彦四郎の中国生活

中国滞在記

媽祖(まそ)列島のこと、日本への帰国—故郷への湖西路・北陸路は今、昼は咲き夜は恋いつつ眠る、合歓(ねむ)の木の花街道

2024-07-10 10:06:08 | 滞在記

 7月3日(水)、中国福建省福州の台湾海峡に面した福州空港より、日本の関西空港に向かう厦門航空の飛行機が離陸した。離陸して4~5分くらい経過しただろうか。飛行機の窓から島々が見え始めた。台湾が実効支配する媽祖(まそ)列島の島々のようだ。(※中国政府は、福建省福州市に属する島々としている。)

 この媽祖列島は5つの大きな島と、他に30余りの小島からなる列島。台湾からは一番遠い島々で、台湾本島から約200kmも離れている。(※台湾の台北の空港からこの媽祖諸島の空港までは約50分を要する。)そして、私が暮らす福州市の連江(中国大陸)からは、列島の最も近い島では10kmしか離れていない。(※福州空港のすぐそばだ。)

 中国と台湾との政治的・軍事的緊張関係が続く中、飛行機からこの媽祖諸島を眺めると、改めていろいろな思いが交錯する。厦門航空の福州➡関西空港の飛行機は、高度を上げて、尖閣諸島付近の東シナ海上空を航行し日本の五島列島や九州北部、瀬戸内海上空を経由して、3時間ほどで関西国際空港に着陸した。

 日本に久しぶりに一時帰国して、7月5日(金)、京都市内の銀閣寺近くに暮らす娘の家に行き、孫たち3人に中国からのいろいろな土産物を渡した。夕方、市内の六曜社珈琲店に行き喫煙しながら京都新聞を読む。新聞の一面には、「府内の留学生過去最多1万7743人—コロナ前より2割増/円安で欧米よりも割安」の見出し記事が掲載されていた。(※この数字は約1年前の2023年5月時点での、京都府内の大学・短大・専門学校・日本語学校に在籍している留学生数とのこと。)

 記事によると、1万7743人の留学生のうち、➀中国9062人、②韓国1653人、➂ネパール1637人がベストスリーで、他に東南アジアの国々(ベトナム、インドネシア、タイ、ミャンマーなど)やスリランカなどが続くそうだ。私が暮らす中国からの留学生は、府下の留学生の約51%を占めているが、この比率はコロナ前の約44%よりも高くなっている。中国も再び日本への留学希望者が増加しているようだ。

 六曜社珈琲店を出て、近くの丸善書店にて1時間余りを過ごす。夕方の7時半頃、日も暮れかかった先斗町の通りを歩く。欧米系の外国人観光客も多いが、中国系の親子連れ観光客もよく目にする。7月3日の厦門航空関西空港行の機内でも、親子連れがたいへん多かったが、中国の小中高校は6月29日(土)から約2カ月間の夏休みに入っているからだろう。

 6月15日付のyahoo Japanのインターネットニュースサイトでは、「中国の夏休み"日本へ旅行"が人気  有名大学を巡る"子どもの学び"ツアーなど」という見出し記事が掲載されていた。記事には、「中国最大級の旅行予約サイトによりますと、今年7月から8月の海外旅行の予約は去年の2倍近くで、日本はマレーシァなどと並んで人気の渡航先の一つだということです。今年は日本の有名大学巡りなど、"子どもの学び"をテーマにしたツアーの人気が高まりつつあるということです。」と書かれていた。

 京都先斗町の路地にある、「スナックまこ」という名の場末の店に初めて入ってみた。店のママさんは、御年78歳とのこと。一人で店をやっていて、もうこの店は40年ちかくやっているとのこと。たいしたもんだと思う。この店をやるまえは祇園のクラブで働いていたとのことで、私も1970年代の初めころから京都で学生生活をして、祇園の深夜営業の中華料理屋(祇園飯店)で早朝5時までのアルバイトをしていたので、そのころの時代のことでも話がはずんで、あっという間に二時間が過ぎた。

 夜の9時半頃の、鴨川に架かる四条大橋から三条大橋方面を眺める。納涼床(川床)に灯りがともり、鴨川のほとりにはたくさんの人々が座って涼(りょう)をとっていた。夜の四条大橋界隈の先斗町や祇園町の光景、「日本に帰れてよかった!」と、私にとって実感できる場所の一つだ。

 翌日の7月6日(土)の午後、京都から琵琶湖西岸の湖西道路と北陸路を経由して福井県の南越前町にある実家に帰省した。湖西路も北陸路も、沿道には並木のようにこの季節「合歓(ねむ)の木」の花が満開となってどこまでも続いていた。まるで「合歓の木街道」ともいえる光景が見られる。

 ネムノキの花は、梅雨から夏にかけて開花する。淡い桃と白の色が美しく、ほんのりと甘い香りを漂わせながら花が咲くと、辺りに神秘的な雰囲気も生まれる。夜になると、相い対する葉は閉じてそっと眠る。ネムノキは、漢字表記は「合歓木」と書く。「合歓(ごうかん)」とは中国語で喜びを共にすることで、男女が共に眠る様子を表す。

 合歓の木は古代より短歌や俳句にも詠まれ、俳句の夏の季語ともなり次のような俳句もある。

 「雨の日や まだきにくれて ねむの花」(与謝蕪村)   「象潟(きさがた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花」(松尾芭蕉)    西施とは、中国四大美女の一人で、「傾国(けいこく)の美女」。(国を傾かせるほど皇帝や王が愛した絶世の美女)

 短歌では、万葉集に次の一首がある。「昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓(ねむ)の花 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ」(紀郎女[きのいらつめ])  現代語訳にすると、「昼は咲いて夜は恋いつつ眠る合歓の花を、私だけが眺め楽しんでいてもよいものだろうか。あなたも見てね。」 この歌は、紀郎女という女性が、年下の男性の大伴家持(おおとものやかもち)に恋ひする心を寄せた一首とされている。

 94歳の一人暮らしの母は、歳相応にいろいろな健康・認知機能問題はあるが、元気なようすだった。琵琶湖湖北の高島市の道の駅で買った四つの弁当から二つを選んで二人で夕食を摂る。妻の作ったメロンパンも弁当を一つ食べたあとに、美味しいと言いながら食べていた。食欲は健康の源かな‥。翌朝の早朝に、寺の裏山にある墓に行き、墓を覆っている夏草を刈りとり、線香をあげて、日本帰国の挨拶と感謝を父や母(33歳で亡くなった実母)、そして、育ててくれた祖父や祖母にした。

 故郷の福井県南越前町は、海(河野地区)と山(今庄地区)と里(南条地区)からなる。実家のある河野地区の海や漁港。「ふるさとの 山に向ひて 言うことなし ふるさとの山は  ありがたきかな」(石川啄木)があるが、私も、「ふるさとの海は ありがたきかな」といつも思う。天気が良いと山陰海岸までもがかすかに見える海。

 敦賀半島が目の前に、そして敦賀の町も望める越前海岸の小さな漁村が私が生まれ育った南越前町河野地区。敦賀の町には、日本三大松原の一つ「気比の松原」がある。現在、NHK大河ドラマで放送されている「光る君へ」の越前編で登場する、宋人(中国人)がいた松原客館も、この気比の松原付近にあったのかと思われる。今年の春に北陸新幹線が敦賀まで延伸開業となり、「光る君へ」のドラマ放映もあり、越前国府のあった越前武生の町やこの敦賀を訪れる人も多いかと思われる。

 私の故郷の漁村の目の前に横たわる敦賀半島。その半島の先近くにある無人島の「水島」は、「北陸のハワイ」とも呼ばれる美しい遠浅海岸の広がる小島。船で渡ることができて、海水浴に訪れる人も多い。

 

 

 

 


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