天然居士の独り言

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高橋由一から黒田清輝へ・・・

2024年06月12日 17時40分36秒 | 日記
 今日は、栃木県立美術館に行って来ました。
 「高橋由一から黒田清輝へ ―明治洋画壇の世代交代劇―」との
 美術展が開かれていて、今月16日までが会期なので慌てて行って来ました。
 4月20日から始まっていましたので、もっと早く行けば良いのですが、
 その内その内と1日伸ばしになっていました。
 展覧会の概要は下記の通りです。
 https://www.art.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/t240420/index.html

 高橋由一も黒田清輝も「「近代洋画の父」と呼ばれる事があります。
 1894年(明治27年)、
 明治時代の洋画壇を切り開いた高橋由一が没しますが、
 その前年の1893年(明治26年)、
 フランスで洋画を学んだ黒田清輝が帰国し、
 「外光派」と呼ばれる新しい洋画を日本にもたらしました。
 主役の交代のような感じもします。
 そうした有名な画家の展覧会なので、結構人が来ていました。

 由一は、佐野藩の藩士の子として、藩邸で生まれます。
 今回初めて知ったのですが、
 9歳の時に、藩主堀田正衡の近習となりました。
 水野忠邦の下で若年寄を務めた堀田は、
 洋画や蘭学に通じた開明的な人物であり、
 由一の人格形成に多大な影響を与えていたと見られているとの事です。
 由一の西洋絵画の取組は、途中復古思潮や欧化政策の反転などで、
 一時活動が停滞します。
 こうした復古思潮の中心が
 フェノロサだったと言うのも分かる気がしました。
 この時期に、由一は県令の三島通庸に従って、栃木県から東北へ行き、
 工事の様子が完成した絵など多くの石版画を残しています。
 三島が新たに建設した山形県庁舎を中心とした市街図と同じ構図の
 菊池新学の写真額がありました。
 絵には、人や煙突の煙などが描かれていましたが、
 写真にはありませんでした。
 由一は、写真を元に描いた事も多かったようです。

 由一の絵では鮭の絵が有名です。
 3点位残っていて、重要文化財になっているのもありますが、
 この展覧会には山形美術館寄託の鮭が出ていました。
 由一が鮭を描いた理由が、身近な物をリアルに描いて、
 西洋絵画の優れた点をアピールしようとしたとの事で、
 納得してしまいました。
 黒田清輝の作品も数多く出ていました。
 厨房と呼ばれる婦人像は、何度見ても良い絵だと思いました。

 栃木県立美術館では、今年3月に
 アルフレッド・シスレーの「冬の夕日・サン=マメスのセーヌ河」を
 購入しました。
 購入金額は3億6千万円との事で、
 1億円を超える作品の購入は28年ぶりです。
 この絵も観たいと思っていました。
 東京の西洋美術館は、
 松方幸次郎の収集したコレクションが元になっていますが、
 そのコレクションの中に入っていた作品との事で、
 県立美術館が収蔵しているターナーやコンスタブルの絵とも
 合っているように感じました。

 そのような次第で、今日は午前中良い時間を過ごす事が出来ました。

コメント
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