長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

果母酢祭り

2010-09-22 08:08:58 | Weblog
かぼす、はワードでは変換できないけど、「果母酢」
と書く。秋の青果物の母なる酢。まさにいい得て妙である。
母とは、女性の乳房の象形文字らしいが、秋の柑橘の一滴一滴は
夏ばてした体の細胞の片隅まで浸透していくようで、ここちいい。

昨日は「書の会」だった。この会は、ぼくが「二十一世紀情報産業ネットワーク
協同組合」というITの業界団体の理事長をやらせてもらっていたころに、ゲームソフト
の社長の貞本さんと縁ができ、大塚の江戸一でよく酒を飲みながら「将来、天真庵で
書をやりたい」と話していた夢がかなったものだ。
売茶翁という、煎茶の世界では神さまみたいな人を助けた書家で、「亀田窮楽」
という人がいた。茶をやるために、還暦近くに坊さんも身分を捨て、上洛して
煎茶道を広めた貧乏な茶人を、酒中仙よろしく、酒三昧で貧乏な書家が、助ける。
なかなか風流な話である。先日その亀田窮楽の掛軸を銀座の骨董屋で、
「ままよ きんたま男の子」と、買ったはよかったが、この二ヶ月は、財布の
中に秋風が吹いていた。でも、それを二階の床の間に飾り、毎朝玉露を入れて
飲みながら、ながめていると、清貧に生きた文人たちの人生を垣間見るようで、
えもいわれぬ充実した気持ちになれた。

昨日は、黄檗山の開祖、隠元和尚と、二代目の木庵の「達磨」にかかわる
掛軸をかけた。ぼくの蕎麦の師匠も「達磨」。その前は「翁」だった。
広島の達磨は、白井磨さんが設計した。お店に飾ってある「達磨」という
書は、白井磨さんの父でもある、白井晟一さんが書いたものだ。
白井さんは、黄檗山で書を習った。隠元さんは、いんげん豆で有名だけど、
普茶料理とか、禅を日本に伝え、書道や煎茶道でも、初祖といってもいい人だ。

昨日は、秋らしい書を、みんなで書いた後、戦車くんが九州から土産に
といってくれた「さつまあげ」を酒肴に、かぼす焼酎を酌み交わした。
夕方準備をしていたら、spice cafeの伊藤シェフが、10月31に開催
する「JAZZ十間橋」の打ち合わせにきた。
かぼすを、セルフで絞りながら、夏休にいった沖縄のカフェの話や、お互いの
縁のあるお店の話などで盛り上がった。当日は、「ぶんかん」の日替わり
店長たちも、料理をつくることになった。多士済々な文人や芸術家や料理人
たちが、この文花にやってくるようになった。

今日は「十五夜コンサート」
赤松林太郎くんのピアノ・慶野未来(ホルン)さん、宮野亜希子(ヴィオリン)の三人が奏でる「ホルン三重奏」。
月見の茶会みたいな素敵な夜になりそうだ。