先々週『「丸山眞男」をひっぱたきたい』という論文が話題になってるのをネットで知りました。この論文はすでに雑誌で発表されていて,それに対しての反論とかも雑誌に掲載されたようなのですが,その反論自体が的を得てなくて…って話。このことを知ったのは,例によってアンカテさんっだったりするのですが…。
要は…フリータで格差社会の底辺(という表現はあまりよくないのですが,理解しやすいように便宜的にこう書きました)にいる人の意見として,平和というのは,現在の格差が固定された世界であり,すでに底辺にいる自分たちは浮上できない…と。その不平から,戦争が起きれば社会は流動化すると,戦争を肯定的にも取れることを書いたので,その部分だけに脊髄反応した人が多く,真意が誤解されてたとの事。
ネットのほうはいろいろ冷静に反応する人も多く,上記のアンカテさんもそうですし,曹達泉さんでは左翼とかそういうのも取り上げて論じてます。
わたし的には,もともとの意見の「平和」(括弧つき)に格差の固定化があるっていうのはそうだなぁ…と。で,結構そういう視点が見落とされてる…と思いました。
現在格差社会が問題だといわれ始めているので,格差が問題なんだと認識してこういう意見が出てくるのでしょう。一方で「格差というのは存在するものだ」という意見も最近は出てきます。後者は格差があるからほっておくというのではなく,あるからこそ,苦しむ人をなんらか助ける必要があるというものです。問題は問題なんだけど,「格差をなくす」…っていうこと自体には無理があるのだろう…とはわたしも思います。人が同じように報われる社会…というのはやはり無理があると思います。以前から書いてますが,日本のように階級がない社会では,社会のトップと一番下が同じような尺度で比較されて,その差が制度ではなくて本人責任のように言われてしまうという残酷さがあり,そのある格差がより重たくのしかかってきます。
わたしは本当に困っている人,食べられない人や病気で苦しむ人は経済的弱者だからこそ助けなくてはいけない…とは思いますし,ある程度格差が生まれるのは,仕方ない,というかひとつの尺度で人の差を比較すべきではないと思います。
ただ,最初の論文で,忘れがちな重要な指摘だなと思ったのは,結局,現在の裕福な層が,既得権の保持を主張していて,それが平和であるということ…。つい4,5年前の経済的に問題があった日本では国民全員に痛みを伴う改革を,小泉首相は訴えたけど,いつの間にか,一部の人たちは「以前と同じような」暮らしを確保する維持するために,それ以外が浮上することに反対していると。
現在は社会構造が変わっていく段階がまだ続いていて,不況から脱したといっても,高度経済成長時代のようにみんなに希望がある時代までは復活していません(あの時代が本当に良かったのかは疑問ですが)。ですから先に抜け出した人が,更なる良さとか,既得権を主張するのは,まだ早いのかもしれない…と思いました。
まだまだ痛みをみんなが受けないといけないのかもしれないと。
うーん,この問題は難しい。最近不況を脱したと思ってるのか,政局も浮かれていて閣僚の粗探しばかりしてますが,まだまだそういう時代じゃないように思います。
要は…フリータで格差社会の底辺(という表現はあまりよくないのですが,理解しやすいように便宜的にこう書きました)にいる人の意見として,平和というのは,現在の格差が固定された世界であり,すでに底辺にいる自分たちは浮上できない…と。その不平から,戦争が起きれば社会は流動化すると,戦争を肯定的にも取れることを書いたので,その部分だけに脊髄反応した人が多く,真意が誤解されてたとの事。
ネットのほうはいろいろ冷静に反応する人も多く,上記のアンカテさんもそうですし,曹達泉さんでは左翼とかそういうのも取り上げて論じてます。
わたし的には,もともとの意見の「平和」(括弧つき)に格差の固定化があるっていうのはそうだなぁ…と。で,結構そういう視点が見落とされてる…と思いました。
現在格差社会が問題だといわれ始めているので,格差が問題なんだと認識してこういう意見が出てくるのでしょう。一方で「格差というのは存在するものだ」という意見も最近は出てきます。後者は格差があるからほっておくというのではなく,あるからこそ,苦しむ人をなんらか助ける必要があるというものです。問題は問題なんだけど,「格差をなくす」…っていうこと自体には無理があるのだろう…とはわたしも思います。人が同じように報われる社会…というのはやはり無理があると思います。以前から書いてますが,日本のように階級がない社会では,社会のトップと一番下が同じような尺度で比較されて,その差が制度ではなくて本人責任のように言われてしまうという残酷さがあり,そのある格差がより重たくのしかかってきます。
わたしは本当に困っている人,食べられない人や病気で苦しむ人は経済的弱者だからこそ助けなくてはいけない…とは思いますし,ある程度格差が生まれるのは,仕方ない,というかひとつの尺度で人の差を比較すべきではないと思います。
ただ,最初の論文で,忘れがちな重要な指摘だなと思ったのは,結局,現在の裕福な層が,既得権の保持を主張していて,それが平和であるということ…。つい4,5年前の経済的に問題があった日本では国民全員に痛みを伴う改革を,小泉首相は訴えたけど,いつの間にか,一部の人たちは「以前と同じような」暮らしを確保する維持するために,それ以外が浮上することに反対していると。
現在は社会構造が変わっていく段階がまだ続いていて,不況から脱したといっても,高度経済成長時代のようにみんなに希望がある時代までは復活していません(あの時代が本当に良かったのかは疑問ですが)。ですから先に抜け出した人が,更なる良さとか,既得権を主張するのは,まだ早いのかもしれない…と思いました。
まだまだ痛みをみんなが受けないといけないのかもしれないと。
うーん,この問題は難しい。最近不況を脱したと思ってるのか,政局も浮かれていて閣僚の粗探しばかりしてますが,まだまだそういう時代じゃないように思います。