「九州のムラへ行こう」という雑誌がある。
今年の夏休に、福岡の星野村の宿で見つけた。
その理念が今日のタイトルだ。「いいな!」と思った。
エコだのロハスだの、マチのマスコミとかマチの人が声高に叫んだ
ところで、なんとなく空虚で、内容がともなわない流行り言葉程度
にしか感じない。小さなトレンドの浮き沈みの中で、ピーチクパーチク
口をあけるのではなく、はらわたにしみこむような「言葉」を発したいし、
そんな生き方をしたいと思う。
昨日は、いつもの休みと同じように、朝起きて、お店の掃除を簡単にすませ、
焙煎を一回し、それを石臼で挽いて、珈琲を入れ、それをポットにいれて、
マチを離れた。
向かうは茨木縣石岡。筑波さんの景色も秋めいて、道にはすすきや、ときどき
いがくりなんかが転がっていて、農家の軒先には「かき」とか「なし」
とかの看板が目立つ。田んぼはもう稲が収穫されていた。すっかり秋だ。
いつもいく農家を訪ねる。まだこちらがマチの時間で、ナシだけ買って
先を急ごうとすると、「ま、座ってお茶でも飲んで」と茨木弁のイントネーション
でいわれる。車のエンジンを切って、座ってお茶をいただく。昔から「喫茶去」
(きっさこ・まあお茶でも一服)という茶道の真髄は、こんななにげない日常の
中にこそ生きる。しわだらけで、腰もまがったおばあちゃんに、茶道のこころを
教わった気がした。つくばさんからの風も心地よい。まさに清風なり。
そのおばあちゃんの家から5分ほどで、町営の温泉がある。そこの露天風呂に
つかりながら、山を眺めていると、いつも「ふるさと」をくちずさんでいまう。
♪山は青きふうる~うさあと 水は清き ふ・る・さ・と~
ムラの生命をマチの暮らしに、マチの活力をムラの正業に
いい言葉だ。温泉につかっていると、もうひとりのおばあちゃんに会いたく
なった。そこから車で15分くらい走る小山の中にある「そばや」の
おばあちゃん。「手打ちそば」という看板をナビでたどりつくと、ときどき
猪の毛皮(とれたての)なんかが干してある。お店の外にスピーカが設置されていて、
村田英雄や鶴田浩司の歌などが、大きな声で聴こえている。不思議なお店だ。
名物は「猪そば」(1500円)。店主が命がけで、しとめた命を大事にいただく。
帰りにのれんをくぐると、つい毛皮に手をあわせてしまう。ここで蕎麦を担当
するおばあちゃんも、腰がまがり、しわだらけだけど、いつも元気をもらう。
年をとっても、若い人たちに元気を与えられる老人力を持ちたいものだ。
夜は「順受の会」
大分から送られてきた「かぼす」を焼酎にしぼって飲む。
先生の松田さんは鹿児島の人だ。幹事の清水さんが長崎。
蕎麦を担当するぼくが福岡。
みんな「でかせぎ」みたいに東京で働いている。でもときどき
大分の人がきて、竹を教えてくれたり、鹿児島の人や沖縄の人がきて
薩摩琵琶や三線をひいてきれたりする。マチとムラが、うまく交流
するのは、とても大事なことだと思う。
「竹の展覧会」は明日まで。9月(ながつき)も、明日まで。
今年の夏休に、福岡の星野村の宿で見つけた。
その理念が今日のタイトルだ。「いいな!」と思った。
エコだのロハスだの、マチのマスコミとかマチの人が声高に叫んだ
ところで、なんとなく空虚で、内容がともなわない流行り言葉程度
にしか感じない。小さなトレンドの浮き沈みの中で、ピーチクパーチク
口をあけるのではなく、はらわたにしみこむような「言葉」を発したいし、
そんな生き方をしたいと思う。
昨日は、いつもの休みと同じように、朝起きて、お店の掃除を簡単にすませ、
焙煎を一回し、それを石臼で挽いて、珈琲を入れ、それをポットにいれて、
マチを離れた。
向かうは茨木縣石岡。筑波さんの景色も秋めいて、道にはすすきや、ときどき
いがくりなんかが転がっていて、農家の軒先には「かき」とか「なし」
とかの看板が目立つ。田んぼはもう稲が収穫されていた。すっかり秋だ。
いつもいく農家を訪ねる。まだこちらがマチの時間で、ナシだけ買って
先を急ごうとすると、「ま、座ってお茶でも飲んで」と茨木弁のイントネーション
でいわれる。車のエンジンを切って、座ってお茶をいただく。昔から「喫茶去」
(きっさこ・まあお茶でも一服)という茶道の真髄は、こんななにげない日常の
中にこそ生きる。しわだらけで、腰もまがったおばあちゃんに、茶道のこころを
教わった気がした。つくばさんからの風も心地よい。まさに清風なり。
そのおばあちゃんの家から5分ほどで、町営の温泉がある。そこの露天風呂に
つかりながら、山を眺めていると、いつも「ふるさと」をくちずさんでいまう。
♪山は青きふうる~うさあと 水は清き ふ・る・さ・と~
ムラの生命をマチの暮らしに、マチの活力をムラの正業に
いい言葉だ。温泉につかっていると、もうひとりのおばあちゃんに会いたく
なった。そこから車で15分くらい走る小山の中にある「そばや」の
おばあちゃん。「手打ちそば」という看板をナビでたどりつくと、ときどき
猪の毛皮(とれたての)なんかが干してある。お店の外にスピーカが設置されていて、
村田英雄や鶴田浩司の歌などが、大きな声で聴こえている。不思議なお店だ。
名物は「猪そば」(1500円)。店主が命がけで、しとめた命を大事にいただく。
帰りにのれんをくぐると、つい毛皮に手をあわせてしまう。ここで蕎麦を担当
するおばあちゃんも、腰がまがり、しわだらけだけど、いつも元気をもらう。
年をとっても、若い人たちに元気を与えられる老人力を持ちたいものだ。
夜は「順受の会」
大分から送られてきた「かぼす」を焼酎にしぼって飲む。
先生の松田さんは鹿児島の人だ。幹事の清水さんが長崎。
蕎麦を担当するぼくが福岡。
みんな「でかせぎ」みたいに東京で働いている。でもときどき
大分の人がきて、竹を教えてくれたり、鹿児島の人や沖縄の人がきて
薩摩琵琶や三線をひいてきれたりする。マチとムラが、うまく交流
するのは、とても大事なことだと思う。
「竹の展覧会」は明日まで。9月(ながつき)も、明日まで。