天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

腰巻事件・・・

2023年04月30日 19時19分04秒 | 日記
 日本の近代美術史上、「腰巻き事件」と呼ばれる事件があります。
 1901年(明治34年)、第6回白馬会展で、
 黒田清輝が、外国人モデルが毛皮の上に足を崩して坐るポーズをとった
 『裸体婦人像』を出品したところ、
 劣情を刺激し公序良俗を乱すとして、
 警察は一般観客の入れない「特別室」での展示を要求しますが、
 黒田らはこれに抵抗し、
 あくまでも一般公開する方針から生まれた妥協案が、
 腰から下を布で覆うものでした。

 黒田は1896年(明治29年)6月、久米桂一郎らとともに
 自由平等を掲げる美術団体、白馬会を結成します。
 白馬会の第1回展には裸婦像を描いた作品は出展されていませんが、
 1897年(明治30年)に開催された第2回展には、
 黒田の『智・感・情』などの裸婦画が出展され、
 以降の白馬会展では、裸婦画がほぼ毎回出展されていたようです。

 それが何故第6回目に、
 警察が取り締まりに乗り出したのかは分かりませんが、
 1900年(明治33年)3月10日に、治安警察法が、
 第2次山縣内閣で制定されます。
 この法律は、自由民権運動を念頭に置いて、
 政治的集会および結社、言論活動などを取り締まるために
 制定されたものですが、
 公共の場で展示された絵画なども、
 風紀を乱すおそれがあると認められる場合には
 警察が取り締まることができるようになっていた事も
 あったのかも知れません。

 布で隠されると、隠れた部分を見たがるのが人情でしょう、
 布をめくって隠された部分を見ようとする来場者が続出したため、
 板囲いを『裸体婦人像』などの裸体画作品の下部に設置するという
 措置が講じられたとの事です。

 この後、この絵は、三菱財閥の岩﨑家によって買い上げられ、
 イギリスの建築家ジョサイア・コンドルが設計し、
 1908年(明治41年)に完成された岩﨑家高輪別邸のビリヤード・ルームに
 飾られていたこともあるとの事です。

 何故、この腰巻事件を書いたかと言うと、
 東京丸の内の静嘉堂文庫美術館で、この絵が出ていると知ったからでした。
 静嘉堂文庫美術館は、
 三菱財閥が所蔵していた美術品などを所蔵しています。
 「明治美術狂想曲」と題する展覧会に、
 この『裸体婦人像』が出品されています。
 この腰巻事件が起こると、与謝野鉄幹や森鷗外など、
 多くの著名人が論評していて、大きな話題になりました。
 そのような有名な絵ですから、一度観たいと思うのですが、
 6月4日までの会期中に行けるかどうか、チョッと微妙です。
 なお、件の絵は、
 JBpressのautographの下記のアドレスから観る事が出来ます。
 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/74901

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする