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彦四郎の中国生活

中国滞在記

玄蕃尾城(げんばおじょう)❶—城とは「土から成る」―この山城を見なくして山城は語れない

2017-08-07 07:14:10 | 滞在記

 これまでたくさんの山城に登って来た。多い年で年間200余りの山城に。標高の低い100mから標高の高い500mほどの山城まで。ほとんど道がなく、藪漕ぎをして彷徨いながら、山頂付近の城跡をようやく見つけることも多かった。鹿や猿、イノシシや熊に遭遇したこともあった。熊は怖いがマムシもかなり怖い。あとは山ダニもけっこう怖い。噛まれると2日間あまり血が止まらない。猿も木の上から集団で威嚇されると恐怖を感じる

 私が訪れた山城の中で10傑と言えば、「竹田城(兵庫県)、備中高松城(岡山県)、岩村城(岐阜県)、高取城(奈良県)、金山城(群馬県)、七尾城(石川県)、小谷城(滋賀県)、月山富田城(島根県)、観音寺城(滋賀県)、鬼ノ城(岡山県)」の10城となる。これらの山城は、有名で訪れる人も多い。近世城郭でかなりの石垣が使われていて、見栄えも立派な城である。[※これらの10城は、日本城郭協会より「日本100名城」に選定されている。まだ行っていな山城だが、岡城(大分県)、山中城(静岡県)には、ぜひ行ってみたい。安土城(滋賀県)や松山城(愛媛県)などもいい城だが、これらは山の標高が低いので「平山城」となる。]

 訪れる人はまだ とてもとても少ないが、城郭ファンから「この城を見なくして山城は語れない」と言わしめる城が、福井県と滋賀県の県境の山中にある。それが「玄蕃尾城(げんばおじょう)」である。この城には10回あまりは行っただろうか。山中のこの城が発見されたのは まだ新しく1980年のことだった。1999年に「国史跡」に認定され、毎年 整備がされて城にもけっこう行きやすくなっている。

 8月3日、京都に戻る途中の午後にこの「玄蕃尾城」に立ち寄ることにした。敦賀から国道八号線を走り、途中、県道140号線の細い道に入る。刀根(とね)集落を抜けて、滋賀県との県境にある あの怖い「柳ヶ瀬隧道」に入る手前を左に折れて山道を車で15分間あまり登る。すると駐車場がある。車は5〜6台あまりは駐車ができる。駐車場から城に行ける標識がある山道を登る。すると、峠近くに「地蔵を祀る祠」が見える。合掌して少しさらに登ると峠にさしかかる。「久々坂(くくさか)峠―刀根越え」の標識。さらに、「玄蕃尾城跡まで0.5km、行市山砦跡まで3.5km」の標識も見える。

 この「刀根越え」の峠は、歴史上では2度の合戦が行われた峠でもある。一度目は1573年(天正元年)、越前の戦国大名朝倉義景軍と これを追う織田信長軍の「刀根坂の戦い」である。この戦いで壊滅的な打撃を受けた朝倉軍は崩壊し、朝倉氏滅亡へとつながった。二度目は、その10年後の1583年(天正11年)、柴田勝家と羽柴秀吉との間におきた「賤ケ岳合戦」の際、柴田軍がこの峠から敗走し、柴田家滅亡につながり、勝家は織田信長の妹「お市の方」とともに自刃することとなる。その合戦の際に 長期戦に供えて築かれ 柴田軍の本陣とされた城が「玄蕃尾城」であった。

 峠から滋賀県の柳ヶ瀬集落に至る山道は整備がされておらず、夏草が繁り マムシでも出そうで歩くのが少し怖い状態になっていた。城に至る山道をさらに登って行く。道は よく整備されている。アケビの実が見える。まだ緑色だが、9月中旬には紫色になり美味しく食べられる。城が近づくと平地の道となる。柳ヶ瀬山(中尾山)の山頂がほぼ近いようだ。

 城域が見えて来た。大きな城の説明板が設置されている。玄蕃尾城(内中尾山城)、標高450m。1999年、国史跡。城域は、250m×160m。うねるような土塁と空堀のオンパレードの山城だ。石垣こそないが、山城の見本のような見事さに感嘆する。いくつもの曲輪(郭)[くるわ]がある。虎口曲輪、曲輪と曲輪をつなぐ土橋、本丸曲輪、搦め手(からめて)曲輪、馬出曲輪など、8つの曲輪(廓)で構成された城郭だ。

 ※この城の住所は2つある。福井県と滋賀県の住所がある。

 空堀もけっこう深く美しい。土を盛り上げて連なる土塁。この上には、当時 塀などの建物が立てられていた。蛇が目の前に突然出て来たのでギクッとする。保護色のためか、なかなか気が付かなかった。けっこう長くて大きい青大将だった。城の本丸(主郭)に至る土橋を渡る。

 主郭のすみには天守台の部分があった。ここだけ少し石組み(石垣)が使われていた。現在は、主郭の周りの木々が高く生い茂り、滋賀県の柳ヶ瀬や木ノ本方面は望めない。しかし、当時は 木々は伐り拓かれ 木ノ本方面の秀吉軍の陣地までがよく見えたようだ。主郭から搦め手郭に向かう。主郭の周りの空堀がかなり深い。

 搦め手廓とは、城の最も背後に位置する重要な廓(曲輪)である。この曲輪もかなり規模が大きい。そして土塁や空堀、切岸(山の急な斜面)がすごいなあと思う場所の一つだ。

 石垣というものがほとんど使われなくて、まさに 「土から成る」城といえる山城「玄蕃尾城」。その遺構は、よく保存されていて芸術的とも云える造りを目の前にすることができる。日本全国には、約4万か所の城がある。特に、京都に近い滋賀県と兵庫県は多い。京都府だけでも約1000あまりの城がある。一つの谷や盆地には、一つの城があるといってもいいかもしれない。そのほとんどが、山城や平山城で、石垣を使用しない城がほとんどだ。この中でも、この「玄蕃尾城」と静岡県にある「山中城(箱根峠の近くにある、北条氏の城)―1570年頃に完成、1590年に秀吉軍によって落城」の二つは、「土で成る城」としては白眉の城と言われる。山中城は1930年に国指定の史跡となり、整備されて、訪れる人が毎日とても多い。しかし、この「玄蕃尾城」は、2日〜4日に1組ぐらいはあるだろうか。自然の野趣豊かな、「兵(つわもの)どもが夢の跡」という 城跡なのだが---。

◆続く

 

 

 

 

 


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