していくことになる。

博士過程で取り組んだのは、植物の細胞に含まれるガラスの元ともなる珪素であり、腐敗しても残るので熱帯での栽培植物の考古学に利用できないかを研究した。
特にイネ科の植物は (トウモロコシもイネ科の植物だが) 珪酸を含むので、この形態などから種を見分けることが出来るという。

1988年にピペルノは植物珪酸体分析を用いた考古学の「Phytolith Analysis: An Archaeological and Geological Perspective」という最初の本を出版した。そして、この年にスミソニアン協会が生涯スタッフという地位を提供するまでになった。

1990年代の後半からは、珪酸体分析が出来ない植物のために澱粉粒子分析という新しい方法を模索し始めた。
この1990年代後半には、ウィスコンシン大学のJohn Doebleyが遺伝子の分析から、『メキシコの熱帯の中央バルサ川流域がトウモロコシ栽培の発祥地で、そこに生息していた野生のテオシント(Zea mays subsp. parviglumis)が現在のトウモロコシの祖先である。』
と発表していたが、栽培されていたという考古学的な証拠はまだ見つかっていなかった。

バルサ流域にあるXihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)
2000年に入ってピペルノと彼女のチームは、バルサ川流域の遺跡と3つの湖沼でサンプルを集めそれらを分析したところ、
1万4千年前にはバルサ流域に人類が生活した痕跡が見つかり、
氷河期が終わる1万年前ころから温暖になりつつある熱帯低地ではこの環境変化への対応が進み、
8千年前にはトウモロコシとカボチャが人間の手により栽培されていた証拠を湖の沈殿物から発見し、
7千年前には焼き畑農業がされていたことがわかった。

これは素晴らしい発見であり、これまでの知見を覆すものでもあった。
何しろ熱帯低地で農業がかなり早い時期に始まっていたということすら想像していなかったのだから。

2005年からテンプル大学のRanere, Anthonyをリーダーとする大掛かりな調査が始まり、ピペルノもメンバーとして加わった。
他のメンバーとしては、スミソニアン熱帯研究所のIrene Hols、テンプル大学のRuth Dickau、英国のエクセター大学José Iriarte   などであり、
資金は、全米科学財団、米国地理学会、ウェンナー・グレン基金、スミソニアン国立自然史博物館、スミソニアン熱帯研究所、テンプル大学教養学部などが拠出した。

この調査では、中央バルサ川流域の人が住んでいた痕跡がある15の洞窟のうち4つを掘り、そのうちの一つであるXihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)から8700年前にトウモロコシとカボチャが栽培されていた証拠を発見した。
この事実は2009年に発表されたのでつい最近のことであり、まだ紆余曲折はありそうだが、

1. 現在のトウモロコシの祖先は、バルサ・テオシント(学名:Zea mays subsp. parviglumis)であり、(遺伝子分析からJohn Doebleyが結論付ける)
2. 人間の手による栽培はメキシコのゲレーロ州バルサ川流域で少なくとも8700年前に始まった。(Anthony Ranere、Dolores R. Pipernoチームの調査)
3. そしてこの野生種バルサ・テオシントを最初に採取して命名したIltis & Doebley

この人達のリレーによってここまで明らかになった。
イルチス、ドエブリー、ピペルノは畑違いから情熱を持ってひたすら邁進した。このパッションに敬服し、徹しきった生き方に共鳴する。彼らがいたからこそ、長い間謎だった“トウモロコシの祖先”がやっとわかるようになった。

(写真)  Xihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)

(出典) the National Academy of Sciences

ところで、キシュアトキツラ洞窟について触れると、写真のようにヒトがかがまないと入れないような洞窟で、広さは75㎡で、今で言うと3LDKぐらいのスペースだろう。

この地面を掘ると、5つの時代の層が見つかり、遊牧民がキャンプ地として使っていたと考えられていたが、そこから出土した物を調べると、叩いたり磨り潰すのに使用した石(調理道具)からトウモロコシやカボチャの澱粉が付着しているのが見つけられた。
放射性炭素年代測定法で最も古いE層の年代を調べると8990年前以前であり、人間の手によって既にトウモロコシの栽培が始まっていたことがわかった。
アメリカ大陸での農業の歴史は、氷河期が終わる1万年前頃から始まっていたようであり、温暖化で絶滅したマンモスなどの大型哺乳類を追いかける遊牧狩猟生活から、小動物・木の実・エビ・貝などの狩猟採取生活に移行し、トウモロコシ・カボチャなどの栽培も加わっていた。

(写真) Xihuatoxtla Shelter(キシュアトキツラ洞窟)から出土したもの

(出典) the National Academy of Sciences

1 A層(1240-1000前)陶器や土器の破片、黒曜石刃断片、多少の現代の瓶ガラス
2 B層(2980-2780前)、陶器や土器の破片、黒曜石刃断片、ナイフ、チョッパー(刻み用)ひき臼
3 C層(5590-5320前)、陶磁器作り以前の時代で、こて(穴をあける)ナイフ、ハンド石ミリング石をはがして薄片にしたもの
4 D層(8990-8610前)チョッパー(なた、肉きり包丁)、こて、彫刻用の石、ナイフ、両面調整石器、ミリング石(たたき、粉引き)、ハンド石
5 E層E(8990前)茎、ギザギザが入った石、槍の穂先、南京かんなのような石、先が尖った彫刻用の石、ハンド石


(出典) the National Academy of Sciences

トウモロコシ栽培のきっかけは、あくまでも推測だが、山火事がありその跡にポップコーンが散乱し、食べてみたらなんら問題がなかった。
野生のテオシントが群生しているところでポップコーンを見つけたので、この雑草を育て、その中で多くの実をつけるテオシント(突然変異種)を選んで育てるようになり、これが今日のトウモロコシになったのかもわからない。
野生のバルサ・テオシントは、実が少なく殻は固いのでちょっと手が出にくい。
ポップコーンが美味しかったので、固い殻を叩き割り、磨り潰して、料理することに気づいたのだろう。

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