たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

怒らないことと乖離すること

2013-12-23 21:47:51 | ココロ
知人がシェアしていたブログで「怒らない修行」というのを読みました。お坊さんが書いている様なので,それなりに考えられた内容かともおもうのですが。

ここで書かれている怒らない方法は「出来るだけ考えずに時間を経過させる」ことという風に読めました。自分が浅く読んでいる…という気はするのですが。

これを読んでおもったのは,乖離に似てるってことです。乖離っていわゆる精神的なストレスを受けた人が,自分の目の前におきている辛いことを現実と認識しなくなることです。例えば夢を見てるような感じで見てしまうとか,思考停止してしまうとか。

乖離は一般的にあまりよくないことの様に言われます。現実から眼を背けるし,現実の問題に対応できなくなるから。よく言う幼児に対するネグレクトとかも親が乖離を起こしているケースもあります。だとすると考えないことによって怒らない…っていいことなんだろうか?とか真っ先におもったのです。

とはいえ,一般に乖離が悪いことだといわれますが,自分を省みると,こういうことって良くあるよな…とおもいます。辛い状況を「早くこの時間過ぎないかなぁ」と思考停止して過ごすこと。また自分におきていることを第三者におきていること…という風に客観視して,辛さを半減させることも良くやります。

ということは乖離って悪いことじゃないのでしょうか?。たぶん正解は無いのだろうけど,程度の問題なのかな?という気がしてます。要は乖離になる自分を更に客観視できるというか,コントロールできるってことなんだろうなぁ…ということです。ですから真に対処しなくてはいけないことは乖離しないとか,感情的に怒っている自分に対しては乖離するとか,そういうことを選択的に行えるってことが必要ってことではないでしょうか?。怒ったら無条件に考えなくなるようではまずいようにおもいます。

さて,自分は余り怒らない人だと自覚してますが,自分が怒らないようにしているコツは,

  • 他人に期待しないこと

  • 人は自分と同じように感じ,考えるわけではないとおもうこと

  • 怒るのではなくがっかりすること


とかです。他人に怒るっていうのは,どこかしら他人に期待をしてるってことだとおもいます。期待した自分を反省すれば怒る気が起きません。また同じことですが,相手が自分と同じように感じているわけでもありません。こういう風に考える人がいるんだ,感じる人がいるんだ,へー,という風に興味深い…と考えると好奇心の方が勝ってしまいます。で,最後のががっかりすること。なんか自分に不利益な状態になると,トホホホ…と思って脱力する,結構これで済んじゃうことが多いです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 音楽の革命者を評価するのは... | トップ | 学会の権威と人気 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ココロ」カテゴリの最新記事