たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

ネットという居場所

2010-12-30 22:49:48 | 社会
昨日ははっきり書かなかったのですが,わたしが発言力を得たいと思って若い頃に結構エネルギーを使ったのにインターネットがあります。といってもまだインターネットという言葉が無い頃,ネットニュースとMLリストが主な場でした。Webも無くて,自分のページを作るというのも無かったので,一日に数十通投稿するという感じでした。

今日とあるTwitterで「居場所を作るコストがネットの時代になって下がった」というつぶやきを見,あぁーそうだよなと思いました。わたし自身,学生時代は居場所を得るために,バイク屋とか楽器屋に入り浸ったりしていたのですが,就職して上京したときに,そういう場が無くなり,どうやって新規に居場所を探すか?と悩んでいたときに,ネットに出会い,そこで多くの知り合いを作りました。田舎と違い,東京は一つの趣味でもあらゆる場があり,結構探すのが大変だと思ってましたが,結果的にネット上に居場所を見つけたので,お店などの現実の場を探すことをせずに済んだというか,逆に,やりそこなったという気もしてます。

というのは,ネット上の居場所というのは確かにコストが安い。お店で常連になり居場所を得るのに比べれば遥かに低価格で出来ます。時間をどれくらいとられるかは…まぁ微妙なのでなんともいえませんが。

ただ,わたしの経験だと20年ネットをやってきて思ったのは,ネット上の居場所というのは移り変わっていきます。ネットニュースもMLも今は趣味の居場所としてはほとんど滅んでます。MLの後に掲示板に居場所を求めたり,mixiに居場所を求めたりして,それなりに場所として機能した時期もありますが,やっぱりピークをすぎれば,ゴーストタウンの様になっていきます。

もちろん,現実の社会の居場所,例えばお店とかでも時間が経てば廃れるでしょうし,サークルみたいなものもそうでしょう。ただ経験かするとネットの方が時間間隔が短い気がします。時間間隔が短いということは,世代のつながりが起こりにくいともいえます。わたしが盛んにオフ会とかをやっていたMLは,掲示板やSNSに移らなかったので,結局その人達が家庭をもって,活動をしなくなると,新しい人たちも入ってこず,開店休業状態になってます。まぁいくつかのところはたまに飲み会くらいはやってますが,新しいメンバーは入ってきません。お店とかを中心に場が出来る場合は,もう少し10年や20年単位では続くのではないか?という気もします。

個人的にはネットを居場所として,そこで発言力を維持するのには,場を転々としていく必要があり,その移動にはかなりのエネルギーを必要とすることから,歳を取ってからは続けられず,そういう意味で,ちょっと自分の居場所としてよりどころにするには,辛いな…とも思ってます。
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わたしの人生の目的

2010-12-29 18:09:55 | ココロ
ちょっとネットをみていて思ったことを。

dankogai氏の「才能を、換金できるようになった」という文とか読んで思ったことですが,元の内田先生の話や,それを受けたdan氏の文全体を読むと,わたしが思ったことが,的外れな気がしたので,直接の反論というのは辞めます。

思ったことは,自分が働く…というか趣味も含めてですが,何を目的に生きているか?という話。子供を残すとかそういう部分はおいておいて(それもあるんですが)。

わたしはお金持ちになるために頑張っているという意識はありません。わたしがおそらく一番望むことは「発言力を持つこと」です。発言力を持つっていうのは,自分の話を聞いてもらえる,自分が他人に影響を与えることが出来る,という意味です。以前出世したかった理由を書き,そこで仕事の視点を高くしたいということと,責任を持てる事を理由に書きましたが,それも発言力を持つということに繋がります。おそらく発言力をしっかりもてたら,お金は食べていける程度にあれば充分だと思うかもしれません。いや,もし安心して食べられるというほどの発言力があればお金も要らないかもしれません。

発言力を持つということはお金を持つこととイコールではありません。もちろんお金をたくさん持っていれば発言力を得ることは出来るでしょう。でも,お金は手段でしかないし,お金では得られないような発言力というものもあります。

だいたいdan氏も充分に富を得てるのにブロガーをやってるのもお金のためではなく発言力を得たいからでは?とか思ったりもします。もちろんすべての人がそうだとはいいません。人と関わるのが本当に嫌いな人も入るでしょう。でも,富を得たい,お金を得たい…,名声を得たいと思ってる人の中には,発言力や,他人に対して意の影響力を得たい…ということが根底にある人も多いのではないでしょうか?。

そう考えると内田先生が書いている才能というのも,お金や名声に換えて終わるのではなく,他の人に贈与するというのも,発言力を持ち続けるには相手にプラスの影響力を与え続ける必要があるってことの様にも思います。

わたしには,会社で成功するのも,社会で成功するのも,異性に好かれるのも,発言力を得るための手段の様に感じられます。ですから,それ自身を目的だと意識すれば,ゴールはいろんなレベルがあり,近道でたどり着くことが可能の様な気がします。
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会員管理コストとサービス

2010-12-28 22:44:08 | 経済
先日ブックオフに本を売りに行って,清算時にブックオフのTカードを出したら,取り扱いを止めた…と言われました。調べると10月から止めたみたいです。

その前に,本を売るときに免許証の提示を求められるようになり,会員カードをもってるのにいちいち免許証を観るのだったら,何のためのカードだ…と思っていたので,ある意味,この展開は当然の流れだったんでしょう。

それにしてもブックオフは,昔会員カードを作ったときは,表に印刷される薄いカードで,でもそれもしばらくして,印刷されないまま運用されていて,そしたらTカードに変わって…そして,いま会員制自体がなくなった。ポイントサービスは別途あるようですが,必須ではない様子。

どうも会員管理システムが安定せず,ユーザとしては不安を感じます。会員管理は個人情報の取り扱いだから,おそらく自社で管理するより,どこかのシステムを利用した方がリスクが少ない…ってことでTカードを使ったんではないか?と予想してます。でも利用するって事は,使用料を払ってるはずだし,それでいちいち売るときに個人確認をする…というのはどこかの決まりになったはずだけど,だったらもう会員管理は要らないよね…ってことなんでしょうか。

ブックオフに限らず,会員管理や個人認証をアウトソースしてるサービスは幾つかあって,クレジットカードを使ったりしてるのもそういうことでしょう。


そういえば,ヨドバシカメラも普通のポイントカードを使ってると,盛んにクレジット機能付に変更を勧められる。マツキヨとかもクレジット付のポイントカードを使っている。以前使っていた貸しビデオ屋もそうでした。個人的にはクレジットカードをこれ以上増やしたくないし,使うカードは絞っているので,出来るだけ断っているのですが,お店側にすると,他者のクレジットサービスにアウトソースすると手数料とられるので,自社でまかなおうって事なんでしょう。

気持ちはわかるんですが,正直に書くと,それって売る方の都合だし,その都合が顧客側にアケスケにみえてしまう。サービスとしてどうなんだろうねぇ…って気はします。

あと,もう一つ。本人確認に免許証を提示される店が増えてきて,番号を控えられたり,コピーをとられたりするのがあるんですが,大丈夫か?…っという気がします。あっブックオフは今回はそういうのはなくて,その点については良かった事を書いておきます。
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キモカワ

2010-12-27 21:00:16 | 音楽・アート
TVをみて思うこと…。

最近の子供向け番組に出てくるキャラクタはやりすぎ感が強い気がします。特にNHK教育。まぁゆるキャラは子供向けとはいえないので,まだいいのですが。

子供は気持ち悪いくらいのキャラの方にはまるというのは聞いたことがあるのですが,昔の子供向けキャラはかわいく作ろうとして,なにかバランスが悪く気持ち悪くなっていたような気がしますが,今のは明らかに気持ち悪いのを狙っているでしょ?って思います。個性を出したい,ありきたりじゃイヤ,過去のキャラと被らないようにしたいというのはわからないでもないありませんが,個性とかはデザイナーのエゴだし,過去キャラも,子供にとっては関係ありません。

ついでに書くと,今のキャラはどうも寿命が短すぎます。短いのは奇をてらってるからじゃない?という気もします。もちろん放送局の大人の事情もあるんでしょうけど。

うさこちゃん(ミッフィー)は作者がどこまでキャラを簡略出来るか?に挑戦して出来たものだと思います。うさこちゃんが世界中で長年にわたり愛されているのは,シンプルなのに特徴がある…というのも大きいと思います。そういうデザインの発明が難しいのは良くわかりますが,だからこそキモカワいくして,斬新さを狙うのは,デザインとしてはちょっと安易じゃないか?とも思います。

というわけで,もう一度原点に戻ってみたらどうでしょう?。このままではどんどんキモサが進行しそうで怖いです(^^;)。
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就活事情と世代の幸せ

2010-12-26 09:12:46 | 社会
昨夜NHKで就職の大変さを議論する番組をやっていて,荒れそうだなと思っていたので,見てなかったのだけど,最後の30分くらいを見たら,割りと荒れてなかった。というか就活中の学生が顔出しだと,荒れようがないか(苦笑)。目をつけられたら困るしね。

いろいろ思ったけど,とにかく就職というのは時代も違うし,事情も違うし,その時代の手順がまったく違っていて,自分の経験は当てにならないなぁと思った。今の若者はネットの情報に頼りすぎてると感じたけど,じゃぁ自分達が,学校経由の情報以外を積極的に開拓したか?というと,そうじゃないし。もちろん今は採用側の事情はわかるのだけど,それもとある大企業の事情がわかるだけだし。就職を広い視点で,もっとも客観的にみてる人っていうのはどの辺の人なんだろうか?。就職コンサルタントとかジャーナリストとかもそうじゃないような気もする。

そういう意味ではちゃんと語れる人はいないのだろうけど,でも,語れる必要も無いのだろう。就職はマスとか統計ではなく,ここの事情の問題の様な気がする。

今の就活の大変さを学生は語っていたけど,ふと思ったのだけど,世代,時代による損得ってあるのでしょうか?。いや,あるとは思います。バブルの頃は就職が楽だったとか,戦時中は生きていくのも大変だった…とか考えるとあるよね。でもとある時代を切り取ってみると,就職が楽な時代はみんな楽だし,辛い時代はみんな辛い。世代間では損得はあっても,同世代は同じ条件だから,同世代同士が競争をすることについては,どの時代もそれなりに大変な気もする。仕事って就職してからじゃなくて,その後何十年も続く人生だから,就職が楽に出来たからって,その後いい人生を歩んでいるとは限らない。逆にあの頃は良かった…とずっと思ってるかもしれないし。

戦後だって焼け野原で,仕事も無かったり,ものすごいインフレで,大変だったんだろうけど,結果的に当時家とか買った人は借金がなくなっていたり,今も年金もらえたり,会社がうまくいった人は,経営者になっていたり,美味しい結果になってる人もいるわけで,苦しい時代をうまく切り抜けると,最終的には良かった人生もあるよなぁと思う。

もちろん,今,大変なのは理解してますが。
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パチンコ

2010-12-25 09:27:26 | ココロ
ネットでパチンコの是非が話題になってます。どれが最初のキッカケかわかりませんが,dankogaiさんが書評の中で韓国ではパチンコが全敗されていると紹介した辺りからかな?

たばこの時もそうでしたが,ネットの住民は比較的パチンコに厳しくて,はまるのは良くないみたいな意見が強いです。でもパチンコ経験者は,開き直れないものの,パチンコにはまるしかない心情みたいのを語っていたりします。パチンコが悪いと言いつついいわけを書いたり反パチンコ論に反感をもったり

で,わたしが思うこと。

パチンコが酒やネットと比べてどこが悪いかというと,異性を捕まえられないからだと思う,っていうのは嘘ですが,酒とかと違うのは,人とコミュニケーションを取る事もなく,黙々と非生産的な作業をしていると時間が過ぎる。まぁタバコみたいに,他の人にたいして迷惑をかけるわけでもないのですが。それで,作業ができるように,飽きない仕掛けがそれなりにある。うまく行くと報酬がもらえるのも,その仕掛けなんでしょう。たいして難しい作業ではないけど,それなりに頭を使おうと思えば使える。書いていて,あぁ釣りのようだ…と思いました。一ヶ所に集められて,誰かが用意したものをやるという意味では,釣りというより釣堀の方があってるかも。ちなみに釣りって「究極の趣味」とかいうんじゃありませんでしたっけ。

やばいな…と思うのは,どうもパチンコとか釣りって,人間の本能レベルで,ひたすら続けられるような構造になってるんじゃないか?ということ。酒やたばこと違って薬物が快感物質を出すわけじゃなくて,もっと行動的な部分の原理に関わる気がします。ネットはコミュニケーションが関わるという意味では,人間はコミュニケーションではまる生き物なので,仕方がないと思うのですが,機械相手でずっとはまれる…っていうのが,何かヤバイ(悪い方の意味)気もします。人間が本来もっと何かのために必要なエネルギーを吸い取られている様な,だから逆にはまる…そんな感じがします。

もう一つ,田舎に行くとパチンコしか娯楽が無い…ということにもひっかかるんですが,ちょっとそれは次元が違う話なので,また別途書きたいと思います。
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フィクションに懲りない面々

2010-12-23 23:37:02 | 時事
medtoolzさんのフィクション欠乏症についてっていうのを読みました。面白かった。幼少からフィクションを充分に経験してこない人の方が大人になれないとのこと。なるほどと思いました。そういうこともあるなと納得しかけました。

でも,ちょっと自分の経験を振り返ると,そうでも無い例が結構あるなとも思いました。オカルトとか飽きるというのはそうなんだろうなと思います。そういういかがわしいものはそうかもしれませんが,性衝動に関しては,大人になっても飽きないというか,大人,更に壮年になっていかがわしいものに行く例をいくつか見たことがあります。そういえば中年のバツイチの男って,ナンパしまくったりして凄いという話を聞いたことありますが,ああいうのもそうだし,あと地位と財産を得た人が愛人を作ったりとかそういうのも。

オカルトが飽きるのはオカルトをどんなに勉強しても,多分自分の状況はそうは変わらない。ご利益もそんなに起きない。だから時間が経てば飽きるだろうけど,性衝動は,どんなにフィクションに接していても,歳を取って身体的なものが変わったり,自分の周りにいる異性が変わったりしたら,そこで初めて行動に出たりする…って事は多いんじゃないかなと思います。飽きるのは,一通り現実の行動をやったら飽きるっていうのはあるかもしれないけど,それが犯罪的なものだと困るし,若いときにやらないほうがいいんじゃない?と思うことも多い様に思います。

だから,若いときにフィクションに触れていれば,飽きて大人になるっていうのは,そうじゃない人も結構いるような気がします。

余談ですが,わたしはずっと妄想が強い人だったんですが,妄想を取り除くのに効果があったのは,身体を感じることでした。例えばくたくたになるまで走るというのは,体力を奪って発散してるのではなくて,体の限界を感じて,妄想の可能性を感じなくなるって感じです。手術したあと歩くのも大変だった時期,あと今の様に子育てに四苦八苦してるとき,こういうときも体の限界を感じて,いらないことを考えない。まぁこれは性衝動の妄想とは違った妄想だったのですが。

話を戻すと基本的にいかがわしい話を考えるのも,頭が暇だからじゃない?って気もします。
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コミュニケーションクロック

2010-12-22 23:15:58 | ココロ
言葉を思いついたので:-)。

言葉は思いつきなんですが,指す対象としては,例えば,e-mailをもらって,返事するまでの時間間隔。もらったらすぐに返さなくてはいけないと思う人もいたら,一日くらい置いても平気とかいう人とかいて,この二人がやり取りすると,不具合が起きたりします。そういう時に,「この二人はコミュニケーションクロックが違う」とかいうといいか:-)。

わたしは若い頃はクロックが速くて,携帯じゃなくてインターネットメイルでも,もらったら数時間内に返そうとかしてました。仕事のメイルでもオーダをもらったら,すぐに返そうとする…っていうのは今でもあるんだけど,ある時期,先輩から,返さないで様子を見るのもやり方…と習って,今は脊髄反射的に返すのではなく,ある程度考えて返すようにしてます。

で,同じ自分でも,メイルをもらってすぐ返す…と,すぐ返すというクロックなんですが,これが一旦返し損ねると,今度はキッカケがないと,なかなか返しづらい。普通の電話とかでもそう。クロックは最小単位は短いけど,そのクロックをまとめて大きなクロックにするには,どこかに段階があるような気がする。バッファサイズとか(笑)。

わたしとかはクロックが短い方だとは思うけど,だからクロックが長い人が,どうしてすぐに返事をよこさないのに,忘れないのか?…というのは疑問に思うことがある。長い人は長い…とは思えるけど,自分はそうできない。

…とかそんな感じ。まぁ歳をとり以前に比べクロックが遅くなってるっていう実感はあって,歳をとるとなんでもクロックは遅くなるよな…とは思う。
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Win-Winが崩れるとき不利益は片方に集まる

2010-12-21 23:50:00 | 社会
昨日の日記は,働く女性を否定するとか卑下するものではなくて,物事には何でも裏がある,で,称賛されるものは,多分,それで得をする別の人がいるって事を言いたかっただけです。

以前日記で,親とわかれて核家族とか都会に出よう…とかいうのも,都会や工場で労働力を得やすくするためのものだったんでは?…と書きましたが,それと同じような話です。一時期あったフリータや個人事業主を賞賛する空気も,結局企業がバイトや派遣を増やし正社員を減らすという狙いがあったのかもしれません。

もちろん,誰かが得をするように振り撒いた価値観であれ,それに影響された人が同じく得をすればWin-Winってことになるのですが。ただWin-Winとかいうのは,うまく行ってるうちはいいけど,状況が変わってくると,どちらかが得をしなくなる…。そうなったときに,元々どっちの狙いで設計されていたかを考えておかないと,不具合がどちらかに押し付けられるってことになるんだろうな…ということです。女性の社会進出も,本来が女性が働き甲斐を得るとか,家庭が豊かになるって事を第一にしていれば,共働きじゃないと食べていけない…という状況にはならなかったと思うんですよね。もしそうなれば「元々の主旨と反する」となるはずで。

世の中税制とか政策とか,イイトコドリして,色々多方面にいいことがありますよ…って説明をする人がいます。子供手当だって経済対策なのか,弱者保護なのか,少子化対策なのか,曖昧なまま進めてきてます。だいたい複数の利点を上げるっていうのは,どこか本質的な狙いを隠すためにやってる…と思った方がいいのでは?と思います。狙いが一つだったら,是非を議論出来るけど,たくさん挙げて煙にまいてるだけなのかも知れないので…。
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女性の社会進出の狙い

2010-12-20 07:40:47 | 社会
下記はフィクションです;-)。

昔々,ある国の人たちは,家族で暮らしているのですが,外に出て働くのは働きざかりの男一人でした。男が外に出てお金を稼ぎ,他の家族はそのお金を元に,後は家のことをやったり,子供は勉強したりして暮らしてました。男の収入で暮らす他の家族,たとえば父親は,子供が稼ぐようになったので,早々に引退し,悠々自適,妻は,家の事は忙しいけど,外に出てお金を稼ぐことに気を使う必要もなく,比較的安心して暮らしてました。…と,言いたい所ですが,ある時,何故かそういう家族形態に対して,こういわれるようになりました。妻は夫の収入に頼って生きてるので,夫に逆らえない,外の世界は,楽しいことで一杯。また年老いた親は,老後のお金が心配,外に出ればその経験を活かしてもっと余裕のある暮らしが出来る。

そうして,妻達は専業主婦を辞め外に働きに出ました。年寄も引退をせずにいつまでも働きました。

みんなが働いて,その家の収入は一時的に増えました。でも,家庭にいる働き盛りが減ったので,家のことをやるために,便利な家電や家の設備を買ったりする必要があります。食事も外食が増えて,お金がかかります。子供の勉強も見てあげられないので,お金を払って塾にやる必要が出てきました。でもたくさんの収入を得て,それを使っていると,なんだかリッチな気分を堪能できました。

そういうのが当たり前の社会になった頃,国の経済状態が悪くなりました。というか,今までが右肩上がりだったりバブルだったので,経済状態が良く見えただけで,普通に横ばいになっただけでした。しかし,これまで先行投資してきた国や企業は借金だらけで,自由にお金を使えません。そこで,企業は,従業員の給料を下げることにしました。国は様々な控除や手当てや支援金を減らすことにしました。でも,今の社会は家の中に何人も労働力があるので,収入を減らしても大丈夫だよね?ってことになってます。一人働いたら一人分の給料だけど,二人働いて家族を養えばいいよね…ってことになり,結局家族総出で働かないと,普通に生活できない社会が出来上がりました。

…という物語が頭によぎりました。念のためにもう一度書きますが,フィクションだし,別に日本の話ってつもりもありません。

いや,今から30数年前くらいからかなぁ…女性の社会進出が「良し」とされ,働く女性がかっこいいとか,専業主婦がかわいそうとか,そういう空気になり男女雇用機会均等とかいろいろやってきたけど,それって,つまり,雇用主は人一人雇うのに,家族の分の給料を払う必要が無い社会を作るための,壮大な前振りだったんじゃないかな…とか最近思います。昔は社員の家族までが(会社にとっての)家族と言っていた社長とかもいたらしいけど,いまどきそんなこと考えないだろうし,社員が家族を食べさせられないとか言うと,奥さんも働きに出れば?とか言いそうだよなぁとか思ってしまいます。

わたしは昔から,女性が社会進出することを賞賛する言い方って,引っかかるものがあって,女性別に社会に出てもいいけど,だったら男性が女性に食べさせてもらっても良いよなぁ,でもそれが普通という風潮にはなって無いよなぁと思ってました。裏があるとは思っていて,それは女性を使う事により優秀な労働力を確保したいから…だと思ってましたが,むしろ男性も女性もどちらも低賃金で雇えるように…ってことじゃなかったのか?とか最近の雇用事情を聞くにつれ思うようになりました。

まぁ最近は専業主婦が勝ち組…みたいな意見もあるみたいなので,この辺の風潮は変わってきてるのかもしれませんけどね。
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