アフガニスタンの情勢が混とんとしています。
これまでの経過を書くのは大変ですし、僕の能力を越えていますので、
簡単にまとめますが、
昨年2月、アメリカのトランプ大統領の時にタリバンとの和平合意が実現し、
アメリカの撤兵が決まります。
バイデン大統領もこの合意を引き継ぎ、
8月31日までにアメリカ軍の撤兵を表明しました。
その後、タリバンは次々とアフガニスタンの主要都市を攻略し、
8月15日、タリバンが首都カブールに進攻して、
ガニ大統領は国外に脱出して民主政権が崩壊しました。
現在、民主政権の第一副大統領のアムルッラー・サーレハが、
アフガニスタンの英雄アフマド・シャー・マスードの息子とともに
タリバンの勢力の及ばないアフガニスタン北東部のパンジシール州で、
抵抗を呼び掛けているようです。
一方、過激派組織「イスラム国」(IS)系武装勢力が、タリバンと対立しています。
IS系武装勢力は、タリバンがアメリカと合意した事に反発していて、
26日にカブール空港で110人以上の人が亡くなった爆弾テロは、
IS系武装勢力の中の「イスラム国」ホラサン支部(IS-K)が犯行声明を出しています。
バイデン大統領は、テロの報復として、27日に無人機攻撃によって
IS-Kの「計画立案者」を含む幹部2人を殺害したと発表しています。
すぐに相手方の首謀者と思われる人物を殺害してしまうのは、
バイデン大統領も同じなのですね。
相変わらず野蛮な国だと思いましたが、
この殺害によって、更に緊張が高まるような気がします。
こうしたアフガニスタン情勢の中で、政府は自衛隊機を派遣して、
アフガニスタン内にいる邦人の救出を行おうとしましたが、失敗しています。
報道によると、
防衛省内部では15日の時点で邦人の退避計画が検討されたようです。
しかし、外務省も官邸も反応が鈍かったようで、
20日には岸防衛大臣が、自衛隊を派遣しない考えを一度表明しています。
ところが急に事態が動き出したのが、22日で、
23日には自衛隊機の派遣を命じています。
カブールでは、26日、
日本大使館や国際協力機構(JICA)で働くアフガン人職員や家族ら数百人が
バスに分乗して空港に向かおうとしますが、
国際空港付近での自爆テロのために空港に向かえず、
結局日本人1人とアフガニスタン人15人を退避させただけで作戦が終わっています。
各国も自国民のアフガニスタン脱出を計画し、
ヨーロッパ各国はもとより、ロシアや韓国なども退避を完了しているようです。
報道では、
日本政府内部でも、あと1日早ければ救出できたのにとの声も出ているようです。
何故日本だけが遅れて退避できなかったのでしょうか?
下衆の勘繰りですが、
状況が急展開したのは、22日に行われた横浜の市長選の直前です。
その頃官邸では、シャカリキになって小此木さんの応援をしていたような気がします。
菅総理の頭の中も、横浜市長選挙に占められていたのではないでしょうか?
そのために、自衛隊への救出命令が遅れたのではないかと思います。
いかがでしょうか?
真相は分かりませんが、いずれにしても日本政府の救出機の派遣は、
他国よりも遅くなった事は間違いありません。
爆弾テロがなければ、結果オーライだったかも知れませんが、
遅れた結果、多くの邦人や関係者がアフガニスタンに残されています。
情勢が緊迫してしまったからこそ、政府は全力を挙げて救出して欲しいと思います。
これまでの経過を書くのは大変ですし、僕の能力を越えていますので、
簡単にまとめますが、
昨年2月、アメリカのトランプ大統領の時にタリバンとの和平合意が実現し、
アメリカの撤兵が決まります。
バイデン大統領もこの合意を引き継ぎ、
8月31日までにアメリカ軍の撤兵を表明しました。
その後、タリバンは次々とアフガニスタンの主要都市を攻略し、
8月15日、タリバンが首都カブールに進攻して、
ガニ大統領は国外に脱出して民主政権が崩壊しました。
現在、民主政権の第一副大統領のアムルッラー・サーレハが、
アフガニスタンの英雄アフマド・シャー・マスードの息子とともに
タリバンの勢力の及ばないアフガニスタン北東部のパンジシール州で、
抵抗を呼び掛けているようです。
一方、過激派組織「イスラム国」(IS)系武装勢力が、タリバンと対立しています。
IS系武装勢力は、タリバンがアメリカと合意した事に反発していて、
26日にカブール空港で110人以上の人が亡くなった爆弾テロは、
IS系武装勢力の中の「イスラム国」ホラサン支部(IS-K)が犯行声明を出しています。
バイデン大統領は、テロの報復として、27日に無人機攻撃によって
IS-Kの「計画立案者」を含む幹部2人を殺害したと発表しています。
すぐに相手方の首謀者と思われる人物を殺害してしまうのは、
バイデン大統領も同じなのですね。
相変わらず野蛮な国だと思いましたが、
この殺害によって、更に緊張が高まるような気がします。
こうしたアフガニスタン情勢の中で、政府は自衛隊機を派遣して、
アフガニスタン内にいる邦人の救出を行おうとしましたが、失敗しています。
報道によると、
防衛省内部では15日の時点で邦人の退避計画が検討されたようです。
しかし、外務省も官邸も反応が鈍かったようで、
20日には岸防衛大臣が、自衛隊を派遣しない考えを一度表明しています。
ところが急に事態が動き出したのが、22日で、
23日には自衛隊機の派遣を命じています。
カブールでは、26日、
日本大使館や国際協力機構(JICA)で働くアフガン人職員や家族ら数百人が
バスに分乗して空港に向かおうとしますが、
国際空港付近での自爆テロのために空港に向かえず、
結局日本人1人とアフガニスタン人15人を退避させただけで作戦が終わっています。
各国も自国民のアフガニスタン脱出を計画し、
ヨーロッパ各国はもとより、ロシアや韓国なども退避を完了しているようです。
報道では、
日本政府内部でも、あと1日早ければ救出できたのにとの声も出ているようです。
何故日本だけが遅れて退避できなかったのでしょうか?
下衆の勘繰りですが、
状況が急展開したのは、22日に行われた横浜の市長選の直前です。
その頃官邸では、シャカリキになって小此木さんの応援をしていたような気がします。
菅総理の頭の中も、横浜市長選挙に占められていたのではないでしょうか?
そのために、自衛隊への救出命令が遅れたのではないかと思います。
いかがでしょうか?
真相は分かりませんが、いずれにしても日本政府の救出機の派遣は、
他国よりも遅くなった事は間違いありません。
爆弾テロがなければ、結果オーライだったかも知れませんが、
遅れた結果、多くの邦人や関係者がアフガニスタンに残されています。
情勢が緊迫してしまったからこそ、政府は全力を挙げて救出して欲しいと思います。
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