モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

神田神保町 古本祭り

2010-10-29 14:40:23 | 街中ウオッチング
11月17日(水)から世界に誇る古本屋街神田神保町で「古本まつり」が始った。
今年は11月1日までで、近隣には結構なグルメ店があるのでその出店屋台などで意外なモノが食べれることができ、本だけでなく胃袋も満足させてくれる。
ゲットした本を脇道にある飲食店で眺めながら身体を温めるのもまた楽しい。

(写真)神田神保町古本、まつり

(写真)平日の4時頃なので若者が少ない

(写真)片側だけに軒を連ねている古本屋


初日の17日に出かけたが、日本に寒気団が来ていたので、陽射しがある割りには寒かった。特に、古本屋街は、本が日焼けすることを防ぐために陽にあたらない南西側に軒を連ねてるので、一時間以上も覗いていたら芯から体が冷えてしまった。

(写真)昔懐かしいカレー

遅いランチを神保町交差点近くにある新世界菜館で、カレーを食べた。
蕎麦屋のカレーのように小麦粉をフライパンで炒めたあの昔懐かしい甘めのカレーで、この店の名物となっている。上海蟹も時期的に始っていたが、手が凍えているので、身体を温めるにはこのカレーがお奨めと思う。

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チキンとポテトとキノコのゴルゴンゾーラ焼き

2010-10-22 15:21:33 | 男の料理
赤ワインとゴルゴンゾーラチーズ
11月17日0時から今年できたワイン、ボジョーレヌーボが飲める。
最近行き始めたこだわりの日本酒とワインを仕入れている地元の居酒屋がこのパーティを開催するというので参加する事にしたが、条件は、おつまみを各自持ち寄るということだった。
理由を聞いたら何たることか、店主も料理で時間を使わないで飲みまくりたいだけだった。(参加者もワイン代だけなので安くなるというメリットはあるが。)

フランスのボジョレー地区で今年作られた赤ワインを飲むので、ブルーチーズや鴨の燻製などくせがあるモノが良さそうかなと思いつつ、目新しい食材のめぼしをつけるためにデパートにいってみたら、さすが商魂だなと感心するセールがされていた。
チリの落盤事故で地底700mから帰還した33人を祝っての「チリワインセール」だった。

前から南半球のワインが“うまくて”“安い”ので、チリ・南アフリカ・オーストラリアのワインに注目していたので、躊躇いもなく赤ワインを買ってしまった。

そこで、赤ワインに合う料理をレッスンを兼ねて作ってみた。
主役は、ブルーチーズの代表の一つであるイタリアのゴルゴンゾーラ(Gorgonzola)。

普段はブルーチーズとして扱っていたが、後で調べると三大産地があり、フランスのロックフォール、イギリスのスティルトン、そしてイタリアのゴルゴンゾーラが三大ブランドとして確立していて、それぞれ厳しく原料・製法・製造地などが管理されていて排他的なブランド管理がされているようだ。

ゴルゴンゾーラ(Gorgonzola)はミラノの近郊にある町で、ここで作られたのでその名がついたが、今では都市化と共に生産されなくなっているという。
発酵の歴史には人間の“うっかり”“度忘れ”などの怠惰さが付きまとうようだが、ゴルゴンゾーラにも同じような由来がある。
ゴルゴンゾーラは9世紀頃、放牧していた牛を高地から平地に下ろす時の休憩場所であり、牛の乳から作ったチーズがおいしく名物になっていったが、ある時、若いチーズ職人が恋にうつつを抜かしていたら、チーズにカビが生えていたという。
史実であるかどうかは疑わしいが、きっとこんな“うっかり”があったのだろう。それにしても、カビが生えて腐ったチーズを最初に食べたゴルゴンゾーラの人間は偉い。
きっとこの青年が、カビの生えたチーズを罰として食べさせられ、赤ワインをたっぷりと飲んだのかもわからない。

(写真) 仕掛1:チキンとポテトとキノコとゴルゴンゾーラ


(写真)仕掛2:オーブンから出した状態


(写真)盛り付け


さて料理だが、意外と簡単で赤ワインには合いそうだが子供向きではなさそうだ。子供向きにするには、生クリームとゴルゴンゾーラでソースを作りこれをかけたほうが良さそうだ。

【材 料】 (4人分)
鶏もも肉          2枚
ジャガイモ         大3個
エリンギ          2パック
ゴルゴンゾーラチーズ  60グラム
鶏のブイヨン       100ml
マスタード         30グラム
パン粉           2カップ
塩・コショウ         適量
バター           少々
サラダ油          適量
付け合せ野菜       適当

【作りかた】
1. ジャガイモを7mmの厚さで輪切りし、固ゆでする。
2. エリンギは、厚めのスライスにし、フライパンにサラダ油を熱しサッと焼く。
3. 鶏もも肉は、フライパンにサラダ油を熱し、中火で皮目から焦げ目がつくくらい焼いたら、裏返して焼く。
4. 焼きあがった鶏もも肉を1センチぐらいの厚さで切る。
5. 耐熱皿の内側にバターを塗り、ジャガイモ・鶏肉・エリンギを交互に並べる。
6. 5に温めた鶏のブイヨンをかけ、塩・コショウを振り、ゴルゴンゾーラチーズをちらす。さらに、マスタードを均一になるようにかけ、最後にパン粉をまぶす。
7. 180度に予熱したオーブンで15分焼き、取り出したら付け合せの野菜を盛り付ける。

【評 価】
ゴルゴンゾーラチーズとマスタードが大人の味を創り、ボディがしっかりした重めの赤ワインでもピッタリでした。ジャガイモがボリューム感を出し、これ1品でも胃袋を満たします。
軽めが希望の場合は、ジャガイモをはずし、エリンギ・シイタケでより酒の肴になるでしょう。
また、パセリのみじん切りを振り掛け、緑が入るとスッキリした色合いになります。

チリの落盤事故ではリーダーシップの重要性が話題になりましたが、この1ヶ月ほど持病になりつつあるぎっくり腰で、初期のシップの重要性を認識しているこの頃です。
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No20:プリングルが採取したサルビア その2

2010-10-16 10:53:08 | メキシコのサルビアとプラントハンター
メキシコのサルビアとプラントハンターの物語 No20 

プリングルは、数多くのサルビアを採取しているが詳細がよくわからないものも多い。可能な限りフォローしてみることにする。

7.Salvia concolor Lamb. ex Benth. (1833). サルビア・コンカラー

(出典)Robin’s Salvias

8月から10月まで素晴らしい濃いブルーの花を咲かせるサルビア・コンカラー。草丈・幅200㎝と大柄な潅木を形成し、耐寒性があるサルビア。
命名者の一人ランバート(Lambert, Aylmer Bourke 1761-1842)は、英国の植物学者でマツ属の権威。最初のコレクターは、Campbellまではわかるがそれ以上はわからない。
プリングルは、1901年9月2日にメキシコで採取する。

8.Salvia elegans Vahl (1804). サルビア・エレガンス(パイナップルセージ)

(出典)モノトーンでのときめき

秋咲きのサルビア・エレガンス。緋色の花、明るい緑色のパイナップルの香りがする葉と、その美しい姿は日本でも大分普及している。
しかし我が庭のエレガンスは、3-4年で株を更新しなかったことも影響しているためかこの夏の暑さで全滅してしまった。カッティングで殖やしておくべきだったと悔やんでも後の祭りだった。
このサルビア・エレガンスは、1804年に、デンマーク・ノルウェーの植物・動物学者でウプサラ大学でリンネに学んだバール(Vahl, Martin (Henrichsen) 1749-1804)によって命名されているので、誰が最初に採取したかわかっていないがフンボルト探検隊以前に採取されていたのだろう。
プリングルは何度かこのサルビア・エレガンスを採取しているが、彼が最初に採取したのは1891年12月22日メキシコ、ミチョアカン州だった。
ヨーロッパといっても英国の庭に導入されたのは1870年代といわれている。しかし、英国での呼び方であるパイナップルセージ(pineapple sage)では、「Salvia rutilans Carrière(1873)」という新たな名前で100年以上も呼ばれていた。

9.Salvia flaccidifolia Fernald (1907).

(出典) senteurs du quercy

草丈60㎝で直立する花序に青紫の花が咲き耐寒性が弱い。
プリングルがこのサルビアの最初の発見者で、1906年9月6日にメキシコ、イダルゴ州でbarrancaで採取した。

10.Salvia fluviatilis Fernald (1900). サルビア・フルビアティリス

(出典)Robin’s Salvias

プリングルが最初に発見したサルビアで、1898年5月16日にメキシコ、モレーロス州の州都クエルナバカにある小川付近で発見・採取した。この年の9月29日には米国人のコレクター、ホルウエイ(Holway, Edward Willet Dorland 1853-1923)が同じ地域で採取しているので4ヶ月ほど早かった。
このホルウエイは、アイオワの銀行員で休日には植物・菌類を採取した趣味人だった。19世紀末には植物学の教育を受けていない趣味のコレクターが登場し始めたことには注目しておきたい。

このサルビアは、ライムライトで知られるサルビア・メキシカーナに似ているようだが、青紫の花は小さく、小川付近で発見されたということもあり乾燥した土壌を嫌うようだ。

11.Salvia henryi A. Gray(1870). サルビア・ヘンリー

(出典) Western New Mexico University Department of Natural Sciences & the Dale A. Zimmerman Herbarium

真っ赤な花冠とマロウのような切れ込みがある葉に特色があるサルビアで、崖や岩が多い峡谷に生育する。
プリングルは、1884年5月25日に米国アリゾナでこのサルビアを採取しているので、メキシコのサルビアとは言いにくいが、誰が最初にこのサルビアを採取したのかわからないが、記録に残る最初の採取者は、1881年8月ニューメキシコ州でラズビー(Rusby, Henry Hurd 1855-1940)が採取していた。
アメリカ南部からメキシコ北部が原産地なので収録することにした。
なお、採取者のラズビーは、テキサス・ニューメキシコ・南米で植物探索をしたコレクターで、1891年に設立されたニューヨーク植物園の設立メンバーの一人でもある。

12.Salvia iodantha Fernald(1900).  サルビア・イオダンタ

(出典)Robin’s Salvias

プリングルは、このサルビアの最初の発見・採取者で、1899年2月5日にメキシコ、モレーロス州の気候温暖な古都クエルナバカの707メートルの山中で採取した。
成長が早く草丈200㎝で横にも広がるので広い庭に向いているが、剪定をしたほうが良いようだ。気候温暖なところで生育しているので耐寒性は強くない。
花は、パーマが採取したサルビアで紹介した“Salvia purpurea Cav.(1793)”と似ているが、紫色ではなく深い紅色なので区別しやすい。

13. Salvia lasiantha Benth. (1833). サルビア・ラシアンサ

(出典)Robin’s Salvias

プリングルは、このサルビアを1894年9月4日にメキシコ、オアハカ州の2000mの山中で採取するが、最初の採取者は、スペインの医者・植物学者で1780年に軍医としてメキシコに赴任したセッセ(Sessé y Lacasta, Martín 1751-1808)とその同僚Mociño, José Mariano (1757-1820)で、1786年に、時のスペイン国王チャールズ三世(1716 -1788)にスペインの新大陸植民地での大規模な植物・動物などの資源を調査する提案を行い、その中心メンバーとして探検で活躍したので、1786年前後のことなのだろう。
「サルビア・ラシアンサ」は、冬に開花するサルビアで温室で育てる必要がありそうだが、赤紫の萼とオレンジの花のコンビネーションが見事な花だ。それにしても美しいサルビアだ。
なお、このシリーズのNo8で、ガレオッティが1840年頃採取した「Salvia chrysantha」は類似のサルビアだが、先に命名されたサルビア・ラシアンサが優先される。

(続く)

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No19 閑話休題。メキシコの発見は?

2010-10-12 08:49:44 | メキシコのサルビアとプラントハンター
メキシコのサルビアとプラントハンターの物語 No19 

いまから518年前の1492年10月12日、コロンブスが新大陸に到着した。

(地図)サン・サルバドル島とカリブ海諸島


到着した場所は、キューバの北東に位置するバハマ諸島の東端にある島であり、この島に上陸し、神に感謝してその島に“聖なる救世主”を意味する“サン・サルバドル”と命名した。

南アメリカ大陸、オセアニア大陸はまだ知られていないが、この時点から世界は大きく広がり、速いスピードで動き始めることになる。この世界を広げていく冒険(冒険には投資がつきものだが)の動機は、黄金と征服欲望にあったようだ。
この当時のヨーロッパでは金・銀の産出量が少なく、高価な香辛料などの輸入で決済する金・銀が枯渇状態にあった。

金を求めるスペイン人の行動は直線的で貪欲だった。20年間はカリブ海の諸島から採取できる砂金でゴールドラッシュ状態だったが、1515年以降は急激に砂金が取れなくなってしまった。
そこでやっと、アメリカ大陸の方に目が向き始めた。
何しろ、金のあるところにはスペイン人が現れ、スペイン人が現れたところは部族社会が崩壊し人口減少となるというほど搾取とヨーロッパから持ち込んだ病原菌で現地社会を壊滅状態にしたほどだ。

メキシコの発見は偶然だったようだ。
奴隷狩りを目的にキューバ島のサンティアゴを1517年2月8日に出航した船が、嵐に巻き込まれ偶然にユカタン半島の北端にたどり着いた。
船から陸地に5.5㎞入ったところに大きな集落を発見した。カリブ海の島々にはない大きなものでこれがマヤ文明との歴史的な出会いであった。
そして、上陸して神殿で金製品を見つけてしまった。

この時の船長は、コルドバ(Francisco Hernández de Córdoba, ?-1517年)で、ユカタン半島の発見者として名を残したが、チャンポトン近くでのマヤ人の襲撃で受けた傷でキューバに戻ってから死亡した。

金製品を見つけたスペイン人は、それを略奪するという投資をすることになる。しかも投資は回収しなければならないので信頼できるものでなければならない。
発見者のコルドバは信頼できないので排除され、この失意が死を速めたようでもある。
選ばれたのは、この時の総督ベラスケスの甥グリハルバであり、1518年1月末にサンチャゴを出航した。
結論を急ぐが、グリハルバも約690kgの金を持って帰り、何かがあるという疑問がなくなり確信に変わったようだ。

第三回の探検隊は、メキシコを征服したコルテス(Hernán Cortés, 1485-1547)が登場することになる。コルテスは1518年11月18日にサンチャゴを出航した。

コロンブス本人は、アメリカ大陸に着いたのではなく、インドに着いたと信じて疑っていなかった。
そして、死ぬまで黄金の島ジパング(日本)、さらにはアジアの香辛料を求めてモルッカ諸島にたどり着きたいというロマンを持ち続けた。

コルテスは、1521年8月31日にアステカ帝国を滅ぼしたので、実にあっという間の出来事だった。
そして、征服者スペイン人は、現実的な黄金だけを求め中南米を破壊尽くしたという。

そんな中で、美しく多様な植物は、その美しさを発見してもらうために300年間そこに咲き続けていた。
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No18:プリングルが採取したサルビア その1

2010-10-02 22:59:53 | メキシコのサルビアとプラントハンター
メキシコのサルビアとプラントハンターの物語 No18 

メキシコには300種を超えるサルビアがあると言われているが、プリングルはその三分の一ものサルビアの原種を採取した。ミズリー植物園のデータでは、171種のサルビアを採取し、ダブりを除くと91品種もの採取した標本が残されている。

プリングルは、キュー植物園など米国・ヨーロッパの植物園などに植物標本を販売していたので、これらを付け合せるとメキシコのサルビアの三分の一以上を採取していて、メキシコ原産サルビアの最高のコレクションを残した。
しかし、現在では栽培されていない或いは現存していないサルビアも結構ある。どんなサルビアなのかを説明できないものが結構あるが、可能な限り調べてみようと思い、何回かに分けて記載する。

1.Salvia aspera M. Martens & Galeotti (1844). 

(出典)Robin’s Salvias

このシリーズNo8に紹介したベルギーのガレオッティ(Galeotti, Henri Guillaume 1814-1858)が1840年にメキシコで採取したのが最初で、プリングルは大分遅れた1895年11月にメキシコシティの南方向にあるプエブラ州で採取した。
「サルビア・マドレンシス(Salvia madrensis)」同様に、サルビアとしては珍しい明るい黄色の花で希少価値があるが、あまり普及していないようだ。

ちょっと脱線をしてメキシコ原産の植物と料理の関係を眺めてみる。

メキシコ料理の代表“モーレ”の由来
プエブラは、メキシコシティとベラクルーズを結ぶ幹線上にあり、今ではメキシコ料理の代表的ソース“モーレ・ポブラーノ”の産地として知られる。
プエブラのモーレ発祥の由来は、サンタ・モニカ修道院の修道女が美食家の司教のために作ったソースといわれている。
その材料は、何種類かの唐辛子、トマト、アーモンド、ピーナッツ、クルミ、ゴマ、干しぶどう、チョコレート、パン、トルティージャ(トウモロコシの粉を薄く伸ばして焼いたもの)、タマネギ、ニンニク、コショウ、シナモン、砂糖、ラード、月桂樹の葉など。これらをすりつぶし弱火で時間をかけて炒め、鶏肉の汁で伸ばしソースにしたもの。

この食材の中で、メキシコ原産の野菜・果実は、唐辛子、トマト、トウモロコシ、チョコレートの原料となるカカオであり、ピーナッツは南米アンデスが原産地でありコロンブスがヨーロッパにもたらした。
モーレは、ヨーロッパの調理法と味覚、そして、メキシコ原産の食材が出会って完成した料理でもあるといえそうだ。

2.Salvia ballotiflora Benth. (1833).  サルビア・バロティフローラ

(出典)thedauphins

1833年に英国の植物学者ベンサム(Bentham, George 1800-1884)によって命名されているので、最初の採取者は不明。1848年にグレッグ(Josiah Gregg 1806-1850)、1898年北部メキシコにあるコアウイラ州でパーマー、そして、1900年4月17日にプリングルもコアウイラ州で採取している。
Blue Sageとも呼ばれ、四角い枝で芳しい香りのする60-180cmの潅木。葉はコモンセージのようにギザギザで青紫の花が咲く。乾燥させた葉は、肉類に風味をつけるために使われる。

3.Salvia brachyodonta Briq. (1898).
(写真)プリングルが採取した植物標本

(出典)米国国立樹木園

メキシコ南西部に位置するハリスコ州(Jalisco)の州都グアダラハラ付近の丘陵地の斜面で1889年9月27日にプリングルが採取。
偶然にプリングルが採取したこのサルビアの標本を見つけたが、実物の写真は見つけられなかったので、どんなサルビアなのか良くわからない。

4. Salvia cardinalis Kunth (1818). ≒ Salvia fulgens Cav.(1791) サルビア・フルゲンス
(写真) Salvia fulgens (syn. S. cardinalis)

(出典) Robin’s Salvias

サルビア・カーディナリスは、フンボルト探検隊の植物学者・プラントハンター、ボンプランによって採取され、探検隊の標本を整理していたドイツの植物学者クンツ(Kunth, Karl(Carl) Sigismund 1788-1850)によって1818年に命名された。
プリングルもこのサルビアを1892年9月にメキシコの3000mを越える高地で採取した。
しかしこのサルビアは、1791年にスペインの植物学者カバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745 - 1804)によって「Salvia fulgens Cav.(1791)」と命名されていたので先決めが優先される。

草丈150㎝程度で、大きな真っ赤な花が7-11月まで開花する素晴らしいサルビア。

5. Salvia chapalensis Briq. (1898).  サルビア・チャパレンシス

(出典) flickr.com

サルビア・チャパレンシスは、1892年11月22日にプリングルがハリスコ州にあるメキシコ最大の淡水湖チャパラ湖付近の豊かに茂った峡谷で採取した。これが最初の発見・採取で発見場所の湖の名前を名付けた。
花序を伸ばしそこに濃い目のブルーが美しい花が咲く。

6. Salvia clinopodioides Kunth (1818). サルビア・クリノポディオイデス

(出典)Robin’s Salvias

ヨーロッパ人での最初の採取者は、フンボルト探検隊の植物学者・プラントハンターのボンプランが1800年代の初めに採取していたが、プリングルは、1892年10月11日にメキシコ南西部太平洋岸のミチョアカン州Pátzcuaroでこのサルビア・クリノポディオイデスを採取した。
初期の頃はサルビア“ミチョアカンブルー”として知られていて、9月から渦巻状の半穂に美しいブルーの花が咲く。

(次回に続く)

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