モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

天然の黒メダカを追加

2009-05-31 18:02:56 | メダカ・昆虫
(写真)大小入り混じり仲良くなったメダカたち


瓶の中はメダカの小さな宇宙となっているが、同族化するので今年の新しいメダカを20匹追加した。

いつもだと5月の連休頃にしなければならない作業だが、1ヶ月ほど遅れてしまった。

追加した黒メダカは、天然の黒メダカと書かれていたので川などで生息していたメダカからふやしたのだろう。
三つの瓶に等分に分配しこの冬を生き残ったメダカたちと一緒にした。

既に、子供が生まれているようであり、1㎜程度の子供メダカも親たちに食べられないように逃げ回っていた。

これで、蚊が繁殖することも無くなり安心して庭仕事が出来る。

(写真)新しく追加した黒メダカ
        

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サルビア・パテンス(Salvia patens)の花

2009-05-30 07:52:59 | セージ&サルビア
(写真)サルビア・パテンスの花


昨年は、“自然が創った完璧なそらいろ”と表現したが、的を射ていることを今年も実感した。
ちなみに昨年のコメントを振り返ってみるとこうなる。

パテンシスの花は、サルビアの中ではとても大柄で4~5cmはある。
その巨体をキャンバスに
空の色を思わせる鮮明なブルーでやってきた。

日常見慣れないスカイブルーな色であり、
この花の色を表現するボキャブラリーのなさを痛切に感じてしまう。
非のうちどころのない色と形の調和。

            

ウイリアムス・ロビンソンの自然で野性的な庭
私と同様に感じたかどうかはわからないが、アイルランド生まれのガーデナーで園芸著作家としても世界的に知られているウイリアム・ロビンソン(William Robinson 1838 – 1935)が「英国のフラワーガーデン」1933年版で“園芸品種の中で最も素晴らしい植物のひとつ”とサルビア・パテンスを絶賛していた。

ウイリアム・ロビンソンの絶賛が何故今日でも語り継がれているかを理解するには、彼の庭造りの考えを知る必要がある。
ロビンソンは、様式化された人工的な庭造りを完璧に否定し、自然で野性的な庭造りを提唱し実践した。当時としては革命的な発想のようで、イタリア庭園、フランス幾何学庭園などの形式化された人工的な庭を嫌った。
ロビンソンが実践したのは、①ロックガーデンに高山植物を使う。 ②裸の土が見えないように多年生の植物とグランドカバーで庭を覆いつくす。 ③耐寒性の多年草と野生の自生している植物(原種)を使う。 ④自生しているように多年生植物の大きなかたまりをつくる。
などで、日本庭園を見慣れている現代の我々にはどこが革命的なのかピンと来ないが、東京駒込にある「旧古河庭園」の庭園入り口すぐにある洋風庭園を否定し、奥にある日本庭園を推奨していると解したいような気がする。

「旧古河庭園」を素晴らしいと感じたのは、ロビンソンが否定しそして推奨する対極的な新しい庭があるがゆえにこのギャップが素晴らしいと感じたことに改めて気づかされた。

ヨーロッパでは、野生の植物を庭に取り込む考え自体が新しく、その提唱者がサルビア・パテンスの花を賞賛し、この考えが今でも支持されているということだろう。

サルビア・パテンスは、大きな花を咲かせるがゆえになのか花数が少なく、1-2日で落花する。耐暑性に強くなく夏場は半日陰の場所が望ましい。しかも少し湿り気味の土壌が良い。
開花期は初夏から秋までと長いが、夏場は無理に花を咲かせないように、開花後の枝は切り落とした方が良い。
耐寒性はある程度あるはずだが、一昨年の株からさし芽で作った株が今年の冬にダメージを受け全滅してしまった。いま咲いている株は、三代目にあたる。

(写真)サルビア・パテンスの立ち姿
        

サルビア・パテンス(Salvia patens)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がある多年草。
・学名は Salvia patens Cav. 。英名はゲンチアンセージ(gentian sage)、和名ソライロサルビア
・原産地はメキシコ。
・耐寒性は強いが耐暑性は弱い。梅雨の時は花を出来るだけ雨に当てない、夏場は風通しの良い半日陰で育てる。
・草丈50~60㎝
・開花期は6~10月、大柄なブルーの花が数少なく咲く。
・夏場は無理に花を咲かせないようにすると秋に咲く。


サルビア・パテンスの歴史
メキシコ原産の花であり、英名でのゲンチアン・セージ(gentian sage)は、リンドウ色をしたサルビアということだが、1838年に園芸市場に登場したようだ。この説は、「The New Book of SALVIAS」に書かれていて、Web上ではこの引用が多く出典がよくわからない。

ミズリー植物園のデータベースに記録されているコレクター(発見・採取者)で最も早いのは、1863年に場所は不明だがメキシコで採取したエンゲルマン(Engelmann, George 1809–1884)で、パリー(Charles Christopher Parry 1823-1890)とパルマー(Edward Palmer 1829 - 1911)のパーティは1878年にSan Luis Potosíで採取している。

ということは、謎の或いは空白の25年間がある。

エンゲルマン、パリーはメキシコ原産のサルビアで何度が登場しているが、パリーの植物学の師匠の一人がエンゲルマンで、サルビア・グレッギーを発見したグレッグが太平洋までのルートを開拓するための探検で採取した植物を送ったのがエンゲルマンでもありミズリー植物園を創設した人物でもある。
<参照>
グレッグ、エンゲルマンに関しては:チェリーセージ②:サルビア・グレッギーの花
パリーに関しては:チェリーセージ③:S.ミクロフィラ“ホットリップス”の花と発見者のストリー

明快なのは命名者であり、サルビア・パテンスの原産地メキシコの宗主国スペインの植物学者Cavanilles, Antonio José(Joseph) (1745-1804)に献じられている

カバニレスは、僧侶でもあり、ラテンアメリカ、西インド諸島、オーストラリアの多数の植物の命名者となる。彼が命名したものは、パテンスのように「Lamiaceae Salvia patens Cav.」で“Cav.”と表記される。

パリ(1777-1781)での滞在の間に、彼はフランスの植物一家として著名なジュシュー家のロラン・ド・ジュシュー(Laurent de Jussieu 1748-1836)と勉強を一緒にしている。
ジュシューは、リンネの植物分類体系をより自然に近づけた「自然分類」を発表した。発表年がフランス革命の1789年であったため「植物学革命の書」とも呼ばれた。

パリから帰国後の彼は、メキシコ原産のダリアを1791年にヨーロッパで初めて開花させたことでも知られていて、1801年にマドリッドの植物園の責任者になり1804年に亡くなった。
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マルバストルム(Malvastrum)の花

2009-05-29 07:59:17 | その他のハーブ
(写真)咲き始めたマルバストルムの花と葉


南アメリカのアルゼンチン、ウルグアイ原産の「マルバストルム」。
日本でも最近販売されるようになり、乾燥に強く耐寒性があるのでロックガーデン、ハンギング、日当たりが良いベランダなどでの鉢もの栽培に向いている。

葉は一年中常緑で、草丈10cm程度で茎が横にパノラマ的に伸張するので、下に垂らすハンギング、上に持ち上げる提灯的な仕立てが楽しめる。
地植えの場合は、茎が土についたところから根が出るのでグランドカバーともなるので意外と重宝な植物かもわからない。茎は数メートルも伸びるようなので、伸びすぎに注意が必要だ。

花は、5月末から開花し初夏を淡いサーモンオレンジの花が彩り、その花びらにはしわがあり、薄く透けるような質感と淡い色合いがマッチしている。
特に、つぼみから開花する直前は、一重のローズのようでもありこれはこれでなかなか美しい。

花、葉の印象は、アオイ科の植物だけに「コモンマロウ」などの仲間であることがなんとなくわかる。
「コモンマロウ」は、マルバ属(Malva)和名ではゼニアオイ属に属し、“Malva”は、やさしい、和らぐ、柔らかいなどを意味するギリシャ語“maluke”から来ており、「マルバストルム」はこの特徴を受け継いでいる。

若葉・花はサラダなどで食することが出来るようだが、何故かしらアオイ科の植物は食べてみようという気にはなれない。葉がおいしそうに見えないせいなのだろうか?

育てる時の注意点は、日当たりの良いところで育て、水をあげすぎないことだけのようで、これはありがたい性質でもある。

(写真) ローズのようなマルバストルムのつぼみ


マルバストルム(Malvastrum)
・アオイ科マルバストロム属の耐寒性がある多年草。
・学名は、Malvastrum lateritium G.Nicholson(マルバストロム・ラティリティウム)
・原産地は南アメリカ、アルゼンチン・ウルグアイ。
・開花期は5-7月、1-2日花で透けてとおるようなサーモンオレンジの花が咲く。
・草丈10-15cmで横に広がる
・過湿に弱いので水はけのよい土で乾いたら水をやる。梅雨時は雨に当たらないところで管理。

命名者
ニコルソン(Nicholson, George 1847-1908)は、イギリスの植物学者で、キュー王立植物園の学芸員を務め、彼の著書「ガーデニングのイラスト入り辞典(The illustrated dictionary of gardening)」(1880-1884出版)はこの時代の名著のようだ。
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ルッコラ、又はロケットの花

2009-05-28 07:18:23 | その他のハーブ
(写真)ルッコラの花


イタリア料理とともに普及したルッコラ(Rucola)。英名ではロケット(Rocket)或いはガーデンロケット、サラダロケットとも呼ばれる。

原産地は地中海沿岸地帯で、オリーブと一緒の地域で野原・オリーブ畑の下草として自生していた。このルッコラは、古代ギリシャ・ローマ時代から利用されたハーブで、この頃は属名となっているエルーカ(Eruca)と呼ばれ、スープに入れたり、生野菜として食していたという。

ロケットという呼び方は、1900年代の初期からであり、その後にガーデンロケット、そしてサラダロケットが使われるようになった。

ビタミンCが豊富で消化を促進するので、サラダや肉料理のツケあわせとして使われたり、ピザのトッピングとしても使われている。ゴマの風味とピリッとした辛味がメインを引き立てる。

栽培は、日当たりが良く水はけがよい肥料分が多い土壌で栽培するといたって簡単に育てることが出来る。
ルッコラの花は、アブラナ科に共通の花びらが4枚で十字型のクリーム色の花が咲く。花弁には紫色の脈が入っていて中央は黄みがかっている。

花が咲くと葉は硬くなり美味しくなくなるので、サラダ派は花穂を摘み取るのが良いようだが、来年のタネをとるために少しは残しておきたい。比較的容易にタネが取れ、こぼれダネでも芽が出るようなのでサラダコンテナでの寄せ植えに適した一品でもある。


ミズリー植物園のデータベースを見ていて面白いことに気づいた。
ルッコラは、地中海性気候で自生する植物なので、中南米・メキシコなどにもこの気候地帯がある。
1700年代後半から北米、メキシコなどにプラントハンターが目を向けるようになり探検をするようになった。チェリーセージの一種「サルビア・グレッギー」を発見採取したグレッグ(Josiah.Gregg 1806-1850)、「サルビア・ミクロフィラ」「サルビア・ムエレリ」「ジャーマンダーセージ」を発見採取したパリー(Charles Christopher Parry 1823-1890)達もこの「ルッコラ」を採取していた。
グレッグは、1848年にメキシコ・Coahuilaで、パリーは1878年に同じメキシコのSan Luis Potosíでルッコラの亜種を採取していた。

(写真)ルッコラの葉と花
        

ルッコラ、又はロケット
・アブラナ科キバナスズシロ属の耐寒性は普通の一年草。
・学名は、Eruca vesicaria (L.) Cav. subsp. sativa (Mill.) Thell.
・イタリア語ではルッコラ(Rucola)、英語でロケット(Rocket)ガーデンロケット(Garden Rocket)サラダロケット(Salad Rocket)とも呼ばれる。和名はキバナスズシロ。
・原産地は、地中海沿岸地帯から西アジア。野原、オリーブ畑、石の多い丘陵地などに自生。
・草丈50-100㎝、タネをまいてから50日目から収穫できる。
・葉にはビタミンCが多く含まれ、ゴマの風味と辛味がありイタリア料理などのサラダに利用される。サラダなどに利用する場合は、花が咲くと葉が硬くなり株も老化するので花を摘み取るとよい。
・開花期は秋まきが4-5月、春巻きが6-7月。花はクリーム色でアブラナ科に特有の花びらが4枚で十字型をしている。花弁には紫色の脈が入っていて中央は黄みがかっている
・耐暑性は強いので日当たりと水はけのよい土壌で育てる。
・タネを取るのは茶色に熟した秋に収穫する。
・タネをまく時期は、春まきが3-6月、秋まきが9-10月。

命名者
1.Cavanilles, Antonio José(Joseph) (1745-1804)
カヴァニレスは、18世紀のスペインの著名な植物学者、1801年からはマドリッド王立植物園の園長で、メキシコ原産のダリアを1791年にヨーロッパで初めて開花させたことでも知られている。また、ジャーマンダーセージ、メキシカンブッシュセージの命名者でもある。
2.Miller, Philip (1691-1771)
ミラーは、スコットランドチェルシーガーデンの主任ガーデナーで、「The Gardener's Dictionary"」(1731)は、植物学者・ガーデナーにとって18世紀の優れた著作であり、アンドレー・ミッショーも1785年に北アメリカの探検に出かけるときにこの本を持っていった。
3.Thellung, Albert (1881-1928) スイスの植物学者

<参考>ルッコラを使った簡単なフランス料理
「サーモンのムニエルとケッパーソースきのこ添え」
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オリーブ(Olive)の花 と前田正名の志

2009-05-27 09:10:47 | その他のハーブ
(写真)オリーブの花


ちょっとしたオリーブのブームのようだ。
平和を求めてなのか、常緑樹として評価されたのか、理由はわからないが近所でもオリーブの苗木を買ってきて、実がなることを楽しみにしている。

しかしその前に花が咲かなければならないが、去年の新芽の枝に花がつくということと、自家受粉しないので他に花が咲くオリーブがないと果実が出来ない。
近所でたくさんオリーブが育つようになると実がなる可能性が高まるので、ブームはありがたい。

昨年初めて花が咲いたが、果実は出来なかった。
開花後に枝を剪定したので、今年は驚くほどたくさん花が咲き、弾力性がある細い枝がたわむほどだ。
オリーブの花は、あまりにも小さい花で肉眼では良くわからないが、4枚の白い花弁と黄色のしべが一つの花序に50-60個もつき、その花序が無数にあるので、一本の木に一体何個の花が咲くのか、そして果実となった時には・・・と考えると急に眠くなる。

オリーブにふれた男、前田正名
前田正名(まえだまさな1850-1921)は、江戸末期に薩摩藩の漢方医師の家に生まれ、彼が19歳の1869年(明治2年)に和訳英語辞典編纂で知り合いとなった大久保利通、大隈重信の計らいでフランスに留学する。1877年に帰国するがこの時ヨーロッパの植物(草花、果実、野菜)の種・苗を持って帰った。

明治維新の素晴らしさはここにある。つまり、日本開国により未体験の世界に入ったので有為な若者を育てることによって日本が成長するというタネをまいたところにある。明治政府は、当然資源が少ないので、昨今の100年に一度といっている未曾有の経済危機対策としての補正予算のようにバラマクわけにはいかない。しかし何も手を打たないわけにはいかない。前田正名は相当な期待をかけられていたことになる。

帰国後の前田の活躍を簡単に見ると、種苗を持って帰ったので1877年三田育種場長、1879年大蔵省入省、1888年山梨県知事、1889年工務局長・農務局長就任、1890年青年の頃の長崎語学塾同窓生の陸奥宗光が農商務大臣に就任したので農商務次官を辞任し40歳で官界を去る。

この間、前田は日本の殖産興業・地域の活性化をプランニングし、農業の産業化先進国フランスから学んだ日本版を実践もしている。三田育種場長としての育種事業の振興、山梨県知事の時には甲州ブドウ栽培を振興しており今日まで脈々と続いている。

前田の座右の銘は、 『物ごと万事に一歩が大切』ということであり、いつの時代にも通じる含蓄のある言葉だ。
特に、地方の資源の産業化に貢献し失敗もした前田の哲学でもあるようで、彼から我々が学ぶ、未来を透視する重要なキィーワードとなりそうだ。

前田の意思は、北海道阿寒の阿寒前田一歩園として残り、現在は、「財団法人 前田一歩園財団」として自然保護などの社会貢献活動を行っている。
一歩園は、『物ごと万事に一歩が大切』から来ているが、阿寒湖畔の優れた景観に感銘した前田が「この山は伐る山から観る山にすべきである」と言ったところにも景観・自然を保護する財団の出発点がありそうだ。

そして何よりも素晴らしいのは、前田の意思を発見し財団として継承した三代目の前田光子とその家族だろう。遺産相続の争いをすることも無く、家の財産を社会に還元した前田家は素晴らしいと思うにいたった。

長崎の語学塾で同窓だった陸奥宗光の「旧古河庭園」もすばらしいと思ったが、前田のほうがもっとスケールの大きい庭園を持っていたことに気づかされた。二人の関係を調べないで断言は出来ないが、この世界観の違いが、大臣・次官の関係を続けられなかったのだろう。或いは、前田が陸奥を見切って官界を去ったのだろう。

オリーブの木は、大蔵省に入省した1879年に前田が輸入して日本の地に根付かせ産業化しようとした。『物ごと万事に一歩が大切』という哲学を持つ前田は、日本に平和をも根付かせようとしたのだろうか?

(写真)たくさん咲いた平和を象徴するオリーブの花
        

オリーブ(Olive)
・モクセイ科オリーブ属の半耐寒性の常緑高木。
・学名は、Olea europaea。英名、和名ともOlive(オリーブ)。
・原産地は、アフリカ北部、小アジアといわれているが不明。
・地中海沿岸を代表する果樹
・開花期は5~6月で白い小さな花が咲く。
・樹高は7m以上と高木。鉢植えで高さを調整する。70~100cm程度に調整。
・日当たりが良く、土壌は渇き気味で水はけのよい土。
・乾燥には強いが、高温多湿を嫌う。
・根が浅くもろいので強風に弱い。
・苗から育てた場合は、花がつくのは4~5年かかる。
・また、冬の寒さにさらさないと花芽がつかないので、室内に取り込まない。
・成長が遅いが百年単位での長寿の木。

            

<Contents of the last year>
オリーブの栽培
オリーブは、難しく言うと“自家不和合性”が強いので、自家受粉しない。
DNAが異なるほかの木の花粉が、風か虫によってもたらされて受精するという。
が、これまで花を見たことがない。
ましてや、実がなった姿を見たこともない。

この疑問が一気に解決した。

疑問1:オリーブの実がならない。
→ 自家受粉しない。オリーブ1本だけではだめで、同時に2本以上育てる必要がある。

疑問2:オリーブの花が咲かない
→ 今年の新芽から出た枝に来年の花がつく。ということは収穫後か花の後に剪定する。

オリーブの歴史
有史以前からオリーブの野生種があったようだ。
そのためか原産地がよくわからないが、小アジアから地中海沿岸の地域へフェニキア人、ギリシャ人、ローマ人の活躍の歴史とともに広がっていったという。
ツタンカーメン(紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)の墓にもオリーブの枝があったというので、地中海沿岸を南ヨーロッパコース、北アフリカコースの2方向で広がっていったようだ。

日本には、1862年(江戸時代の文久2年) 幕府奥医師・法眼の林洞海(はやしどうかい1813-1895)がフランスから苗木を輸入し横須賀に植えたのが始まりといわれている。
本格的な栽培は、明治になってからであり、“殖産興業”のプランを描いた鹿児島出身の前田正名(まえだまさな1850-1921)が、パリ万国博の事務館長を務めていたフランスからオリーブの苗木を1879年に輸入し、自分が開設した三田育種場及び神戸の付属植物園で栽培を始めた。
しかし、長続きはしなかった。

現在では、小豆島のオリーブが有名だが、このオリーブは、1908年(明治41)アメリカから輸入され、小豆島だけが栽培に成功したというほどであり、オリーブの花を咲かせ、実をつけるのは難しい。
ということがわかり納得した。

兵庫県神戸市中央区に楠木正成を祭る湊川神社(みなとがわじんじゃ)がある。ここには、1879年(明治11)にパリ万国博覧会日本館長前田正名がフランスより持ち帰ったオリーブの日本最古の樹があるという。

野生種から栽培種が創られ、いまでは、500種以上もあるという。
我が家のオリーブの品種を確かめようとしたがめまいを覚えてしまうほどだったので、
あまりの品種の多さに驚いてしまった。

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宿根イベリスの花

2009-05-26 09:16:42 | その他のハーブ
(写真)宿根イベリスの花('09.05.25)


この花は面白い。
小さい白い花がいくつか咲いて円を作り、大きな花となる。
その一つの小さな花は、4枚の花びらだが、外側の2枚が大きく、内側の2枚が小さい。
だから円を作れる。

イベリスは一年草だが、宿根イベリスは耐寒性がある多年草。
英名では、ペレニアル・キャンディタフト(Perennial Candytuft)と称され、キャンディのような房(ふさ)の花ということでついた名前ではなく、この花の原産地でもあるクレタ島の古名Candiaから来ているという。

花も葉も小さく、背丈も10cm程度の全てが小さい植物だが、宇宙を描くように集合と分散し、軌道上に集合した花が浮かんでいるようだ。

亜高山植物のようであり、乾燥した岩地で生育しているので太陽の陽を好み過湿を嫌う。
匍匐するように横にゆっくりと広がるので、ロックガーデンにあっている。

(写真)宿根イベリスの花('09.05.23)


宿根イベリス
・アブラナ科イベリス属の耐寒性がある多年草
・学名は、Iberis sempervirens.L.(イベリス・センペルヴレンス)。属名は原産地スペインの古名イベリア(Iberia)に由来し、種小名は、ラテン語で“常緑”を意味する。
・英名はペレニアル・キャンディタフト(Perennial Candytuft)、Evergreen Candytuft。和名はトキワナズナ(常磐薺)
・原産地は、南ヨーロッパから北アフリカ 西アジア。
・草丈10cmで葉が細かく横に広がる。
・開花期は5月から
・5㎜程度の花びらが4枚の白い花が咲く。外側の2枚が大きく内側が小さく、この花が円状をつくり2cm程度の大きな花を形成する。
・亜高山植物に相当し、乾いた山麓、岩肌などに自生する。過湿は根をいためる。
・半日陰では花が咲かないことがあるので日当たりが良いところで育てる。
・地面についた枝から根が出て匍匐状にゆっくりと広がる。

リンネ以外の命名者
バーマン(Burman, Nicolaas Laurens 1734-1793)オランダの植物学者
マリアノ(Lagasca y Segura, Mariano 1776-1839)スペインの植物学者
パラス(Pallas, Peter(Pyotr) Simon von 1741-1811)ドイツの動物学者
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吉祥寺「ふらんす亭のレモンステーキ」 と オークス

2009-05-25 08:29:07 | グルメ
東京は広いと実感した。
かみさんの小学校の同窓会があるというので送り迎えで吉祥寺に行ったが、
片道3時間、待ち時間3時間、帰りに3時間の合計9時間もかかった。

待ち時間はオークスの馬券を買いに新宿に戻り、この往復で1時間ちょっとかかった。
検討する時間はわずかに10分足らずで、エイヤと買ってしまった。

吉祥寺に戻り、本日の一食目を食べるためにウロウロと探し回った。
気分としては、1時間ちょっと残っているので、ビールを飲みながらゆったりと食事が出来るところを探し回った。しかも、食後にはタバコが吸える店が望ましい。

ちょうど3時から競馬中継がはじまるので、オークスの頃はタバコが吸える時間となる。

久しぶりの吉祥寺だったが、人気の街らしく若者であふれていた。
新型インフルエンザの影響は大分薄くなったという実感だったが、まばらにマスクをしているヒトにも出会った。

(写真)肉屋に向かってのものすごい行列
        

そしてこんな行列にもであった。
多分、一個120円のコロッケを買うための行列なのだろう。
並ぶほどの時間も無く、何の行列かを聞く余裕もなく、のちのために写真だけを撮りさらに歩き回った。

ジイ様が、競馬中継を聞きながら食事をする店はなかなか見当たらず、しょうがないから伊勢丹の地下のレストラン街にでもするかと諦めたが、まてよ、このままではいかん! と気を取り直し、メイン道路を外れた小路に入ったら、気になる店が目に入ってきた。

目を引いたワードは「レモンステーキ」。
酸味の利いたソースがかかったステーキなのだろうがこれも悪くない、ビールとあいそうだ。
ということで、ふらんす亭の「レモンステーキ」を食べることにした。

(写真)ふらんす亭のレモンステーキと名物のカレーの小鉢
 

すきっ腹に不味いものはない。美味しいものを食べたかったら、すきっ腹にすることが間違いない条件だが、これを抜きにしても「レモンステーキ」はこの店の看板だけあって美味しかった。

ちょっと甘みがある酸っぱさと醤油ベースの濃くのあるソースと薄くスライスした牛の肩肉のステーキ。 脂っぽさを酸味で消し、肉の硬さを薄いスライスで逃げた「レモンステーキ」は、ビールに最高のつまみだった。

ライスは、カレーをかけて食べたが、牛肉カレーというよりもシチューに近く、カレーとしてはさほどでもないが、シチューライスとしてはそこそこだろう。

全体的に若者向きの脂っぽさと濃くがあったが、ビールのつまみとしては新鮮な味でもあった。

こんな調子だから、気になる競馬中継の方は、イヤフォーンで聞いていたが頭に入らず、レッドディザイアと追い込んだブエナビスタがゴール前で競っていて、1着か2着かは写真判定になった。
「わずかにブエナビスタが優勢か?」というアナウンサーの言葉を最後にプチッと切れてしまった。
しまった電池を換えてなかった! と後悔したが後の祭りだった。
3着は何がきたのだ? というところも気になったが、本日は“THE END”でした。

まあ~「レモンステーキ」に出会っただけでもいいか?
という慰めでかみさんをピックアップし3時間かけて帰宅した。

オークスの結果は、三連単で二番人気が入り、投資額は回収できなかったが不本意ながら取っていました。エイヤッと考える間もなく買ってしまったので、その中に紛れ込んでいた。
電池が切れ写真判定の結果が出た瞬間の感動が無かったせいか、いまいちリアリティが無く何かの間違いではないかとも思ったりしている。
しかし、身体には疲れが残っていてグッタリだった。東京は広いし、かみさんと行くと疲れる。これだけはリアリティがある。

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カンパニュラ、セルビアン・ベルフラワー(Serbian bellflower)の花

2009-05-24 07:50:21 | その他のハーブ
(写真)脱走したセルビアン・ベルフラワー


鉢で育てているとはいえ、この狭い空間から脱走する植物がいる。

ハート型の葉が根元からいくつも出ているのをヤマボウシの木下で見つけた。
葉の形と生え方から考えられるのは、「スイートバイオレット」だが、花が咲いてから「セルビアン・ベルフラワー」だとわかった。

多少がっかりしたが、どうやって脱走したのだろうかという興味がわいてきた。しかも、メダカの瓶の陰に隠れるように半日陰の適地を選んでいるので、意思を持って選択したとしか思えない。(実際は、半日陰の適地に着地したものだけが芽を出したのかもわからないが・・・)

(写真)ランパニュラ、セルビアン・ベルフラワーの花


バルカン半島セルビアの冷涼で乾燥したところが原産の「セルビアン・ベルフラワー」は、5月末から夏中ラベンダー色の花を咲かせる。
匍匐性があり繁殖力は旺盛で、風通しが良い半日陰であれば日本の夏でも十分に乗り越えられる。

カンパニュラ=セルビアン・ベルフラワー(Serbian bellflower)
・キキョウ科カンパニュラ属(和名ホタルブクロ属)で耐寒性がある多年草。
・学名はCampanula poscharskyana Degen (カンパニュラ・ポシャルスキアーナ)。
・属名のカンパニュラはラテン語で“Campana=鐘”の意味であり、花の形から来ている。ヨーロッパでは古くから栽培されている花で、夏の冷涼で乾燥した気候を好む特徴がある。
・種小名は19世紀のオーストリアの植物学者ポテンシュログ(Franz Elder von Portenschlag-Ledermayer 1772-1822)の名前を冠している。
・英名は Serbian bellflower(セルビアン・ベルフラワー)、Trailing bellflower、和名はホシキキョウ。
・原産地は北部バルカン半島(Croatia, Bosnia, Herzogovina)。
・草丈は10~15cmでほふく性があり横に広がる。
・開花期は5~10月と長期間咲く。花は、5枚の花弁が星のように広がる美しいブルー。
・雨に弱く、涼しい気候を好むので夏場は風通しが良い半日陰が適している。
・増やし方は、秋に株分けをする。

命名者:Degen, Árpád von (1866-1934)

            
 
「セルビアン・ベルフラワー」の命名の由来
カンパニュラ属には300以上の種があり、リンネはこれを40の属に分類した。そして、この「セルビアン・ベルフラワー」に最初に名前をつけたのは、オーストリアの植物学者ポテンシュログ(Franz Elder von Portenschlag-Ledermayer 1772-1822)で、Campanula muralisと命名した。

あまりにも多くの品種が混じっているので、再分類で名前を変えたのは、オーストリアの植物学者でポテンシュログと同世代のJohann Jacob Roemer (1763 – 1819)とJosef (Joseph) August Schultes(1773-1831)で、ポテンシュログの名をとってCampanula poscharskyanaと修正した。この二人は「リンネの体系野菜16版」を出版している。

後に、Campanula muralisとCampanula poscharskyanaは同種であることが確認され、1908年にハンガリーの植物学者Degen, Árpád von (1866-1934)が学名として確定した。彼にはアルプス山脈の植物相を調べた「Icones florae Alpinae plantarum」(1911年出版)の共著がある。

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サルビア・ウリカ(Salvia urica)の花

2009-05-23 08:24:42 | セージ&サルビア
株が古くなると生育が悪くなるので、一昨年さし芽で新しい株をつくった。
昨年立派に花開いたが残念なことに冬を越すことが出来なかった。霜でやられたのか冬場の過湿で根ぐされしたのかどちらかだろう。
サルビア・セージの定番の一つなので、今年も新しい株を入手したが早くも開花した。

(写真)サルビア・ウリカの花


「ウリカ」は初夏を告げる花で、春の終わりの目安となる。また暑い夏には長い夏休みをとり秋の兆しを感じると二度目の開花をする。
こんな季節の変わり目を知らせてくれるので、いわゆる季節の兆しアンテナとなる。

しかし「ウリカ」の花の命は短く二日程度で散ってしまう。が次から次へと咲くので見ごたえがある。

枝ぶりは直立に伸びないで斜めに延び100cm以上の大きさになるので、咲き終わった枝をカットする際には思い切ってカットし、元気な枝をさし芽で使用するとよい。
コンパクトに育てる場合は、開花前の5月初旬に一回摘心をしておくと良い。

真夏には、暑さに耐え切れないためか、夏休みをとる。この時期は、半日陰で水を切らさないように大事にすると、そのご褒美としてか涼しくなると又花をつける。

            

サルビア・ウリカの歴史
「サルビア・ウリカ」は、メキシコ・グアテマラ・ホンジュラスの暖かく湿った山腹に自生し、美しいディープ・ブルー・バイオレットの花を咲かせる。この美しさに気づいたのはつい最近のことで、1939年にエプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)が新種として命名・登録したというから、1900年代になって発見されたのだろう。

エプリングは「サルビア・ムエレリ」の命名者でもあり、「ムエレリ」と同じように誰が最初に採取者したかはわからない。

「ムエレリ」「ジャーマンダーセージ」そして「ウリカ」とも中南米原産の美しいブルーの花が咲くサルビア・セージだが、薬効があるハーブでないと見向きもされない時代が長く続いたためか、気にもされないで山野・草原にただ咲いていた時間が長かったとしか考えられない。

野に咲く雑草の美しさが発見されたのは20世紀になってからといっても良さそうだ。サルビア・セージの多くは野に咲く雑草であり、品種改良された園芸品にない洗練されていないけど生きかたが明快で雑な魅力がある。

とはいえ、雑草も自然交雑するので氏素性・由来に関しては謎がまだありそうだ。
「ムエレリ」の氏素性が疑問になっており、この「ウリカ」も同じような状況にあるかもわからない。

「ウリカ」が日本にいつ入ってきたか定かではないが、現時点でもポピュラーではないようだ。これは日本に限らず世界的にもまだポピュラーでないのかもわからない。なるほどと感心する情報が少ないことからも想像できる。

審美眼は人によって異なるが、育てるのがさほど難しくはなく、深いブルーの美しい花は、晩春から咲き、夏休みをとって暑さが過ぎ秋の気配とともにまた咲き始める。
美しいだけでなく、休むことの大切さを気づかせ、こころのケアーに役立つ花でもある。

(写真)サルビア・ウリカの葉と花
        

サルビア・ウリカ(Salvia urica)
・シソ科アキギリ属の耐寒性がない多年草。
・学名は、Salvia urica Epling。英名はブルーブッシュセージ(Blue Bush Sage)。
・原産地は、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラスの暖かく湿った山腹で自生。
・草丈は50cmぐらいで株張りが50cmと旺盛。
・耐寒性が弱いので強い霜に当てないようにする。
・日あたり、水はけの良い肥沃な土で、あまり乾燥させないように育てる。
・夏場は風通しの良い半日陰でそだてる。
・開花期は初夏と秋で、5月末~6月、9月~10月で夏場は休む。
・10~20cmぐらい育ったところで、摘心(1~2回)を行い枝を増やす。
・株が古くなると弱くなるので、3年目ごとにさし芽で増やす。

命名は、エプリング(Epling, Carl Clawson 1894-1968)が1939年に命名。

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ラムズイヤー(lamb's ears)の花

2009-05-22 08:24:14 | その他のハーブ
(写真)ラムズイヤーの花


ラムズイヤーの原産地は、コカサス山脈を中心にトルコからイランに向かって、乾燥した冷涼な地に生息する。

水分を蓄積するためにサボテンのような硬質な葉があるが、ラムズイヤーは、フェルト或いはバックスキンのような柔らかい毛で覆われた厚めの銀白色の葉を持ち、古には傷口をおさえる包帯として使われたともいう。

花は5月末から咲き始め、1㎝程度のピンクの花がネックレスのごとく花穂を飾る。色彩感に乏しい荒涼とした地では、一粒の宝石のような輝きをするのだろう。

高温多湿を嫌うので、梅雨の時期には雨のあたらないところで育て、風通しを良くするように密集した葉・茎を取り除く。
冬場は耐寒性があるので戸外でも育てられるが、根元をマルチングして霜に直接当たらないようにする。

最近では、コンテナ栽培や庭の色彩をコーディネイトする時に欠かせない色合いであり、葉の色が灰緑黄色の美しいプリムローズヘロン(Primrose Heron)など園芸品種が結構あるので、庭をコーディネイトする時に検討すると良さそうだ。

(写真)ラムズイヤーの葉と花
        

ラムズイヤー(lamb's ears)
・シソ科スタキス(和名イヌゴマ)属の耐寒性がある多年草。
・学名はStachys byzantina K.Koch (=Stachys lanata )。英名Lamb’s ears、和名ワタチョロギ、別名スタキス。
・原産地は、西アジアからコーカサス(イラン、トルコ、アゼルバイジャン、アルメニア)
・草丈は30センチでほふく性があるので横に広がる。
・花は、5月末―秋までで桃色の小花が穂に付く。
・湿気・夏場の直射日光に弱い点を注意。梅雨の時は屋根下に、夏場は風通しの良い半日陰或いは西日の差さないところで育てる。
・耐寒性は強いので、霜が当たらないところであれば戸外でもOK。

命名者 1849年にドイツの植物学者コッチ(Koch, Karl(Carl) Heinrich Emil (Ludwig) 1809-1879)により命名される。

            

<Contents of the last year>
ラムズイヤーの歴史
ラムズイヤーの属名スタキス(Stachys)は、ギリシャ語のStachusからきており、“穀物の穂(ear of grain)”或いは“穂(a spike)”を意味して、穂のようにのびる花序に花がつくところから名付けられた。
チョッとわかりにくいが、穀物でも、ムギなどではなくトウモロコシなどの穂とすると感じがつかめる。

このラムズイヤーは、K.Kochによって1849年に採取され学名が命名されたので、
Lamiaceae Stachys byzantina K.Koch と表示されているが、Karl Heinrich Emil Koch (1809 – 1879)は、ドイツの植物学者でラムズイヤーの原産地であるコーカサス地域での植物採集で著名で、彼の採集した植物コレクションは残念ながら大部分失ったようだ。

彼は、博物学者&南アメリカの探検でも著名なフンボルトの実兄が1810年に設立したFriedrich Wilhelms Universitat・現ベルリン大学の教授に1847年からなり、その後、ベルリン植物園、ベルリン園芸協会などで要職をも務めた。

ちなみに園芸協会は、植物への関心が浸透した1800年代初頭にロンドンから始まった。
その園芸協会を生み出す原動力は、“コーヒーハウス”に集まった園芸の趣味人だった。“コーヒーハウス”といえば、フランス革命だけでなく、協会・学会・メディア・保険など‘近代’を産み出す基地となった。

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