天然居士の独り言

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千葉十七氏・・・

2019年09月23日 18時13分01秒 | 日記
 今日のネットのニュースを見ていたら、
 河北新報の「日韓友好共に願う 安重根と千葉十七を顕彰 栗原で合同法要」との記事に
 興味を感じました。

 安重根は、御承知の通り、初代韓国統監の伊藤博文を1909年に暗殺し、
 死刑となった韓国の独立運動家です。
 安重根は極めて正義感に富んだ高潔な人物であり、
 また、韓国のみならず東洋の平和を希求していたとされています。
 千葉十七氏は、日本軍憲兵で、旅順監獄の看守でしたが、
 安重根の真摯な姿と祖国愛に感動し、さらにその思想・人格に感服し師と崇め、
 精一杯の便宜を図ったとされています。
 また、安重根もその好意に心から感謝したと言われ、
 処刑の直前、「為國獻身軍人本分」と揮毫し、千葉氏に与えました。
 千葉氏は、朝鮮総督府での勤務を終え、故郷仙台で鉄道員として勤めながら、
 安重根の写真と遺墨を仏壇に祭り、亡くなるまで1日も欠かさず礼拝し、
 東洋平和の実現を祈り続けたとの事です。

 安重根に感銘を受けた日本人は、
 当時の旅順監獄の典獄(刑務所長)だった栗原貞吉もいます。
 栗原貞吉は安重根に煙草などを差し入れたり、助命嘆願をするなどしていました。
 その他、日本人の検察官や判事など多くの人に深い感銘を与え、
 獄中の安重根に揮毫を依頼し、その数は約200点に及ぶとの事です。

 1979年(昭和54年)、安重根義士生誕100年に際し、
 千葉氏の遺族により密かに守られてきた遺墨が韓国に返還されました。
 今も、宮城県栗原市若柳にある大林寺には千葉十七夫妻の墓があり、
 1981年(昭和56年)、遺墨の返還を記念して、
 安重根と千葉十七の友情を称える顕彰碑が建立されていて、
 そして1992年(平成4年)9月6日、
 初めて安重根と千葉十七の日韓合同法要が執り行われ、
 以来、毎年行われているようです。

 今年も昨日、第39回合同法要が行われ、
 日韓両国から約130人が参列し、東洋の平和を願った2人の冥福を祈り、
 悪化の一途をたどる両国の政治情勢に惑わされず、
 民間交流を続けることを確認したと河北新報は報じています。

 僕は、安重根の名前と伊藤博文の殺害犯である事位きり知りませんでしたが、
 少し調べてみて、その人となりが分かったような気がしました。
 死刑囚と看守と言う立場を異にする二人が強い絆で結ばれ、
 現在に至っても多くの人が二人の冥福を祈ると言うのは素晴らしい事だと思いました。

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