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長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

バレンタインデーの季節は 煎茶がうまい

2017-02-17 08:36:36 | Weblog

2月は、味噌作りを毎日している。バレンタインデーには、毎年手作りのチョコが届く。

が、と届くの間に「いっぱい」と書きたいところだが、いい年して見栄をはるのもなんだから、遠慮。

水曜日・木曜日は、味噌作りと、珈琲の焙煎教室と、無茶しぃの会(煎茶のお教室)と、が重なった。

最近珈琲店で、お茶うけのように、手作りチョコなどをかわいらしいお皿にちょこんと出すお店が増えてきた。

昔の京都の喫茶店では豆皿にピーナッツがのって供されるようなお店があった。四条木屋町を少し下がった

ところ、つまり南座の近くに、元歌舞伎役者の女形の方がやるお店があった。珈琲を入れる所作が日本舞踊の

ように美しくて、学生時代によくいった。秋葉で会社を始めた昭和50年代にはまだあって、上洛するときは必ずよった。

水曜日は能登半島から毎月煎茶を勉強しにくる三輪福さんたちと、みくちゃんがくれた手作りチョコケーキを

お茶受けに、楽しいお茶会。6月に「梅林ガールズ」の梅仕事が始まる。みんなで能登にいくぞ。

昨日の焙煎塾は、ノロとインフルでふたりが欠席になり、マンツーウーマンで、じっくりコロンビアを焙煎し、

生チョコといっしょに楽しんだ。違ったベクトルの甘さが口の中で交差して、不思議なハーモニーを奏でる。

夜の無茶しぃの会は、煎り番茶をほうろくで煎って、久保さんの蓋つき茶碗で飲んだ。掛け軸は「江南春」。

「千里鶯鳴いて・・・・」の始まりで、春の情景が浮かぶ。

木曜日はお抹茶の先生たちが煎茶を習いにこられる。朝届いた久保さんの「ヤンポ」を皆で拝見。

金平糖などをいれる器。「清水の金平糖が食べたくなった」と、ひとりがつぶやく。

さすが茶人。京都百万遍の老舗を知ってはる。感謝。

 

 

 


こんな素敵な小学校でそばのお勉強

2017-02-14 08:18:59 | Weblog

3月の11日、12日、南島原の公民館と廃校になった小学校で「そば会」を

やることになった。昨日素敵なパンフをなつきくんがつくってくれたので、

「長屋茶房 天真庵」のHPの表紙にアップしてみた。小学校が、かわいらしくて、一見の価値がある。

昨年の11月に縁あって、島原の名刹にて蕎麦会をやらせてもらった。それが「島原の乱」よろしく

南島原まで飛び火したかたちになった。今回は島原の乱の舞台になった原城の跡地に宿泊しながら、

地元と人たちとそば交流を行う予定だ。沖縄にはじめていった人が、しばらく沖縄の話をするようになる

のを「沖縄病」という。島原や南島原にいくと、骨董病にも似て、不治の病のように、かの地の話をするようになる、

くらい自然といい、人といい、素敵な場所だ。魚もうまい。島原の「ペシコ」にいくと、疑いもなく「うまい」がわかる。

長い鎖国時代に、唯一外国との交流があった場所なので、いろいろな文化が育まれた場所。

京都の黄檗山万福寺で隠元和尚がひろめた「お茶」も、もともとは長崎から始まったものだ。

島原半島にも、煎茶を愛好した先人があまたねむっておられる。今回は「そば」がメインだけど、

できたら、この地で煎茶会をやってみたいと、思っている。南島原に「くちのつ巷焙煎所」という

のが今月オープンした。主人のなつきくんは、ぼくの珈琲とそばのお弟子さまである。煎茶は

まだ教えていないけど、昨年引っ越し祝いに床の間にかける軸として「楓橋夜泊」をおいてきた。

床の間といえば、本来は仏様のことで、華道も茶道も、そこから生まれた場所である。仏教も

キリスト教の玄関みたいな「くちのつ」で、お店をやる、というのは、歴史的な一ページかもなんばん。

今日は「満つまめの会」

味噌作りもある。

明日明後日が「無茶しぃの会」と「卒啄焙煎塾」  無茶しぃの会は、まさに「煎茶道」を少し体験する会。

 

 


月曜の朝は卵かけごはん

2017-02-13 07:28:58 | Weblog

風邪が大流行しているみたい。

昨日も味噌作りをおそくまでやった。

英語の岩本先生が流行りの風で寝込み、奥さまが4歳になるたーくんといっしょに

ふたつつくった。彼らは天真庵で出会い、結婚し、ふたりの嫡男が生まれ今は4人家族だ。

岩本先生は、池袋時代から「英会話」をやってくれていた。その前にビル・スメール

という変な先生が英語を教えてくれていた。IT時代の友人で、自分の名前をもじったオジサンギャグで「ビールとスルメで英会話」

といっていた。それが岩本さんにバトンタッチされ、「英語でそば会」になり、それが発展して「英語でポンビキ」になった。

2001年のニューヨークのテロの日も英会話だったので、足かけ20年くらいやっている。「継続は力」であーるぬーぼー。

南島原で3月に「蕎麦会」をすることになった。ビルとは、20年くらい前に島原にいっしょに旅したことがある。島原の駅前の

「骨董屋」にいくと、そこの主人のおばあちゃんが「ようきんしゃった。」といって、ビルに骨董の皿をプレゼントしてくれた。当時は

外人が珍しかったのか?今おもえば、きっと遠い昔にそのあたりを闊歩していたキリスト教の宣教師とだぶっていたのかもなんばん。

そこで見つけた古伊万里の豆皿は、今でも大事に使っている。その骨董屋は昨年界隈にいった時はなくなっていた。

でも「ペシコ」という、東京ではありえないような素晴らしいイタリアンと出会い、島原がまた近くなった。12日は廃校になった小学校で、

ペシコとなつきくんと、協力して「そば会」をやることになった。今からウキウキしている。天恩感謝。

 


大山のすしや

2017-02-12 08:45:59 | Weblog

大山というのは、古くていい商店街がある。そこから少しはいったところに

「いわもと」という鮨やがある。店主は今年還暦を迎える「岩本」さん。

もともとボクサーで、日本チャンピオンだった。ヨネクラジムに所属していて、

ときどきジムでいっしょに汗を流した。10度くらい防衛したけど、試合ごとに流血し、

そのころのトレナーは、「血止めの松本」とあだ名をもっていた名トレーナーがいた。

彼のお店にいくとカウンターの中に、有りし日の松本さんの写真がある。たぶん、

リングの外で今でも彼の背中に「がんばれ」と叱咤激励しているかのような写真だ。

昨日の夜岩本さんから電話をもらった。「誕生日おめでとうごさいます。奥さんを大事にしてください」

とのショートメールのようなメッセージ、を防衛回数より多くいただいている。

ヨネクラボクシングジムは、後援会に入る時に記入するカードに「奥さまの誕生日」という項目がある。

その日に、家に薔薇の花束が届く。花束の中に手書きのメッセージカードが入っていて、

「奥さま、誕生日おめでとうございます。ぼくたいちがリングでがんばっていけるのは、奥さまの力です」

と書いてあり、差出人のとろに「ヨネクラジムはりきりボーイズより」と結ばれている。できすぎたような

話ではあるが、そんな「こころのこもった話」は少なくなってきたように思う。

現在のヨネクラジムは、島田くんが名トレーナーとしてがんばっている。その当時、彼は新聞配達を

しながらボクシングをやっていた。住んでいた板橋が彼の配達エリアだったので、よく見かけ、声をかけた。

「新聞配達をしながらチャンピオンになれない」というジンクスがあった。でも彼は、日本チャンピオンになり、

世界戦も2度経験した。ときどき後楽園ホールで見かけると、笑顔で手をふってくれたりする。

今日は「味噌つくり」。味噌を仕込んだ日づけがわかるように、その日の新聞で包むようにしている。

人数が多い時には、近くの朝日新聞の販売店にいき、そこの店主に二部ほど譲っていただく。

今日も6人が味噌つくりにくるので、蕎麦を打ったあと、販売店にいく。

新聞配達をしながら大学を卒業する人たちに表彰状をおくるセレモニーも長くやっているらしい。

今年は約200人。その中で日本人は一割くらいで、一位がベトナム。それに中国、ミャンマーなどが続くらしい。

新聞を読む人が少なくなり、新聞を配達する人も少なくなっているようだ。そんな苦労をするなら奨学金で

いったほうがいい、というのがはばをきかせているらしい。借金というのは、帰していくもの、というのを後で体感する。

国の借金も、若者の借金も、同じようにしてふくらんでいく。「今だけ 自分だけ 金だけ」ではアカンよね。

そんなことを思いながら、今日も朝から「借金なし大豆」を寸胴でことこと煮ている。

今日は日曜日なので16時まで。それから「日曜蕎麦道場」

二階はまーくんの「満つまめの会」。

明日の朝は「卵かけごはん」夜は「福の会」 ♪しあわせって、なんだっけ なんだっけ・・を考える会。

 

 


インヨガの日は、イブリガッコと黒豆茶が売れる?

2017-02-11 08:18:28 | Weblog

うちにくる車やさんが、2月10日と2月11日が新車が一番売れる日だといった。

その人の縁起のいい日なのか、その車の会社の戦略なのか、ひょっとしてバレンタインデー

とあわせただれからの陰謀?なのかわからいが、そうらしい。風が吹いたら桶屋が儲かる、以上に摩訶不思議な話だ。

今日は建国記念日、昔は紀元節。うちのかみさんの誕生日でもある。

記紀、つまり古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位 日をもって定めた祝日で、終戦後

アメリカの意向で廃止され、今のよび名になった。

あわせてこれも奇妙キテレツな話だけど、昨日はイブリガッコがいっぱい売れた。

昨日は「インヨガ」。ヨガ美人たちが二階で静かにヨガる日だ。夕方珈琲豆が切れそうになったので、ヨガの時に

下で焙煎をした。ヨガの人たちはけっしてこのブログを読んでいないと祈りながら書くと、下で焙煎をすると、煙は二階にまん延する。

ヨガ美人さんたちの足を、だいこんだとみたてさせてもらうと、珈琲のイブリガッコ?みたいなものかしら。

大根はもともと、「おおね」と呼ばれ、日本人の生活になくてはならないものだった。「大根役者」などと蔑まされた言い方を

されたりするけど、その意味の根拠もはっきりしない。煮てよし、生でよし、燻してよし、いろいろなガッコにしてよし、

主役になれないけど、いろいろな役目があるから、そう呼ばれたのだろう。大根足も、健康で元気な足の象徴である。

ヨガの人たちと蕎麦を手繰り、談論風発し、帰り際にまたイブリガッコがあまた嫁いでいった。大根は健康で持続可能の生活の

中に根を生やしている。すばらしい。ちなみにぼくは、ふろふき大根が大好物である。人はぼくのことを「ほらふき大根」と呼んで

いるらしいが・・・

 

 


おでん 熱燗 昔のおんな

2017-02-10 09:15:30 | Weblog

誰かのエッセーにあったけど、この言葉の並びが好きだ。

昨日はお休みだったけど、味噌つくり 満つまめ おとこかっぽれ  の日だったので、

寸胴に一晩つけた「借金なし」をストーブにのせ、そばを打った。午前中に幼稚園にこどもを

おくったママさんが最初の味噌作り。今年は小さなお子様といっしょというケースも多く、「食育」

という意味と、共に育つ「共育」もかねて、味噌作りの大いなる意義を感じる日々。

その後は、3人のベテラン組が、ふたくちの味噌をつくり、二階でマーくんの整体を受ける、という

今年からはじまった「天真庵ゴールデン梯子」が続いた。どちらも「持続可能な生き方」をするに

不可欠なものだ。

ぼくは「おとこかっぽれ」に参加するので、昨日は昼間に「おでん」をしこんだ。

ストーブが大豆に占領されているので、炭火をいれた「てあぶり」の五徳に土鍋をおき、

そこに大根を昆布で煮る。こうすることにより、大根のでしゃばった味が整い、おでんの鍋に

あとで合流させても、問題がない。おでんやでも、こんな手間は普通かけられない。

厨房のおでんの鍋は、昆布とあごの出汁に、こんにゃく、うすあげ、山芋、豆腐、焼き豆腐、ちくわぶ(これをいれないと江戸

の人におこられる)などをいれる。

もともとおでんは、焼き豆腐に味噌をつけた「田楽」が始まりで、その後江戸時代に江戸で

濃い汁にうかべたもんになったらしい。それが関西にいって、薄味で「関東だき」とかいう名前になった。

関東大震災の炊き出しに関西から薄味の文化が逆輸入される形で、今のような「おでん」ができた、らしい。

小学校時代は塾の帰りに、駄菓子屋みたいなところでおでんを食べた。もちろん熱燗はのんでいないし、おんなもいない。

京都時代は大学の近くに「シャンクレール」というジャズ喫茶があり、そこから30mくらい下ったところに「安兵衛」

というおでんやがあった。ぼくは「うすあげ」が大好きで、九条ネギが刻んであるものをはさんで供してくれたのをつまみ

に、伏見の名誉冠で飲む、という日が、学校にいく日よりも多かったきがする。「おんな」」というかそのころの彼女とのデート

ももっぱら、この荒神口の「安兵衛」だった。

江戸にでてきてからは早稲田の「しのぶ」でよく早稲田出身の友達と飲んだ。冬にすーすーすーな感じで、隙間風が

吹き込んでくるところで飲む熱燗とおでんは、たまらない。

今日は「インヨガ」 味噌 満つまめ インヨガ    健康で持続可能な人生の根本みたいな寺子屋が続く 日々是好日。


おとこかっぽれ

2017-02-09 09:24:28 | Weblog

今日の東京は、朝から冷たい雨がふっている。

昨日引っ越しをしていったひとのことをふと思った。

「あの人がいるだけで」という、あの人がどの街にもきっといっぱいいる。

その「あの人」がいなくなった街は、昨日と今日とでは、まったく違った街に見える。

まるで本日の押上は「涙雨もよう」だ。今日はどの街で、どうすごすのか、まったく知るよしもないけど、

元気に生きていってもらいたい。

これからマーくんの「満つまめの会」。この人も、この街にはかかすことのできない「あの人」

になりつつある。目が悪くて、雨の日も光をたよりに移動するので傘をささない。できたら、彼

が来る日は、晴れであってほしいと思うけど、晴れたり曇ったり、雨が降ったりするのが天地自然の理。

夜は「おとこかっぽれ」。

今日も一日、味噌つくり。明日は「インヨガ」

 

 

 


英語でそば会

2017-02-07 08:56:40 | Weblog

今日は「英語で蕎麦会」

夕方6時に、めだかの学校よろしくスカイツリーに集まって、

生徒先生が一丸になって、「これいける」と思う外国人にターゲットをしぼり、

「ええ、そばやがあるんやけど、いかな~い」と声をかけ、うらぶれた下町通りをてくてく

と歩いて天真庵までつれこむ、という全行程を英語でやる、という奇妙キテレツなポンビキ風英会話教室。

これを始めた時は「ドンビキ」する人が多く、生徒数が激減したけど、そんなことどこふく風でやり続け、今にいたる。

正確ではないかもなんだけど、もうすぐ20勝。だめだったのは4敗くらいなので、けっこういい成績。

ボクサーなら、「まだまだ世界がねらえる」といった戦績である。

東京砂漠という緑や地面が少ないところで、スカイツリーというのは、「新東京タワー」であり「光の搭」のように

シンボリックに細い男性シンボルよろしく、ピーンと大地に勃起している。これが立つ道程に、世界中から宗教家

たちが集まり、気をこめたり、祈りをささげてきた。そのころから、うらぶれた十間橋通りにお店を開いていたので、不思議な

人たちが、ときどき蕎麦を手繰りにきてくれた。いまでも、ときどきそんな神様みたいな人たちが、突然きたりして、お店の

雰囲気が凛然と静まりかえったりすることがある。天真庵みたいなへんてこなお店が10年も続く「おかげ」も、きっと

その奇人のような人たちと、それに煮た奇人の人たちの力が多いのではないかしらん。そんなことを最近よく思う。

来月の南島原の「そば会」は、原城の跡地の施設に泊ることになった。島原の乱の舞台。「沈黙」が題名に反して

賑わっているらしい。自分史の中では、有意義な一ページになりそうな予感がひしひしとしてきた。

 

 


なんとなく鮨を喰う会

2017-02-06 07:49:49 | Weblog

昨日は、味噌作り、と、蕎麦打ち、と、なんとなく鮨をにぎって喰う会だった。

味噌だけをつくる人、味噌とそばを打つ人、そばを打ち鮨を喰う人、味噌とそばを打ち、鮨をにぎり食べる人、鮨だけ食べる人、

が、一階と二階をいったりきたりしながら、忙しく楽しい一日だった。「かしらつき」のイナダを、ふくちゃんとおろす。彼は名にしおう

ケータリングのシェフ。西洋ナイフで魚をしゃっしゃかさばく。昨日はモノホンの出刃を貸してあげて、皮をはぐコツを伝授。

「やっぱり出刃がほしくなった」とのこと。これだけ、魚のおいしい国に生まれのだから、一生使える出刃を一本もっておくのが、にっぽんじんだ。

そばと味噌をおわった仙人女子(かすみをくってる人)が、酢飯をつくる。そばも味噌も酢飯も「くろうとはだし」になってきた。

彼女が持参してくれた「竹葉」(ちくは、という能登の銘酒)が、また鮨にぴったり。能登に移りすんだくんたちも、この「なんとなく・・」

を何度か経験して移住された。今年は「梅林ガールズ」を結成して、6月には能登にもかけつける予定であ~る。

そばや味噌や鮨をにぎると、次の日まで手がしっとりしている。

今日はこれから「卵かけごはん」 営業中は二階で「満つまめの会」

そして夜が「長屋で女史会」がある。立春を過ぎ、庭の枝垂れ梅も満開になり、なんとなく春がそこまできている感が日増しに強く

なってきた。混沌とした今のような時代は、「倦む(飽きる)ことなく、冬の寒さに耐え、新しい時代を生み出す」ような梅の言霊がキラリと光っている。

あやかりたいものだ。感謝。

 


投げキッスをされる!

2017-02-05 08:49:32 | Weblog

土曜日曜祭日はは家族連れで味噌を作りにきたり、おとうさんが子供の子守をしておかあさんが

味噌を作りにくる、ということが多い。

夕方親子4人家族が味噌をつくりにきた。4年目になる。長女さんはぼくとどらえもんと同じ誕生日で

一年目は生まれたばかりだった。昨年から味噌つくりを手伝うようになった。下の子は、まだ一歳だけど、

かたわらで自作?の♪おいしくな~れ という応援歌をスキャットしてくれる。目がくりっとして愛らしい女の子。

帰りきわに、小さな右手で投げキッスをしてくれた。60くらい年の差はあるけど、愛があれば・・・?

昨日の夜はインヨガだった。なんか昨日の夕方は、♪妖精のいたづら・・・みたいに不思議な人がカウンターに

とまる日だった。傍らで味噌作りをやっているので、しかたなくそうなるのであるが、そんな日は「奇人のやかた」になる。

ひとりの女子が、インヨガがそろそろ始まるか、という時に「私ヨガに参加させてください」とのたまう。こんな時は自然に任せる

のがよろしいので、「どうぞ」ということになり、着替えにかえってもどってきたら、子供さんもふたりついてきた。なんやら「家族の日」

のような一日。その奇人のような女子は、来月四ツ目通りにポップコーンのお店をだすらしい。

今日も「味噌つくり」

16時で閉店して、その後は「蕎麦打ち道場」&「なんとなく鮨を食う会」

結ぶ、おむすび、紐を結ぶ・・そばも「つなぎ」で繋がっていくし、鮨もむすぶ、で縁が広がるような食べ物。

お米があって、手前味噌があり、ハレの日に蕎麦や鮨がにぎれる、今年から梅干しチーム「梅林ガールズ」も結成される。

これだけやれば、どんな時代になっても「なんとかなるさ」ではなかろうかしらん。ポップコーンをぽりぽりと冷たいビールを

飲みながら、懐かしい未来を夢想する。天恩感謝の日々。