長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

さりげない日常

2011-09-17 08:26:59 | Weblog
昨日から、竹細工の会。

昔から、地震がきたら竹林に逃げろ、なんていわれている。
それだけ生活の近くに竹林があったり、それを使って籠や花入れなど、
生活雑貨を作るのが、日常だった。

ぼくが毎日珈琲を入れるカウンターの前に、大谷先生がつくった竹の掛花が
ぶらさがっていて、そこに飛騨高山のガラス作家の安土さんのガラスの花器を
「おとし」のように入れて、花を一輪投げ入れるのを、日課にしている。
先日、近所のspice cafeのおかあさまが、「今年の、みずしきがキレイに咲いたので、
もっていって」といって、赤い「みずしき」(標準語では、みずひき)を、くれた。
それを、お店にいって、投げ入れたとたんに、お店の空気が茶室のそれみたいに、
「凛」としてくる。ただものでないcafeのお母様の「力」を感じる瞬間。

昨日は、お店の周りにある草花を、二階の展示会の花器にいれてみた。・
一枚の絵や墨蹟を飾ると、部屋の空気が変わるみたいに、二階が秋の草原
みたいに清風がながれた。

ダメ中のまいこ先生が、夕方いつものように颯爽と入ってきた。授業開始まで
5分くらい時間があったので、二階の展示場にのぼられた。すぐに、下に下りて
きて、自分の財布の中を全部あけて、「きよみさん、お金かしてください」といって、
有り金全部と一万円を足して、大橋先生の花器を買っていかれた。
最近は、どこのギャラリーも、口ではいいにくいけど「ながっちりで、ものを買わずに
しゃべるだけ」みたいなお客の対応に苦戦している。そんな中にあって、竹の花器を、
青竹を割ったみたいに、「すぱっ」と買う男気みたいなんが、爽やかだったので、
久保さんの志野の小皿をプレゼントした。
世のなか不景気で、ものが動かないけど、「これ」と
思ったものは、「縁」なので、有り金はたいても、買いたいもんだ。
そんな「こころいき」が、まわりの人たちまで元気にする。


酒の本を見ても「せんべろ」(1000円でべろべろに酔える)とか「家のみ」
だとか、しけた言葉が流行しているみたいだけど、「それでいいの、君の一度
しかない人生?」と、いいたくなってしまう。外で飲む金がないときは、家で
飲めばいい。その時くらいは、有り金はたくほど、お気に入りの酒器で飲んで
ほしい。ひとり酒になったとしても、部屋には絵か、一輪挿しくらいは、あったほうが
いい。

月に一度のダメ中。昨日は席の横に、まいこさんが買った花器を飾って、中国語の
勉強をし、蕎麦会。昨日は、そばごめともち麦の鴨雑炊、おでん、けいちゃん(岐阜
の鳥モツ料理みたいなもの)、壇一雄風「湯豆腐・蕎麦入り)を酒肴に、大分のカボス
を赤ワインにしぼった「サングリア」を飲んだ。
中華料理は、普茶料理として隠元和尚が伝えたのを原点とする。卓を囲み、大きな
皿にのせた料理を、みんなでわけあって食べる。医食同源、とともに、こころも
一如になる。