長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

新米

2010-09-07 07:55:26 | Weblog
今日も暑かったけど、今日は少し風があって
気持ちがいい。先週は、九州産の新米を食べた。
毎週土曜日は、十間橋の近くの「ながしま」さんに
五目御飯を頼んで、まかないにしている。そのお米が
新米だった。秋は実の季節。そういえば、田んぼの稲穂が
西にいけばいくほど、黄金色に輝いていた。

新茶の季節もいいけど、玉露などは、あまり季節感を問わない、
というかさわがない。
そばは、昔から「新そば」に季節感を感じた。でも
ほとんどが、外国産で、地球の裏からおくられてきた蕎麦を
、印刷された「新そば」なんて張り紙しているところで、
食べようなんて、バカなことを考えたことはない。
うちは、喫茶店なので、「新そばです」みたいなでしゃばった
ことはしたことがない。これからもする気はない。
もちろん、まだ新そばではない。

珈琲の世界でも最近は、その年に収穫されたばかりのものを
「ニュークロップ」とかいって、宣伝するようになった。
ある日、青山にあるシアトル系の大手のコーヒーショップチェーンの前を
通ったら、ミニスカートをはいたねーちゃんが「今年のニュークロップ
の豆を焙煎したコーヒーです」というので、しかたなしに「飲んだ」。
季節感は、おねーちゃんのスカートのほうが、感じられた。
新しいものはいいけど、この大手チェーンは、どこで焙煎するのだろうか?
もしも本社のあるアメリカだとしたら、新豆を焙煎して、お店に到着するまで
どれくらいかかるのだろうか・・・?そんなことを考えさせられた。

新米ではないけど、若い新米陶芸家から「初めての個展です」という
ハガキが届いた。鈴木大弓くんだ。
明日が最終日だけど、信楽の「ギャラリー陶園」でやっている。
ぼくは、彼の信楽のぐいのみで、時々「死神」などを飲んでいる。
まだまだ若くて、やぼったいところもあるけど、新米は、一期一会みたいな
刹那の輝きがある。
でも古いものもいい。ぜったいに新しいものにはない魅力がある。

今日は「ダメ中」こと、ダメから始める中国語。先月末のnobieの
ライブにまいこ先生ほか、あまた聴きにきてくれた。
「精神的文化度」の高い女性たちが、たくさん集まる日。
ミニスカートのねーちゃんよりも、ぼく的には、ウキウキする日。

明日の夕方は「クラシックコンサート」
第二水曜日は、「伝授の会」なので、お店は休み。
シャッター通りで、電気もついていないうらびれた街に、
どこからともなく音楽家とそれを聴きにお客さんがやってくる・・・
この日は、月に一度のそんな日。
ぼくのふるさと、九州の宗像というところも、昔は、
大陸から、仏教、お茶、ガラス、陶器・・・いろいろな文化が
入ってきたところだけど、今はさびれている。
津屋崎という街に「津屋崎千軒」という栄えた町があり、それを
また町おこしをしよう、という動きがある。知り合いに声をかけて、
「協力する」ことを伝えた。お茶の世界で有名な芦屋釜という、遠賀川の河口にある芦屋
という街も、「芦屋千軒」といわれたし、ふぐで有名な下関も「下関千軒」
といわれた。もちろん、どこの町にも、そんな通りがあると思う。
音楽とか芸術とかで、人が集まってくるような動きが、自発的に起こってくれば、
まだまだ日本も捨てたものじゃない、とつくづく思う今日このごろ。